風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「レモン哀歌」

2018-03-02 | 読書
「レモン哀歌」 高村光太郎

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関ははそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう



彫刻家として、詩人として名高い高村光太郎だが、
生涯を通じて彼の心の内にあったのは
亡き妻智恵子への思慕ではなかったかと思う。
長い間連れ添った伴侶は、単なる男と女の関係を超え、
心身以外のどこか別なところで繋がっている気がするのだ。

花巻太田の山荘暮らしは、
光太郎にとって智恵子過ごした静かな7年間だったのだろう。
今も光太郎の魂は、智恵子の魂と共にあの山の中にいる気がする。

この詩は、私が中学生の頃に心を捉えたもの。
今になって光太郎にこんなに近づくとは思ってもいなかった。
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2 コメント

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Unknown (ryu)
2018-03-02 12:58:33
いつも興味深く拝見しています。残念ながら智恵子は光太郎が花巻へ疎開するかなり前に他界しております。本文は「智恵子の魂と過ごした」と解釈させていただきます。
返信する
>ryuさん (風屋)
2018-03-03 08:44:00
その通りです。
太田村山口の人に
「山の中におひとりで寂しくないですか?」
と尋ねられた光太郎は
「いつも智恵子が一緒なので寂しくないです」
と答えたそうです。
そんな姿を想像すると胸が苦しくなります。
返信する

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