吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

ターゲットは世界市場・グローバライゼーション時代

2007年04月07日 | Weblog
 ただ、日本が限界社会を過ぎ、人口減少社会になったから、ビジネスやマーケティングの目を海外に広く、世界に向けなければ企業の成長が得られないということで、グローバライゼーションやグローバリズム傾向が高まったのでもない。

 誰も、どこの国に住む人々も、自分や自分が住んでいる地域や国が、豊かで暮らしやすく、心地よいことを求める。いままでは、国体ナショナリズムや民族的ナショナリズムといった愛国的行動を指向した。世界のどこの国もが、自国の豊かさや利益をのみ追求し、他国はどうでもいいように行動することが、他国や世界の支持をえられないということを知っている。自国の将来や安全を確保するがあまり、ナショナリズムに走ることが他国や世界の支持を得られないことを強く意識した結果が、グローバリズムをうまく受け入れ、これを戦略化する方向に向いたようだ。

 島国だ、小さい、資源がない、単一(?)民族だ、天皇制の国がとか、何よりも国籍(戸籍)や国家の体制をイメージするような覇権主義や帝国主義の印象が強い国家、日本だ。アメリカやイギリス、あるいは中国やロシアなどに比べたら比較にならないほど覇権や自国権益の主張に縁のない日本にもかかわらず、世界の他国やアジアの隣国などからは、まだ半分”戦前”のイメージで見られている日本。

 もうとっくに帝国や覇権とおさらばしていると思ったら、何か最近ナショナリズムなる言葉や動きを聞くのだ。たまたま、先進国群にいる日本だが、資源もなく人口も世界全体の1~2%、地球上のいろいろな国や地域の人々との共栄共存を考え、協調して地球の資源や自然の持続的可能性を探求する行動が求められる。

 グローバライゼーションは、グローバリズムをベースに自国はもとより多数の他国の民族や国の人々の価値観や考えを共有し、お互いを理解し共通の利益や共存を求めることが大切になっていく。よく政治的に語られるナショナリズムに対し、グローバリズムが経済的に語られるが、経済と政治がコインの裏表のような関係にあることを忘れてはいけない。
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