風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

オリンピック&高校野球

2004-08-23 | 風屋日記
今テレビが熱い。
連日のオリンピックと昨日までは高校野球。
どの選手も素晴らしい活躍で、目が離せない。

日本は過去最高の金メダル数に迫っているらしい。
金メダルばかりではなく、
我々見ているものの想像を越える努力をしてきた選手達が
最高の結果を残して感涙にむせんでいる姿は美しい。
最高の賞賛に値すると思う。
だけど、時々待てよ・・・と思うこともある。
今朝のNHKニュースでは、女子マラソンで金メダルを取った野口選手だけが注目されていた。
後の2人の選手は順位すら報道されていなかった。
メダルを取ったから賞賛に値するのか?
取れなければダメなのか?
オリンピックに出ている選手達が美しいのは、
誰もが皆メダルを目指して精一杯の限界に挑戦しているからではないのか?
例えば女子バレー。
さっそく「チーム内に亀裂」やら「あれでは勝てない」やらの
週刊誌記事を目にする。
韓国に負けたことがセンセーションだったらしい。
でも韓国チームは日本に照準を合わせて練習してきたはず。
過酷な練習と強烈な目的意識を持った結果、
打倒日本を果たした韓国チームを賞賛すべきじゃないのか?

例えばソフトボール。
私はオーストラリアチームに拍手を送りたい。
シドニーでは、地元開催にもかかわらず金銀をアメリカと日本に取られた。
金を狙う日本に負けずとも劣らない辛い4年間だったと思う。
でもそれに挫けず銀メダル以上を確保した彼女らも、充分に賞賛に値する。

例えば柔道男子の井上。
物凄いプレッシャーと想像を絶するトレーニングだったと思う。
普通の人間ならたえられない日々を過ごした彼を、
せめることのできる資格を持った人は誰もいない。

メダルは結果。私達は結果を出すところを見ているに過ぎない。
それまでの努力は一部報道されているものの、本当のところは彼らにしかわからない。
競泳の予選1~3組当たりの選手は、メダルに最も遠いところにいる選手だが、
自らの誇りのために、メダリストと変わらない練習をしてきたはずだ。
ほとんど報道はされないものの、その姿にも心が揺さぶられる。

視聴者からの「感動した」という紋切り型の感想も、実は気になっている。
確かジュンイチローさんが貴乃花優勝時に言ったセリフだが、
選手達は別に我々を感動させたくて努力している訳ではない。
感動するかしないかが評価基準ではない。
「感動した」というセリフには他人に有無を言わせない響きがある。
「感動」という単語の羅列は、その言葉の持つ力を薄めて行く。

高校野球。
地区予選1回戦で負けたチーム内にもドラマはある。
ポジション争いや勝つための努力など・・・。
その経験の貴さは駒大苫小牧とも遜色はない。
負けた時には、選手達が一番悔しいはずだ。
負けたことをせめられる人は誰もいないはずだ。
「勝つだけが高校野球じゃない。大人になるための心を育てたいんだ」
と言った、とある監督の言葉が胸に沁みた。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする