風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

宮沢賢治という人

2024-08-07 | 読書

先日、宮沢賢治学会の夏季セミナーが開かれた。
3人の若手研究者による講演はなかなか興味深くあったが
そのうちひとりに対して会場から質問が飛んだ。
「賢治はなぜ童話という手法を取ったと思いますか?」
その場では検討課題となったと思ったが
私個人的にはなぜそういう問いが出るのか疑問だった。
それがおそらく地元花巻市民にとっての「賢治さん」と
研究者にとっての「宮沢賢治」との間にある解離だと思われた。

基本的に、賢治さんは亡くなるまで子どもだったのだと思う。
生活のために労働した経験がなかった。
大人として社会を渡る人間関係構築に苦労していなかった。
常に純粋な目と思考を持ち、
およそ一般的な大人としての清濁併せ持つ、
いい意味での狡さがなかった。
そんな人間性を俯瞰してみると、とても普通の大人ではない。
だから賢治さんの目線で物語を紡ぐと
それは童話にならざるを得なかった思うのだ。
だって賢治さんが大人向けの小説を書くなんて想像できる?

花巻市民にとっての賢治さんは
近所に住む資産家の、子どものような総領息子。
「なんなんだあいつは」「しょーがねぇなぁ」と苦笑しつつ
どこか温かい目で見守る対象だったのではなかろうか。
もちろん賢治さんの作家、詩人、科学者、宗教家としての
優れた才能は疑うべくもないが
かといって犯すべからざる崇高な存在とも違う気がするのだ。
だから「偉人」とか「雲の上の人」的な扱いを受けたり
なんでもかんでも産業的や観光的に
賢治さんに関するキーワードを使ったりするたびに
市民感情としてはだんだん冷めてきてドン引きし始める。
個人的にそう感じている。

作品のテニヲハや細かい交友関係などをほじくるのではなく、
賢治さんが歩いた道や見た風景
呼吸した空気や空や雲を、自分も見て触れ、
そこからどんな作品が生み出されてきたかを感じることこそ
もしかしたら大事なことなのではないかと個人的には思うのだけれど。
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広島79年忌

2024-08-06 | 世界・平和

広島に原爆が投下され
大変な地獄絵図になったことを初めて知ったのは
小学校4年生の頃に読んだこの本からだった。
当時の担任の先生に借りて読み、
その後自分でも同じ本を買ってきた。
旧制中学1年生というと
小学校を卒業してまだ数ヶ月の12歳〜13歳。
読んだ当時の私とは3歳しか違わない。
その子達が遭遇した過酷な運命。
ひとりひとりを追いかけたルポは顔写真もついている。
すでに大人っぽい子もいるが総じてまだ幼い表情だ。
その子達が熱戦に焼かれ、放射線に晒された。
全員が投下と同時〜数日で亡くなっている。

「あんなものは人間の上に落としちゃいかんです」
という被爆者の言葉が重い。
また、広島平和記念公園にある原爆慰霊碑の
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」
の言葉も重い。
今、世界はまた核の脅威にさらされている。
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楽器の習得

2024-08-05 | 音楽
ギターを少し弾く。
ウクレレや三線も若干弾くことがある。
カホンを数回叩いたことがある。
昔々の10代の頃に1度だけベースを弾いたことがある。
ピアノはほとんど弾けないが、
子どもの頃から妹が弾いていたので
音符を見ながら鍵盤を叩くことはある程度わかる。
自分の楽器遍歴はその程度。

中学生の頃、エレキギターが欲しいと親に言ったら
「ドラムはどうだ?」と逆に聞かれたことがある。
学生時代に吹奏楽に入ろうかなーと思ったこともある。
でも結局どちらも縁がなく今に至る。
東京スカパラダイスオーケストラとか見ていると
そのどちらも「やっときゃよかったなー」と思うけど。

先日少年少女オーケストラの練習取材時に
「チェロやらない?」と言われた時にはちょっと心が動いた。
弦楽器ならギターやウクレレなどである程度慣れているし
チェロの音が好きということもある。
でもね、その練習を最後まで見ていたら、
左手よりも右手のボウイングが大事で難しいと知った。
「1からだけど、サックスやってみようかなー」
と思ったりもするけれど
新しいものに飛びつくよりも、ギターや三線を
もっと練習してうまくなれよという心の声が聞こえた。
そうだよね😅
年齢のこともあるし。
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イーハトーブ音楽祭2024夏 2日目

2024-08-04 | 音楽

今日2日目。
我々の出番はBステージ16:00から。
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イーハトーブ音楽祭2024夏

2024-08-03 | 音楽


いよいよ今日から。
2日間3ステージで熱い演奏が繰り広げられる。
出演者も、観客も、音楽で暑さを吹き飛ばせ!
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甲子園球場100年

2024-08-02 | スポーツ

子どもの頃のヒーローは阪神タイガースの江夏投手だった。
当時は連覇中の読売ジャイアンツの全盛時代。
特に王選手、長島選手のONは国民的な英雄だった。
そのひとりである王選手から三振を奪う
帽子をちょっと斜めに被ったアンチヒーローが江夏投手。
シーズン401奪三振やオールスターでの9連続奪三振、
そして球史唯一の延長戦でのノーヒットノーラン。
その試合、唯一の得点は江夏自身のサヨナラホームランで、
甲子園球場での試合後のインタビューで語った
「野球はひとりでもできるんやなぁ」
がまたカッコよかった。
江夏投手に憧れて以来約55年間阪神ファンだ。

高校野球の思い出の一番古いものは
1968年の三沢高校と松山商業との夏の決勝戦。
(この年は江夏投手が401奪三振の記録を作った年でもある)
実はその年、三沢高校の太田幸司投手を生で見ていた。
盛岡市営球場での北奥羽代表決定戦。
(当時の夏の大会はまだ1県1校代表制ではなく
 岩手と青森から2校ずつ出場する北奥羽大会で代表を決めた)
父親に連れられてその決勝戦を見ていたのだ。
「三沢のピッチャー球速いなぁ」
と呟いていた父親の声を覚えている。
甲子園での決勝は延長18回再試合となり
翌日松山商業が4-2で勝利し優勝。
それ以来何度か東北勢は夏の甲子園決勝まで勝ち上がったが
一昨年の仙台育英が優勝するまで優勝校が出なかった。

その3年後には父親の母校で、
私自身も、そして息子たちもその後入学することになる
花巻北高が夏の甲子園出場。
さらにその2年後には盛岡三高がさわやか旋風を巻き起こし
夏の甲子園で3回戦まで進んでいる。
こうやって時系列で並べてみると、
私が野球好きになった経緯がよくわかる。

高校入学後、野球部に入ろうか迷い
一緒に入ると言っていた同級生と1度練習に参加したが
いざ入部届を出そうと言っていた日の朝
その同級生が急に「ハンド部に入ることにした」と。
高校で野球部に入るというタイミングを逸したのだった。
でもやはり甲子園への憧れは消えることなく
いまだに開会式のファンファーレや
大会歌「栄冠は君に輝く」を聞くと胸が熱くなる。
そんな聖地甲子園は昨日100周年を迎えた。

あまりに思い入れが強すぎるのかもしれないが
甲子園に出場するチームは県代表としての姿勢を見せてほしい。
流行りに乗って、帽子を変形させたりちょこんと乗せたり
そんなことはして欲しくない。
道具を大事にするのと同じように、スタイルも大事に。
甲子園の強豪校を見ていると
どこもスタイルはきちんとしているし態度も立派だ。
一番感銘を受けたのは
何年か前に見た県立岐阜商業の記録係。
詰襟をきちんと締めた学生服で、学帽も被っている。
これこそ強豪校の矜持だろう。
悪貨は良貨を駆逐する。
強い意識で自らを律しないとそのチームのみならず
高校野球の文化そのものも無くなってしまう。
甲子園というブランドを大事にして欲しい。
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バナナ

2024-08-01 | 生活の風景

バナナの花を初めて見た。
とにかく巨大でびっくり、圧倒される。
花の根元に並んでいるめしべのようなものが
だんだん大きくなってバナナの実になる。


植物は不思議だなぁ。
この日はこの他にドラゴンフルーツの花も見た。

今日から8月。
いろいろ焦る気持ちもあるけれど
どこか達観というか、諦観というか、
ちょっと大きな決断も。
10年前の決断も8月だったなぁ。
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願い

2024-07-31 | 生活の風景


某所で見かけた七夕飾り。
高校生たちの願いが短冊に書いてあった。
彼ら、彼女らの願いは今も昔も変わらない😊
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「笑うマトリョーシカ」

2024-07-30 | 読書

始まったばかりのテレビドラマを1〜2回見て
なかなか面白そうだと思って原作の小説を買ってきた。
読み始めたら、もう止まらない。
読みながら抱く推理がことごとく裏切られる。
めくるめく展開と心理戦。
こりゃーいくら頑張ってもドラマ化は完全には無理だ。
案の定、ドラマはこの小説の半分ぐらいから始まるけれど
前半部分がなければ(ある意味助走だ)深さに欠ける。
全体の展開に比べて、前半が占めるウエイトが高く
少々冗長に見えるけれど(そしてその部分も案外面白い)
だからこそ読者は間違った推理をのちに裏切られる。
サイコパスやマニピュレーターたちの物語。
それらが蠢く舞台が政治の世界というのが妙にリアルだ。
それを思うと、背中に嫌な冷たい汗をかく。

ネタバレになることを書くつもりはないが
この小説の結末はこのタイトルにもあるマトリョーシカだ。
清家一郎の事務所にあるものが大きな意味を持つ。
あぁ、またすぐに読み直したい。

「笑うマトリョーシカ」早見和真:著 文春文庫


 
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2024-07-29 | 社会

地図マニアという言葉があるようだ。
「マニア」というほど詳しくもないし執着もしないが
さまざまな地図を見るのは嫌いじゃない。
それどころか、あえて調べて見たいとも思う。
どういうところにそんなに興味を持つのかといえば
地図そのものよりも、
そこで暮らす人たちやその場所を歩く人たちを
地図上で想像してみるのが好きだから。
現代の地図も興味あるが、特に古地図にはそそられる。

例えば上記の地図。
測量した大正2年の花巻と、現代の同じ場所が並べてある。
大正2年といえば、宮沢賢治が盛岡中学に在籍していた時代。
下宿先から実家に帰省した時にこの道を歩いたことになる。
のちに心象スケッチ「春と修羅」を印刷した
大正活版所(吉田活版所)の場所はまだ田んぼになっている。
今の末広町から花巻駅前へと続く道がないのだ。
また、現在の双葉町(当時の大工町)の裏通りもない。
ということは、帰省して実家へ向かう賢治さんは、
新道への坂道を下り、吹張町へ続く堀割の坂道を今度は登って、
上町を経由して帰っていたのだろうと想像できる。
当時は繁華街の道路も今ほどは広くないし、
当然自動車も走っていない。
駅からは殺風景な上り下りを通り、
軽便鉄道の陸橋下を潜ったあと商店街を歩いたのだろう。
そんな姿が地図を見ているだけで目に見えるようだ。
(吹張町も西側はまだ田んぼのように見える)

古地図を見ていると花巻も、盛岡も、そして東京も
明治の頃、大正時代、戦前の昭和、戦後・・・
それぞれの時代ごとの街の形成経緯がわかって面白い。
先日ここに書いた、東京の昔の路線図なども
街の変化とともに人の流れがかわる様が興味深い。
新しい道路が、新しい鉄道が1本できるだけで、
人の流れは大きく変わり、街は栄枯盛衰していく。
「便利になった」というだけではなく
それによってまったく人が通らなくなる街もある。
街は交通機関が作るし変化もさせる。
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日本ペンクラブ

2024-07-28 | 文化

日本ペンクラブは作家の団体と思われがちだが
実はもっと広い意味がある。
P会員=Poets、Pleywrights
    詩人、俳人、歌人、脚本家、劇作家、放送作家
E会員=Editors、Essayists
    エッセイスト、翻訳家、学者、編集・出版人、
    記者、ジャーナリスト、評論家、漫画家、映画監督、
    放送番組制作者、俳優、演出家、画家、装幀家、デザイナー、
    写真家、書店・図書館・美術館・博物館・文学館等の専門職員
N会員=Novelists
    小説家、ノンフィクション作家、ネット媒体で活動する作家
なので、
会員には役者さんや学者などもたくさんいる。
出版社で編集の仕事をしている人も、もちろん作家も。
賛助会員には大手出版社や大手新聞社などが名を連ねている。
いわば「言論人によるオピニオン団体」だ。
人権問題や平和提言、環境問題など幅広く主張している。

日本ペンクラブができたのは昭和10年。
国際P.E.Nの要請を受け、日本の拠点として設立。
初代会長は島崎藤村だった。
それから政宗白鳥、志賀直哉、川端康成、芹沢光治良、中村光夫、
石川達三、高橋健二、井上靖、遠藤周作、大岡信、尾崎秀樹、
梅原猛、井上ひさしと引き継いできて
阿刀田高さん、浅田次郎さん、吉岡忍さんから現会長の桐野夏生さんまで
作家や学者、詩人、劇作家など様々な分野の第一人者たちが
歴代ペンクラブを約90年引っ張ってきた歴史がある。

迫害、差別などを無くす人権を守る活動、
暴力のない世界を作るための世界平和に向けた活動、
言論の自由を守る活動などを
国際P.E.Nとともに今後も声をあげていく。

とまぁ、ペンクラブのことをいろいろ書いたが
岩手に住んでいるとセミナーや会合にもなかなか出られず
「会員でござい」と言っても何もできていない。
それはどうなんだろうと、個人的には忸怩たる思いがある。
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Cafe Blue

2024-07-27 | 食べ物・お店

経営者が変わって再オープン。
東和町の土沢駅前にある可愛い店構えの店だ。
以前の若い方々とは違い
今度の店主はベテランの女性。
なんでも、この店舗が空いていると聞き、
それまでの勤めを辞めて店を始めたのだとのこと。
予約Onlyで夜の飲み屋営業も行っているのだそうだ。

再オープンの噂を聞き、さっそく行ってみた。
情報ではオムライスが美味しいとのこと。
メニューを見ると、他の食事メニューと並んで
オムライスとオムハヤシがある。
マルカンデパート大食堂時代に好きだったものの
マルカンビルになってから姿を消したオムハヤシの名に
迷いなくそれを注文。
昔懐かしい雰囲気のオムライスに
濃厚なデミグラスソースのハヤシがかけてある。
美味い。
かなりボリューミーで、食べ切れるか不安だったが
なんとか完食。
大満足だ。
お気に入りのランチ場所がまたひとつ増えた。

なお、以前のこの店の看板メニューだった
チャーシュー丼も引き継がれていて、それも嬉しい。
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2024-07-26 | 生活の風景

梅雨末期ということで
この数日大雨の日が続いているけれど
今週月曜日はまさに夏の空。
この雨が止んだら名実共に夏になるかな。

2年ほど前から暑さがあまり気にならなくなった。
エアコンもあまり必要性を感じなかったり。
(その代わり冬の寒さにはめっきり弱くなった)
若い頃は夏が一番苦手だったのに
今はこんな風景を楽しむ余裕すらある。
筋力が落ちてきてせいだろうか。
楽だけど、あまり良いことじゃないのかもね。
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街は世につれ

2024-07-25 | 社会

ネット上でこんな路線図を見つけた。
44年前の1980年の東京路線図。
当時私は20歳、大学2年の頃で東京に住んでいた。
当然のことながら大江戸線、南北線、副都心線はまだ無い。
半蔵門線も永田町で途切れている。
(当時は「銀座線と並行してて、こんな線要る?」思っていた)
とはいえ、現代の路線図とは一見そう違わない。
上記の線が無くても、そう困ることはなかった気がする。

路線図上ではそうだが
実際の街は大きく変わったと感じている。
表参道は大人の街だった。
(とはいえ、1歩裏通りに入ると下町の雰囲気が残っていた)
六本木はおしゃれで他の街とは別世界。
まだ恋文横丁などが残っていた渋谷はサラリーマンの街で
新宿歌舞伎町は雑多な感じではあったが、
駒劇場などがあって、少なくとも風俗の街ではなかった。
六本木を除くと、どこの街にも伝統的な東京が残っていた。
なんならまだ戦後を引きずっているような街も。

再開発という名のもとに
古い建物がどんどん無機質な高層ビルに変わると同時に
「東京」の文化が消えていっている気がする。
自分の進学時に憧れた「文化の中心」たる東京の求心力は
今ではすっかり薄れてしまい
「マネー中心」「他地方の生産を消費する街」になった気がする。
(カロリーベースで北海道、東北4県、新潟だけが100%を超えている。
 例えば電力供給率なども都市部は地方に頼っている)
「消費」という表現なら耳触りがいいけれど
「搾取」となると厄介な話になってくる。
食料自給率が総じて高い北海道〜東北の食糧に頼り、
原発のリスクを地方に負わせて電力を使い、
沖縄の基地に守ってもらい、
地方からの労働力によって経済を回している街「東京」。

ここで気がつかないと、日本全体の未来はない。
まずは「東京の文化」を再評価すべきなのではないかと思うのだ。
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夕顔

2024-07-24 | 食べ物・お店

今年初物の大好物。
トロみをつけて辛めに煮たり、
写真のように生り節と和えたり、
大抵は大量に作ってみんなで取り分けて食べる。

干瓢の原料となる夕顔をこうやって食べる地域は
そんなに多くないと以前聞いて驚いたが、
少なくとも岩手ではごく当たり前の夏の味覚だ。
(よく間違えられるが、冬瓜とは全く違う)
お盆のころ、実家に集まる食卓には
夕顔の煮付けと枝豆とスイカが並ぶイメージ。
それが楽しみなのだ。
こんな風に大葉入れるのもいいなぁ。

で、一昨日は大奮発、
これまた季節もの😆の年に1度のウナギ。

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