吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

なぜ「上司は思いつきで、ものを言う」か。

2006年12月24日 | Weblog
 猿の世界、高崎や上野の”さる山”でも、グループや序列がある。川や海のサカナたちや森の動物たちにも、シマがあり、縄張りがある。親と子だけが序列や関係ではない。人類にも、人種や民族や国家がある。会社や職場あるいは自分が生まれ育った”故郷”(町や村)や卒業した学校(同窓)など帰属集団と言われるものがある。
 それぞれの帰属集団には、絶対的だったり、相対的だったりするイメージや偏見がある。生まれながらの平等などないのだから、努力し、汗し、帰属集団での上位やリーダーシップを得たいと思う。出世欲がだれにも内在している。
 どこのどのような集団であっても、会社や職場であってもなお更、序列や上下関係がある。管理する者と管理される者があるのが、管理社会の構図だ。上司と部下の関係が存在するのが、企業や組織やグループという普通の社会だと言ってもよいのが世の中だ。

 橋本治さんの「上司は思いつきでものを言う」(集英社新書)は、痛快だ。ずばり、100%本当だし、事実だろう。上司が思いつきでものを言うところが、会社や役所などの組織なのだ。管理社会やビューロクラシイ社会の典型だ。法律やマニュアルで共同社会の”約束ごと”を決め、管理する人を登用し、集団を構成する人々を管理する。大方の人々が、仲良く暮らし、組織(企業)内の働く人々の”汗のかき具合”をチェックしたり、各自の業務進捗をチェックしたりすることで、目標達成や完遂を管理するのだ。上司と部下が存在するのが組織だともいえる。

 上司と呼ばれる社長、役員、部長、課長や班長などは、管理者(マネージャー)ではあっても、スペシャリストや専門担当者ではなく、ゼネラリストなのだ。マネジメントという仕事だけで、業務の進捗チェックも出来映えや品質チェックもするわけではない。毎日が”暇”なのだ。することがないのだ。だから、自分が気に入らないことや気になることに目がいくし、”目についたこと”が気になるのだ。そして、”思いつく”のだ。「ああしたほうが、よかったのに」「あれを、やろう」と、突発的に思い、何か”アドバイス”や”指示”をしてみたくなるのだ。
 朝、自宅を出るときの気分や上司の上司の思いつき発言や指示で、自分も”同じ”ように、思いつき人間になるのだ。思いつきの連鎖が、普通であり、日常になる。毎日のいうことが、思いつきの繰り返しになるのが管理者でもある。

 部下として働くものは、つねに上司の発言の”思いつき性”を考えて対処しなければならない。100%上司の発言は、思いつきなのだから、即刻”対処”してはいけない。一呼吸か、中一日置いて、意図と真意を確認し、そして対処することが、肝要だ。「アイツはすぐ行動しない」とか「動きが遅い」などと言われても、「わたしは、そんなことを言っていない」とか「昨日と今日が違うのは、当たり前だろう」などと言われるよりは、”遅い対応”の方が合理的なのだ。
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