因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝公演『ミツバチとさくら』

2024-09-28 | 舞台
*ふたくちつよし作 中島裕一郎演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA 10月7日まで
 『あした天気になぁれ』、『霞晴れたら』、『野の花ものがたり』に続いて、ふたくちつよしが民藝に書き下ろしたのは、母とその4人の娘たち、その夫や娘、友人、元教師だった母の教え子たちによる賑やかな会話劇である。自分は2017年の『野の花ものがたり』に次ぐ2作目の観劇となった。

 ミツバチとさくら。この題名が意味するものは何なのかを、ゆったりと温かく解き明かす物語である。

 母の松永邦子(樫山文枝)は元中学の教師だったが2年間で結婚退職し、ずっと専業主婦として家族を支えてきた。夫・義彦の七回忌法要を控え、日にちを1週間まちがえてやってきた妹の啓子(白石珠江)、大学でミツバチの研究に勤しむ四女史香(金井由妃)のやりとりに始まる。やがて離婚して実家に戻り、目下休職中の三女麻美(藤巻るも)もハローワークから帰ってくる。そこへ義彦の親友の長岡孝雄(佐々木梅治)が喪服で登場、何と彼も法要の日にちを間違えたのだ。

 物語の序幕はとかく情報量が多く、登場人物の相関関係や過去の事情、背景など、台詞を聴いて頭を整理するのが大変な場合が少なくないが、おっとりと上品な邦子、あわて者の啓子、結婚する気が全くないマイペースの史香の会話は、軽快でテンポもよいが、観客の理解を急かすところがなく、松永家の様子が自然に頭に入って来る。この安心感が本作の基調を成す。題材の扱い方によっては緊張感の高い、少々怖い話にもなり得るが、そこは好みが分かれるところだろう。

 次女の志織(飯野遠)は、亡父の部下であった澄男(大野裕生)と結婚し、子どももいる。志織が妹たちに母と家の今後について話し合おうと提案したことから、物語はいささか困った方向へ転回しはじめ、そこから家族と絶縁状態にある長女の佐和(中地美佐子)との確執が炙り出される。

 わずか2年の教師生活であったのに、教え子たちが毎年同窓会を開き、先生と一緒に旅行するほど親密であるとは稀有なことであろう。しかし邦子が纏う風情はそれを不自然と思わせない。しっかり中年になった教え子たちが先生を囲んで酒盛りをする場面では、昔のエピソードはいくつか語られるものの、それに凭れない。これこれこういうことがあったからという理詰めではない説得力がある。旅先の解放感や酒が入っていることもあって、教え子たちの造形はやや戯画的であるが、それに全く左右されない邦子の受けの姿勢のためであろう。

 実は密かに、中盤以降、教え子たちも松永家を訪れて、ぶつかりあう家族の関係に何らかの影響を与えるのでは?と予想した。あの宴会の場面が宙に浮いてしまうのは勿体なく、邦子を慕う教え子たちの素面の様子(おそらくしっかり者で世話好きと思われる)も知りたいのだ。
 
 家族というもののぬくもりと、それゆえに厄介なところや、長年の確執が溶けてゆくまでを誠実に描いた佳品である。若手、中堅、ベテランまで適材適所の配役は危なげなく、特に白石珠江が演じる啓子がおもしろい。どこの親戚にも一人は居そうな、あわて者で少々素っ頓狂な叔母さん。しかし優等生風の母とは違う叔母のことを四姉妹はたぶん大好きで、啓子の存在に救われてきたこともあるのではないだろうか。

 親も老い、自分自身もやがて老いる。劇中の「人生100年時代」という台詞や松永家を中心とする人々の様相に勇気づけられもし、それでもやはり不安は消えないが、劇中語られたミツバチの「共生」と、さくらの「接ぎ木」のことはおそらく折に触れて思い出されるだろう。
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