風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

オリンピックの存在意義

2020-07-27 | 世界・平和
池江璃花子さんの病との戦いを応援していたし
NHK特集での退院〜練習復帰には心を動かされた。
大学の後輩という意味もあって、注目もしている。
私たちの想像を超える苦しさと辛さと葛藤があったことだろうし
今もそういうものとの戦いが続いているのだろう。
結果ではなく、悔いのない競技人生を・・・と願ってやまない。

しかし、7/23にテレビなどで報道された
国立競技場での挨拶には正直言って違和感があった。
オリンピック開催を願うすべてのアスリートの言葉を代弁
・・・というのともちょっと違う気がする。
1年後の開催にすら疑問を持つ世界的な論調を鑑みて
世論の流れを変えようとする、陰の力の存在を感じたのだ。
一体誰があの日新国立競技場を借り、会場設営をし、
マスコミ各社に連絡し、あのコメントを考えたのだろう。
もちろん池江さんではない。
彼女は単に利用されただけという印象を持った。

↓ こんな報道がある。


オリンピックは何のために行うのだろうか。
国境や人種を超えた人類共和、平和共存の祭典じゃなかった?
世界をひとつにするスポーツの力を確認する場じゃなかった?
そういう意味では1964年の東京オリンピックはその趣旨に合っていたし
第二次大戦で傷ついたアジアで初開催という感動もあった。
空襲で焼け野原となった日本の象徴が東京だったから
その東京で開催する意義もあった。
ほんの19年前まで殺しあった国同士の交流も美しかった。
それは決して国威発揚でも、政治活動でも、経済のためでもなかった。

しかし今回は違う。
震災からの復興五輪を謳うなら、その象徴は東京じゃない。
なによりも、国内開催地争いは震災前からあって
「震災復興五輪」なんてのは後からとってつけたエクスキューズだ。
その国内開催地争いでも、
当時の都知事は他の開催候補地に対して文句をつけ、
他の地を応援する識者のことを口汚く罵った。
手段を選ばないその姿はみっともなくてとても正視できなかった。
そんなやり方で選ばれたトウキョウオリンピックについて
件の都知事は「国威発揚」と言い放った。
そして(みんな気づいていることだけど)政治利用、経済利用だ。
本当のオリンピックの目的なんて
(日本だけじゃなく、IOCすら)どこかへ行ってしまった。

それでも・・・やる?
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