因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『かうしてPrologue』

2007-10-26 | インポート
*秋のクボマンフェスティバル第1弾!久保田万太郎作 下総源太朗演出 公式サイトはこちら 中野ウェストエンドスタジオ 31日まで

 俳優の下総源太朗が17年ぶりに演出し、『Prologue』と『かうして豆は煮えました』の2本立て公演を行った。
 まず正直に告白すると、全編しっかり起きて久保田万太郎作品をみたのはこれが初めてである。これまでみたものが退屈だからではないし、自分の体調も悪くないのに必ずといっていいほど、途中でうとうとしてしまう。だからといって肝心なところを見逃して話がわからなくなるわけでもなく、たぶん起きていても観客には充分に提示されない部分があって、それを知りたいと強く願う一方で、終演後はあまり多くを語らない人々の心の奥底を考える。小さいけれど温かいものをそっと胸に抱えて家路につく。自分が久保田万太郎を好むのは、この小さいこと、寡黙であること、温かいこと、そしてよくわからないこと…などが魅力的だからである。当日リーフレットに演出の下総源太朗の「ご挨拶」が記載されており、「なにをやっても程度の差こそあれ、どうせわからないのだから一緒だよ」とあって、こちらの心を見透かされたようでどきっとする。

 十二代も続いたある老舗、母親(宮田早苗)の悩みは、一粒種の息子(中山裕康)の学校の成績が思わしくないことだ。家庭教師(青木隆敏)をつけたものの、相変わらず芳しくない様子だ。このうちは少々複雑らしく、現在の当主(奥田努)は親戚から迎えたやり手である。出入りの大工(小野健太郎)が父親の入院費用の工面を頼みにくるが、昔からの付き合いはほどほどにして堅実に商売をしようとしており、情に厚く昔気質の母親とは折り合いが悪い。当主と家庭教師が学校に陳情したが、その甲斐もなく、息子は落第してしまう。

 和服の立ち振る舞い、火鉢や煙管、ランプなどの道具の取り扱いはじめ、「~でございます」が多い台詞に、初日のせいもあるだろうが俳優には固さがみえる。が、後半、このうちとつきあいの深いおじさん役の下総源太朗が下手から登場し、座敷に座る。それだけで舞台の空気がぐっと濃密になる。「待ってました、源太朗さん」思わず声をかけそうになった。舞台の空気がある程度温まったところに登場するせいもあるが、台詞の言い方にも余裕が感じられ、安定感がある。

 ただでさえ打ちしおれている息子を座敷に呼び、落第の事実を告げようと大人たちが気まずくうつむいたところで幕となる。自分の好きなクボマンテイスト満載の『Prologue』に満足。ところが15分の休憩をはさんで始まった2本めの『かうして豆は煮えました』は、自分の久保田万太郎観がぶっ壊されてしまうほどのものすごいものであった。それについては明晩…

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