因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

NHK Eテレ「にっぽんの芸能」より「伝心 玉三郎かぶき女方考~“壇浦兜軍記 阿古屋”~

2020-04-06 | 舞台番外編

*番組公式サイトはこちら 放送は2018年5月28日 歌舞伎の女方としてのみならず、後輩への指導、他分野での活動(最近のシャンソンにはさすがに困惑するが)も含めて、まちがいなく日本の演劇界の頂点に立つ坂東玉三郎が、女方が主演する演目を深く洞察し、解説するもの。

 第1回「京鹿子娘道成寺」(未見)につづく第2回は「壇浦兜軍記」の「阿古屋」(文化デジタルライブラリー)を語る。最高級の遊女である傾城の遊君阿古屋を演じることができるのは女方の最高峰の役者であり、六世中村歌右衛門に次いで、玉三郎ただ一人と言われてきた。玉三郎は、本作の三大要素を次のように挙げた。①趣向…演出の工夫。阿古屋の豪華な衣裳、敵役岩永に取り入れられた文楽の手法 ②文学性 ③楽器演奏 である。

 本作からまず思い浮かぶのは③の楽器演奏である。阿古屋は平家の武将景清の子を身籠っている。景清を追う源氏方は阿古屋の詮議のために琴、三味線、胡弓を責め道具として用意し、演奏の乱れのあるなしによって彼女の心の内を知ろうとする。演じる女方は、実際に舞台の上でこの三曲を弾くという大変な課題が与えられるわけで、観客もまずはここが見どころと期待する。

 それを認めた上で、玉三郎は②の文学性を強調するのである。阿古屋登場の文章(義太夫の台詞)を丁寧に読み解く口ぶりには、玉三郎がいかにこの作品を大切にしているかが表れている。難易度の高い作品であるが、好きで好きでたまらぬ。そんな印象である。

 趣向に富み、見どころの多い本作は、「景物」(けいもの)とも言われ、いわゆる「ケレン」が強く出るきらいがあるが、「三曲の演奏がケレンにならないよう、当然のごとく音楽的に流れるようにするのが大切。そうすれば文学的、詩的な作品になる」と玉三郎は語る。これは役者が演奏するときの心得に通じ、「稽古の段階で役者がやり込んでいった結果、役者の演技、演奏を通り抜けて、透明なものが流れていく」、「役者は消えていかねばならないが、演じ手の魂だけは半透明に見えないと、役の中に魂が入っていかない」、「自分の人生を基盤にして演じるから、自分をゼロにはできないが、自分を見えなくするところまではもっていかなければならない」等々、歌舞伎を超えて現代劇における俳優の演技にも十分通じる演劇論に発展していくのである。

 見事な演奏の最後に見えてくるのは、「景清不在の虚しさ」であり、阿古屋が彼の居所を知らず、ただ案じているという悲しみである。それを深く理解し感じ入ったからこそ、源氏方の秩父庄司重忠は阿古屋の心に偽りなしと判断するのだろう。同情や庇いだてではないのである。

 阿古屋役は、玉三郎の徹底指導のもと、2018年から中村児太郎、中村梅枝に受け継がれ、玉三郎、児太郎、梅枝の交互上演となり、翌2019年早々に再演されている。教育者、演出家として、後進に自分の芸を惜しみなく伝えようとする玉三郎によって、阿古屋は次々世代に手渡されていく。

 

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