風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「柳は燃ゆる」

2024-08-24 | 読書

普段はほとんど歴史小説を読まない私が
どうしてこれを読んだかというと、
岩手出身の平谷氏は私と同い歳であり
また岩手日報随筆賞審査員を務められていて
表彰式時に何度か会話を交わしたことなどから
作家そのものに興味を持ったからだった。

主人公の楢山佐渡については
明治維新時の南部盛岡藩家老として
死をもって新政府軍に敵対した責任を取った人間
ということぐらいしか知識がなかった。
歴史的資料や事実に基づく本書にて
特筆すべき傑物だったことがわかったと同時に
その周辺にいた東政図、原健次郎(敬)、佐藤昌蔵など
後の世において、日本の中心を担った人材が
岩手に多数いたことも理解した。
中でも楢山の慧眼は現代にも通じるもので
(というより、現代の政治家に知ってほしいことばかり)
こういう人物が当時の新生日本を背負っていたら
その後、現代に至る歴史は変わっていたのではないかと
口惜しく思うのだ。

私自身、長州の血を引いてはいるが
維新時の薩長に対する気持ちは楢山に同意。
奥羽列藩同盟なかんずく盛岡藩が
なぜ佐幕の立場に立ったのか疑問だったのだが、
本書内で楢山が言う
「佐幕ではなく、尊皇思想は奥羽諸藩も変わらない。
 ただ私怨で暴力を振るう薩長に拱みできない・・・」
ですべて理解した。
自らは手を汚さずに暴力革命を企んだ岩倉具視が
もしかしたら1番の元凶だったのかもしれない。

「なにもできぬくせに足を引っ張ろうとする者。
 強い者の後ろにくっついてなにかおこぼれにあずかろうとする者。
 そういう奴らが、無責任にこの地を流血で染めるのだ」

「会津攻めが長州の遺恨だとすれば、
 次は薩摩の遺恨による庄内攻めが行われましょう。
 やられたらやり返す。まるでならず者の喧嘩ではございませぬか。
 国を造り直すという大事が、そういう形で行われるのは
 いかがなものでございましょうな」

「議員である親は、自分の子にその利権を譲りたいと考えましょう。
 生きているうちに色々な方面に働きかけて、
 自分の跡を継がせることになりましょう。
 今でも一代限りのはずの同心が、何代も跡を継いでおります。
 それと同じことが起こります。世襲はなくなりませんー。
 そう考えれば薩長が政を牛耳る世が何代も続くのではないかと、
 それがしは憂うのでございます」

「『奥羽列藩同盟なるものが結成されたと聞き申した。
  その同盟が掲げるのは、尊皇でござろうか、佐幕でござろうか?』
 前山の問いに、但木は即座に答えた。
 『むろん、尊皇でござる。我らが敵と見なすは、薩長のみ』」

「考えてみれば、世はそういうことの連続ではないか。
 信長公が台頭すれば信長公に、
 秀吉公が台頭すれば秀吉公に寄り添って甘い汁を吸おうとする者、
 そして謀叛を起こして甘い蜜の壺を奪おうとする者が出る。
 一つの国を蜜壺一つとすれば、国を一つ手に入れれば蜜壺の主だ。
 しかし、人は一つの蜜壺だけで満足はしない。
 二つ三つと欲しくなる。
 やがて、すべての蜜壺を手に入れなければ気が済まなくなる」

「誰も彼も、一つの思いに囚われて
 他の意見を取り入れずに突き進もうとする。
 その先に断崖があるというのに見もしない。
 いや、見えているのに、
 そこには断崖などないのだと思い込んでいる。
 愚かだ。人は皆、どうしようもなく愚かなのだ。
 崖からの転落を免れた者たちは、
 落ちて行った者たちの過ちを繰り返さぬぞと決意するが、
 喉元を過ぎて熱さを忘れ、同じことを繰り返すー」

「幕藩体制が崩れ、戦に敗れ、明日をどう生きるか救急とする侍。
 論功行賞でどれほどの褒美をもらえるか胸算用する侍ー。
 いずれにしろ心穏やかではない武士たちとまったく別のところで、
 日々の営みが続けられている。
 これこそが、この国を動かす力なのだ。
 侍たちは大きな考え違いをしている。
 二百六十年の静寂(平和)は、侍が作り上げてきたのではなく、
 民百姓たちが築いてきたものだ。
 静かなる民。物言わぬ民こそが、国の力なのだ」

「盛岡藩の道理は、他藩の道理ではない。
 他藩の道理は、盛岡藩の道理ではない。
 お前の言うようにこたびの敗戦の原因が単純なことではないように、
 戦が起こる原因も単純なことではないのだ。
 ただ戦のない世を作りたいと考えるだけでは浅い。
 もっともっと奥深くを考え、
 どうすれば戦のない世を作れるか考えなければな」
(この言葉は楢山佐渡がのちの原敬に語った言葉)

「政を司る者は、そのくらい先のことを見なければならぬと存じます。
 目先の利益を求めたり、政敵の揚げ足を取ったり、
 ろくな代案もないのに人の意見に反対する者ばかりでは、
 政は成り立ちませぬ。
 (中略)
 だからこそ、政を司る者たちだけでも、
 高潔な心、先を見通す力を持たなければならぬのです。
 国を導く者らが品性下劣で自分の足元しか見ておらぬのでは
 どうにもなりませぬ」

上記引用を読んでどう感じるだろうか。
靖国神社は元々、戊辰戦争における戦没官軍の慰霊のため
明治5年に作られた招魂社だった。
これほどの慧眼を持つ者たちは「反薩長」というだけで
招魂社に祀られるどころか、首を刎ねられ、遺骸は放置された。
私が靖国神社を認めない所以。

「柳は燃ゆる」平谷美樹:著 実業之日本社文庫


 
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