風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「『テーゲー』のおはなし」

2016-04-09 | 文化
テーゲーというのは
「大概」とか「おおまか」とか「アバウト」とか、
いろいろ解釈はあるようですが、
「テーゲー」という言葉の意味で
少し気になることがあるんですよ。
「テーゲー主義は沖縄の県民性である」などと言われると、
オバァなんかはちょっと首をひねってみたくなりますよね。
「テーゲー」と並んで
「なんくるないさ」という言葉もよく使われて
「なるようになるんだから、いいかげんでいいさ」
といったように、
なんだかナマケモノの言い訳みたいに使われると、
「少し違うんでないかねえ」と思うわけさ。
沖縄というところは昔から、
島は小さいし台風とか干ばつも多いし、
きびしくて貧しい時代が続いたわけですよ。
ですから、どんなに汗水流して働いても、
どうにもならない時もあったわけさ。

人間自分一人の力ではどうにもならない、
八割頑張ったら、あとの二割は
人の助けと天の助けにすがらなければならない。
だから、あんまり一人で思いつめたり、
自分をギリギリ追いつめたりしないで、
みんなを信じて共に生きていこう。

そういう時に出てくる言葉が、
「テーゲーでいいのよ、なんくるないさ」
と慰めてあげるやさしさの言葉だと思うんですよ。
だから、他人の失敗でも、欠点でも、
とことんまでは追及しない。
沖縄タイムで遅刻してきても、誰もとがめたりしない。
そういう「柔らかい心」といいますか
「ソフト文化」といいますか、
そんな気風が今でも根強く残っているのは確かですね。
「沖縄人はきびしさが足りない」とか、
お叱りをうけることもあるんですが、
なにも怠け心でテーゲー主義になったんではなくて、
一人で十歩進むよりも、
十人で一歩進んだ方がいい、という考え方もあるんですよ。

勝ち組、負け組の競争がはげしい今の時代、
ストレス列島の片隅にテーゲー主義の沖縄をひとつぐらい、
砂漠の中のオアシスみたいに、
残しておいてもいいではないですかねえ。
(CD「平良とみの沖縄タイム なんくるないさ」より


岩手にも「やんべ(いい塩梅)」という言葉がある。
歴史的に厳しい自然と戦ってきた北国でも
同じ文化を持っているんじゃないかなぁ・・・。
コメント
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