*公式サイトはこちら 野方/Book Trade Cafeどうひん 11、12日
3月末に予定していた公演をいったん延期し、仕切り直して実現したもの。連日東京都の感染者数が200人を越え、新宿の某劇場で出演者、スタッフ、観客まで感染が広がったという情報は演劇界に衝撃や怒り、困惑、不安を巻き起こしている。そのただなかにあって、朱の会公演は客席数をおよそ半分に減らし、出演俳優方みずから訪れる観客一人ひとりに手指消毒、フェイスシールド配布と装着の説明(ただし装着は強制ではない)を丁寧に行う念の入れ方であった。互いに出来得る限りの対策を講じて、安心して舞台を楽しむこと。その重要性を改めて実感する。
3月末に予定していた公演をいったん延期し、仕切り直して実現したもの。連日東京都の感染者数が200人を越え、新宿の某劇場で出演者、スタッフ、観客まで感染が広がったという情報は演劇界に衝撃や怒り、困惑、不安を巻き起こしている。そのただなかにあって、朱の会公演は客席数をおよそ半分に減らし、出演俳優方みずから訪れる観客一人ひとりに手指消毒、フェイスシールド配布と装着の説明(ただし装着は強制ではない)を丁寧に行う念の入れ方であった。互いに出来得る限りの対策を講じて、安心して舞台を楽しむこと。その重要性を改めて実感する。
ストレートな朗読、完全に台本を離しての劇形式、複数の俳優が人物の台詞と地の文を読み継ぎ、語り継ぐ「群読」と、古今東西の文学作品をさまざまな形式で上演するスタイルは前回と変わりないが、劇中の音楽が、メロディはもちろん俳優の呼吸一つ見逃さない絶妙のタイミングで、作品の味わいがいっそう深まった。音楽の余田崇徳はこれまでの朱の会公演の作曲だけでなく、本番における音響操作も担っており、構成・演出の神由紀子、演者一人ひとりと良好なコミュニケーションが成立していることを窺わせる。各自の衣裳に金色の蝶ネクタイ(『セロ弾きのゴーシュ』)、語り手が紺色、演じ手が朱色のスカーフを纏う(『鼓くらべ』)など、メリハリの効いた趣向も楽しい。まずは前半の演目から。
*オスカー・ワイルド『しあわせの王子』・・・子どもの頃から親しんだ名作には多くの翻訳があり、それぞれ挿絵や装丁にも作り手の愛情のこもった素晴らしいものが少なくない。今回はシンプルないもとようこ版を、上品な佇まいと優しい語り口が魅力の岩間太郎の朗読で上演された。日常の暮しから劇場を訪れたばかりの観客の心身を鎮め、劇世界へといざなう、よき序幕となった。
*幸田文『季節のかたみ』・・・日々の暮しのさまざまを鋭い視点で切り取り、深く洞察し、何気なく見過ごしていた風景や人の心が複雑に移ろう様相が綴られた随筆は、さらりと読んでしまえるけれども、一字一句無駄なく、漢字とひらがなの混じり様まで丹念に吟味されたものと思われる。若くして病に伏した女性を思いやる「雫」をベテランの吉田幸矢が、家族のしがらみを乗り越えて結ばれた男女を寿ぐ「きざす」を若手の豊田望が朗読した。読み手の手堅い技術は、作品への適切な理解あってこそ。
*夏目漱石『永日小品』より「猫の墓」・・・小説ならば登場人物の姿かたちを想像したり、話の流れを追うことで物語の世界へ入っていきやすいが、随筆の場合は読み手聞き手双方に難しい面がある。中野順二の声と語りには、ほどよい膨らみや絶妙な緩急があり、どことなくとぼけた味わいの随筆を楽しむことができた。
*藤沢周平『三年目』・・・宿場町の宿屋で働く「おはる」は、「3年経ったら迎えに来る」という男のことばを信じてはたちになった。今日はちょうどその3年目だ。おはるはいろいろなことを思い巡らし、翌日意外な行動をとる。渡部美和と神由紀子が、人物の性別や年齢に関わりなく、自在に自然に読む確かな技術と表現力で、地の文と台詞を読み合う形式。十代で嫁いで子を産むことがむしろ普通であったであろう時代では、はたちと言っても今と同じ感覚では捉えにくい。男は約束を守ったとはいえ、おはるの純情に十分応えておらず、この先幸せが待っているとは想像しづらい。おはるを舟で送る幸吉(気の毒すぎる…)ならずとも、「おめえはばかだ」と言いたくなるが、ステージは明るい印象を以て終わる。続きを知りたいが、そこを堪えることで味わいが増すことを学ぶ作品なのであろう。
・・・公演の後半はつぎの記事にて・・・。
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