因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

スタジオソルト第14回公演『buzz』

2010-10-07 | インポート

*椎名泉水作・演出 公式サイトはこちら 相鉄本多劇場 10月3日で終了(1,2,3,4,5,6,6`,7,8,9,10,11,12,13
 1988年足立区綾瀬で起こった女子高校生コンクリート詰め殺人事件をモチーフにしたもの。スタジオソルト開演前の楽しみのひとつに、当日リーフレットに記載された作・演出の椎名泉水の挨拶文がある。なぜ今回この作品を書いたのか、過去の自分、今の自分の心象を丁寧に見つめ直し、自分の体験してきたことと、実際に起こった事件や社会問題などを単なるモチーフではなく、それらと誠実に向き合って舞台作品として構築する姿勢はとても好ましく、舞台に対する期待をいよいよ掻き立てられるのであった。
 今回は取り上げた事件があまりに残酷で通常の感覚では到底理解の及ばないものであり、それを舞台で描くのはどんなものになるのか、心配でもあった。まずキャスト表の記載にしばし戸惑う。1人の俳優が複数の役柄を演じることはまだしも、役名にカッコ書きで、もうひとつの名前をもつ人物が数名いる。事件の主犯である青年の当時とその後を描いたものだいうことは事前に情報を得ていたのだが、一筋縄ではいかない話のようである・・・。

 初日に観劇した。およそ80分のあいだ舞台から目を離せず、前のめりで見入っていた。それなのになかなか記事が書けなかった。日にちが空いてしまったのは筆を温めていたのではなく、迷いや疑問が次々に湧いてきてどうにもならなかったからだ。それは今でも消えず、こうして曖昧に筆を進めている。
 理由はいくつかある。椎名泉水の挨拶文のなかに、「私は、生まれつきの悪人はいないという考えをもっている人間で」という一節があり、その「悪人」のひとことに、自分は先日みたばかりの映画『悪人』を連想してしまったのであった。映画についてここでは詳しく触れないが、「悪人」という言葉にあっという間に妻夫木聡と深津絵里の顔が浮かぶほど影響を受けていることは間違いなく、自分でも「しまった」と思った。まずこの点はすべて自分の責任である。
 舞台について感じたことはたくさんあって、抽象的な舞台美術や前述のように複数の役柄を演じること、主犯の青年と周囲の人々の過去と現在が行き来することなど、これまでのソルトの舞台に比べるといろいろな面で変化があり、作品に対する取り組みの姿勢の熱さが感じられた。
 俳優のなかでは主犯の青年を演じた山ノ井史と、その兄の複雑な感情を誠実に演じた麻生0児、そして兄の妻を演じた安田亞希子が印象に残る。

 しかしぜんたいとして、どうしても違和感が拭えないのである。それがどこに理由があるのか、この舞台を観劇したshelf主宰の矢野靖人氏のブログに、自分の感じていることを的確に指摘した箇所があって(1)納得させられたのだが、自分がいま抱いている疑問はまた別のところに理由がありそうだ。それをひとつひとつ掘り起こして言葉にするのは大変な作業であり、その結果、今回の舞台に対する印象がどのようになるのかと考えると、その作業に果たして意味があるのかわからないのである。

 実際に起きた事件を基にして劇作をする劇作家はほかにもたくさんいる。またほとんどスプラッターのように、舞台で残虐描写を大胆に行う演出家もいる。安易な比較は慎みたいと思うが、今回の『buzz』はいまの演劇界にあまた溢れる舞台のなかで特別な光を放つには何かが足りず、どこかが違う。しかしほかの劇作家や劇団が持っていない何かを確実にもっていることを確信するのである。

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