吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

「言葉」遊びだけで、少子化問題をスルーするな!

2007年02月09日 | Weblog
 ウソもある。誤用もある。ホンネや真実もあるが、嘘飾や曲解などが付きまとうのが「言葉」だ。仕草や目でモノを言うことも、行間が語る文章などもあるが、大抵の場合、人々は言葉や文字でコミュニケーションする。つい、思っていることやホンネが言葉になることも多いので、人々は言葉に敏感だ。ジャーナリストやマスコミ人ばかりでなく、広告のコピーを考えたり書いたりしている人や詩人小説家など、言葉や文章を仕事にしている人は多い。

 国民や市民を代表して、国会や地方議会の議員になった人々は、演説や議論討論をすることが仕事だ。「言葉」を介して問題や課題と自分の意見や構想を述べ、相手議員のそれらを聞き、討議し、国づくりや生活基盤にかかわる施策をつくり、国民や選挙民の負託にこたえることを、仕事にしている。何々大臣に限らず、負託された代議士や政治家と呼ばれる人々は、ただ「言葉」遊びや失言さがしをすることを以って歳費がもらえているわけではない。

 発言したり、討論したりする”言葉”ひとつひとつに、誰もが同じく理解できる言葉の定義があるわけでもないから、各議員の使う言葉や用語の意味が微妙に異なる。赤はアカ、青はアオあるいは、言ったは言ったと、誰もが同じく理解できない
”いい加減さ”や”ノイズ、巾、含み”などを持った言葉だが、「言葉」を仕事の道具にする国会議員の方々は、ふつうの人々より”言葉”を大事につかい、言葉に責任と感謝をもってほしい。言葉の性格がそうだからといって、”いつも、その時その時、いい加減な使い方”をしていると、議論や意見交換がますますいい加減で、出来なくなる。言いたい真意も伝わらない。

 柳沢大臣の”機械”や”健康(不健康)”発言は、言葉についての定義や認識以前の問題で、ましてや”国語力”の問題ではない。少子化問題担当や厚生労働省担当の大臣としての資質や適格性を欠いていると思われる。難関大学や難関上級資格試験などをスルーしても、最近の教員などと同じく、いわゆる常識やふつうの生活感などとのズレを持ち合わせるタイプの方が多い。教育再生などでは、間に合わない”いまの子供大人”なのだ。

 それにしても残念なのは、女性国会議員のみなさん方だ。それなりに著名で見識もありそうな女性議員が、ただ 柳沢大臣の少子化問題担当としての資質に欠けることや彼の女性観などから、大臣というより”人間性”などを騒々しく質問したり、騒ぎ立てて、いわゆる”男社会”を責めているのだ。女性の政治家たちが、頼りない男性社会の申し子の男性政治家の少子化問題などに対する青写真のなさや欠陥を思うなら、自分たちのビジョンや具体的な方向性や構想を示せばいい。
産科医や産科病院の不足と医学部卒業生の産科医敬遠問題、年々高まる非婚化とDINKSや一人っ子で十分というライフスタイル傾向に対し、どのような展望を描き、どのような施策をするかなどが緊急課題なのだ。

 どのような体制や国の姿と人々のライフスタイルや価値観への方向性を示せば、できるだけ早期に少子化問題脱却の展望が見出せるのかは、あなた方女性の代表議員が、国政の場で出してくれなければ、誰がリードしてくれるのですか。言葉や用語の定義および使い方が仕事(立法府)の政治家の方々とはいえ、いたずらに失言や間違いを引き出しあったり、言葉じりをとらえて騒ぎ、貴重な歳費(税金)時間を費やして欲しくないのです。
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