*河竹黙阿弥作 木ノ下裕一監修・補綴 杉原邦生演出(KUNIO)公式サイトはこちら 東京芸術劇場 プレイハウス 29日まで その後まつもと市民芸術館、三重会館、兵庫県立芸術文化センターを巡演
木ノ下歌舞伎では2014年初演、2015年再演の歩みを進めていたが、コロナ禍のために2020年の再再演は叶わなかった。4年ののち、2020年版台本からの再補綴、再演出を以てこのたびの上演となった。
5時間20分の上演時間は歌舞伎公演よりも長く、観劇前は楽しみと同じほど心配もあった。作り手側がSNSなどでしきりに発信していたように「あっという間です」とは言えないものの、終わってみればやはり「あっという間」であるような不思議な感覚がある。もちろん疲労はあるが良き手応えによる心地よいもの。誰にでも勧められないが、迷っておられるなら是非に。
歌舞伎の演技を完全コピーした「完コピ稽古」を経て肉づけし、そぎ落とすという、一見二度手間のようで効率が悪いように思われるが、歌舞伎の真似でも亜流でもなく、木ノ下歌舞伎のスタイルが確立されていること、歌舞伎観劇の経験や知識がなくとも楽しめること、それらがあれば楽しみはいっそう深まり、歌舞伎そのものの見方にも良き影響を与えること等々を確信した。
歌舞伎の初演以来ほぼ150年ぶりに復活させたという「地獄」の場面は舞台装置も衣装も演技も思い切り遊んだ作りだ。のびのびと自由なところは客席の緊張を解き、リラックスさせる効果を上げていたが、もし本作再演の機会が訪れたなら、また別のアプローチ(例えばあまり遊ばない版)を期待する。
実を言うと、数えるほどしか観劇体験のないコクーン歌舞伎に対して、曰く言い難い違和感があったのである(brog記事は『天日坊』のみ)。現役バリバリの歌舞伎俳優に現代劇の俳優が加わり、劇場の機構(舞台、客席、ロビーまで)も大いに活かして本家本元の歌舞伎公演ではできない演出は確かに刺激的で客席も盛り上がる。しかし野暮と思いつつも、たとえば終幕にこれほどの紙吹雪が、トランペッターが何人も並んでの生演奏が果たしてほんとうに必要なのか?というあたりで躓いてしまうのである。
はじめて観劇した木ノ下歌舞伎の『勧進帳』、そしてこのたびの『三人吉三廓初買』は、この違和感を明確にするための道筋を示してくれたと思う。古典と現代劇の融合を超えて、長い年月を経てなお完全に解き明かせない人間の心の様相や、その人間一人ひとりによって形成される世界、歴史が語りかけるものが感じ取れるのだ。
主宰の木ノ下裕一は、当日無料配布のパンフレットに「(本作は)居場所をめぐる物語」と記す。実家とは絶縁、あるいは取り潰し、あるいは捨てられた三人の「吉三」が義兄弟の契りを結ぶ。周囲の人々それぞれの思惑(こんな単純な言い方はできないのだが)に翻弄されながら懸命に生き抜こうとする。寄る辺のない者たちが、「居場所」を求めて疾走し、散りゆくすがたは痛ましく、哀切極まる終幕には思わず涙。わたしはどうしてここで泣くのだろう?
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