因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

shelf volume15『班女/弱法師』

2013-06-30 | 舞台

*三島由紀夫作 矢野靖人構成・演出 公式サイトはこちら 日暮里d-倉庫 30日まで(1,2,3,4,5,6,7)
 d-倉庫のロビーは開場を待つ観客で込み合っている。開演まで15分をすでに切っているのだが、直前の調整がつづいており、なかなか劇場に入れない。客層は老若男女入りまじり、外国の方もいらっしゃる。
 本作は昨年12月、長久手市文化の家×三重県文化会館合同プロデュース公演として、第七劇場とともに行った『三島ル』(未見)の、いわば東京凱旋公演である。
 shelfの三島は2009年冬の「横濱リーディング」における『班女』をみているが、おそらくそれをさらに精度をあげたものが『三島ル』であると思われる。
 独自の活動をつづけて11年めにはいったshelfの三島作品、いよいよd-倉庫にお目見えである。

 ぎりぎりまで開場しなかったわけは、ステージをみるとすぐに理解できる。出演俳優たちが板付きになって、すでに濃厚な空気を発しているためだ。shelfではめずらしくない導入部であるのに、いつもとちがう劇場のせいもあって、新鮮な印象だ。

『班女』
 老嬢・実子、狂女・花子、その恋人吉雄に加えて、「女」がひとり存在する。当日リーフレット掲載の演出家ノートによれば、「『班女』という物語を耽溺してやまない一人の女」であるとのことだ。
 「女」は劇中で登場人物の台詞をともに発したり、ときには割り込むこともあって、「女」は実子のようでもあり、花子のようでもある。それぞれの成れの果てとも思える。発語のタイミングや形式は場面によって異なり、観客の安易な予測を阻み、裏切りながら、いびつな流れのままで終幕へすすむ。

『弱法師』
 これもそうとうにエッジの効いたステージングである。家庭裁判所の調停委員・桜間級子と、盲目の孤児・俊徳いがいの人物4人を男女合わせて6人の俳優が演じるのだ。黒ずくめの衣装で俊徳を円形に取り囲み、奇妙な動きをしながらあるときはひとりが、あるときは数人が声を合わせて台詞を発する。

 2本ともに、登場人物たちは互いに顔を合わせて対話するのではなく、どちらも客席を向いたままであったり、べつべつの方向をみながら台詞を言う。舞台にはまちがいなく生身の俳優が存在するのだが、その俳優が「実子」という人物に入りこんで同化して台詞を発するのではなく、戯曲のことば、劇作家が構築した劇世界のことばを取り扱っている。そのような印象を受けた。

 「エッジの効いた」などという、使い慣れないことばで書いてしまったが、たとえばshelfの舞台は「シャープ」や「スタイリッシュ」ともちがうのである。尖ったところばかりではなく、やわらかでつかみどころのないものもあり、ごつごつした不協和音風のものもある。
 その表現によって、戯曲の台詞をよりわかりやすく客席に届けるというより、むしろ聞き取りにくくなったり、いっそう難解に聞こえてしまうこともある。
 『弱法師』では俊徳の実の両親と育ての両親が激しく言い争う場面がある。ふつうの形式で上演するなら、それぞれの役柄に適した俳優が配され(おそらく中堅からベテランの俳優になるだろう)、たっぷりと熱演する。俳優の表情、声、しぐさのひとつひとつが、客席にその人物についての情報となって、作品を理解する助けになるのである。

 shelfの場合、複数の俳優によって台詞が発語されるために、ときに機械的、記号的に聞こえるときもあり、では人物が物語の記号のようになるかというと、よりいっそう生々しい息づかいが伝わるところもあるから、まったくもって不思議だ。
 そして劇場をでるときには、三島由紀夫の『班女』と『弱法師』を、目に見えない2冊の本のように受けとっていることに気づくのである。

 

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