風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

マクロとミクロ

2016-04-16 | 世界・平和

一昨日の夜、テレビを見ていたら突然の緊急地震速報。
一瞬にして5年前の記憶が蘇り、身が硬くなった。
熊本で震度7という速報に、各局が報道に切り替わる。
遠い地ということもあり平静を装うけれど
緊急地震速報のチャイムを聞いた瞬間から手の震えが止まらない。
あの時の様々なシーンがフラッシュバックしてくる。
余震の速報のチャイム、停電で鍋の底に灯したろうそくの火、
間断なく続く余震と地鳴り、外ではヘリの音、つけっ放しのラジオの声、
服のまま居間に横になっても冴え冴えと眠れない夜・・・

テレビを見ていると熊本市内の俯瞰映像が映る。
あれ?ネオンが眩しい。停電になっていないのかな?
道路も車のライトが流れている。渋滞もない?
あまり大きな被害が出ていないのかな?
それならそれに越したことはない。
俯瞰映像には何事もなかったような街の全体が映っている。

・・・時間が経つにつれ
段々街のあちらこちらの様子が映し出されてきた。
不安げに外に立ちすくんだり座り込んだりしている人たち。
倒れた塀や崩れたブロック、熊本城の石垣。
一番強い震度を記録した益城町は真っ暗、停電だ。
家が潰れた映像、火事の映像・・・
徐々に死傷者情報も入ってくる。
あぁやはり、ずいぶんひどい被害が出ているのだ。
緊急地震速報が何度も鳴り、強い余震も頻繁に続いているらしい。
熊本の方々が感じている恐ろしさを慮る。

ふと思ったこと。
俯瞰映像のマクロの視点では何ら被害があるように見えない。
まるでまったく問題なく日常が流れているようだ。
しかしカメラが1歩街に出、ミクロの視点で人々や家々を映し出すと
そこここで相当な被害がある。場所によっては停電にもなっている。
新幹線は止まり、高速道路は路面が崩壊している。
これって、現代の政治や経済にも言えることじゃないか?
マクロ経済的考え方を基として大量に資金を市場につぎ込み
あたかも景気が回復したように見せているけれども
ミクロの視点で見ると問題山積、人々は格差にあえいでいる。
社会保障の問題も、教育の問題も、外交や国防の問題も
マクロ的視点で強引に物事を進めているけれど
ミクロな、ひとりひとりの問題として考えているか?

一昨日ははじめNHKを見ていたのだが
頻繁に出てくる首相や官房長官が言う言葉は
「被害状況に関する情報収集にあたり、救援対応する」
という、当たり前のどうでもいい話ばかり。
(震度分布図から原発の場所が切れてたのは意図的か?)
はっきり言ってその場でその時に必要な情報は
政府内に対策本部を設置したというニュースではない。
どこで、どの範囲で、どれだけの被害が出ていて
これからどうなるのか。
道路は?鉄道は?停電復旧状況は?ライフラインは?食べ物は?
5年前もそうだった。
停電でテレビが見られない中、
NHKラジオの情報はマクロなものばかりで全く役に立たず、
必要な情報は岩手放送ラジオで得るしかなかった。
そんな声もミクロなものとして切り捨てられるのかもしれないが。


そして一昨日から昨日にかけて
揺れは九州全体へと広がり、阪神淡路と同規模という本震もあった。
阿蘇や桜島の火山活動もここ数年活発化しているらしい。
それでも川内原発の稼働は止めないのだろうか?
道路の信号機新設と同じで、
事故が起きないうちは対応されることは無いのか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「父よ、ロンググッドバイ」発売間近

2016-04-15 | 読書


本ができた!!
作家盛田隆二さんの記念すべき20冊目の上梓は
同氏初めてのノンフィクション。
これでもかと襲ってくる過酷な境遇に耐えながら
それでも父や妹など家族との絆がそこここに垣間見える。
著者は果たしてどのようにその状況を抜け出したのか。
ラストシーンの美しさは必見。



書店に並ぶのは20日頃となります。
お見逃しなく、お買い求めください。
来月には書店にて著者のトークショーも計画中。
詳細が決まりましたらまたここで告知します。

「父よ、ロンググッドバイ」盛田隆二:著 双葉社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「若くなるには時間がかかる」

2016-04-14 | 読書

男でも、女でも
若い頃よりある程度歳を重ねた後の方が
味がある良い顔になる人がいる。
男なら、最近大河ドラマで再ブレイク中の草刈正雄さんや
コミカルな役で新境地を開いた佐藤浩市さん、阿部寛さんなど。
女なら小泉今日子さんや風吹ジュンさんかな。
個人的には吉永小百合さんや石野真子さんなんかも
若い頃より今の方がいい顔してると感じる。
そしてその代表格が火野正平さんだと思うんだ。

本書の中で自ら語っているけれど
若い頃は数々のスキャンダル(笑)で注目浴びる以外は
はっきり言って役者としてはバイプレイヤーだよね。
キャーキャー騒がれる存在でも、
ブロマイド(古っ)がばかすか売れる存在でもなかった。
でもNHK-BS「ニッポン縦断こころ旅」で見る火野さんは
本当に味のあるいい顔をしている。
やんちゃな「男の子」のままいい感じの爺さんになったような
まだまだ危険な香りを漂わせつつ
どこか肩の力が抜けたノーテンキさがとてもいい。
こちらまでふーっと張り詰めた息を吐き出したくなる存在。

「若くなるには時間がかかる」
とはご本人が気に入ったピカソの言葉なのだとか。
その流れで、本書では章が変わるたびに
有名な方々のいい感じの言葉をピックアップしている。
第1章の終わりに書いてある、ジョージ・バーンズの言葉
「年を取るのは仕方ないが年寄りになる必要はない」
は、まさしくこの人の座右の銘みたいな言葉だし
「恋とスキャンダル」と銘打たれた第7章の最後にあった
「愛情をケチってはいけない / ジークムント・フロイト」
には思わず笑ってしまった(^^;
でも一番心に響いたのは、
「俺って、こんな商品です」というタイトルの第9章あとにあった
「人生とは自転車のようなものだ。
 倒れないようにするには走らなければならない
               / アルバート・アインシュタイン」
この人の、一見テキトーに見えるポーズや生き方は
「それでいいんだよ」と我々を励ましてくれているのかも。
子役時代から芸能界という厳しい世界で生きてきて
様々な逆風(時には突風や嵐も)にも倒れず
いい歳の取り方をしている火野さんは
それなりに(見えないところで)自転車をこぎ続けてきたのかもね。

聞き書きのような本書の内容は、
いかにもこの人らしく飄々とした言葉ばかりだけど
章末のこれらの言葉が火野さんの裏側を言い表しているようで
本書全体を引き締めるとても重要な役目を果たしている。
なるほど、こんな編集の仕方もあるんだな。
勉強になる。

自分には火野さんのような生き方はできないけれど、
最後の章の「これからのこと、死に様」は心から同意。
足るを知りながら、体が丈夫ならなんとかなるという気持ち。
そして死んだ後は散骨してくれという。
「そこに骨を撒いてもフヮ~ッとどっか行っちゃうんだからさ」
うん。それもいいな。
でもそこはまともに答えない火野さん。
今の「母ちゃん」や戸籍上の「母ちゃん」や他の女性たちに
骨をみんなで分けてもらってもいいよと宣う。
「それを分骨払いという」
そこか(笑)

「若くなるには時間がかかる」火野正平 講談社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地蔵堂 奉納神楽のご案内

2016-04-13 | 神楽・芸能


桜が咲いた。
まだ1本の木に1輪2輪だけど、
今週末には5分咲きぐらいにはなるかなー。

毎年恒例の地蔵堂 奉納神楽が24日行われる。
いつもなら満開の桜の下、
ブルーシートを敷いて花見気分で見ていただけるけど
今年は開花が早かったのでどうかなー。
ちょっと散り気味ぐらいって感じかなー(^^;



地蔵堂は正式には修験宗延命寺。
神仏混淆で鳥居のあるお寺だ。
ここの別当は代々修験の修行を行ってきていて
お堂の中には修験僧の格好をした歴代別当の写真が
ずらりと並べて飾られているという
現代には珍しいお寺。
「山伏神楽」である我々にも近い存在だ。

今年は若い衆の集まりが仕事の関係で少ないけど
神楽を研究されている大学の先生もおいでになるようで、
できる演目はすべて奉納の予定。
昨年ご披露した復活新演目もできれば演りたい。
24日午後から、
花巻市中根子のマックスバリュー前にて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「隠し事」

2016-04-12 | 読書

最近よくテレビで見かける芥川賞作家の
あえて受賞作じゃない作品を文庫で読んでみた。
なるほど心理描写がけっこうリアル。
ハラハラドキドキもする。
・・・がしかし、ふと我に帰ると
「なんで自分はこういうシチュエーションにハラハラしてるのだ?」
と(自分のことに置き換えると)ちょっとアホらしくなる。
そういう意味では笑いながら読んでも良い作品なのかもしれないし、
もしかしたら人によってはシリアスな話かもしれないという
なんとも不思議な物語。
発想は面白い。

誰しも陥る状況ではあるのかもしれないし
情報社会と言いながら
セキュリティが甘い意識に警鐘を鳴らしているのかもしれないが、
私としては、一つの情報に対して
受け取る本人の気持ちの持ちようにより
その情報の意味が全く正反対になる可能性が面白いと思った。

「いつでも相手の立場に立って気持ちを推し量ってたら、
 何もできないし身動きとれなくなるよ」

「隠し事」羽田圭介:著 河出文庫
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つぼみ

2016-04-11 | 生活の風景


昨日の花巻ではこんな感じ。
開花までもう1~2日。

でも今日の天気予報は雪(ー ー;)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京の桜 見納め

2016-04-10 | 
先日の水曜日。
不動前のかむろ坂にて。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「『テーゲー』のおはなし」

2016-04-09 | 文化
テーゲーというのは
「大概」とか「おおまか」とか「アバウト」とか、
いろいろ解釈はあるようですが、
「テーゲー」という言葉の意味で
少し気になることがあるんですよ。
「テーゲー主義は沖縄の県民性である」などと言われると、
オバァなんかはちょっと首をひねってみたくなりますよね。
「テーゲー」と並んで
「なんくるないさ」という言葉もよく使われて
「なるようになるんだから、いいかげんでいいさ」
といったように、
なんだかナマケモノの言い訳みたいに使われると、
「少し違うんでないかねえ」と思うわけさ。
沖縄というところは昔から、
島は小さいし台風とか干ばつも多いし、
きびしくて貧しい時代が続いたわけですよ。
ですから、どんなに汗水流して働いても、
どうにもならない時もあったわけさ。

人間自分一人の力ではどうにもならない、
八割頑張ったら、あとの二割は
人の助けと天の助けにすがらなければならない。
だから、あんまり一人で思いつめたり、
自分をギリギリ追いつめたりしないで、
みんなを信じて共に生きていこう。

そういう時に出てくる言葉が、
「テーゲーでいいのよ、なんくるないさ」
と慰めてあげるやさしさの言葉だと思うんですよ。
だから、他人の失敗でも、欠点でも、
とことんまでは追及しない。
沖縄タイムで遅刻してきても、誰もとがめたりしない。
そういう「柔らかい心」といいますか
「ソフト文化」といいますか、
そんな気風が今でも根強く残っているのは確かですね。
「沖縄人はきびしさが足りない」とか、
お叱りをうけることもあるんですが、
なにも怠け心でテーゲー主義になったんではなくて、
一人で十歩進むよりも、
十人で一歩進んだ方がいい、という考え方もあるんですよ。

勝ち組、負け組の競争がはげしい今の時代、
ストレス列島の片隅にテーゲー主義の沖縄をひとつぐらい、
砂漠の中のオアシスみたいに、
残しておいてもいいではないですかねえ。
(CD「平良とみの沖縄タイム なんくるないさ」より


岩手にも「やんべ(いい塩梅)」という言葉がある。
歴史的に厳しい自然と戦ってきた北国でも
同じ文化を持っているんじゃないかなぁ・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ベトナムの風に吹かれて」

2016-04-08 | 映画・芝居・TV

痴呆の母親を
自分が住むベトナムに連れてきて一緒に暮らす物語。
周囲はみんな当たり前のように反対するけれど、
辛く苦しかった半生を取り戻すかのように
少女のようにニコニコ過ごす母親の顔が印象的だ。
もちろん子にとっては
こんなもんじゃない大変さはあったのだろうが、
かつての日本(田舎にはまだ残ってるけど)のような
ハノイの人たちの暖かく優しい目が見守っている。
なんか懐かしいような、心が暖かくなる物語。

痴呆の介護に関する本2冊を読んだ後なので
より興味深く見ることができた。
こういうコミュニティーのあり方が
介護の環境を考えるのに一つのヒントになる気がする。

日本とベトナムとは複雑な歴史がある。
戦時中の日本軍統治も、ベトナム戦争時の反戦運動も。
そういう記憶や感情も織り込みながら、
全体が多層的なストーリーとなっているのは
大森一樹監督の世代ならではの視点ではなかろうか。
だから隣席の人がつぶやいていたような
「なんだか色々なシーンがあって散漫な感じ」
という鑑賞後の言葉は当たっていない。
私たちはもっと他国のことを知る必要がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おしるこ

2016-04-07 | 生活の風景


ちょいと肌寒かった先週の土曜日は
おしることコーヒーでほっこり。
このコーヒーカップは塗りのもの。
古民家カフェほっこりではカップが選べる。



風は冷たかったけど、
ほっこりさんの周囲の竹林は春の雰囲気。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016-04-06 | 


今年初めて見ました。
上の写真は飯田橋駅前にて。

昨夜は第2の故郷である
隅田川河畔を散策。
やっぱり桜はここだなー。













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「父よ、ロンググッドバイ」

2016-04-05 | 読書

小説だった中島京子さんの「長いお別れ」とは違い
こちらは作家盛田隆二さんが体験したノンフィクション。
しかもお母様が亡くなった後、
ひとりになった認知症のお父様を介護した壮絶な体験を綴る。
本書をお読みいただくとわかるが
実は盛田さんに降りかかるのはお父様の病気だけではない。
次々に襲いかかってくる大変な状況は
ついに盛田さん自身の神経までむしばんでいってしまう。
ページをめくるのが辛い、が読むのを止められない。
重松さんの帯文が内容をよく物語っている。

がしかし、本書のテーマの一つは父と息子。
過酷な状況と戦いながらも、
心の底辺で父と息子の見えない絆が繋がっている。
それまでの内容が過酷であっただけに
そんな繋がりが感じられるエピローグがとても美しい。
現在の介護制度や老人医療に対する問題点も
私たちが今真剣に考えなければいけないことと思う。

4月20日発売。
AMAZONで予約販売が始まっている。

「父よ、ロンググッドバイ」盛田隆二:著 双葉社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「長いお別れ」

2016-04-04 | 読書

認知症を描く短編小説集。
若い世代の人々には
夫婦と子どもの生活や仕事、恋愛などの日常に侵食してくる
親の認知症と介護というある意味お荷物的事態だし
長年連れ添った夫婦にとっては
パートナーがゆっくりとパートナーでなくなっていく状況を理解しつつ
とにかく思いもよらない事態への対応に追われる日々なのだが、
小説という形をとっているせいか
あるいは当事者のことだけではなく周辺の人たちが抱える
その人の身の回りの問題も同時に取り上げているせいか
コミカルなタッチに読めなくもない。
実はその分深刻さがより際立つのだが・・・。

自分もこの先、実母や義母の介護があるかも知れない。
しかもそれほど遠くない未来において。
そう考えると身につまされる内容ではあるのだが
一方で自らが介護を受ける日のことも強く思いながら
しんみりと読み進めた。
それすらそんなに遠い未来ではない気がするから。
良かれと思って周囲に人たちが世話することに対して
この父親は「嫌だ!」と拒否の姿勢を見せる。
世話する側にしてみれば厄介だろう。
しかしそれが本人の少なくなった意思の表れ・・・という表現に
「はっ」と目がさめる気がした。
記憶や判断力がスポイルされても、意思はある。
その発露が拒否や反発だとしても・・・だ。
ま、頭で考える以上に周囲の人間は大変だと思うんだけど。

相手を家族や妻と認識できなくても
長い間連れ添った相手として築いた目に見えない絆は
目で訴える言葉や仕草で理解でき、思いやる気持ちになるのだろう。
疲れた妻の肩を優しく叩くシーンに涙が出た。

「長いお別れ」中島京子:著 文藝春秋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

before after

2016-04-03 | 生活の風景
美味しいソフトクリームを食べる前の顔と



食べて味わった後の顔(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラムボン

2016-04-02 | 食べ物・お店


久しぶりに盛岡。
半年ぶりぐらいだとすっかりお上りさんだね(^_^;)
ほんっとにご無沙汰だった喫茶店クラムボンで
これまた10年ぶりぐらいの玄米カレー。
美味い(^^)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする