風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

墓仕舞い

2023-05-22 | 生活の風景
何度か書いているが、父方の祖父は山口県出身。
どうやら長男ながら家出をしてきたらしい。
職業軍人として岩手にやってきて盛岡で結婚し、
日露戦争に出征後退役、鉱山の仕事で秋田を経て花巻へ。
大正14年に長男(私の父の長兄)が結核で亡くなる。
地元出身ではないので、その時にはまだお墓がなかった。
父方の祖母は盛岡出身で、同市には親しい親戚もいる。
「どうせ残った4人の息子たちもどこかへ行くんだろう」
と、自分もそうであったようにデラシネと思ったのかどうか、
祖父は盛岡にある親しい親戚の菩提寺に墓を建てた。

その後その墓には、私から見て
昭和17年に父の三兄、昭和20年に祖母、昭和27年に祖父が、
平成2年に伯母が、平成14年にはその夫である伯父(父の次兄)が
それぞれここに眠ることになった。
私は小さい頃から父母に連れられて、
長じてからはひとりで、あるいは息子たちなど家族を連れて
毎年お盆に「盛岡ツアー」と称してお参りしてきた。

その「盛岡の墓」は、亡くなった父の次兄の子(私の従姉妹)が
東京に住みながらも墓守の役目を担ってきたのだったが
さらにその子たちは岩手とはほぼ縁がない。
私も従姉妹もそろそろ次代について考えなければいけない歳となり
「お寺に相談して墓仕舞いすることにした」
と聞いたのは昨秋のことだった。
そしてこのGW明け、「盛岡の墓」は永代供養となって無くなった。

物心つく頃からお参りしていた墓が無くなるというのは
思いの外、喪失感が胸の中に湧き上がってくるものだと知った。
せめて、祖父が書いたという墓石を花巻のお墓に持ってこれないか
最低でも墓碑銘だけはなんとか拓本化できないか。
従姉妹に相談したところ、
墓石を引き取った石屋さんが厚意で拓本を取ってくれた。
想像より遥かにきれいな拓本で感謝。


私が会ったことあるのは伯父夫妻だけだが
血が繋がった人たちの生きた証がここに記されている。
会ったことがある人も、無い人も
その人となり(会ったことない人たちは伝え聞いた人となり)を
そのまま表すような戒名となっていてちょっと感動。
特にこのところ、とても興味があって
その人生をいろいろ調べている祖父の名が貴重だ。
明治7年、長州の生まれ。
当時の国の舵取りは地元出身の先達たちが担い、
16歳の時には大日本帝国憲法が発布された。
青雲の志を胸に抱いて単身上京する姿が見えるようだ。
祖父にとって、自分の人生はどんなものだったのだろうか。
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