goo

Daniel, ("But loue whilst that thou maist be lou'd againe")

サミュエル・ダニエル (1562-1619)
(「好き、といってもらえるあいだに恋をするのです」)

好き、といってもらえるあいだに恋をするのです。
さあ、五月、エプロンがいっぱいになるほどの花が咲いているあいだに、
さあ、君が一点のしみもない美しさを保っているあいだに、
冬ににらまれる前に、ほほえんでくれる夏を楽しむのです。
のぼる朝日に向かって広げるのです、
この世に咲いたいちばんきれいな花を。
君が美しくなくなってしまう前に、楽しいときを過ごすのです。
ディーリア、朝のあとには夜が来ます。
君の輝きも、いずれ太陽のように西に沈みます。
そうなれば、今、君が見せているものも、もう隠さなくてはなりません。
いちばんうまく君を覆い隠してくれるものが、
君にいちばん似あうようになるのです。
枯れた茎を大事にする人はいません、
満開に咲いていた花が一度散ってしまったら。

* * *
Samule Daniel
("But loue whilst that thou maist be lou'd againe")

But loue whilst that thou maist be lou'd againe,
Now whilst thy May hath fill'd thy lappe with flowers;
Now whilst thy beautie beares without a staine;
Now vse thy Summer smiles ere winter lowres.
And whilst thou spread'st vnto the rysing sunne,
The fairest flowre that euer sawe the light:
Now ioye thy time before thy sweete be dunne,
And Delia, thinke thy morning must haue night.
And that thy brightnes sets at length to west:
When thou wilt close vp that which now thou showest:
And thinke the same becomes thy fading best,
Which then shall hide it most, and couer lowest.
Men doe not weigh the stalke for that it was,
When once they finde her flowre, her glory passe.

* * *
英語テクストは次のページより。
http://pages.uoregon.edu/rbear/delia.html
Sonnet 32

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
してください。

ウェブ上での引用などでしたら、リンクなどのみで
かまいません。

商用、盗用、悪用などはないようお願いします。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Daniel, ("Looke Delia how wee steeme the half-blowne Rose")

サミュエル・ダニエル (1562-1619)
(「ほら、見て、ディーリア」)

ほら、見て、ディーリア、咲きはじめの薔薇はきれいです。
はにかんだ君の頬のよう、きれいな夏の日のようです。
若い緑色のなかに見える薔薇のつぼみは
美しく、一点のしみもありません。今がいちばんきれいなときです。
でも、空に向かって大きな花を咲かせると、
薔薇は、すぐに枯れていきます。
かわいい女の子の髪を飾って、そしてすぐに捨てられます。
そう、美しい君も同じです。輝かんばかりに咲いて、そして翳っていきます、
次に四月が来ても、一度枯れた君の美しさはよみがえりません。
今、どれだけ満開に咲きほこっていても、です。
〈時〉は、あっという間に羽ばたいて過ぎていき、
君の顔から美しさ、かわいらしさを奪うのです。
だから、ほら、美という宝を無駄にしてはいけません。
好き、といってもらえるあいだに恋をするのです。

* * *
Samule Daniel
("Looke Delia how wee steeme the half-blowne Rose")

Looke Delia how wee steeme the half-blowne Rose,
The image of thy blush and Summers honor:
Whilst in her tender greene she doth inclose
That pure sweete beautie, Time bestowes vppon her.
No sooner spreades her glorie in the ayre,
But straight her ful-blowne pride is in declyning;
She then is scorn'd that late adorn'd the fayre:
So clowdes thy beautie, after fayrest shining.
No Aprill can reuiue thy withred flowers,
Whose blooming grace adornes thy glorie now:
Swift speedy Time, feathred with flying howers,
Dissolues the beautie of the fairest brow.
O let not then such riches waste in vaine;
But loue whilst that thou maist be lou'd againe.

* * *
フランスの詩人ピエール・ド・ロンサール
(Pierre de Ronsard, 1524-85)のカッサンドルへの
オード("Mignonne, allons voir si la rose")(1545)、
およびマリーへのソネット("Je vous envoye un bouquet
de ma main")(1555)の翻案。

カルペ・ディエムのテーマによる、ひねりのない
恋愛ソネット。

* * *
英語テクストは次のページより。
http://pages.uoregon.edu/rbear/delia.html
STC 6243.2 (1592)
ソネット31

STC 6243.3 (1592) では35
STC 6243.4 (1594) では34

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
してください。

ウェブ上での引用などでしたら、リンクなどのみで
かまいません。

商用、盗用、悪用などはないようお願いします。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

道端アート 2014-15

道端アート 2014-15


地元の「きつね山」あたり(20150103)

















山頂?


***
みんぱく(20141116)










***
あべのハルカス(20141115)










***
世田谷美術館(20140731)




***
高知城(201409)






***
高知大学(201409)




***
近所の公園(201408?)







***
画像はすべて私が撮影。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Coleridge, "The Eolian Harp"

サミュエル・T・コールリッジ (1772-1834)
「アイオロスのハープ」

考えごとをしてるサラ! 君の柔らかな頬が、ぼくの
腕にふれているよ。気持ちが落ちついていい感じ、
ぼくたちの小さな家の脇でこうしてすわっているとね。家は、
白い花を咲かせたジャスミンや、葉を広げたギンバイカに覆われていて。
(これらの花って、無垢と愛のシンボルとしてホントぴったりだよね!)
そして雲を眺めたり。さっきまでは光に満ちていたけど、
ゆっくり、寂しげに暗くなってきてる。それから一番星が
透き通るように明るく(知恵の光って、たぶんこんな感じのはず)
反対側で輝いてる。なんていい匂いを、
風が向こうの豆畑から盗んでくるんだろう! 世界もこんなに静かだなんて!
遠くの海の静かなざわめきが、
静けさとは何か、教えてくれているよ。

でね、あのまさにシンプルな作りのリュートの音、
開き窓に抱かれるように立っているあれ、聞いてごらんよ!
スキップしてまわってるようなそよ風に撫でられて、
まるで恥ずかしがりな女の子が恋人に心を半分許してるかのように、
やさしく、「ダメよ」、っていってるみたいだ。しかも、そのダメなことを
くり返さずにはいられないような、そんなやさしい感じでね! ほら、今度は
大きくかき鳴らされて、長くつづくいろいろな音が、
ホントにきれいな波になって、沈んだり、浮かびあがったり。
まるで静かにただよう音の魔法だよね、
たとえば妖精たちが、夕暮れのおだやかな風にのって妖精の国から
やってくるときに、薄明りのなかで奏でるような、ね。
そのメロディは、蜜をしたたらせる花々のまわりで、
立ち止まらず、思うがままに、まるで楽園の鳥たちのように
休まず、止まり木にも下りず、自由な翼を広げて飛びつづけるんだ!
ああ! ぼくたちのなかにあって外にもあるひとつの命、
すべての動くもの、すべてのものの動きと一緒になり、その魂となる命、
音のなかの光、光のなかにある音のような力、
すべての思考のなかのリズム、あらゆるところにあるよろこび--
ね、無理に決まってる、
そんな命に満たされた世界のなかで、すべてのものを愛さずにいるなんて。
そよ風が歌い、音を出さない静かな空気ですら、
自分の楽器の上で居眠りしている音楽であるような、そんな世界で。

ねえ、サラ! まるで向こうの丘の斜面に
横たわっているみたいだよね、こうして真昼に手足をのばしてると。
で、ぼくは半分閉じたまぶたの下から、
太陽の光が、ダイヤモンドみたいに海の上で踊るのを見ながら、
静かに静けさについて考えるんだ。
ホントにたくさんのいろんな考えが、勝手に来て、勝手に去っていく。
心に浮かんでは消える、どうでもいいような幻が、
受け身で怠け者なぼくの頭をたくさん横切っていく。
ちょうどね、適当にあっちこっちに吹く気ままに風が、
この自分で鳴るリュートのところで、波のように高くなったり、
ゆれたりしてるのとおんなじ感じでね!
(34-43)

でさ、生きてる自然のなかにあるものは、みんなそれぞれ、
生きてるみたいに自分で鳴るハープのように作られてる、とか考えたらどうかな?
その音は、振動しながら心のなかに入ってくるんだ。自然のなかのすべてものを
成長させる大きなそよ風、目に見えない風にかき鳴らされて。
ひとつひとつのものの魂であり、またすべてのものの神であるような風に、ね。
(44-48)

でも、まじめな君の目がやさしくぼくを
しかってる。そんな不確かででばちあたりな考えかた
じゃダメよ、って。そうだね、サラ、大好きだよ。
うやうやしく神さまにしたがって生きなきゃ、なんて、
さすが、「サラ」って名前にふさわしい謙虚さだね。
君のいうとおりだ。やっぱり君は清らかだね、
汚れたぼくの妄想を戒めてくれるなんて。
どれだけきらきらしていても、結局、それは根拠のない哲学の泉から
吹き出しては消える泡のみたいなものだし。
ぼくは罪深い人間だから、人智を超えた、畏れ多い
あの方について軽々しく語っちゃいけないんだよね。
心に湧きあがってくる信仰を感じつつ、ほめたたえることしかできないんだよね。
ご慈悲をかけてくれて、罪深くてみじめなぼくを
正しく導いてくださったのがあの方なんだから。
人生の暗闇で迷子になってたぼくに、
心の安らぎと、この家と、心から尊敬する君を与えてくれたんだから、ね!
(49-64)

* * *
Samuel T. Coleridge
"The Eolian Harp"

My pensive Sara! thy soft cheek reclined
Thus on mine arm, most soothing sweet it is
To sit beside our Cot, our Cot o'ergrown
With white-flower'd Jasmin, and the broad-leav'd Myrtle,
(Meet emblems they of Innocence and Love!)
And watch the clouds, that late were rich with light,
Slow saddening round, and mark the star of eve
Serenely brilliant (such should Wisdom be)
Shine opposite! How exquisite the scents
Snatch'd from yon bean-field! and the world so hush'd!
The stilly murmur of the distant Sea
Tells us of silence.
(1-12)

And that simplest Lute,
Placed length-ways in the clasping casement, hark!
How by the desultory breeze caress'd,
Like some coy maid half yielding to her lover,
It pours such sweet upbraiding, as must needs
Tempt to repeat the wrong! And now, its strings
Boldlier swept, the long sequacious notes
Over delicious surges sink and rise,
Such a soft floating witchery of sound
As twilight Elfins make, when they at eve
Voyage on gentle gales from Fairy-Land,
Where Melodies round honey-dropping flowers,
Footless and wild, like birds of Paradise,
Nor pause, nor perch, hovering on untam'd wing!
O! the one Life within us and abroad,
Which meets all motion and becomes its soul,
A light in sound, a sound-like power in light,
Rhythm in all thought, and joyance every where―
Methinks, it should have been impossible
Not to love all things in a world so fill'd;
Where the breeze warbles, and the mute still air
Is Music slumbering on her instrument.
(12-33)

And thus, my Love! as on the midway slope
Of yonder hill I stretch my limbs at noon,
Whilst through my half-closed eye-lids I behold
The sunbeams dance, like diamonds, on the main,
And tranquil muse upon tranquillity;
Full many a thought uncall'd and undetain'd,
And many idle flitting phantasies,
Traverse my indolent and passive brain,
As wild and various as the random gales
That swell and flutter on this subject Lute!
(34-43)

And what if all of animated nature
Be but organic Harps diversely fram'd,
That tremble into thought, as o'er them sweeps
Plastic and vast, one intellectual breeze,
At once the Soul of each, and God of all?
(44-48)

But thy more serious eye a mild reproof
Darts, O belovéd Woman! nor such thoughts
Dim and unhallow'd dost thou not reject,
And biddest me walk humbly with my God.
Meek Daughter in the family of Christ!
Well hast thou said and holily disprais'd
These shapings of the unregenerate mind;
Bubbles that glitter as they rise and break
On vain Philosophy's aye-babbling spring.
For never guiltless may I speak of him,
The Incomprehensible! save when with awe
I praise him, and with Faith that inly feels;
Who with his saving mercies healéd me,
A sinful and most miserable man,
Wilder'd and dark, and gave me to possess
Peace, and this Cot, and thee, heart-honour'd Maid!
(49-64)

* * *
いわゆる「会話調の詩」(conversation poem)。
行またがりの多い散文的なブランク・バースで書かれている。

(以下、訳注)

タイトル
アイオロス(Aeolus)はギリシャ神話における風の神。
Eolian Harp(Aeolian Harpとも)は、風が弦を
鳴らす楽器(のようなもの)で、19世紀初期のイギリスで
流行した。

From Knight's American Mechanical Dictionary, 1876.
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Aeolian_harp.JPG?uselang=ja

(日本でいえば、風鈴のようなもの。)

1 Sara
コールリッジの妻。

2-9
構文は、it is most soothing sweet to sit . . .,
[to] watch . . ., and to mark. . . .

4 Jasmin[e]

By Javier martin
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Jasminum_officinale_Enfoque_2010-7-11_TorrelaMata.jpg

4 Myrtle
ギンバイカ。

By Giancarlo Dessì
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Myrtus_communis12.jpg

5
ジャスミンとギンバイカが無垢のシンボルなのは、
それぞれ色が白だから? ギンバイカは、愛の女神アプロディテ
(ギリシャ神話)/ウェヌス(ローマ神話)に捧げられる
花ということで、愛のシンボル(OED 2a)。

6-7
[W]atchのところの構文は、watch the clouds saddening.

6 slow
= slowly

7 the star of Eve
宵の明星=金星。

9-10
構文は、How exquisite the scents Snatch'd
from yon bean-field [are]!

11-12
かすかに海の音が聞こえるから、(逆説的に)
まったく音のない状態がどんなものか、わかる気がする、
ということ。

12 tell A of B
= AについてBに知らせる、気づかせる、教える。
OED 8a)

12 silence
まったくの無音状態(OED 2a)

12
スタンザの切れ目にまたがっているが、
Tells us of silence. And that simplest Lute, で
一行(12行目)となっている。このページ上では
表現できないが、And that. . . の前に、
Tells us of silence. 分の空きがある。

12 that simplest Lute
タイトルにあるアイオロスのハープのこと。
ちなみに、リュートはこれ。

By Mathiasroesel
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Barocktheorbe_Martin_Hoffmann_ed.JPG

13 casement
開き窓。

By Yan Akhber
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Crete_window.jpg

14-17
アイオロスのハープと風の関係を、ほほえましい恋人同士の
関係にたとえている。

風=男の子
ハープ=女の子

風がハープを鳴らす音 =
男の子が女の子にちょっかいを出したときの
女の子の言葉。「だーめ」みたいな。

で、男の子は、もっとちょっかい出したくなるという。

風と音の関係を人のやりとりにたとえる絶妙な表現。
その背景には、西風ゼピュロスと花フローラの神話などがある。

16-17 its strings Boldlier swept
分詞構文--its strings [being] Boldlier swept. . . .

18-21
the long sequacious notes をいいかえて、Such a soft
floating witchery of sound As twilight Elfins make. . . .
と説明している。

18-19
ハープの音(聴覚的なもの)を波(視覚的なもの)に
たとえる共感覚的な表現。

23-25
ハープの音(聴覚的なもの)を鳥(視覚的なもの)に
たとえる共感覚的な表現。

26-31
自然と人間がひとつの命でつながっている、という
どちらかというとワーズワースの作品のほうで
知られている考え方。たとえば、ワーズワースの
次の作品など参照。

"Lines Written in Early Spring"
"Lines Written at a Small Distance from My House. . . ."

27-28
たたみかけるような共感覚的な表現の連続。

32-33
静けさ=居眠りしている音楽

34-35
実際には、自分の家のそばで、イスか地面の上で(?)、
ゴロンと横になっている(たぶん)のだが、そのようすを、
丘に横たわる巨人のようなかたちで表現。

37
(今ではありがちかもしれないが)海の水面でキラキラする光を
ダイヤモンドにたとえている。

39-43
受け身なぼくの心=アイオロスのハープ
勝手に頭に浮かんでくるいろんな考え=アイオロスのハープを鳴らす風
(気ままな風によってアイオロスのハープが勝手に鳴らされるように、
気ままな思考によって心が勝手に鳴らされる、ということ。)

43
日本語訳は二行で。

43 swell
波などが高くなる(OED 1b)。
音などが大きくなる、という意味も(OED 6a)。

43 flutter
波にゆられる(OED 1)。
鳥が羽をはためかせる、という意味も(OED 2a)。

44-48
自然のなかにあるすべてのもの=たくさんのアイオロスのハープ

自然のなかにあるすべてのものが、それぞれ
視覚や聴覚など五感を通じて知覚される
=風でハープが鳴らされて、その音が人の耳から入ってくる

ハープを鳴らすのは風。
自然のなかにあるすべてのものを鳴らすのは、
それぞれのもののなかに存在する「魂」のようなもの?
すべてを支配する神?

ヘーゲルの「世界精神」などにつながる、哲学的な一節。
ドイツでカントについて学ぶなど、コールリッジにはそういう
関心があった。

49-64
(この最後のまとめかた、他に何とかならなかったものなのか……。)

53
Saraという名は、創世記におけるアブラハムの妻から
来ている。

* * *
英文テクストは次のページより。
http://www.gutenberg.org/ebooks/29090

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
してください。

ウェブ上での引用などでしたら、リンクなどのみで
かまいません。

商用、盗用、悪用などはないようお願いします。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Rossetti, DG, "A Superscription", ver. 2, The House of Life (1870) 46

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
「エピグラム」
『命の宮』(1870) 46

あたしの顔をじっと見て。
あたしの名前は〈……だったらよかったのに〉。
〈もうだめね〉、〈おそすぎよ〉、〈さよなら〉、のほうがいいかしら。
あなたの耳もとに死の海の貝殻をあててあげる。
波の泡に侵食されてとけてくあなたの両脚のあいだに落ちていた貝殻を。
あなたの目の前に鏡を掲げてあげる。そこに映るのは、
いのちや愛があった頃のあなた。でも、あたしの魔法で、
あなた、今はもう、ただの震える影になっちゃってる。
自分の存在に耐えられない、そんな影にね。
今のあなたは、いちばんいいたかったのにいえなかったことを隠す
スクリーンみたい。そして、今にも破れそう。

そう、あたし、動けないわ。でも、
あなたの魂のなか、〈やすらぎ〉が羽ばたいてそっと通りぬけて、
ため息がふと静まる、そんなとき、
あたし、あなたにほほえむの。あなた、顔を
そむけるでしょうね。でも、あたし、あなたの心のなかで待ちぶせしてる。
あたしは眠らない。あたしたちふたりの記憶を呼びさます冷たい目をして、
いつもおきてるわ。

* * *
Dante Gabriel Rossetti
"A Superscription"
The House of Life (1870) 46

Look in my face; my name is Might-have-been;
I am also called No-more, Too-late, Farewell;
Unto thine ear I hold the dead-sea shell
Cast up thy Life's foam-fretted feet between;
Unto thine eyes the glass where that is seen
Which had Life's form and Love's, but by my spell
Is now a shaken shadow intolerable,
Of ultimate things unuttered the frail screen.

Mark me, how still I am! But should there dart
One moment through thy soul the soft surprise
Of that winged Peace which lulls the breath of sighs,―
Then shalt thou see me smile, and turn apart
Thy visage to mine ambush at thy heart
Sleepless with cold commemorative eyes.

* * *
Superscription = epi (upon) + gram (write)

もとは記念物や奉納品、墓碑の上に刻まれた銘文、短い解説文のこと。
短い、気のきいた詩文のジャンルとしての「エピグラム」はここから派生。

この詩の場合、〈……だったらよかったのに〉などという名の、
擬人化された彫像、あるいは絵があって、それが見る者(「あなた」)
に語る言葉がその上(あるいは下)に記されている、という設定。

この〈……だったらよかったのに〉は、実現できなかった理想
のようなもの。これが実現できなかったがために、今、自分
(「あなた」)は心身ともに廃人のようになってしまっている。
自分の存在に耐えられない。

もちろん、この〈……だったらよかったのに〉は彫像あるいは
絵だから動かない。表情は変わらない。しかし、絶望を
ふと忘れたまさにそんなとき、この絵はほほえみかける。
そして絶望を思い出させる。

目をそらしてもだめ。絶望は、理想を実現できなかったという
記憶は、常に眠らず、心のなかにある……。

* * *
数あるロセッティのソネットのなかでもいちばん、と評価が
高い作品。実際、こんな雰囲気・内容の詩を書いたのは、
イギリスでは彼だけ(ロセッティは3/4はイタリア人)。
初期テニソンよりもさらにアンニュイでデカダン。
ロセッティ自身のものよりも、フェルナン・クノップフ
(Fernand Khnopff)の絵のようなイメージ。

まちがいなくロセッティは、画家としてよりも
詩人としてのほうが優れている。

* * *
ロセッティの生涯における特定のできごととこの詩を直接
結びつけることはできないし、また結びつけてもしかたがない、
そんなことをしたら、あいまいであるがゆえに多くのことを
想起させるこの詩の魅力を減じてしまう、と思うが、
妻エリザベス・シダルを不幸にした、病やアヘン中毒から
救えなかった、アヘンの過剰摂取で死なせてしまった、
ということなど、当然この詩の背景として想起させられる。

端的にいえば、この詩の「あたし」、〈……だったら
よかったのに〉は、シダルを描いたロセッティ自身の絵、
ととらえることができる。(Beata Beatrixとか。)

この訳は、そんなシダルの声で再生できるようなもの
として作成。ロセッティの甘い悪夢……。

* * *
英語テクストは次のページより。
http://www.rossettiarchive.org/docs/1-1870.1stedn.rad.html

行1, 7-8, 14はそれぞれ日本語では二行。

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
してください。

ウェブ上での引用などでしたら、リンクなどのみで
かまいません。

商用、盗用、悪用などはないようお願いします。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Rossetti, DG, "A Superscription", The House of Life (1870) 46

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
「エピグラム」
『命の宮』(1870) 46

わたしの顔をじっと見てください。
わたしの名前は〈……だったらよかったのに〉です。
〈もうだめね〉、〈おそすぎよ〉、〈さよなら〉、とも呼ばれています。
あなたの耳もとに死の海の貝殻をあててあげます。
波の泡に侵食されてとけていくあなたの両脚のあいだに落ちていた貝殻を。
あなたの目の前に鏡を掲げてあげます。そこに映るのは、
いのちや愛とともに生きていたあなた。でも、わたしの魔法で、
今はもう、ただの震える影になってしまっています。
自分の存在に耐えられない、そんな影に。
今のあなたは、いちばんいいたかったのにいえなかったことを隠す
スクリーンのよう、そして、今にも破れそうなのです。

そう、わたしは動けません。でも、
あなたの魂のなか、〈やすらぎ〉が羽ばたいてそっと通りぬけ、
ため息がふと静まる、そんなとき、
わたしはあなたにほほえみかけます。あなたは顔を
そむけるでしょう。でも、わたしはあなたの心のなかで待ちぶせしています。
わたしは眠りません。あなたの記憶を呼びさます冷たい目をして、
いつもおきていますから。

* * *
Dante Gabriel Rossetti
"A Superscription"
The House of Life (1870) 46

Look in my face; my name is Might-have-been;
I am also called No-more, Too-late, Farewell;
Unto thine ear I hold the dead-sea shell
Cast up thy Life's foam-fretted feet between;
Unto thine eyes the glass where that is seen
Which had Life's form and Love's, but by my spell
Is now a shaken shadow intolerable,
Of ultimate things unuttered the frail screen.

Mark me, how still I am! But should there dart
One moment through thy soul the soft surprise
Of that winged Peace which lulls the breath of sighs,―
Then shalt thou see me smile, and turn apart
Thy visage to mine ambush at thy heart
Sleepless with cold commemorative eyes.

* * *
Superscription = epi (upon) + gram (write)

もとは記念物や奉納品、墓碑の上に刻まれた銘文、短い解説文のこと。
短い、気のきいた詩文のジャンルとしての「エピグラム」はここから派生。

この詩の場合、〈……だったらよかったのに〉などという名の、
擬人化された彫像、あるいは絵があって、それが見る者(「あなた」)
に語る言葉がその上(あるいは下)に記されている、という設定。

この〈……だったらよかったのに〉は、実現できなかった理想
のようなもの。これが実現できなかったがために、今、自分
(「あなた」)は心身ともに廃人のようになってしまっている。
自分の存在に耐えられない。

もちろん、この〈……だったらよかったのに〉は彫像あるいは
絵だから動かない。表情は変わらない。しかし、絶望を
ふと忘れたまさにそんなとき、この絵はほほえみかける。
そして絶望を思い出させる。

目をそらしてもだめ。絶望は、理想を実現できなかったという
記憶は、常に眠らず、心のなかにある……。

* * *
数あるロセッティのソネットのなかでもいちばん、と評価が
高い作品。実際、こんな雰囲気・内容の詩を書いたのは、
イギリスでは彼だけでは。初期テニソンよりもさらにアンニュイで
デカダン。ロセッティ自身のものよりも、フェルナン・クノップフ
(Fernand Khnopff)の絵のようなイメージ。

まちがいなくロセッティは、画家としてよりも
詩人としてのほうが優れていると思う。

* * *
ロセッティの生涯における特定のできごととこの詩を直接
結びつけることはできないし、また結びつけてもしかたがない、
そんなことをしたら、あいまいであるがゆえに多くのことを
想起させるこの詩の魅力を減じてしまう、と思うが、
妻エリザベス・シダルを不幸にした、病やアヘン中毒から
救えなかった、アヘンの過剰摂取で死なせてしまった、
ということなど、当然この詩の背景として想起させられる。

端的にいえば、この詩の「わたし」、〈……だったら
よかったのに〉は、シダルを描いたロセッティ自身の絵、
ととらえることができる。(Beata Beatrixとか。)

* * *
英語テクストは次のページより。
http://www.rossettiarchive.org/docs/1-1870.1stedn.rad.html

行1, 7-8, 14はそれぞれ日本語では二行。

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
してください。

ウェブ上での引用などでしたら、リンクなどのみで
かまいません。

商用、盗用、悪用などはないようお願いします。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Habington, "To Castara, upon Beautie"

ウィリアム・ハビントン
「カスタラに、美しさについて」

ねえ、カスタラ、土ぼこりだね。風がふざけて
ちょっかい出してる。たぶん、あの土が
きれいだとは思わないよね。どうしていつも、まるで生きてる
みたいにぼくたちの目に入って困らせるのか、と思うよね。
でも、これは肉あるぼくたちの根拠のない
思いあがりじゃないかな? ぼくたちの髪は、
はるか遠くのフリュギアの大理石のように白い骸骨を
金色でつつんでいるけど、このからだも
ぼくたちにとってはただの重荷、いずれ死んで灰に帰り、
ほんのわずかな風にでも吹き飛ばされて、どこかに消えてしまうしね。
ねえ君、そんなふうにもろくて、
でも清らかな君、それでもまだ自分は美しい、
って思いあがったりするの? それとも、そういう理由で、君は
頭の弱い人たちをあざけっているの? ちょっとでもほめられると
舞いあがって足もとを見失う人たちを?
それもいいかもね。そして、美しい人に欲情するなんて
頭がおかしい、って教えてあげて。だって、結局
灰に欲情してるだけなんだから。

* * *
William Habington
"To Castara, upon Beautie"

Castara, see that dust, the sportive wind
So wantons with. 'Tis happ'ly all you'le finde
Left of some beauty: and how still it flies,
To trouble, as it did in life, our eyes.
O empty boast of flesh? Though our heires gild
The farre fetch Phrigian marble, which shall build
A burthen to our ashes, yet will death
Betray them to the sport of every breath.
Dost thou, poor relique of our frailty, still
Swell up with glory? Or is it thy skill,
To mocke weake man, whom every wind of praise
Into the aire, doth 'bove his center raise.
If so, mocke on, And tell him that his lust
To beauty's, madnesse. For it courts but dust.

* * *
行5-6, 9, 14は日本語訳では二行。

* * *
http://www.gutenberg.org/ebooks/47462

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
してください。

ウェブ上での引用などでしたら、リンクなどのみで
かまいません。

商用、盗用、悪用などはないようお願いします。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Cavendish, "What Atomes Make Death"

マーガレット・キャヴェンディッシュ
ニューカースル公爵夫人 (1624?-1674)
「死をもたらす原子」

命は火であり、とても熱く燃えている。
が、液状の丸い原子が優勢になると、
これらは命の原子の火を消してしまう。
それらのとがったところを鈍くし、強く生きる力を殺してしまう。
こうして、原子たちはたがいに対抗しあっている。
バランスよく混ざっていれば、静かに共存できる。
ものが生きる理由、死ぬ理由は、
いろんな原子の混ざりかたにあるのである。

* * *
Margaret Cavendish, Duchess of Newcastle (1624?-1674)
"What Atomes Make Death"

Life is a Fire, and burnes full hot,
But when Round watry Atomes power have got:
Then do they quench Lifes Atomes out,
Blunting their Points, and kill their courage stout.
Thus they sometimes do quite thrust out each other, [5]
When equall mix'd, live quietly together.
The cause why things do live and dye,
Is as the mixed Atomes lye.

* * *
英語テクストは次のページより。
http://womenwriters.library.emory.edu/toc.php?id=atomic

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
してください。

ウェブ上での引用などでしたら、リンクなどのみで
かまいません。

商用、盗用、悪用などはないようお願いします。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Cavendish, "What Atomes Make Life"

マーガレット・キャヴェンディッシュ
ニューカースル公爵夫人 (1624?-1674)
「命をもたらす原子」

とがった原子はみな命をもたらす。
あちこちがとがっている原子も、一箇所がとがっている原子も、みなすべてである。
これらは、丸く輪をつくっていたり、
長く、糸のようにつながっていたりする。
とがった原子がまっすぐつながると生きものは速く動き、
曲がってつながると動きは鈍くなる。
生きものが鈍く、あるいは生き生きと動いているとき、
それはみな原子の並びかたによる。
ものが生きている理由、死ぬ理由も、
いろんな原子の位置関係にあるのである。

* * *
Margaret Cavendish, Duchess of Newcastle (1624?-1674)
"What Atomes Make Life"

All pointed Atomes to Life do tend
Whether pointed all or at one end.
Or whether Round, are set like to a Ring;
Or whether Long, are roul'd as on a String.
Those which are pointed, straight, quick Motion give; [5]
But those that bowe and bend, more dull do live.
For Life lives dull, or merrilie,
According as Sharpe Atomes be.
The Cause why things do live and dye,
Is, as the mixed Atomes lye. [10]

* * *
英語テクストは次のページより。
http://womenwriters.library.emory.edu/toc.php?id=atomic

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
してください。

ウェブ上での引用などでしたら、リンクなどのみで
かまいません。

商用、盗用、悪用などはないようお願いします。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Milton, Paradise Lost (3:80-134), ver. 2

ジョン・ミルトン
『楽園は失われた』 (3:80-134), ver. 2
(神 「悪とは自分で悪を選ぶこと」)

「たったひとりのわが子よ、見えますよね、あの敵が
怒りに我を忘れています。あの者はどこからでもはみ出してきます。
地獄のかんぬきも破りましたし、鎖の山で地獄につないでも
駄目でした。地獄をかこむ深い淵だって
通り抜けてきました。心を決めているようですね、
わたしたちに復讐を、と。無謀ですね。何をしても
反逆者である自分にはね返るだけですから。ほら、
あらゆる縛りをふりほどいて、彼は飛んできます。
天国、光の領域にだいぶ近いところですね、
あの新しくつくった世界にまっすぐ向かっています。
ねらっているのは人間でしょう。
力で倒す、あるいはもっと悪質に、嘘をついて
悪に引きこみたいのですね。そう、人間は悪に引きこまれます。
彼のもっともらしい嘘にだまされてしまいますから。
いともかんたんに、あのたったひとつの命令、
わたしたちに従うという誓いに背いてしまうのです。堕落です。
人間も、信用できないその子たちもみなそうです。さて、非は誰にあるのでしょう?
もちろん、人間自身が悪いのです。違いますか? 彼が恩知らずなのです。
わたしはすべてを与えてきました。彼を正しい者としてつくり、
まっすぐ生きる力を与えました。同時に堕ちる自由も与えました。
天使たちをつくったときと同じです。
まっすぐ生きている者たちも、それができなかった者たちも、みな同じです。
わたしに従った者たちは自由にそうしたのですし、堕ちた者たちは自由に堕ちたのです。
自由でなければ、何の証拠にもなりません。
誰が本当に忠実で、わたしたちを本当に信じ、愛してるか、という証拠に、です。
しなくてはならないことだけをしているなら、
本当にしたいことは何か、わかりませんよね? それでは称賛には値しませんよね?
そのような理由で従われても、わたしは喜ぶことができません。
意志や理性、考えてどうするか決める力を
使っていなければしかたがありません。自由に考えず、
受け身になって、というのでは、やむをえず何かをしているだけでは、
わたしに従っていることにはならないのです。こうして正しい者として
つくられているのですから、つくり主としてわたしを責めるのは
お門違いというものです。つくられたことを恨んでも駄目です。運命のせいにしても駄目です。
あらかじめわたしが定めたことのために意志の自由が利かない、
ということなどありません。わたしの絶対的な定めによって
みなの知らないところで未来が決まっている、などということもありまえせん。わたしに背く者たちはみな
自分の意志でそうしているのです。わたしは何も決めていません。もしわたしが
予見していたとしても、それはあの者たちの反逆には関係しません。
わたしが予見していなくても、同じことだったでしょう。
ですから、運命に背中を押された、影響された、などということはまったくなく、
わたしの予見によりすでに決まっていたとか、そのようなことはいっさいなく、
あの者たちは道を踏みはずしたのです。自分で決めた結果です。
自分の判断で、自分で選んで、罪を犯したのです。わたしは
みなを自由な者につくりましたから、みな常に自由でなくてはなりません。
自分で身を落として奴隷になったとしたら、それは勝手ですが。自由で困るのでしたら、
わたしはあの者たちをつくり直さなくてはなりません。不変である
わたしの定めを変えなくてはなりません。もともとわたしはみなを自由に
定めたのですからね。あの者たちは自分で堕ちていったのです。
最初に堕ちたあの天使たちは、自分から堕ちていきました。
自分で自分を誘惑し、自分を悪に染めました。人間も堕ちましたが、
それはあの悪い天使たちにだまされてのことでした。だから人間には恵みを
与えますが、あの天使たちには与えられません。慈悲と正義、
どちらにおいてもわたしは天地で最高の存在ですが、
徹頭徹尾、慈悲がもっとも光り輝くべきだと考えるのです。」

* * *
John Milton
Paradise Lost (3:80-134)

Onely begotten Son, seest thou what rage [ 80 ]
Transports our adversarie, whom no bounds
Prescrib'd, no barrs of Hell, nor all the chains
Heapt on him there, nor yet the main Abyss
Wide interrupt can hold; so bent he seems
On desparate reveng, that shall redound [ 85 ]
Upon his own rebellious head. And now
Through all restraint broke loose he wings his way
Not farr off Heav'n, in the Precincts of light,
Directly towards the new created World,
And Man there plac't, with purpose to assay [ 90 ]
If him by force he can destroy, or worse,
By some false guile pervert; and shall pervert
For man will heark'n to his glozing lyes,
And easily transgress the sole Command,
Sole pledge of his obedience: So will fall, [ 95 ]
Hee and his faithless Progenie: whose fault?
Whose but his own? ingrate, he had of mee
All he could have; I made him just and right,
Sufficient to have stood, though free to fall.
Such I created all th' Ethereal Powers [ 100 ]
And Spirits, both them who stood and them who faild;
Freely they stood who stood, and fell who fell.
Not free, what proof could they have givn sincere
Of true allegiance, constant Faith or Love,
Where onely what they needs must do, appeard, [ 105 ]
Not what they would? what praise could they receive?
What pleasure I from such obedience paid,
When Will and Reason (Reason also is choice)
Useless and vain, of freedom both despoild,
Made passive both, had servd necessitie, [ 110 ]
Not mee. They therefore as to right belongd,
So were created, nor can justly accuse
Thir maker, or thir making, or thir Fate,
As if predestination over-rul'd
Thir will, dispos'd by absolute Decree [ 115 ]
Or high foreknowledge; they themselves decreed
Thir own revolt, not I: if I foreknew,
Foreknowledge had no influence on their fault,
Which had no less prov'd certain unforeknown.
So without least impulse or shadow of Fate, [ 120 ]
Or aught by me immutablie foreseen,
They trespass, Authors to themselves in all
Both what they judge and what they choose; for so
I formd them free, and free they must remain,
Till they enthrall themselves: I else must change [ 125 ]
Thir nature, and revoke the high Decree
Unchangeable, Eternal, which ordain'd
Thir freedom, they themselves ordain'd thir fall.
The first sort by thir own suggestion fell,
Self-tempted, self-deprav'd: Man falls deceiv'd [ 130 ]
By the other first: Man therefore shall find grace,
The other none: in Mercy and Justice both,
Through Heav'n and Earth, so shall my glorie excel,
But Mercy first and last shall brightest shine.

* * *
神がみずからに背く者たちについて語る。
自由意志の存在を認めるアルミニウス派神学に沿う内容。
(これを認めないのがカルヴァン派の予定説。)

* * *
英語テクストは次のページより。
https://www.dartmouth.edu/~milton/reading_room/pl/
book_3/text.shtml

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
してください。

ウェブ上での引用などでしたら、リンクなどのみで
かまいません。

商用、盗用、悪用などはないようお願いします。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )