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Marvell, "Eyes and Tears"

アンドルー・マーヴェル (1621-1678)
「目と涙」

I.
自然はなんと思慮深く定めたことか、
同じ目が、見て、涙を流すとは。
つまらないものを見たとき、
すぐに悲しみ、泣くことができるように!
(1-4)

II.
みずからをあざむく目は、
間違った角度から見て高さをはかるが、
すべてをより正確にはかる涙は、
水でできた糸つきのおもりのように、まっすぐ落ちる。
(5-8)

III.
二滴の涙--その重さを、長いあいだ悲しみが
両目という天秤にかけてはかり、
同じ重さにして同時に流し出した--
この涙が、わたしのよろこびすべての代償。
(9-12)

IV.
この世で最も美しく見えるもの、
そう、笑顔ですら、涙に変わる。
大切にされる宝石も、みな
目からのペンダントのなかで溶ける。
(13-16)

V.
わたしはいろいろな庭を歩いた、
赤、白、緑のなかを。
しかし、そんな花から吸ってできたのは、
蜂蜜ではなく、涙だけ。
(17-20)

VI.
すべてを見わたす太陽は、毎日、
光の錬金術で世界の魂を抽出する。
が、この魂は、涙のような、ただの雨なので、
太陽は、あわれみ、すぐに注ぎ返してくれる。
(21-24)

VII.
悲しみが守ってくれる人は幸せだ。
涙を流せば流すほど、ものが見えなくなるのだから。
より正しくものをみるために、
いつも目をその露で洗っているのだから。
(25-28)

VIII.
マグダラのマリアは悔い改めて泣き、
人をとりこにするその目を涙に溶かした。
その液状の鎖は、流れて集まり、
あがない主キリストの足に枷をつけた。
(29-32)

IX.
荷をいっぱい積んで家に向かう船の、風を受けてふくらむ帆も、
貞節な貴婦人の、子を孕む子宮も、
子を孕んでふくらんだ月の女神シンシアも、それほど
美しくはない、泣きはらしたふたつの目にくらべれば。
(33-36)

X.
火花のように欲望を放つまなざしも、
この涙の波に浸されれば炎を失う。
そう、雷をもつあのゼウスですら、しばしばあわれみ、
その稲妻を涙に浸してジューッと消す。
(37-40)

XI.
香の煙が天に届くのは、
香りとしてではなく、涙として。
星たちが、夜、きれいなのは、
光でできた涙の粒に見えるから。
(41-44)

XII.
だから開け、わたしの目よ、おまえのふたつの水門を。
そして、もっとも気高いかたちで自分を使うがいい。
なぜなら、他のものの目も見たり、眠ったりできるが、
人間の目だけ、泣くことができるのだから。
(45-48)

XIII.
さあ、ふたつの雲のように、溶けて、滴れ・・・・・・
ひとつひとつの涙のあいだに、少し止まって時間を空けて。
さあ、ふたつの泉のように、つづけて、線をなすように流れるがいい。
さあ、ふたつの洪水のように、あふれて、沈めるのだ。
(49-52)

XIV.
そうして、おまえから流れる川で、おまえの泉を流してしまえ。
目と涙が、同じひとつのものとなるように、
目と涙が、それぞれの特徴を交換するように、
目が流れ出し、そして涙がものを見るように。
(53-56)

* * *
Andrew Marvell
"Eyes and Tears"

I.
How wisely Nature did decree,
With the same eyes to weep and see,
That, having viewed the object vain,
They might be ready to complain!
(1-4)

II.
And, since the self-deluding sight,
In a false angle takes each height,
These tears, which better measure all,
Like watery lines and plummets fall.
(5-8)

III.
Two tears, which sorrow long did weigh,
Within the scales of either eye,
And then paid out in equal poise,
Are the true price of all my joys.
(9-12)

IV.
What in the world most fair appears,
Yea, even laughter, turns to tears,
And all the jewels which we prize,
Melt in these pendants of the eyes.
(13-16)

V.
I have through every garden been,
Amongst the red, the white, the green,
And yet from all those flowers I saw,
No honey, but these tears could draw.
(17-20)

VI.
So the all-seeing sun each day,
Distils the world with chymic ray,
But finds the essence only showers,
Which straight in pity back he pours.
(21-24)

VII.
Yet happy they whom grief doth bless,
That weep the more, and see the less,
And, to preserve their sight more true,
Bathe still their eyes in their own dew.
(25-28)

VIII.
*So Magdalen in tears more wise
Dissolved those captivating eyes,
Whose liquid chains could flowing meet
To fetter her Redeemer's feet.
(29-32)

IX.
Not full sails hasting loaden home,
Nor the chaste lady's pregnant womb,
Nor Cynthia teeming shows so fair
As two eyes swollen with weeping are.
(33-36)

X.
The sparkling glance that shoots desire,
Drenched in these waves, does lose its fire,
Yea oft the Thunderer pity takes,
And here the hissing lightning slakes.
(37-40)

XI.
The incense was to heaven dear,
Not as a perfume, but a tear,
And stars shew lovely in the night,
But as they seem the tears of light.
(41-44)

XII.
Ope then, mine eyes, your double sluice,
And practise so your noblest use ;
For others too can see, or sleep,
But only human eyes can weep.
(45-48)

XIII.
Now, like two clouds dissolving, drop,
And at each tear, in distance stop;
Now, like two fountains, trickle down;
Now like two floods o'errun and drown:
(49-52)

XIV.
Thus let your streams o'erflow your spring,
Till eyes and tears be the same things,
And each the other's difference bears,
These weeping eyes, those seeing tears.
(52-56)

---
* Magdala, lascivos sic quum dimisit Amantes,
Fervidaque in castas lumina solvit aquas;
Haesit in irriguo lachrymarum compede Christus,
Et tenuit sacros uda Catena pedes.


* * *
以下、訳注と解釈例。

3 vain
「中身が空っぽ」というのがもともとの意味。
そこから、「真の価値がない」、「役に立たない」、
「むなしい」(無駄、結果がともなわない)、
「うぬぼれている」(自分の外見や内面について、
実際以上の価値を見ている)、などの意味が
出てくる。

4 complain
悲しみを見せる、泣き声をあげる(OED 3)

5-8
見る角度によって印象が異なるので、木や建物の
高さは、目では正確にはかれない。それに対し、
糸におもりをつけて水中に垂らせば、それはまっすぐ
水底まで落ちていくので、水深を正しくはかることができる。
そのように、涙は、人にとってものごとがもつ意味を、
目よりも正確にはかることができる。つまり、何かを
見て涙が出るとき、そのものに対する感情は本物、
ということ。

8 watery
a. 水でできた(OED 5)
目から落ちる涙が糸つきのおもりのよう、ということ。
[L]inesは糸。

b. 水に関係する(OED 6)
水に垂らして水深をはかるlines、ということ。

12
(あまり脈略がないが)よろこびの裏で、人は、
悲しみという代償を払っている、ということ。

13-14
(あまり脈略がないが)よろこびは長くはつづかない、
やがて悲しみがやってくる、ということ。

15-16
いろいろな意味が重ねられている:
落ちる涙はペンダントのよう
ペンダントの宝石は涙のよう
涙にうつる宝石は涙とともに流れて消える
涙でかすんで宝石が見えない
宝石よりも涙のほうが美しい、など。

17-20
(あまり脈略がないが)美しいものをいろいろ
見てきた、よろこびをいろいろ経験してきたが、
それでも(その結果?)わたしに残ったのは
悲しみだけ、というようなこと。

21-24
地面/水面から水分が蒸発し、雲になり、雨になって
降ってくる、という自然現象を詩的に表現。
世界の魂/本質/真髄が雨=涙、というところが
ポイント。

27-28
涙で目が洗われて(悲しいに経験により)、
ものごとがはっきり見えるようになる。
(26行目とは正反対のことをいっている。)

29-32
新約聖書中の、いわゆる「マグダラのマリア」と
呼ばれる女性について。伝統的に彼女は、
もともと娼婦であったがイエスに会って
悔い改めた女性とされてきた。


Photo by Flizzz
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
MagdalenaescuelaspiasMadrid2.jpg?uselang=ja
("Detalle de la Magdalena penitente, iglesia de las
Escuelas Pías de San Antón, Madrid" とのこと。
「マドリードの聖アントニオ・・・・・・」

この彫刻で着ている服は、ciliceと呼ばれる
粗い毛織物。着ていると肌が痛い、という苦行用のもの。

英文オリジナルにある "*" は、このスタンザの
ラテン語版が、注記のようなかたちで詩の終わりに
付されていることを記す。

29 wise
「(悔い改めて)正しい判断ができる」ということ。

30
「人をとりこにする目」とは、その目が(性的に)
魅力的であること(娼婦だったから)。
「涙が鎖になってキリストの足をしばりつけた」
とは、第一義的には下記の通り涙でキリストの足を洗った、
ということであるが、さらに他のことも連想させる。

聖書中、マグダラのマリアが登場するエピソードをひとつ。

(口語訳: 次のURLに全文あり--http://ja.
wikisource.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%81%
AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8
(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#.E7.AC.AC7.E7.AB.A0)
---

32 Redeemer
あがなう人。イエス・キリストのこと。
あがなう=罪を償う。イエスは、アダムとイヴの堕落/原罪
(神に逆らって禁断の木の実を食べたこと)以来、
脈々と全人類に受け継がれてきた罪を、その死をもって
ひとりで償った。だから、償う=あがなう人として崇拝される。

---
これは、クリスチャンまたはキリスト教について
ある程度学んだ人でないとピンとこないかと思いますので、
少し補足を。(私はある程度学んできました。)
次のようなシナリオを思い浮かべてください。

(1)
アダムとイヴが原罪を犯す(神に背く)。

(2)
その結果、罰としてこの世に死がもたらされる。

(3)
アダムとイヴの原罪およびふたりにもたらされた死は、
その子孫である全人類に受け継がれることになる。
つまり、私たち人間は、生まれた時から罪びとで、
そしてその罰として死ぬ運命にある。

(4)
が、そんなときにイエスがあらわれ、全人類の罪と
その罰である死を、ひとりで背負って死ぬ。
(たとえば、この世の人口が一億人で、生とともに
受け継いだ罪の罰としてひとり一回刺されて死ぬ運命に
あるとすると、その一億人のかわりにキリストひとりが
一億回刺されて死ぬ、というようなイメージ。
十数年前にわりと話題になった映画『パッション』
--このパッションは「受難」という意味--で、
イエスがズタボロに殴られているのは、ある意味
とても正確な描写。)

(5)
イエスがひとりで罪を償ってくれて、そして
身代わりとなって死んでくれたため、全人類は
(イエスが、キリスト=油を注がれた者=救い主、
であると信じるならは)また無罪の身となり、
死を免れることができるようになる。
(肉体はもちろん死ぬが、最後の審判の後、
魂は神の下で永遠に生きる。)

(6)
というわけで、キリスト教では、イエスが救い主/
あがない主として崇拝される。
---

33-36
このような、なんともいえないシュールな
表現が、マーヴェルの詩には特徴的。
富、妊娠、満月を並べてどんなイメージを
提示したいのか、正直わかりにくい。

34 lady
女性一般(woman)ではなく、高貴な生まれの
(貴族の家の)女性。

35
シンシアとは、月の女神アルテミスのこと。
(彼女が生まれたキュントス山Cynthusより。)

[T]eemingは、「子を孕む、産む」という意味。
加えて、「涙を流す」という意味もあって、
複雑で多層的(OED, 'teeming', ppl. a.1-2)。

さらにいえば、彼女は男嫌いなはず。
(だからこそその妊娠している姿はよけいに
エロティック?)

そしてこれらよりも泣きはらした目がきれいとは
どういうことか。

"Cynthia teeming" は "teeming Cynthia" が
ひっくり返っているだけ。あるいは、"Cynthia,
when she is teeming" という感じ。

37-40
前スタンザと同様に複雑で、より明確にエロティック。
(だが、エロテッィクな内容なはずなのに、
全然エロティックに刺激的ではなく、逆にシュールで、
時として妙に不気味な感じすらただようのが
マーヴェルの詩。) ひとことでいえば、涙を流す
女性に対して、男性は性的な邪念/欲望を
抱かない、ということだが・・・・・・

37
「火花を放つ目」が「(たとえば矢を放つように)
欲望を放つ」というのは、たとえば、女性のキラキラした
目を見ることによって男性は性的欲望を抱く、ということ。
これは、ある意味恋愛/性的な関係に関して定番の表現。
(あなたの瞳がぼくを奴隷にする、というかたちで
攻撃するのが女性で、男性は受け身、といういいかた。)

が、ここでは、女性の目が火花を放つ、欲望を放つ、
というくり返しが、あるいは「欲望を放つ」という
いい方そのものが、必要以上に女性の積極性/攻撃性を暗示。

38
ここの「炎」も同様。内容的には前行の(男性側の)
欲望とつながるはずの「炎」を、あえて女性のまなざしの
「炎」として、女性の積極性/攻撃性を暗示。
ありきたりな表現に対する抵抗。

39-40
ギリシャ/ローマ神話の最高神ゼウス/ユピテルは
雷(いかずち)を武器としてもつ。また彼は、
しょっちゅう地上に降りてきて、人間の女の子を
誘惑したり誘拐したり襲ったりする。
(牛に変身してエウローペーを誘拐し、白鳥に変身して
レーダーを、黄金の雨になってダナエーを襲う、など。)

ここのhissing(「シューシューいう」)という修飾語は、
熱い稲妻が涙に浸された結果のものととらえるべき。
日本語に直訳できない英語表現の一例。

(代換法hypallageや、転移修飾語transferred
epithetの親戚? 日本語でも、たとえば「おいしいレシピ」
という表現の「おいしい」は転移修飾語。おいしいのは
レシピではなく、それにしたがってつくられる料理。)

41-42
神(神々)に祈りを捧げるときに香を焚くが、
そもそもその香の煙自体は、神(神々)にとって
どうでもいい、問題なのは、涙が流れるほどの思いが、
その祈りに含まれているかどうかである、ということ。

43-44
夜空の星はただそれ自体として美しいのではなく、
そこに天の悲しみ(自分の悲しみの反映?)が
見えるから美しい、ということ。

*
スタンザVIIIのラテン語版を英語に直訳(Nigel Smithの
Longman版より)。

Thus Magdalen, when she dismissed her lecherous lovers
dissolved her blazing eyes in chaste waters;
Christ was a prisoner in a watery shackle of tears,
and held his sacred feet in a liquid chain.

(この詩はこのラテン語の一スタンザから発展したとか。)

* * *
テーマは涙だが、心地よい悲しみやほろ苦さに
浸らせてくれない、なんともいえない(本当に
なんともいえない)余韻を残す詩になっている。
悲しく、美しく、知性的で、不思議で、不気味。
17世紀の作品だが、まるで20世紀のシュール
レアリズム以降のもののよう。

マーヴェルは政治家。自分ではほとんど詩を
出版していない。死後、1681年に詩集が出されたが、
それも広く読まれることはなく、20世紀になって
突如高く評価されるようになった。(やはり作風が
現代的ということか。)

* * *
英文テクストは、The Poetical Works of
Andrew Marvell
(1857)より。次のURLより
ダウンロード可-- details/poeticalworksan01lowegoog>。
一部編集。

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を参照する際には、
このサイトのタイトル、URL, 閲覧日など必要な事項を必ず記し、
剽窃行為のないようにしてください。


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Milton, Sonnet XIX ("Methought I saw . . . ")

ジョン・ミルトン (1608-1774)
ソネット XIX (「先日逝った妻に・・・・・・」)

先日逝った、聖人のような妻に会った気がした。
わたしのところに、アルケースティスのように墓から連れ戻されてきていて。
ゼウスの偉大な息子が連れ戻して、その夫を喜ばせたというあの女性のように、
力ずくで死から救い出されて。白く、弱々しく、ではあったが。
妻は、出産のけがれから、
旧約の律法通りの儀式によって洗い清められた人のように、
そして、もう一度、わたしはそう信じているのだが、
天国ではなんの妨げもなく彼女の姿をすべて、完全に見ることができるであろう、そんな姿で、
やってきたのだ。白い服、彼女の心のように純粋な白に身を包んで。
顔にはヴェールがかかっていたが、空想のなかのわたしの目には、
愛と、美しさと、善良さがそこで輝いていた、
本当にはっきりと透き通るように。他の人の顔ではありえないくらいに楽しげに。
だが、ああ、わたしを抱きしめようと彼女がかがみこんたとき、
わたしは目を覚まし、彼女はすっと消え、朝日がわたしの夜を連れ戻した。

* * *

John Milton
Sonnet XIX ("Methought I saw . . . ")

Methought I saw my late espoused Saint
Brought to me like Alcestis from the grave,
Whom Joves great son to her glad Husband gave,
Rescu'd from death by force though pale and faint.
Mine as whom washt from spot of child-bed taint,
Purification in the old Law did save,
And such, as yet once more I trust to have
Full sight of her in Heaven without restraint,
Came vested all in white, pure as her mind:
Her face was vail'd, yet to my fancied sight,
Love, sweetness, goodness, in her person shin'd
So clear, as in no face with more delight.
But O as to embrace me she enclin'd,
I wak'd, she fled, and day brought back my night.

* * *

以下、訳注。

タイトル
1673年詩集に収められなかったソネットも数に入れて、
推定執筆年代順に並べ、このソネットを23番とする数え方も
あるが、個人的にはミルトンがつけた番号にしたがうほうが
いいかと。推定はあくまで推定ということで。

1 Methought
= It seemed to me--(OED, "think" [v1] -->
OED, "methinks"). Walter Raleighに、
"Methought I saw the grave where Laura lay"
という詩があり、また、H. G. という無名の詩人に
"Methought I saw upon Matildas Tombe . . . " という
作品もある。(どちらも16c末のもの。後者は
この本に--<http://www.archive.org/details/
mirrovrofmaiesti00greeuoft>。)

1 late
最近まで生きていた(OED [a1] 5a)--saintにかかる
+ 最近、近頃(OED [adv] 4)--espousedにかかる。

1 late espoused Saint
ミルトンの二番目の妻キャサリンのこと、という説が有力。
キャサリンは、1656年11月にミルトンと結婚し、1657年10月に
長女を出産し、そして、1658年2月に死去。

3 Joves great son
ヘラクレスのこと。

2-4
エウリピデスの『アルケスティス』参照(『ギリシャ悲劇
--エウリピデス--』 筑摩書房、1974年などに所収)。
手元にこの本や他の資料がないので、記憶をたどって
大ざっぱにあらすじを。
---
(1)
テッサリアのアドメートス王は病気(か何か)で死にそうであったが、
(神々との取り決めか何かで)父か母か妻がかわりに死ねば、
彼は生きつづけられることになっていた。

(2)
両親は、死にたくない、という。

(3)
妻であるアルケースティスが身代わりになって死ぬ。

(4)
葬儀をすませたばかりのときに、アドメートスの親友ヘラクレスが
やってくる。アドメートスは、妻の死を隠して、ヘラクレスを
手厚く、陽気にもてなす。

(5)
しかし、妙にしめやかな家のようすに、なんか変だな、と
感づいたヘラクレスは、召使いに事情をたずね、
アルケースティスが死んだことを知る。

(6)
「こんな大変なときに、オレまで悲しませないために
陽気にしてるなんて、あのバカ・・・・・・」と、
意気に感じたヘラクレスは、出て行き、
死神と戦って、アルケースティスをこの世に奪い返す。

(7)
ヘラクレスは、ヴェールを包まれたアルケースティスを
連れてアドメートス家にふたたびやって来て、いう--

ヘラクレス:
ちょっと、おまえに紹介したいカワイコちゃんがいるんだけど。

アドメートス:
いいよ、オレは。

ヘラ:
いやいや、そんなこというなって、絶対気に入るから。

アド:
おいおい、頼むよ、勘弁してくれよ。

ヘラ:
いいからいいから、な、この子の顔、見てみろよ!

アド:
ちょ、待てって、おまえ・・・・・・

は?・・・・・・マジ?・・・・・・

すげー! やったー!
---

5 as whom
= as one whom (OED 5).

5-6
S: Purification in the old Law
V: did save
O: whom
washed . . . taintは分詞構文。
---

5-6
上記の通り、実際ミルトンの二番目の妻キャサリンは、
出産後に亡くなったことから。出産後の清めの儀礼に
ついては、レビ記12章を参照。大ざっぱにまとめると--
---
女性は出産後、次の期間けがれているとされる。

男の子場合:
7日間(+その後33日は聖なるものにふれてはいけない)

女の子の場合:
14日間(+その後66日は聖なるものにふれてはいけない)

その後、祭司が小羊やハトなどをいけにえに捧げる
清めの儀式をして、その女性はふたたび清いものとなる。
---

7 such
副詞--as以下のようなようすで/as以下のような
程度まで(OED "such" [adv] A)。

7-8
ミルトンは1652年頃に失明した、ということがこの節の
背景にある。天国に行ったら彼女の顔が見られる、
しかもなんの妨げもなく、というのは、失明のため、
この世でそれを見ることができなかったから。
下の10-11行目の注も参照。

9 Pure
妻の名キャサリンの語源であるギリシャ語の
katharosという語は、pureという意味。

10
彼女の顔がヴェールに覆われている、というのは、
上記の通りアルケースティスがそうだったから。
加えて、1652年に失明し、1656年にキャサリンと
再婚したミルトンは、キャサリンの顔をまったく知らず、
それを具体的にはまったく想像できないから。
だから・・・・・・

11
妻の顔の特徴として、愛、美しさ、善良さ、という
抽象概念しかあげられない。たとえば、青い瞳、とか、
赤らんだ頬、とかは無理なわけで。

11 person
人の姿。10, 12行目のfaceと同義として解釈。

11-12
愛、美しさ、善良さ、という抽象概念を擬人化し、
それらが妻の顔の上(なか)で楽しそうに、うれしそうに
輝いている、といっている。

14
夢のなかでは目が見えるが、現実には盲目だから、
夢から覚めると真っ暗な世界にいる、ということ。
なお、次の対応にも注目。

ヘラクレスがアルケースティスを連れ戻した。
朝日が夜を連れ戻した。

* * *

以下、ソネット(14行詩)としての形式を確認。

脚韻パターン:
abba abba cdc dcd
イタリア式ソネットとして完璧。
(後半の脚韻が、cdc/dcdまたはcde/cdeと
教科書的に整ったイタリア式ソネットは
実はそこまで多くなかったりする。
ミルトンにも、他の詩人にも。)

構成:
通常のイタリア式ソネットの構成
(14 = 8+6 = 4+4+3+3)ではなく、
内容的には 4 + 8(=5+3) + 2 という、
イギリス式ソネットに近いかたちになっている。
(この詩にはあてはまらないが、脚韻が
abba/abba/cdcd/eeというイタ/イギ混合式の
ソネットが、実際かなり多い。)

1-4
一応ピリオドで終わっている一文。しかし、
主節は1行目で完結していて、2行目は1行目の
Saintの説明、3-4行目は2行目のAlcestisの
説明(であると同時に妻Saintの説明)。
後から後から詳細がつけ加えられていて、
話がどこに向かっているかわかりにくい。

5-9
主語Mineが文頭にあるが、述部(動詞)Cameが
9行目まで出てこない。5-8行目は、この主語Mineの
説明だけで終わっており、しかも、Mineにかかる
ふたつの修飾部のかたちがずれている。
---
asの前置詞句(そのなかにwhom節): ・・・・・・という人のように
such節: ・・・・・・というようすで/という程度まで
---
ということで、二重、三重にわかりにくい文構造。

10-12
比喩表現がなくなって、シンプルでクリアに。

13-14
オチ。But以降で1-12行目をすべてひっくり返すという
イギリス式ソネットにありがちなパターン。
と、見せかけて・・・・・・(以下参照)。

* * *

以下、解釈例。

ミルトンのソネットのうち、評価の高いもの、ピエモンテの
虐殺もの(XV)や、盲目もの(XVI)には、形式的に整った
ペトラルカのソネットではなく、形式的に、構成/構文的に
より自由で流動的なデッラ・カーサGiovanni della Casaのものの
影響が強く見られるといわれます。表現したい内容にあわせて、
(たとえば4/4/3/3という)構成を崩したり、コンマやピリオドの
出し入れや行またがりの多用によってリズムに変化を加えたり、
というわけです。(John S. Smart, The Sonnets of Milton, 1921
など参照。次のURLからダウンロードできます--<http://
www.archive.org/details/sonnetsofmilton00miltuoft>。)

ということで、上記のようなゆるめの構文とゆるめの構成など、
このXIXの形式的な特徴も、なにか意図があってのこと、
その裏に何か理由があるものと考えられます。

で、その意図とは・・・・・・

I
この詩が描く夢のぼんやりした世界の雰囲気を
伝えること。

(1)
夢のなかの話だから、上記のように、1-4行目で
ただの思いつきや連想であるかのように、
情報が後から後から追加されている。

(2)
夢のなかの話だから、上記のように、5-8行目でも
ただの思いつきや連想であるかのように、
情報が後から後から追加されている。

(3)
夢のなかの話だから、上記のように、5行目Mineを
受ける述部Cameが、その文脈がほとんど忘れられた頃に
あらわれる(9行目に)。

以上、夢のなかだから、思考が論理的に整理されていない、
ということ。

(4)
夢のなかの話だから、文学/芸術的なネタとしては
マイナーなアルケースティスがとりあげられてる?
冥界からの生還、という話で通常まず頭に浮かぶのは
オルペウスとエウリディケーの話のはず。
(ミルトンも、たとえば "L'Allegro" および
"Il Penseroso" でこれにふれている・・・・・・
だからこのソネットではあえて避けた?)。
個人的には、夢だから、起きているときとは異なる
連想がはたらいてアルケースティスが想起されたのかと、
ちょっと思いたい。

(ざっとウェブ上で確認しただけですが、
たとえば、アルケースティスを描いた絵は、
古代のものか18世紀以降のものばかりのようです。
オルペウスとエウリディケーの絵は、ティッツィアーノ、
プーサンなど、ルネサンスから初期近代にかけて、
ミルトンに近い時代の画家のものが少なくありません。)

---
(詩形と内容の関連のつづき)

II.
死者の帰還、(夢のなかでの)生の世界と死の世界の邂逅、
という主題と、この詩のかたちは対応している。

この詩では、通常イタリア式ソネットの転回点である
8:6の区切り目、もっとも大きなブレイクが入るべき
8行目と9行目のあいだが、主語Mine(妻が)と述語Came
(帰ってきた)でガッチリと連結されている。

通常、明確に切れるはずのイタリア式ソネットの
8:6の境界がない
= 通常、明確なはずの生死の境界が夢のなかでぼやけている
(妻が/帰ってきた)

III.
この詩の構成は、夢のなかで妻に再会している「わたし」の
思考の流れを示す。

1-4
アルケースティスに関するギリシャ神話/悲劇への言及。
比喩というかたちで、夢のなかの妻のようすを理性的に
とらえ、説明しようとしている。

5-8
旧約聖書への言及。1-4と同様、比喩というかたちで、
夢のなかの妻のようすを理性的にとらえ、説明しようとしている。

9-12
9行目のやってきたCame以降、(擬人化はあるが)
表現がより直接的になる。彼女の服は純粋さをあらわす白、
とか、彼女の表情は愛に満ちていて、きれいで、そして
やさしくて、とか。つまり、ミルトンの詩にありがちな、
教養の量と質をひけらかすかのような(そして現代の読者に
とっては無駄とも見えかねない)比喩を考える心のゆとり、
理性のはたらき、のようなものが感じられない。
とりあえず、きれいでサイコー! みたいに。

このような感情の高ぶり示すのに貢献していると
思われるのが、9行目冒頭にやっとあらわれる述語Came.
5行目の主語Mineの後、6-8行でじらされた後、9行目冒頭に、
(述語が)来た! という感覚は、(孤独な日々のなか・・・・・・)
妻が生き返ってきた! という感覚を想起させる。
このCame vested all in whiteが、この詩の第一の
クライマックス。

12行目冒頭のSo clearも同様。11行目最後の語
shin'dだけでも意味的には十分で、妻の顔の輝きは
わかるわけだが、そこからさらに行またがりで息をつかせず、
いわばダメ押しのようなかたちで読ませるSo clear
「本当にはっきりと透き通るように!」というフレーズを
おくことで、さらに強調的に「わたし」の心の高ぶりを
あらわしている。このSo clearが第二のクライマックス。

行またがり
= 行末に意味の切れ目/音読時の息つぎがないこと

IV.
イギリス式ソネット的な12:2の構成は、
夢のなかの幸せ:現実の不幸せの比率をあらわす。

ポイントは、現実としての重みを基準にすれば、
この12:2とは、実際、12<2 であること。

さらにいえば、この詩の構成は、実際12:2ではなく、
13:1。

1-13: 夢
14: 現実

(そして重みは、13<1)

つまり、この詩は、たった一行のできごと、目を覚ます、という
ほんの何気ない、ごくあたりまえなひとつの動作によって、
幸せの絶頂から失望のどん底に落とされる、それ以前
1-13行の幸福感が霧散する、という物語。

あわせて、この13:1の1は、盲目のままひとり残されるという
孤独感を暗示しているような気が。

* * *

英文テクストは、Milton, Poems (1673), p. 61より。



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