因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

第19回明治大学シェイクスピアプロジェクト (MSP)ラボ公演『短夜、夢ふたつ』

2022-09-09 | 舞台
*小林萌華演出 金子真紘プロデューサー 明治大学駿河台キャンパス 猿楽町第2校舎1F アートスタジオ 公式サイトはこちら 11日まで(入場は明治大学教職員限定)動画アーカイブもあり
 今年で19回を迎える明治大学シェイクスピアプロジェクト(MSP 1,2,3,4,5,6,7,8)が本公演を前に、小さな空間で実験的な上演を行うのが「ラボ公演」である。当日パンフレット掲載の総監修・井上優明治大学文学部教授によるラボ公演の背景(2018年3月 シェイクスピアReMix『銀河鉄道の十二夜&熱〇殺人事件みたいなヴェニスの商人』+2021年11月 第1回MSPラボ公演『ロメオ、エンド、ジュリエット』)には、現役生だけでなく卒業生を含めたMSP活動の広がりが記されて、大変興味深く心強い。「既成の文学作品の枠組みでシェイクスピアを語り直すという試み」(同)というコンセプトで上演された2本立ての初日を観劇した。

☆『変身ボトムさん』―カフカ✕W.シェイクスピア
 妖精の魔法によってロバ頭になってしまったシェイクスピアの『夏の夜の夢』の職人ボトムと、朝目覚めたら、自分が巨大な虫になっていたグレゴール・ザムザとその家族の悲喜劇を描いたフランツ・カフカ『変身』が縦横に絡み合う物語。ロバのボトムの世話が過重労働となった妖精たちが労働環境の改善を求めて会議をするなど、時事問題も絡めながらコミカルに展開しつつ、時折淡々と朗読される『変身』(原田義人訳)の一節が冷徹な空気を醸し出し、パロディに陥らない効果を上げている。今回初めてのMSP参加のキャストもあるが実に達者で、それでいて嫌味がない。

☆『秋の夜の夢』―樋口一葉✕W.シェイクスピア
 ふた組の男女が大騒動を経て、それぞれふさわしい相手と無事に結ばれるのが『夏の夜の夢』だが、本作はそれから数年後、デミートリアスと結婚し、息子を産んで幸せに暮らしているはずのハーミアが突然実家の父親を訪ねてくる場にはじまる。思いつめた様子にはただならぬ事情があるらしい…。恋人たちの後日譚に、樋口一葉の『十三夜』を重ねた一編である。『十三夜』は久保田万太郎脚色の舞台の観劇(2003年1月文学座勉強会/当ブログ開設前、2012年3月みつわ会公演、2014年9月文学座有志による朗読公演、2021年12月新派リーディング)が自分の大切な宝であり、いささか警戒しつつの観劇であったが、結果すべては杞憂であった。 

 まず原作の読み込みが深く、丁寧に脚色してあること、次に台詞を大切に扱い、やりとりの間合いも十分にとって濃密な劇空間を構築した辛抱強い演出と、それに応えた俳優の健闘がその理由である。ハーミアの父親はいわば老け役なのだが、技巧に走らない誠実な造形であったし、父親に説得されて離婚を思いとどまったハーミアが、帰り道で辻馬車の御者となった昔の恋人ライサンダーと再会し、吐息がかかるほどに近づきながら遂に触れあわないシーンなど、息をつまるようであった。辛い別離であるが、自分の左手を見つめるライサンダー(かつて画家だったという設定)の眼には光が宿り、希望を感じさせる終幕である。

 プラチナネクストの『十二夜』と本作のはしご観劇はたんなるスケジュールの偶然ではなく、必然かもしれない。人の世には目に見えるものがあり、その裏には目に見えづらい秘めたものがある。屈託のない祝祭的な大団円の『十二夜』を素直に楽しんだ同じ日に一筋縄ではゆかない人生の苦悩を描いた『短夜、夢ふたつ』に出会えたのは、満月の前夜の贈り物だ。老若男女をひたすらな夢へと駆り立てる演劇を客席から見つめる幸福を改めて感謝する一日であった。
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