吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

311(2011)、あれから一年の言葉のメモリー

2012年03月11日 | Weblog
311は重い記憶だが、この間の”言葉”をメモリーする。

死者16000人、行方不明者3000人、総避難者34万4000人。全壊した住宅12万8400戸、半壊24万4500戸(2月末現在、朝日新聞)の被害を出した東日本大震災から一年。自分には重すぎる災害事件だったが、ブログしておくことにした。

避難者34万人余りの人口は、実は多くの東北の県庁所在地都市(青森市、盛岡市、福島市など)のそれを上回る。全壊12万8400戸、半壊24万4500戸は、合わせると約40万戸だから、東北のほぼ1県分(山形県、秋田県など)の人口100万人の住まいになる。大震災に原発事故災害が重複した大複合被災だと言えよう。

この間勉強した新しい”言葉”の多くは、311東日本大震災からの一年からだ。災害や被害などについての言葉は、戦災や震災しか知らなかったが、この間天災、人災、防災などに加えて、減災という言葉にふれた。風評被害や除染という言葉もこの一年ならったそれだ。

想定外、瓦礫(がれき)、除染という言葉に振り回された一年だったが、除染がままならずの減線などという言葉がでてきたのにはオドロク。むかしは工業化成長の産物として出てきた有吉佐和子さんの複合汚染があったが、この度の”複合被災”には恐れ入る。天災と人災の複合への警鐘であろう。

震災での避難や分断をどのように断ち切り回復するかということに対しよく使われた言葉は、絆と希望だ。復旧から復興への希望を、地域や人々の絆で光らせてほしいと願う。喪失という言葉も重い。電源喪失がハシリだが、500km2 という国土・土地喪失、人命喪失や人々の生活喪失などが痛ましい。

平和利用という目くらましで、ひたすら大震災津波の被災や事故爆発などを想定外にしてきた日本(政府)だが、この間起こした社会システムの崩壊が悲しい。政治システムや地域システムの崩壊のオリジンのように言われている民主主義だが、本当に民主主義が犯人なのか。

ポスト311のこの間浮き彫りになった議員内閣制や立法政治および民主主義や自由主義経済などの欠陥だが、ITやネットワーク社会化を踏まえ、知恵を結集してほしいと願う。

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