因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

朱の会 vol.4「Express-劇的 朗読世界」

2021-05-29 | 舞台
*神由紀子構成・演出・出演 公式サイトはこちら1,2,2')中野スタジオあくとれ 30日終了
 朱の会はじめての劇場公演は、再延期された緊急事態宣言のさなかという困難な時期に行われた。3日間4公演のチケットは完売し、当日券での入場がかなわなかった観客もあったとのこと。2年前のvoL.2の再演の演目を軸にしているが、「取組む意識としては〝新作〟である」と公演チラシに記されている通り、常連のメンバーはさらに盤石となり、新しい顔ぶれも加わって刺激的なステージとなった。台本を持たずに、本式の上演として行うもの、複数の詩歌をコラージュしたもの、童話の朗読など7本が披露されたが、「大正八年の横須賀駅構内。夕景」と題された「プロローグ」に始まるところが、今回の大きな特徴である。横須賀駅構内を行き来するさまざまな人々の様子を点描し、観客を自然に劇世界へいざなう。

 ☆「蜜柑」芥川龍之介…voL.2でも最初の演目となった芥川の名作短編である。語るのはそのときと同じ高井康行だが、旅行鞄を持った主人公の男性を演じる形式となった。これが第一の特徴である。完全に台本を離している点からしても、かなりハードルを上げての挑戦だが、微妙な違和感を持った。新聞を取り出したり、向かいに座った小娘を見たりといった演技をするわけだが、主人公が自分自身のすることを説明しながら動いている、語りながら動く様子は、観客にとっては語りを聞く聴覚と、演技を見る視覚ともに忙しく、神経を使うのである。

 第二の特徴は、貧しい身なりの小娘(高野百合子)の登場だ。しかし客席にはずっと背を向けたままである。その背中からは、なぜ三等切符で二等車に座っているのかという主人公の疑念や、それが次第に苛立ちに代わることを知っていながら、厳しい視線に耐え、何のためかを容易に想像させない頑なな意志が感じられる。

 この頑なな背中に秘めた思いは、主人公の苛立ちが最高潮に達する終幕で一気に明かされる。汽車の窓から見送りに来た弟たちへ蜜柑を放って腕を伸ばしたところで、小娘は動きを止めた。夕日の赤か、蜜柑の色かと思われる温かな照明が小娘を包んだとき、観客は「納得」でもなく、「感動」と言うのも申し訳ないほど切ない思いに胸を打たれる。まさに主人公が「刹那に一切を了解した」(原作)という心持を共有する喜びが、この一瞬に訪れるのだ。

 高井は長身痩躯、芥川その人を思わせる知的で繊細な風貌と雰囲気があり、「蜜柑」は朱の会における俳優・高井康行の財産演目として、これからも大切に上演されることを願っている。

 ☆「桔梗の別れ」岸田國士作…こちらもほぼ完全な劇形式での上演となった。複数の場所、それもテニスコート、鉄道の停車場、汽車の中など、屋外や移動する車中など、短編戯曲としては「無茶ぶり」と言ってよいほど、忠実に舞台化しようとすると大変な作品である。劇形式ではあっても椅子やテーブルなど最小限の大道具で、風景については敢えて作らない趣向が逆に功を奏している。
 
 ト書きは非常に少なく、場が変わるときにごく短く読まれる。語りを担ったのは佐藤昇であるが舞台には登場しない。違和感を持ったのは、それが録音なのか、音響ブースからかはわからなかったが、マイクを通した声であったところである。

 俳優・佐藤昇は、自分にとってまことに懐かしい思い出を呼び覚ます存在である。80年代はじめ、地方から上京したばかりの自分の心を捉えたのが、演出家の出口典雄率いる劇団シェイクスピアシアターであった。特に新しいアトリエでの記念公演となった『十二夜』は忘れがたい。あの爆発的な楽しさを上回る舞台にいまだ巡り合えていないことを、むしろ幸運と思っているほどだ。佐藤は軽妙な演技で舞台を大いに盛り上げていた印象が強かったが、ディケンズ公開朗読台本全21作品の朗読を完成したことをはじめ、「グローブ文芸朗読会」の代表を務めるなど、朗読の名手として多くの実績を積み重ね、朱の会初登場となった。このたび久しぶりに耳にした佐藤の声は耳に確かに届き、その語りは心に温かく響く素晴らしいものであった。「桔梗の別れ」の形式であれば、何らかの方法でト書きを生の声で聴かせることはできたのではないだろうか。

 ☆「蓑谷」泉鏡花作…これぞ神由紀子の真骨頂と言える朗読の一幕だ。今回は舞台に女神(和田真理子)と少年(高野百合子)が登場する。口元は小さく動かすが、声は発しない。幻想世界をすっきりと見せることは容易ではないが、確かな朗読があるときは力強く導き、またあるときは控えめに支えることで成功した。朗読を聴かせる、演技を見せることのバランスの妙であろう。

 ☆「じねんじょ」…三浦哲郎作 voL.2と同じく、公演の掉尾を飾るのにふさわしい安定感と幸福感をもたらす作品だ。演者は全員台本を持つ朗読形式。この作品は地の文が圧倒的に多い。言い換えると台詞が非常に少なく、敢えて朗読にするにはむずかしいところがある。初演では田浦環の端正な語りが素晴らしかったが、このたびは玉木文子と佐藤昇がふたりで務めたことによって、舞台にメリハリが出た。芸者の小桃(渡部美和)は四十路を過ぎてはじめて、自分のほんとうの父親に会う。そこに至るまでの葛藤と、昼間のフルーツ・パーラーで父と顔を合わせ、一瞬でわだかまりが解ける様相が描かれた佳品である。語り手はステージの左右に立ち、椅子にかけた小桃、母親(吉田幸矢)を見守る形をとる。もうひとつ演出が変わったのは、父親役の中野順二が、役の登場に合わせて後ろからゆっくりと歩み出て、母役の吉田と位置を代わって椅子にかけたことである。朗読形式であるから、最初からずっと舞台に居ても構わないのだが、この「ひと手間」によって、小説が劇として立体化した。中野は初演では鼻をすするなど足し算的演技があったが、このたびは台詞を発することに集中し、ともすれば類型的になりそうな役どころを過不足なく表現していた。「お前(おめ)は、なんにする?」と聞かれ、思わず、「父ちゃんは?と言って「忽ち涙ぐんだ」小桃の気持ちが痛いほど伝わり、「会えてよかった」ともらい泣きしそうになる。

 大正八年の横須賀駅構内の夕景にはじまった舞台は、現代と思われる人々が行き交い、立ち止まり、佇んでかなたを見つめる「エピローグ」で幕を閉じた。「劇的 朗読世界」という名の列車がひとつの旅を終え、また新しい旅のはじまりを予感させる終幕である。

 感染対策として座席を減らしたとはいえ、全日程完売の盛況。昨年からコロナ禍に多大な影響を受けながらの企画、稽古、そして本番までの道のりを祝福し、次なる「Express‐劇的 朗読世界」の旅を心待ちにしている。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 因幡屋通信68号完成 その2 ... | トップ | 文学座公演『ウィット』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事