因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

明治大学シェイクスピアプロジェクト(MSP)第18回公演

2021-11-13 | 舞台
*ウィリアム・シェイクスピア原作 コラプターズ(学生翻訳チーム)翻訳 宮西桃桜子演出 プロデューサー・牧加奈子 公式サイトはこちら1,2,3,4,5,6)明治大学アカデミーホール 14日まで 
 客席数を制限して、2年ぶりのアカデミーホールでの上演が実現した。本編に加えて、明治大学創立140周年記念特別公演『ロメオ、エンド、ジュリエット』の配信公演の企画もある。困難のなかにあって尚、意気盛んだ。

 女子の人数が圧倒的に多いこともあって、男性役を女子が演じることが少なくなかった。今回も同様だが、それに加えて変則的な配役がなされているのが特徴である。まずモンタギューの両親役の俳優が前説を行ったのだが、母親役が男子であった。注意事項を述べた後、「まあ、あなた」と夫に微笑みかけて観客を和ませる。開幕してほどなく、きらびやかな衣裳を纏い、長い黒髪も美しい女性が現れ…と思ったら、何とパリスであった。パンフレット掲載のプロデューサーの牧と演出の宮西の対談によれば、オーディションの際、「(参加者に)様々な役を振って台詞を読ませて、フィードバックしてもう一度読ませるっていうのは繰り返していた」とのこと。例えばある男子に乳母の役を振ったが、最終的な配役発表で、彼はロミオ役となった。「振り切れる根性とか、恥を捨てることができるかどうかを、男性に乳母役を振ることによって見ていた」(宮西)という。また「役者さんの特性・性格・可能性をみて配役を一人ずつ決めていきました」、女子が男性役を演じる場合に声や振舞を男性のように変える演出はしていないとのこと。蜷川幸雄のオールメールシリーズや、最近では青木豪演出の同じくオールメールの『十二夜』や『お気に召すまま』、森新太郎演出の『ジュリアス・シーザー』はすべて女優が演じる舞台であったが、「すべて男性」あるいは「すべて女性」という形をさらに発展させ、性別に囚われない柔軟な配役によって、より自然でかつ刺激的な舞台を目指す意図が感じられる。

 どこかの国、時代はいつだろうか。無国籍風の衣裳でマウスシールドを付けた若者たちが広場に集まり、『ロミオとジュリエット』の芝居を始める…という趣向らしい。軽やかなオープニングである。モンタギュー側が深い青、キャピュレット側が鮮やかな赤を基調とし、シャツやドレスだけでなく、ベルト、靴下やスカーフなどの小物にもセンス良く色を配して、見た目にも人物相関図がわかりやすく、美しい。

 恋愛劇の金字塔のごとき作品であるが、ロミオもジュリエットも、生まれ育ちや家同士が敵対しているという事情はあるものの、その当時の普通の若者のすがたを反映しているのではないか、というのが今回の舞台を見た印象だ。時代や場所、身分や環境に関わらず、人は突然恋に落ちるし、恋によって人生が変わってしまうこともある。ロミオとジュリエットを特別に選ばれた男女ではなく、恋の普遍性を体言する存在として描いたと自分は受け止めた。

 今回のロレンス神父は、ロミオを諭し、ジュリエットを励ましながらiPadを操作するのだが、その動作が非常に自然で、「デジタルネイティブ世代」の作るシェイクスピアの一面を見る思いであった。さらに前述の男子が演じるモンタギュー夫人だが、「何かやってくれるかも」という期待をさらりを裏切り、こちらもまた自然に母親役を演じて好ましい印象であった。新しいものを取り入れながらもあざとさがなく、さりげないのが宮西演出の魅力だ。
 
 11月の今でこそ感染者数は激減しているが、春から夏にかけて、緊急事態宣言のただなかに不安を抱えながら稽古や準備を行った苦労は大変なものであったろう。しかし困難のなかにあって公演は無事に幕を開け、佳き成果を上げている。どんな状況にあっても人が恋をするように、演劇を作る人、それを見る人は生まれ続ける。さすがに会場入口はじめ客席誘導を担当している制作スタッフからは強い緊張が伝わってきたが、MSPのシェイクスピアは生き生きと気持ちが良い。嬉しい一日であった。
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