風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

陸前高田

2017-05-05 | 世界・平和


5月3日はぶらりと三陸南部へドライブ。
はじめは住田町周辺で新緑を眺めたり
瀬田米の小さな商店街を散歩したり。

その後大船渡へ。
クレーンやブルドーザーだらけの津波被災地横に
いち早くできたばかりのショッピングモールでランチ。

午後はそこから南下して陸前高田へ。
実は震災以降、大船渡、釜石、宮古には行ってたけど
昔からちょいちょい行っていた陸前高田は
少々知っている街だけに見るのが怖くて行ってなかった。
震災から6年経って、ようやく初訪。













これらの写真に写っているのはかつて街だったところ。

何もない。
本当の何もない。

ただただかさ上げ工事の盛り土が積み上がっているばかり。
ショッピングモールができ、
幾分でも復興が感じられた大船渡とは大違い。
市単位の街がひとつ、そっくり無くなってしまっている。
声も出なかった。
息子たちの試合や合宿で何度か行っていた
海岸沿いの野球場や野外活動センターはどこだ?と
「奇跡の1本松」の事務所の人に聞いてみたら
地盤沈下により、その辺り一帯は海の底になったとのこと。
↑の写真の松の後ろの建物は元ユースホステル。

まだそこいら中ゴロゴロと石が転がり
かつて建物だった場所に土台だけが残ったりしている。
そして何よりも、街の周囲の山を削って盛り土しているため、
削られ、崩された山々の風景も一変している。

帰りがけ、「街だったところ」を通って小高い場所まで行くと
空き地はほとんどが仮設住宅や仮設商店。
6年経ってまだまだこんな状況だ。
「復興が進んでいる」と思っている方々には
ぜひこの光景を見に来て欲しい。
これからの道のりはまだまだ遠い。


実は震災から半年ほど経ったころ
当時東京にいた私はひとつの書籍の企画を持って
幾つかの出版社を回ったりしていた。
「今ここなら行ける三陸」
鉄道をはじめとする港教交通機関も、道路も遮断され
どうすれば現地に行けるかわからなかったころのことだ。
サブタイトルとして
「来てけろ!見でけろ!買ってけろ(または助《す》けでけろ)」
全国からたくさんの人に来てもらい、
直接的な支援や、現地でも消費で手助けして欲しかったから。

しかしその本は日の目を見ることはなかった。
幾つかの会社の方には「必要な本だ」「良い企画だ」と
会議にかけてもらったりもしたのだが、
残念ながら結論は「被災地で商売したと思われたくない」とボツ。
気持ちはわかる。下手すりゃ炎上ものの企画だから。
でも当時、被災地で本当に求められていたことが
そういう理由でポシャったのは悔しかった。
あの当時だからこそ、被災地に寄り添って欲しかった。
もっと言うと、他人事だと思って欲しくなかった。

元の復興大臣の発言など聞いていると
「結局そういうことなんだな」と悲しくなってくる。
ことあるごとの発言を聞いていると、首相も。
三陸も、福島も、熊本も、沖縄も・・・
結局あの人たちにとっては他人事であり
その地の人々の痛みは理解できないんだろうな。
理解しようと思ってすらいないのかもしれないが。

そんなことを、高田の風景を見ながら感じていた。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 冗談じゃない | トップ | 百花繚乱 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

世界・平和」カテゴリの最新記事