吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

真夏の夜の前の妖怪の小話

2020年05月22日 | Weblog
VR(仮想現実)のゲームや映画がはやる一方、「もののけ姫」のようなアニメーション・ファンタジー映画にも多くのファンがいる。どちらも現実とはかけ離れた世界だが、夢の中に出る現実のように受け入れられている。昔からの庶民の信仰や語りの中の妖怪や怨霊などが、伝統的に語り継がれていることとも重なる。


私の友人がよく描く妖怪の扇面図は、北斎の”小平二”や”赤舌”などと“龍虎”の絵が多い。龍虎や妖怪や怨霊なども、結局は仮想の動物や人間の化身なのだ。よく子どもたちの漫画やアニメに出てくる一反木綿や座敷わらしなども妖怪の典型なのだが、日本の三大妖怪といったら、鬼、河童、天狗だ。


妖怪とともに信心を得ているのは、怨霊。日本の三大怨霊といえば、菅原道真、崇徳天皇、平将門又は玉藻前になるが、坂上田村麻呂のように色々な妖怪になっている者もいる。三大妖怪の別説の一人鈴鹿山の大嶽丸になっていたり、霧山の大武丸になったり、阿久良王や悪路王などにもなっている坂上田村麻呂だ。


平家物語や平安時代に、天皇や高貴な人々の夜寝を悩ませた妖怪に「鵺」(ぬゑ)がある。得たいの知れない怪鳥と言われ、鵺や奴延鳥や夜鳥などと書いて”ぬゑ”といったらしい。レッサーパンダに似た鳥とか、とらつぐみなどとも言われる。猫又や河童やぬかりべなども、化け物の一種としての妖怪だ。江戸時代のお化けとは、少々違う。


われわれ現代人間の理解を超える奇怪で異常な現象伝承であるが、不可思議な力を持つ非日常的、非科学的な存在で、妖(あやかし)やものの怪(け)や魔物などと、恐れられ信仰されている。お化けや化け物キャラクターとは、異なる。”鰯の頭も信心から” を超える信心、信仰がある。

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