因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ドイツ同時代演劇リーディング・シリーズより『フラウ・シュミッツ』

2018-07-26 | 舞台

*公式サイトはこちら ドイツ文化会館ホール 29日まで
 公演チラシには、「現代社会とそこに生きる人間、演劇のあり方を問う最新ドイツ語演劇4作品を一挙リーディング形式で紹介!」と記され、関連企画として作劇法ワークショップや朗読会(本記事のリーディングとは別)とディスカッションなども行われる。会場にははじめて足を運んだが、地下鉄青山一丁目駅から徒歩7分の近場でありながら周辺は緑多く、1階ロビーからは広い庭も見えて、落ち着いた雰囲気の建物だ。連日の猛暑が嘘のように涼しいこの日、自分にとっては非常になじみの薄いドイツ語演劇の1本を体験した。

『フラウ・シュミッツ』…ルーカス・ベアフース作 松鵜功記翻訳 矢野靖人(shelf 1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11)演出 ベアフースはスイス生まれ、チューリヒを拠点に活動する作家である。
 フラウ・シュミッツは勤務する会社の重大な任務を背負い、女性をビジネスの相手として認めないお国柄を考慮して、スーツを着た男性としてパキスタンに赴く
。仕事は首尾よく終わるが、帰国した彼女に上司も同僚も困惑し、持て余しはじめる。さらにフラウの家庭はある種の特殊なもので、パートナーや子どもとの関係もまた単純ではないようである。

 舞台の中心にトルソーが置かれ、深いグリーンのロングドレスが着せられている。その両サイドに俳優の座る椅子が数脚、女性の洋服のかかったハンガーもある。黒のスーツを素敵に着こなした冲渡崇史が登場し、『フラウ・シュミッツ』のはじまりである。

 上演後の矢野と翻訳の松鵜氏、出演俳優お二人とのトークによれば、原作戯曲の指定通りのところと、矢野とshelfのクリエイション独自のところがあるとのこと。実は物語冒頭、フラウと彼女を口説こうとしている男性社員とのやりとりで躓いてしまい、舞台に意識を集中するまで少々手間がかかった。と、ここでチラシを読み返してみると、「フラウ・シュミッツ、彼女は本当は何者なのか?」。本作は、登場人物といっしょに観客も混乱させ、翻弄するものらしい

 トルソーが見立てるもの、沖渡が演じているのは誰なのか、果ては川渕優子が演じているのは女性か男性か等々、確かに混乱するが、次第に本作ならではの味わいや旨みとして楽しんでいることに気づく。ジェンダーが反転し、物語が変容する点が本作の魅力であるが、トリッキーな趣向が目的の劇ではない。人間のアイデンティティは、その人が確固たるものを持っているわけではなく、周囲の人々の思惑のなかで形成される面が多々あること、その人と周囲の人々とのあいだで絶えず揺れ動き、変容するものであることなどを、あまり声高でなく示そうとしているところが好ましい。できれば戯曲を読んでみたいものだ。

 矢野は自分たちの舞台の作り方について、「俳優には、テキストと距離は取るが、嘘はつかないで。それぞれ沖渡崇史、川渕優子として存在し、その人とテキストが響くところを大事にしてほしいと話している」とのこと(発言は記憶によるもの)。これまで観劇した矢野とshelfの舞台の印象を思い起こし、物語の世界にどっぷりと身を浸し、俳優には役になりきることを要求するものではないことを改めて認識した。

 リーディング公演のひとつの見どころは、戯曲と作り手との距離の取り方を見せる点である。それがshelfの作劇姿勢とうまく噛み合い、非常に刺激的であり、それでいて実験や試みに留まらず、本作の深い味わいや、フラウ・シュミッツの心の奥底の揺らぎを感じさせるリーディングとなった。shelfによる本式の上演をぜひ見たいものだが、もしこれを超リアリズム演劇として捉えたなら、いったいどんな舞台になるのだろうか。「これしかない!」という強い思い込みでなく、さまざまに想像を膨らませる『フラウ・シュミッツ』。あなたはいったい誰なのか。できればもう少し仲良くなりたいのだが、さてどうしたものか。『フラウ・シュミッツ』。新しい、不思議な友だちができた。嬉しい一夜であった。

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