英語の詩を日本語で
English Poetry in Japanese
Yeats, "Those Dancing Days Are Gone"
ウィリアム・バトラー・イェイツ (1865-1939)
「踊るような日々は過ぎ去って」
ねえ、耳元で歌っていい?
踊るような日々は過ぎ去って、
シルクやサテンの服も
石の上でしゃがんでいる。
きたないからだをつつむ
きたないボロ布のように。
ね、聴いて--ぼくの金のコップには太陽が、
銀の袋には月がある--
どれだけ君にけなされても最後まで歌うよ。
あのゴロツキ野郎、
君をいちばんよろこばせたあの野郎と、
彼に産んだ子どもたちが、
どこかでじっとコマみたいに寝てたって、もうどうでもいいよね?
どこかの大理石の敷石の下で。
ね、聴いて--ぼくの金のコップには太陽が、
銀の袋には月がある--
今日、よく考えた。
真っ昼間に、
もうカッコつけるのはやめよう。
杖をついてる男は、
歌って、くたばるまで歌って、いればいい。
若い女の子や、いじわるなばあさんに。
こんな感じで--ぼくの金のコップには太陽が、
銀の袋には月がある--
* * *
(別の口調で。)
のう、耳元で歌っていいかの?
踊るような日々は過ぎ去っての、
シルクやサテンの服も
石の上でしゃがんじまって。
まるできたないからだをつつむ
きたないボロ布じゃ。
さ、聴いてくれ--わしの金のコップには太陽が、
銀の袋には月がある--
どんだけけなされても最後まで歌うからの。
あのゴロツキ野郎、
君をいちばんよろこばせたあの野郎と、
彼に産んだ子どもたちが、
どこかでじーっとコマみたいに寝てたって、もうどうでもよかろ?
どこかの大理石の敷石の下での。
さ、聴いてくれ--わしの金のコップには太陽が、
銀の袋には月がある--
今日、よーく考えたんじゃ。
真っ昼間に、
もうカッコつけるのはやめよってな。
杖をついてるじいさんは、
歌っていれば、くたばるまで歌っていれば、いいってな。
若い女の子や、いじわるなばあさんにさ。
こんな感じにじゃ--わしの金のコップには太陽が、
銀の袋には月がある--
* * *
William Butler Yeats
"Those Dancing Days Are Gone"
Come, let me sing into your ear;
Those dancing days are gone,
All that silk and satin gear;
Crouch upon a stone,
Wrapping that foul body up
In as foul a rag:
I carry the sun in a golden cup.
The moon in a silver bag.
Curse as you may I sing it through;
What matter if the knave
That the most could pleasure you,
The children that he gave,
Are somewhere sleeping like a top
Under a marble flag?
I carry the sun in a golden cup.
The moon in a silver bag.
I thought it out this very day.
Noon upon the clock,
A man may put pretence away
Who leans upon a stick,
May sing, and sing until he drop,
Whether to maid or hag:
I carry the sun in a golden cup,
The moon in a silver bag.
* * *
1-6, 9-14
いろいろ構文的に不明確だが、内容としては、
男性の老人である「わたし」が、夫や子どもを亡くして
そのお墓のところに来ている女性の老人である「君」に対して、
軽口、憎まれ口をたたきつつ口説いているようす。
この男性は昔からこの女性が好きで、という
イェイツの生涯にも重なる設定。(たぶん。)
3-4
3行目末のセミコロンで区切られているが、
上の訳では、主部=All that silk and satin gear
述部=Crouch upon a stoneとして解釈。
かつてはシルクやサテンの服で着かざっていたような
「君」が、今は年老いて、そして夫の墓(地面に埋まっている
敷石=flagのようなタイプ)のところに来てその死を悼んでいる、
そんなようす。
それに対して「わたし」が、ボロな体をボロに包んで、
と憎まれ口をたたいているのが5-6行目。
4 stone
ここでは、墓石のこと。14行目のmarble flagと同じ。
こういうタイプ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/71/d2/887f1d9ae689c2cb6a031f2ad292a568_s.jpg)
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Roger_Casement-Grave_in_Glasnevin.jpg
10 the knave
「君」と呼ばれている女性の夫のこと。
13 sleeping like a top
Sleep like a topは慣用句。うまくまわしたコマは
まったく動いていないように見えるが、そのように
じっと、まったく動かずにぐっすり眠る、ということ。
ここでは、死んで、墓石の下で。
* * *
別に、具体的な場面を想像する必要もないだろうが、
こういうのは、やはり時と場合と自分の資質と、
それから相手との関係によって、アリだったり
ナシだったりするはず。
それにしても、すごいふっきれ方だな、と。
* * *
この詩は、カーラ・ブルーニ、『ノー・プロミセズ』
(Carla Bruni, No Promises, 2007)の一曲目に
とりあげられている。
これは、イェイツ、オーデンなどの詩に(確か)ブルーニ自身が
曲をつけて、ギターで弾き語りに近い音で演奏したアルバム。
(確か、ギターを弾いているのもブルーニ。)
(国会図書館の所蔵データ)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008548338-00
ブルーニのような女性の場合、歌詞や曲や音に関係ないかたちで
注目されてしまうが、これは、静かで飾り気のない、いいアルバム。
特に複雑なことは考えず、好きな音楽を好きなように、
無理なくできる範囲で、演奏している感じ。
(売れなくてもいい人の余裕というか。ブルーニは、モデルで
ミュージシャンで、フランスの元大統領サルコジ氏の奥さん。)
* * *
英文テクストはYeats, Collected Poems (1956) より。
http://www.ota.ox.ac.uk/text/3019.html
* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を参照する際には、
このサイトの作者、タイトル、URL, 閲覧日など必要な事項を必ず記し、
剽窃行為のないようにしてください。
「踊るような日々は過ぎ去って」
ねえ、耳元で歌っていい?
踊るような日々は過ぎ去って、
シルクやサテンの服も
石の上でしゃがんでいる。
きたないからだをつつむ
きたないボロ布のように。
ね、聴いて--ぼくの金のコップには太陽が、
銀の袋には月がある--
どれだけ君にけなされても最後まで歌うよ。
あのゴロツキ野郎、
君をいちばんよろこばせたあの野郎と、
彼に産んだ子どもたちが、
どこかでじっとコマみたいに寝てたって、もうどうでもいいよね?
どこかの大理石の敷石の下で。
ね、聴いて--ぼくの金のコップには太陽が、
銀の袋には月がある--
今日、よく考えた。
真っ昼間に、
もうカッコつけるのはやめよう。
杖をついてる男は、
歌って、くたばるまで歌って、いればいい。
若い女の子や、いじわるなばあさんに。
こんな感じで--ぼくの金のコップには太陽が、
銀の袋には月がある--
* * *
(別の口調で。)
のう、耳元で歌っていいかの?
踊るような日々は過ぎ去っての、
シルクやサテンの服も
石の上でしゃがんじまって。
まるできたないからだをつつむ
きたないボロ布じゃ。
さ、聴いてくれ--わしの金のコップには太陽が、
銀の袋には月がある--
どんだけけなされても最後まで歌うからの。
あのゴロツキ野郎、
君をいちばんよろこばせたあの野郎と、
彼に産んだ子どもたちが、
どこかでじーっとコマみたいに寝てたって、もうどうでもよかろ?
どこかの大理石の敷石の下での。
さ、聴いてくれ--わしの金のコップには太陽が、
銀の袋には月がある--
今日、よーく考えたんじゃ。
真っ昼間に、
もうカッコつけるのはやめよってな。
杖をついてるじいさんは、
歌っていれば、くたばるまで歌っていれば、いいってな。
若い女の子や、いじわるなばあさんにさ。
こんな感じにじゃ--わしの金のコップには太陽が、
銀の袋には月がある--
* * *
William Butler Yeats
"Those Dancing Days Are Gone"
Come, let me sing into your ear;
Those dancing days are gone,
All that silk and satin gear;
Crouch upon a stone,
Wrapping that foul body up
In as foul a rag:
I carry the sun in a golden cup.
The moon in a silver bag.
Curse as you may I sing it through;
What matter if the knave
That the most could pleasure you,
The children that he gave,
Are somewhere sleeping like a top
Under a marble flag?
I carry the sun in a golden cup.
The moon in a silver bag.
I thought it out this very day.
Noon upon the clock,
A man may put pretence away
Who leans upon a stick,
May sing, and sing until he drop,
Whether to maid or hag:
I carry the sun in a golden cup,
The moon in a silver bag.
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1-6, 9-14
いろいろ構文的に不明確だが、内容としては、
男性の老人である「わたし」が、夫や子どもを亡くして
そのお墓のところに来ている女性の老人である「君」に対して、
軽口、憎まれ口をたたきつつ口説いているようす。
この男性は昔からこの女性が好きで、という
イェイツの生涯にも重なる設定。(たぶん。)
3-4
3行目末のセミコロンで区切られているが、
上の訳では、主部=All that silk and satin gear
述部=Crouch upon a stoneとして解釈。
かつてはシルクやサテンの服で着かざっていたような
「君」が、今は年老いて、そして夫の墓(地面に埋まっている
敷石=flagのようなタイプ)のところに来てその死を悼んでいる、
そんなようす。
それに対して「わたし」が、ボロな体をボロに包んで、
と憎まれ口をたたいているのが5-6行目。
4 stone
ここでは、墓石のこと。14行目のmarble flagと同じ。
こういうタイプ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/71/d2/887f1d9ae689c2cb6a031f2ad292a568_s.jpg)
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Roger_Casement-Grave_in_Glasnevin.jpg
10 the knave
「君」と呼ばれている女性の夫のこと。
13 sleeping like a top
Sleep like a topは慣用句。うまくまわしたコマは
まったく動いていないように見えるが、そのように
じっと、まったく動かずにぐっすり眠る、ということ。
ここでは、死んで、墓石の下で。
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別に、具体的な場面を想像する必要もないだろうが、
こういうのは、やはり時と場合と自分の資質と、
それから相手との関係によって、アリだったり
ナシだったりするはず。
それにしても、すごいふっきれ方だな、と。
* * *
この詩は、カーラ・ブルーニ、『ノー・プロミセズ』
(Carla Bruni, No Promises, 2007)の一曲目に
とりあげられている。
これは、イェイツ、オーデンなどの詩に(確か)ブルーニ自身が
曲をつけて、ギターで弾き語りに近い音で演奏したアルバム。
(確か、ギターを弾いているのもブルーニ。)
(国会図書館の所蔵データ)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008548338-00
ブルーニのような女性の場合、歌詞や曲や音に関係ないかたちで
注目されてしまうが、これは、静かで飾り気のない、いいアルバム。
特に複雑なことは考えず、好きな音楽を好きなように、
無理なくできる範囲で、演奏している感じ。
(売れなくてもいい人の余裕というか。ブルーニは、モデルで
ミュージシャンで、フランスの元大統領サルコジ氏の奥さん。)
* * *
英文テクストはYeats, Collected Poems (1956) より。
http://www.ota.ox.ac.uk/text/3019.html
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学生の方など、自分の研究/発表のために上記を参照する際には、
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剽窃行為のないようにしてください。
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