ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

伊能小図-「はたらくくるま大集合!」会場で

2017年10月16日 05時36分22秒 | Weblog
 14日(土)、東条湖おもちゃ王国の駐車場で開催された「はたらくくるま大集合!」の会場に、神戸市立博物館の移動展示車が出展され、展示物などを紹介していました。その一つに、伊能小図西日本とよばれる地図の拡大図が展示されていました。
 西日本の測量で通った道が赤い線で描かれ、大きな矢印マークの先を見ると、加東市域の丹波道が描かれていました。清水寺、鴨川、馬瀬、三草、木梨、社、鳥居、貝原、河高、青原、繁昌、中野、笠原・・・と加東郡から加西郡の村の名が書き込まれていました。係の方のお話によれば、加東市域でも丹波道を通っています、ということでした。
 伊能忠敬e史料館(インターネット)で測量行程を調べてみると、丹波道を通ったのは、第7次測量の時、文化8年3月の頃で、6日に社村、本陣福田屋喜左衛門、脇隅屋弥兵衛に、7日に上鴨川村の本陣、庄屋宇左衛門、別宿、百姓喜右衛門宅に宿泊していることがわかりました。コースは淡河から三木、加西を経て、丹波道を社、鴨川を通り、三田へと向かっています。文化8年といえば、西暦1811年ですから206年前。日本に異国船が次々とやってきた頃で、伊能忠敬が66歳の時でした。

 
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