風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「ある行旅死亡人の物語」

2024-01-16 | 読書

半分仕事、半分プライベートで、
自分のファミリーヒストリーを調べている。
何しろ私は花巻に生まれ育ちだけれど
父方、母方のそれぞれ祖父母たちに花巻出身者はいない。
ならばなぜ、今この時代に、我が家は花巻に住んでいるのか。
そんなことも調べようと思ったきっかけのひとつだし
中でも父方はあまりにも謎が多かったので
それをどうにか解き明かそうという気持ちも強かった。
また30代の頃にいろいろ調べざるを得ないことなどもあり
今健在でいる人間の中では私しか知らないということも多く
残しておきたい気持ちもあった。
ところが、ルーツを「調べる」という行為は
単に「何年に何があった」的な情報だけではなく
当時生きていた方々の人となりを
立体的に浮かび上がらせることであることに気づいた。
年号と、情報をつなぎ合わせ、
そこに生前のその人を知る方からの話を当てはめていく。
まるで骨組みに肉を纏わせ、服を着せるように。

「それでも今、私は死者について知ろうとしている。
 知りたいと思う。
 ”死”というゆるぎない事実の上に、
 かつてそこに確実に存在した生の輪郭を
 少しずつ拾い、結び、なぞること。
 それは、誰もが一度きりしかない人生の
 そのかけがえのなさに触れることだ。
 路上ですれ違ったような、
 はたまた電車で隣あったような一人ひとりの人間の内にも、
 それぞれの物語があり、それぞれの風景が広がっている」
           (「「ある行旅死亡人の物語」より)

私の場合は、
直接自分の体内を流れる血のルーツを調べているが
本書の(私の息子たちよりも)若い記者たちは
孤独死したひとりの高齢女性が誰であるのかを調べ上げた。
氏名や年齢、出身地を調べるつもりで始めた取材は
少女の頃、20代の頃の彼女の姿を見つける。
そこにはひとりの人間の人生という物語があった。
平凡な人生なんて誰にもない。
その人しか見ていない風景、その人しか触れない体験、
亡くなってしまったら無くなってしまうそれらを
おぼろげながら浮かび上がらせる行為は
その対象者が送った人生に寄り添うことではないか。
今まさにそういうことを行っている私は
彼らの取り組みを夢中になって本書で追いかけていた。
さすがはジャーナリスト。
そうやって調べればいいのかという参考にもしながら。

若手記者の2人。
おそらくこの仕事をしたことにより、
大きく成長したことだろう。
人に寄り添える、いいジャーナリストになって欲しい。

「ある行旅死亡人の物語」武田惇志・伊藤亜衣:著 毎日新聞出版

 
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