因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝公演『忘れてもろうてよかとです―佐世保・Aサインバーの夜―』

2022-09-23 | 舞台
*河本瑞貴作 丹野郁弓演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA 10月2日まで
 佐世保市に生まれ、現在も住まう劇作家河本瑞貴は、池端俊策との共作『正造の石』(2019年4月)以来、2作めの民藝登場となった。

 「Aサイン」とは、米軍の衛生検査に合格した店に発行発行される証明書のこと。国際通りのバー「ELLE’S(エリーズ)」の壁の中央には、その「Aサイン」が貼りだされている。米軍から安全のお墨付きをもらい、敗戦後から朝鮮戦争、ベトナム戦争と、戦争のたびに米兵で賑わったエリーズも、2002年の今はすっかり寂れ、女主人エリーこと満江(日色ともゑ)は開店前の掃除をしながら、見えない誰かに話しかけている。突然、1945年9月に時が遡り、店には上陸したばかりの米軍の水兵たち、濃い化粧をして派手な衣装に身を包んだホステスたちの狂乱がはじまる。

 着のみ着のまま故郷の徳之島から出て来た若き日の満江(桜井明美)が登場し、満江のこれまでが描かれる。亡き兄の親友である勇利(横山陽介)を頼り、エリーズの会計やホステスらの管理役として働きはじめ、やがてやり手のホステス龍子(細川ひさよ)と共同経営者になる。けばけばしい身なりと騒々しい振る舞いのホステスたちの中にあって、白いブラウスと黒いスカートの満江は、ミッションスクールの教師のようだ。店の事務方だけでなく、バーテンダーの腕も磨くなど、ホステスたちとは明らかに立ち位置の異なる女性である。

 ある状況から次の状況へ、人物の心の動き、人間関係の変化など、物語の過程をいかに描くかは、同時に「いかにして描かないか」でもあり、劇作家の腕の見せどころであろう。詳らかにされないことで、観客は「なぜこうなったのか」を知ろうと身を乗り出し、舞台に引き込まれてゆくのだが、戦争で傷ついたゆえに親友の妹を大切に思い、誠実で思いやり深かった勇利が、次に登場した場面では酒浸りの暴力夫に変貌していることは唐突で違和感があった。夜の出勤前の化粧をする満江が鼻歌を歌っていることも同様で、わざわざ夫の気持ちを逆撫でする振る舞いをする女性ではないように思われるのだが。

 河野しずかが演じる「影」が過去と今の橋渡し役であり、満江が心のうちを話せる相手であり、過去の満江その人になる時もある。黒ずくめの服装、言葉少なに静かな物腰や、老いた満江や龍子にだけその姿が見えるところなど、あの世への案内人のようでもある。物語の導き手として、こういった存在が登場する作品は珍しくないが、河野による「影」は凡庸に陥らず、最後まで謎を残すところが魅力的である。

 満江の一人娘陽子(森田咲子)が成長し、母に思いの丈をぶつける。そこに老いた満江と龍子の対決が三つ巴のごとく展開する場面は、客席にまで緊張が漲る。戦争で皆が傷つき、生きていくためにどんなこともした。しかしそのなかで、「私はあの人たちとは違う」と、相手を軽蔑することで保たれたプライドに言及するあたり、劇作家の筆は容赦ない。満江は「こんなことは言っていない」と否定しながら、人が変わったかのように下卑た口調で裏の顔を見せるが、果たしてそれが真実かどうかは最後までわからない。

 題名の「忘れてもろうてよかとです」は、満江が冒頭と終幕で口にする言葉である。若者たちは日本とアメリカが戦争をしたことも知らず、そんな今にあって、自分たちのことなど忘れてもらってよい、自分も昔のことなど忘れてしまったからという諦念のあらわれだ。物語の2002年からさらに20年が経過した今、戦争はもちろん、「戦後」を生々しい記憶として持つ人が居なくなる日は確実に迫っている。「忘れてもろうてよかとです」と謳いながら、人生を戦争に翻弄されたあまたの人々の、忘れてほしくない、忘れたくない、忘れられないという心の奥底のつぶやきを掬い上げようとしているのがこの物語であると思う。

 主演の日色ともゑは白のブラウスと黒いスカートがよく似合う。台詞に時おり英語が混じるところ、龍子に水割り作ってやる手際にも、米兵相手の客商売を務めた年月を感じさせる。現実的な目で見れば、やや認知症気味なのかもしれないが、前述の三つ巴からさらに変貌するあたり、空恐ろしいまでの凄みがある。「影」の河野しずかの辛抱強い造形も心に残る。米兵とホステスの狂乱、狂態ぶりは、圧倒されるというより少々疲れるのだが、そのなかで「丙午のキャッシー」役の保坂剛大は、大仰でなく作り過ぎに陥らない造形で気持ちよく受け止めることができた。唐十郎『腰巻お仙』の「西口おつた」をこの方で見たい。
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