吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

やたら"力”(りょく)をつけることを止めましょう!

2006年11月22日 | Weblog
 安倍総理が官房長官だった終わりのころ「再チャレンジ推進会議」が、社会人基礎力12項目をまとめたからではないが、最近やたら「何々力」という言葉が目につく。社会人基礎力も例外ではないが、これを構成する内容の12項目も、働きかけ力、実行力、課題発見力、計画力、創造力、発信力、傾聴力、情報把握力やストレスコントロール力と12項目中「力」のつく言葉(項目)が9つもある。あとの3つは、主体性、柔軟性、規律性だ。いっそ、全部「力」(りょく)のつく言葉にしたほうが、インパクト(迫力)があったかもしれない。
 もともと、力(ちから)は、人間や動物の体内に備わっている自分自身や他の何かを動かすもと(源)になるもので「エネルギー」と呼ばれた。体力、馬力、重力、引力あるいは暴力や腕力など、学力や気力なども含め、能力やエネルギーを言ったようだ。エネルギーのような絶対値的な「力」が、だんだん心理的、相対的なもの(程度)を示すようになったのは、人類や社会の進歩なのでしょうか。
 行動力、実行力、企画力、創造力などと言っているうちに、カラダだけではなく、アタマの働き具合なども「力」をつけて呼ぶようになり、読解力、分析力、想像力、知識力など知力にかかわる「力」が多くなってきたことが文明や進歩なのかと思うばかりです。
 片付け力や整理力があるかと思えば、家事力や主婦力などとくる。人間力ということをよく聞く世の中ですが、主婦力には恐れ入った。そのうち、舅力や姑力などという言葉が使われるかもしれない。何かを観る力を鑑識力などというようだが、眼力が変形したのか目力(めじから)や鼻力(ニオイを嗅ぐ力)などというのもあっては、何でも名詞や形容詞に「力」(りょく)をつけてみたくなる。自然力や空間力などや職場力や売場力および接点力などと言えば、何でも「力」(りょく)をつければ、新しい感覚や新しい視点に立ったように思えるから不思議だ。
 あまりにも何にでも「力」(りょく)をつける世の中になったのは、何でもハカリやモノサシで測らなければ"自分”さえ解らなくなった証左ではないのか。何にでも「力」をつけ、何々力と言って結局、”あいまい”性を高めているような気がする。やたら、力を入れすぎると、いわゆる”力み”がでて、出せる力も出せなくなるということです。
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