吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

毎年定期一回ブログして5回目の311

2015年03月09日 | Weblog
あれ(2011.3.11)から4年。その翌日からブログして5回目の311。早いもので、あの日から1460日も経った。その日訪ねた幕張メッセのドラッグ・ストア・ショーからJR京葉線→新木場からの帰りの強烈な地震第2波は、地下鉄永田町駅で受けた。

大きく揺れる永田町駅ホームを脱出し、様子見に逃げ込んだ都市センターホテルの第3の揺れ。その日の帰宅を断念し、一泊した友人の事務所二番町ハウスの夜などをブログした。そして丸一年後、あの日の東日本大震災の被害概要を2012.311の朝日新聞から、ブログした。約2万人の犠牲者。約35万人の避難者、13万戸の全壊と25万戸の半壊などの被災概況だ。

余りにも膨大な人命や家屋、土地の喪失は、天災に人災(原発)が加わっての結果だ。防災が十分にいかない実際に、人々は減災の方法などをふれるようになった。地震につきものの大津波災害を防ごうと防潮堤や住居の高台移転などを施策した。それにしても、あまりにも膨大な津波瓦礫と原発汚染土の処分に茫然とした。がれき、伐採木、汚染廃棄物、汚染土の処分や置き場などに加え、当面の除染(福島原発)の進みの遅れなどが問題になった。

2年半後の2013年10月事後農地視察に訪問した相馬市では、津波塩害の田畑の表土除染や復土復旧した海辺近くの耕作地を視察した。宿泊先ホテル前の川を力強く遡上するサケと一緒に希望的なひと時を得た。そして500日のきょうは、あれから丸4年。国土強じん化計画や地方再生などが、地方創生と名を変えて、展望イメージがない。福島原発の行方も不安ばかりだ。
コメント
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