因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

燐光群『ワールド・トレード・センター』

2007-10-25 | インポート
*坂手洋二作・演出 燐光群創立25周年記念公演 公式サイトはこちら 下北沢 ザ・スズナリ 11月6日まで
 2001年9月11日、同時多発テロが起きた日、ツインタワーを臨めるビルにある日本企業の人々と、そこに集まってくる人々の一日を描いた作品である。あの日崩れ落ちるビルの映像をみたとき「まるで映画のようだ」という実に不謹慎なことを考えた。あまりに衝撃的で、これが現実なのだと捉えることができなかったのだろう。

 ここは日本語情報誌の編集部である。大きな段ボール箱からひとりの女性が顔を出す。ちょうどこの日に見習いにはいったナカジマ(江口敦子)である。彼女の視点がこの舞台の中心になるのかと思ったが、すぐに取材に飛び出すものあり、編集部だけでなくその家族や下の階の書店員、俳優などが次々にそこを訪れ、また去って行くめまぐるしさに、何が何だかわからなくなる。人々は信じがたい事件にうろたえつつも、それぞれができること、しなければならないことを考え、行動にうつす。あの事件に遭遇した人々のあいだに、いつのまにか共有感覚が生まれる過程がエネルギッシュに描かれている。

 俳優で印象に残るのは病いを抱えた編集長役の大西孝洋。俳優本人の資質と役柄がいい感じに合致している。次に取材に飛び出して行くカメラマン役の向井孝成。昨年の二兎社公演『書く女』で斎藤緑雨を演じていたとき、難しい役所に苦心しているように感じられたが、そのときより力強さが増したように思う。

 『CVR』や『だるまさんがころんだ』(1,2)と比較すると、登場人物も作者の主張も盛りだくさんで少々散漫な印象がある。基本的に時間の流れに添ってすすむ話である。特に終盤のアンダースタディ俳優役のED VASSALLOの独白場面がただならぬ臨場感に満ちており、よし、ここでラストだなと身構えたのだが、もう1シーンあったりして、そのシーンじたいは結構好きだけれども自分は明らかに興をそがれ、「まだ続くのか」と不安になった。もう少し刈り込んでもいいのではないか。さらに若手俳優の演技が全体的に「てんぱった」ふうに感じられる。年齢もキャリアも違う俳優たちがひとつの舞台を作るのは難しいことだと思うが、前述の大西の充実、向井の躍進、さらに「ほんもの」の米国人俳優が登場するとなると、その現実味、迫力に拮抗するには物足りない印象である。
 
 実際にあった事件を舞台で描く。事件そのものだけでなく、それが起こった背景や関わった人々の様相を「演劇」という手法で観客に提示する。燐光群の舞台をみることによって、自分は現実の事件を反芻し、それが自分の生活に直接影響を及ぼすものではなくても、否応なく考えること、想像することをせざるを得なくなるのである。実際の事件は時間も場所も自分からは遠く離れている。しかし舞台は自分と時空間をともにするものだ。逃げ場はない。スズナリの小さな空間で2時間過ごしたあとはどっと疲れ、足取りも重くなる。だがやがて元気が出てくる。いささか「強いられる」感覚はあるものの、燐光群の舞台は自分を甘やかさない。トレーニング、修業に近い感覚が好きである。

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