吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

有限調査情報と無限知識情報、その転換

2006年07月23日 | Weblog
 「富の未来」の著者(妻ハイディさんとの共著)アルビン・トフラーが、7月23日のデイリー・ヨミウリに寄稿している。あまりにも巨大(金額)な中国の経済統計の修正と、そのような事態や公的な偽物統計(ウソの統計)が、経済や社会にもたらす影響について警告したのだ。何も、中国が近代的な統計や調査の技術や整備について特別他の国より遅れているということを理由にしたのではない。体制や権力や為政者が、国の統計や金融経済についての統計を意図的に歪曲や偽造をしたり、嘘言したりすることによる危険性の深刻さを指摘したのだ。
 ”正しそう”に見える日本や米国など先進諸国の公的調査や統計と言えども、調査の方法や設問および統計計算の仕方が、目的対象や時代に合っていないものであれば、どのようにきれいな統計表や図表になっていても、それは正確な対象や社会を映すことはないのです。社会や時代の変化の速度に大幅に遅れた調査設問データや統計情報は、トフラーのいう「死知識」でもあるが、それ以上に深刻な社会的誤解や相互不信の問題をもたらすことを警告している。
 時代遅れの設問や古びた経済的定義および時代の変化や突発的瞬時的な事象を捉えきれない調査や統計の方法が、社会システムの不確定性や不安定をもたらすであろうことは指摘されるまでもないが、企業のマーケティング・リサーチの多くの設問が、対象や目的および必要な情報などについての「素人」が作っているということについて、大きな問題意識を持ってほしいと思います。
 有限的定義の体制とその経済や社会の現況や問題状況を理解することは、足し算や掛け算および%計算などを通じて示されるデータ情報に基づいて出来るとしても、際限がなく持ち運びが出来る瞬時の移動や効用があり、かつあるものは長期の資産価値を有していたり、瞬時に「死知識」化したりする無限的知識情報の体制やその経済や社会を理解するには、現在の統計、調査および調査設問の仕方では、まったく対応が出来ないのです。知識は、どの時点で、どのような時その資産価値をどのように評価したらいいのか、これを調査や統計にどのように表現したらいいのかわかっていませんが、明らかに限りない再生産と価値をどのように見るのか、途方もなく困難な作業になりそうです。大きな国家的、国際的問題なのです。
 カオス(複雑系)や不確定性および変化性が、ますます増すことが明らかな変化の時代にあって、「変化」や「新しい定義」や体制に適応できる調査や公的統計の仕方が考えられなければなりません。新しい体制(新価値基準)や社会および企業に対応できる新しいマーケティングやマーケティング・リサーチを開発することが急務だと言えます。
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