因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団印象-indian elephant- 20周年記念 第30回公演『犬と独裁者』

2023-07-21 | 舞台
*鈴木アツト作・演出 公式サイトはこちら 30日まで 下北沢・駅前劇場 1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27,28,29,30)ウクライナのキーウに生まれ、革命時代のソ連で活動した劇作家・小説家のミハイル・ブルガーコフ(1891-1940 Wikipedia)が主人公である。『巨匠とマルガリータ』、『犬の心臓』などで知られるが、1927年ころから反革命、反体制の思想ゆえ作品が発表できずに不遇な日々を送った。今回の『犬と独裁者』は、1938年、ブルガーコフがモスクワ芸術座からスターリン(1878-1953 Wikipedia)の評伝劇執筆の依頼を受けるところから始まり、心身を病んで亡くなるまでの2年間が描かれる。

 鈴木アツトは当日リーフレット掲載の挨拶文において、「おそらく、ブルガーコフは、『スターリンが神学校の生徒だった時代にグルジア語で詩を書いていたこと』は知らなかった。詩人スターリンとブルガーコフとのやりとり、彼が詩人スターリンを題材にしようとしたこと等は、私の創作である」と記しているが、実在した人物とその周辺の史実を丹念に調べ、そこに自らの創作や想像を絡めて劇世界を構築する手並みは力強く、休憩無しの2時間あまりを一気に見せた。

 ブルガーコフ役の玉置祐也でまず思い出すのは、所属する演劇集団円公演『ピローマン』(2022年3月)だ。両親からの虐待によって知的障害を負い、精神状態が目まぐるしく変化する青年を演じた。「役作りの手順を感じさせない」ところ、つまり演技の手の内、造形の手つきを見せないところが良い。そのためだろうか、直近に観劇した今年3月の『ペリクリーズ』での女郎屋の客引きポールトには、玉置ならまた別の表現があると思われる。劇団印象への出演作を観るのは劇作家鈴木アツトにとって大きな転換となった『エーリヒ・ケストナー-消された名前-』(2020年12月)の主演以来2度目だろうか。劇作家の意志をより深く理解し、繊細で緻密だが、やはり演技の手つきや手順を見せない造形が好ましく、今後もさまざまな作品への出演を期待したい。

 主人公と同じく重要なのが「ソソ」役である。ブルガーコフの妄想が生み出したかのように彼にしか見えないが、劇が進むにつれてごく日常の場面にも普通に登場し、やがてブルガーコフの精神を蝕む存在に変貌する。振り幅の大きな役だが、演じる武田知久(文学座)は最初は軽妙でコミカル、次第に不気味で暴力的に変容するさまを表現し、リアルな人物たちの物語に投げ込まれる存在にありがちなあざとさのない演技でブルガーコフはもちろん観客をも翻弄する。最後まで登場しないスターリン、やがてはレーニンの存在までを炙り出し、独裁政権下での作家の葛藤、自由な創作への渇望を想像させるのである。

 ブルガーコフの前の妻で編集者のリュボフィ(金井由妃/劇団民藝)は、別れた夫に未練たっぷり、現在の妻であるエレーナ(佐乃美千子)に嫉妬しつつ、編集者として作家・ブルガーコフが作品を書き上げることを願っている。二人の女性のやりとりには下世話な面もあるが、それだけブルガーコフが魅力的であることの証左だろう。玉置演じるブルガーコフには得も言われぬ色気があり、納得させられる。モスクワ芸術座の文芸部長であり、女優のワルワーラ(矢代朝子)、舞台美術家のウラジーミル(二條正士)は、独裁者スターリンが君臨する世にあって、芸術を守り、劇作家の志を支えようとする。いずれも適材適所の好配役で、外国人を演じている不自然なところがほとんど感じられない。

 あまりに大きいのですぐにはわからないが、舞台には人間の眼球が描かれている。眼球の中心に当たる部分に書棚があり、ソソが出入りする不思議な穴である。ブルガーコフの病んだ目の象徴であり、彼の創作の様子を凝視する当局あるいはスターリンの目…というのは読みすぎだろうか。

 鈴木アツトの次なる挑戦がどの人物に向かうのかはわからないが、丁寧な取材を基に大胆に筆を奮い、よき演じ手を得て力強い歩みが続け、多くの先輩劇作家とは違う評伝劇を心待ちにしている。
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