*池谷薫監督 イメージフォーラム
大変な映画をみた。オダギリジョーも鈴木京香もぶっとんでしまった。太平洋戦争が終わったとき、中国の山西省にいた日本軍のうち、約2600人が武装解除を受けることなく中国国民党系の軍閥に合流して4年間共産党軍と戦った。生き残って帰国した人々は、自分たちが自らの意志で現地に残り、勝手に戦争を続けたと見なされ、軍籍を抹消され、補償や恩給の対象から除外されていることを知る。残留は司令官の命令によるものであり、その司令官は戦犯追及を逃れるために、軍閥の将軍と密約を交わして部下を売り渡したというから驚く。映画は元残留兵奥村和一さんが訴訟を続け、司令官の密約の証拠を探すために中国へ赴く姿を描く。
辛い戦争を生き延びたのに、その苦労が理解されず報われないことの悔しさ、このままでは死んでも死にきれないという執念が画面から伝わってくる。残留兵はまぎれもなく、戦争の被害者である。と同時に中国の人々にとっては加害者であるということから本作は目を背けない。日本軍には初年兵の度胸試しと称して中国人を殺させる訓練があり、奥村さんもそれをやらされた。奥村さんはその処刑場の跡地へ行き、さらに殺された中国人の遺族を捜して会う。奥村さんが遺族に対していささかきつい口調で詰め寄るようなところがあり、「ああ、この人は日本軍の兵隊だったのだ」と思わせられた。しかしカメラは奥村さんがそのことを深く後悔し、考え込む表情を映し出しており、ほっとすると同時に戦争体験が人に残す傷の深さを実感した。
日本軍に拉致されて慰安婦にされた中国人女性と奥村さんが言葉をかわす。人を殺したことを妻に言えないという奥村さんに、女性は「話したほうがいい。今のあなたは悪人には見えません」と優しく語りかける。こう言えるまでにこの女性はどれほど苦しんだのだろうか。奥村さんは少し涙ぐんだような、とても柔らかい表情を見せる。
映画の前日、NHKスペシャル『硫黄島玉砕戦』をみた。地獄のような死闘を生き残った元兵士が自分の体験したことを心身引き裂くような思いで書き残し、言い残そうとしている様子が描かれていた。思い出したくない、けれど自分が何かしなければ、死んでいった戦友たちが浮かばれない。60年も前のことがいまだ生傷のように心を苛む。自分たちがなぜあんな目に遭わなければならなかったのか、生きてきた意味は何なのか。
人が生きるところに必ず諍いがあり、その最たるものが戦争である。人が存在する限り、戦争はなくならないのではないかと絶望的になる。しかし戦争によって人がこれほど悲しみ、苦しむ姿を知ると、まことに月並みな表現だが、戦争はあってはならない、不自然で理不尽なものだと思う。こんなひどいものが「起こっても仕方ないもの」でいいわけがない。人は争うのではなく、互いに理解しあい愛し合うことが最も自然で望ましいことであり、そうできるように作られているはずだ。そう思いたい。
大変な映画をみた。オダギリジョーも鈴木京香もぶっとんでしまった。太平洋戦争が終わったとき、中国の山西省にいた日本軍のうち、約2600人が武装解除を受けることなく中国国民党系の軍閥に合流して4年間共産党軍と戦った。生き残って帰国した人々は、自分たちが自らの意志で現地に残り、勝手に戦争を続けたと見なされ、軍籍を抹消され、補償や恩給の対象から除外されていることを知る。残留は司令官の命令によるものであり、その司令官は戦犯追及を逃れるために、軍閥の将軍と密約を交わして部下を売り渡したというから驚く。映画は元残留兵奥村和一さんが訴訟を続け、司令官の密約の証拠を探すために中国へ赴く姿を描く。
辛い戦争を生き延びたのに、その苦労が理解されず報われないことの悔しさ、このままでは死んでも死にきれないという執念が画面から伝わってくる。残留兵はまぎれもなく、戦争の被害者である。と同時に中国の人々にとっては加害者であるということから本作は目を背けない。日本軍には初年兵の度胸試しと称して中国人を殺させる訓練があり、奥村さんもそれをやらされた。奥村さんはその処刑場の跡地へ行き、さらに殺された中国人の遺族を捜して会う。奥村さんが遺族に対していささかきつい口調で詰め寄るようなところがあり、「ああ、この人は日本軍の兵隊だったのだ」と思わせられた。しかしカメラは奥村さんがそのことを深く後悔し、考え込む表情を映し出しており、ほっとすると同時に戦争体験が人に残す傷の深さを実感した。
日本軍に拉致されて慰安婦にされた中国人女性と奥村さんが言葉をかわす。人を殺したことを妻に言えないという奥村さんに、女性は「話したほうがいい。今のあなたは悪人には見えません」と優しく語りかける。こう言えるまでにこの女性はどれほど苦しんだのだろうか。奥村さんは少し涙ぐんだような、とても柔らかい表情を見せる。
映画の前日、NHKスペシャル『硫黄島玉砕戦』をみた。地獄のような死闘を生き残った元兵士が自分の体験したことを心身引き裂くような思いで書き残し、言い残そうとしている様子が描かれていた。思い出したくない、けれど自分が何かしなければ、死んでいった戦友たちが浮かばれない。60年も前のことがいまだ生傷のように心を苛む。自分たちがなぜあんな目に遭わなければならなかったのか、生きてきた意味は何なのか。
人が生きるところに必ず諍いがあり、その最たるものが戦争である。人が存在する限り、戦争はなくならないのではないかと絶望的になる。しかし戦争によって人がこれほど悲しみ、苦しむ姿を知ると、まことに月並みな表現だが、戦争はあってはならない、不自然で理不尽なものだと思う。こんなひどいものが「起こっても仕方ないもの」でいいわけがない。人は争うのではなく、互いに理解しあい愛し合うことが最も自然で望ましいことであり、そうできるように作られているはずだ。そう思いたい。
大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。
ときどき寄ってみてください。
蟻の兵隊もとりあげました。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611