因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

新国立劇場『デカローグ 1-10 愛と人生の十篇の物語』よりCプロ

2024-05-25 | 舞台
*クシシュトフ・キェシロフスキ/クシュシュトフ・ピェシェヴィチ原作 久山宏一翻訳 須貝英上演台本 小川絵梨子/上村聡史演出 公式サイトはこちら 
新国立劇場小劇場 4月のA,Bプロに続いて観劇。6月2日終了 D、Eプロは6月22日~7月15日上演
 ★プログラムC 
 「デカローグ5 ある殺人に関する物語」・・・小川演出
 ピョトル(渋谷謙人)は努力が実り、弁護士の資格を得る。もうじき初めての子どもが生まれることも併せて、前途は希望に満ちている。20歳の青年ヤツェク(福崎那由他)は乗り込んだタクシーの運転手ヴァルデマル(寺十吾)を撲殺する。ピョトルは殺人の罪で裁判にかけられるヤツェクの弁護を担当するが力及ばず、ヤツェクは死刑判決を受ける。
 
 さまざまなテレビドラマで渋谷を見ているが、舞台はこれが初めてである。影のある容貌のためであろうか、癖の強い役柄であることが少なくないが、今回の舞台では爽やかな青年弁護士である。すらりとした長身で声もよく響く。

 本作に対する戸惑いは、ヤツェクの殺人の動機が明かされないところにある。唯一の鍵は妹に対する切ないまでの愛情だ。妹はトラクターに轢かれて12歳で亡くなった。死刑執行の直前、ピョトルと面談するヤツェクは「もし妹が生きていたら、こんなことにならなかった」とむせび泣く。作家は観客が期待するその先を明かさない。そしてピョトルの苦悩は、彼が弁護士資格取得を知らされたあと、高揚感に包まれて立ち寄ったカフェに、ヤツェクも居合わせていたことにある。そのあと彼は凶行に及んだ。いっとき、同じ時空間に居たことをただの偶然とは思わず、ピョトルは「自分には何かできたはずだ」と、十分に弁護できなかったことを悔やみ、激しく苦しむのである。

 死刑執行の様子を生々しく見せるところも本作の特徴のひとつだが、やはり殺人の理由が明かされないことや、なぜタクシー運転手が客含め周囲の人々にここまで横柄な振舞いをする理由や彼の背景も不明のままである。何もかもが詳らかにされることが重要ではないが、衝動殺人と一括りにはできないところがあり、戸惑いはさらに深まるのである。

 「デカローグ6 ある愛に関する物語」・・・上村演出
 郵便局員のトメク(田中亨)は19歳。シリアに派遣されている友人の母親マリア(名越志保)と暮す。望遠鏡で向かいに住む魅力的な女性マグダ(仙名彩世)と彼女の男出入りの様子を覗き見している。愛に不器用な青年と、奔放な恋を満喫しつつも、愛の不信に陥っているマクダが接近し、ある事件が起こる。胸が締めつけられるように切ない短編であるが、マグダに関わる男たちや、業務怠慢に抗議するマクダに「郵便局は国営なのだ」と逆切れ対応する郵便局長など、ここまでコミカルで滑稽な造形にする必要があるのだろうか。終始抑制しつつも、チクリと針を刺すような名越のマリアの演技が舞台を和らげ、引き締める。マリアもまた孤独のなかに居るのだろう。
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