一昨日の夜、テレビを見ていたら突然の緊急地震速報。
一瞬にして5年前の記憶が蘇り、身が硬くなった。
熊本で震度7という速報に、各局が報道に切り替わる。
遠い地ということもあり平静を装うけれど
緊急地震速報のチャイムを聞いた瞬間から手の震えが止まらない。
あの時の様々なシーンがフラッシュバックしてくる。
余震の速報のチャイム、停電で鍋の底に灯したろうそくの火、
間断なく続く余震と地鳴り、外ではヘリの音、つけっ放しのラジオの声、
服のまま居間に横になっても冴え冴えと眠れない夜・・・
テレビを見ていると熊本市内の俯瞰映像が映る。
あれ?ネオンが眩しい。停電になっていないのかな?
道路も車のライトが流れている。渋滞もない?
あまり大きな被害が出ていないのかな?
それならそれに越したことはない。
俯瞰映像には何事もなかったような街の全体が映っている。
・・・時間が経つにつれ
段々街のあちらこちらの様子が映し出されてきた。
不安げに外に立ちすくんだり座り込んだりしている人たち。
倒れた塀や崩れたブロック、熊本城の石垣。
一番強い震度を記録した益城町は真っ暗、停電だ。
家が潰れた映像、火事の映像・・・
徐々に死傷者情報も入ってくる。
あぁやはり、ずいぶんひどい被害が出ているのだ。
緊急地震速報が何度も鳴り、強い余震も頻繁に続いているらしい。
熊本の方々が感じている恐ろしさを慮る。
ふと思ったこと。
俯瞰映像のマクロの視点では何ら被害があるように見えない。
まるでまったく問題なく日常が流れているようだ。
しかしカメラが1歩街に出、ミクロの視点で人々や家々を映し出すと
そこここで相当な被害がある。場所によっては停電にもなっている。
新幹線は止まり、高速道路は路面が崩壊している。
これって、現代の政治や経済にも言えることじゃないか?
マクロ経済的考え方を基として大量に資金を市場につぎ込み
あたかも景気が回復したように見せているけれども
ミクロの視点で見ると問題山積、人々は格差にあえいでいる。
社会保障の問題も、教育の問題も、外交や国防の問題も
マクロ的視点で強引に物事を進めているけれど
ミクロな、ひとりひとりの問題として考えているか?
一昨日ははじめNHKを見ていたのだが
頻繁に出てくる首相や官房長官が言う言葉は
「被害状況に関する情報収集にあたり、救援対応する」
という、当たり前のどうでもいい話ばかり。
(震度分布図から原発の場所が切れてたのは意図的か?)
はっきり言ってその場でその時に必要な情報は
政府内に対策本部を設置したというニュースではない。
どこで、どの範囲で、どれだけの被害が出ていて
これからどうなるのか。
道路は?鉄道は?停電復旧状況は?ライフラインは?食べ物は?
5年前もそうだった。
停電でテレビが見られない中、
NHKラジオの情報はマクロなものばかりで全く役に立たず、
必要な情報は岩手放送ラジオで得るしかなかった。
そんな声もミクロなものとして切り捨てられるのかもしれないが。
そして一昨日から昨日にかけて
揺れは九州全体へと広がり、阪神淡路と同規模という本震もあった。
阿蘇や桜島の火山活動もここ数年活発化しているらしい。
それでも川内原発の稼働は止めないのだろうか?
道路の信号機新設と同じで、
事故が起きないうちは対応されることは無いのか?