風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

宗教・組織

2008-01-08 | 風屋日記
私の親父はカソリック系の大学を出ている。
お袋は若い頃、教員をしながらカソリックの教会に通い、
30歳になったら教員辞めて修道院に入るつもりだったと聞いた。
(当時としては遅い28歳で、教会で知り合った親父と結婚。
 あやうく私はこの世に存在できないところだった ^^;)
そんな環境に生まれた私自身も幼児洗礼を受け、
自分の死期を悟った親父が宗旨変えをしてお寺に墓を作った
20歳の頃まではカソリックのクリスチャンとして育った。
まぁ小学校の頃は日曜日に教会へ行ったりしてたけど、
そのうちクリスマスぐらいしか行かなくなったんだけどね。
(教会なんか行くより友達との野球の方が面白かった)
それでもオーストリア人の神父様に可愛がられ、
中学時代は神父様の紹介でオーストリアの女の子と
海外文通なんぞもしていた。(お互いの英語の勉強のため)
だから今でも、ミッション系の私立受験を逡巡する次男とは違い、
キリスト教に関してはヘンな偏見も抵抗もない。
結構きっちり聖書も読んだりしてたしね。

今は浄土宗のお寺に眠る親父の墓をお参りし、
神社で土着神と神道の神を奉る神楽を舞う身になった。
ガチガチの神道とは違い、
どちらかというと産土(うぶすな)の神を敬う文化や
山の神、田の神を奉るネイティブな思想の方に興味がある。
さして同じような感覚で、
あちこちの民族文化や思想を形作って来たヒンドゥーや
生活そのものに深く入り込み、哲学になっているイスラムにも
実はとても興味がある。
言葉も、生活慣習も、服装も、食べ物にすら影響を及ぼす
文化の根源そのものの宗教の存在に惹かれる。
文化人類学を専攻する長男も
「月曜の朝イチからコーランの朗読する講義あるんだぜ」と
昨夜もうれしそうに話していた。
私も高校時代に和訳のコーランは読んだことがあるけれど
アラビア語(orペルシャ語)のコーランは
独特の抑揚やリズムがあって、朗読するとハマるらしいね。
宗教ってのは総じて面白い。

さて、世の中には様々な組織がある。
政治的なもの、経済的なもの、同好の集団、クラブ活動etc.
それぞれに目的があり、似た価値観の元で活動しているのだろう。
もちろん宗教もそのひとつだ。
ただ、どんな集団でもその指向が内向きとなり、
よりストイックで、より先鋭化し、外の世界と隔絶し始めると
暴走してしまうことがある。
ナチスや中国文革時の紅衛兵やクメール・ルージュもそうだね。
日本だと旧日本軍(特に関東軍)や連合赤軍をはじめとする新左翼、
オウムなんかもその典型だと思うな。
自分達のモノサシでしか物事を考えられなくなり、周囲が見えない。
そうなってしまうともう誰にも止めることができなくなる。
(最近の例では明治大学応援団リーダー部にも感じることだ)
そして今も、世界には先鋭化し暴走している組織がたくさんある。
アルカイダ、ジャミイスラミヤ、ハマスなどのイスラム原理組織や
独立を求めるアチェ、チェチェン、IRA、クルド組織など。
他にも民族同士の紛争を引き起こしているスーダンやソマリアの人達。
身近な例ではプチナショ君たちにもその気があるように感じるな。

少し冷静に考えてみるだけで違うと思うんだ。
自分達の立ち位置や、組織員である前に人間であることの尊厳など。
そしてできれば家族の笑顔や子ども達の歓声など。
それだけで少しは目を覚ますことができる。

一部の宗教が目の敵にされる風潮もあるが、宗教は何も悪くない。
仏教も神道もキリスト教もユダヤ教もイスラム教もヒンドゥー教も
人が人として生きるべき道を指し示してくれているだけだ。
それは哲学であり、倫理であり、理念。
それを曲げて解釈し、自分達の都合の良いように利用しているのは
組織員たる人達自身なのだと思う。
コメント
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