英語の詩を日本語で
English Poetry in Japanese
Gascoigne, "The Lullaby of a Lover"
ジョージ・ギャスコイン
「恋する男の子守り歌」
子守り歌を歌おう、女の人が
赤ん坊を寝かしつける時のように。
ぼくにも歌える子守り歌、
女の人のように上手に。
女の人がこどもを寝かす子守り歌。
たぶん、勘違いでなければ、
ぼくにもたくさんやんちゃな子がいて、
子守り歌で寝かしつけなければ。
まず、お休み、ぼくの若い頃。
もうベッドの時間。
歳で腰が曲がって白髪になって、
頭のなかが静かになってきた。
だから、お休み、ぼくの若さ。
お楽しみは、もう子守り歌だけ。
勇気はしぼんで、とぼとぼついてくるだけ。
お休み、もうそれでいいんだよ。
次に、お休み、ぼくの目。もう見つめる力がない。
昔は鋭かったのに。
どの鏡を見ても
ぼくの顔はしわだらけ。
だから、お休み、目を閉じて。
お休み、もう見なくていい。
かわいい顔、輝く人に、
もう惹かれなくていい。無駄だから。
そして、お休み、ぼくのエッチな気持ち。
理性をぼくの君主にしよう。
分別ついて、今さらながらわかってきた、
妄想の代償は大きかった、って。
お休み、もうゆっくりして。
お休み、もうどきどきしなくていい。
こう信じよう、気持ちが盛りあがらなければ
体も盛りあがらない。
そしてお休み、ぼくのエロ息子、
ぼくの小鳥くん、もうお休み。
歳でもう熱くなれない、まじめぶる必要もない。
もう子づくり道具はお片づけ、それしかない。
子守り歌だけが今の楽しみ。
子守り歌で欲望はふにゃふにゃに。
ペニーがある奴がお支払い。
もうぼくには何も払えない。
こうして歌う、ぼくの若さと目と
欲望とあそこに子守り歌。昔の自分にお休みを。
ずるずる引きずってはいられない。
こんにちは、痛みくん。楽しみさん、さようなら。
子守り歌でさようなら。
子守り歌で楽しい夢忘れ。
次に起きたら、ぼんやりした目で
この子守り歌をまた歌おう。
*****
George Gascoigne
"The Lullaby of a Lover"
Sing lullaby, as women do,
Wherewith they bring their babes to rest,
And lullaby can I sing too
As womanly as can the best.
With lullaby they still the child,
And if I be not much beguiled,
Full many wanton babes have I
Which must be stilled with lullaby.
First lullaby my youthful years;
It is now time to go to bed,
For crooked age and hoary hairs
Have won the haven within my head.
With lullaby, then, youth be still;
With lullaby content thy will;
Since courage quails and comes behind,
Go sleep, and so beguile thy mind.
Next, lullaby my gazing eyes,
Which wonted were to glance apace.
For every glass may now suffice
To show the furrows in my face;
With lullaby then wink awhile,
With lullaby your looks beguile;
Let no fair face nor beauty bright
Entice you eft with vain delight.
And lullaby, my wanton will;
Let reason's rule now reign thy thought,
Since all too late I find by skill
How dear I have thy fancies bought;
With lullaby now take thine ease,
With lullaby thy doubts appease.
For trust to this: if thou be still,
My body shall obey thy will.
Eke lullaby, my loving boy,
My little Robin, take thy rest;
Since age is cold and nothing coy,
Keep close thy coin, for so is best;
With lullaby be thou content,
With lullaby thy lusts relent,
Let others pay which hath mo pence;
Thou art too poor for such expense.
Thus lullaby, my youth, mine eyes,
My will, my ware, and all that was.
I can no mo delays devise,
But welcome pain, let pleasure pass;
With lullaby now take your leave,
With lullaby your dreams deceive;
And when you rise with waking eye,
Remember then this lullaby.
https://www.poetryfoundation.org/poems/56369/the-lullaby-of-a-lover
*****
学生の方など、自分の研究・発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者・タイトル・
URL・閲覧日など必要な事項を必ず記し、
剽窃行為のないようにしてください。
ウェブ上での引用などでしたら、リンクなどのみで
かまいません。
商用・盗用・悪用などはないようお願いします。
「恋する男の子守り歌」
子守り歌を歌おう、女の人が
赤ん坊を寝かしつける時のように。
ぼくにも歌える子守り歌、
女の人のように上手に。
女の人がこどもを寝かす子守り歌。
たぶん、勘違いでなければ、
ぼくにもたくさんやんちゃな子がいて、
子守り歌で寝かしつけなければ。
まず、お休み、ぼくの若い頃。
もうベッドの時間。
歳で腰が曲がって白髪になって、
頭のなかが静かになってきた。
だから、お休み、ぼくの若さ。
お楽しみは、もう子守り歌だけ。
勇気はしぼんで、とぼとぼついてくるだけ。
お休み、もうそれでいいんだよ。
次に、お休み、ぼくの目。もう見つめる力がない。
昔は鋭かったのに。
どの鏡を見ても
ぼくの顔はしわだらけ。
だから、お休み、目を閉じて。
お休み、もう見なくていい。
かわいい顔、輝く人に、
もう惹かれなくていい。無駄だから。
そして、お休み、ぼくのエッチな気持ち。
理性をぼくの君主にしよう。
分別ついて、今さらながらわかってきた、
妄想の代償は大きかった、って。
お休み、もうゆっくりして。
お休み、もうどきどきしなくていい。
こう信じよう、気持ちが盛りあがらなければ
体も盛りあがらない。
そしてお休み、ぼくのエロ息子、
ぼくの小鳥くん、もうお休み。
歳でもう熱くなれない、まじめぶる必要もない。
もう子づくり道具はお片づけ、それしかない。
子守り歌だけが今の楽しみ。
子守り歌で欲望はふにゃふにゃに。
ペニーがある奴がお支払い。
もうぼくには何も払えない。
こうして歌う、ぼくの若さと目と
欲望とあそこに子守り歌。昔の自分にお休みを。
ずるずる引きずってはいられない。
こんにちは、痛みくん。楽しみさん、さようなら。
子守り歌でさようなら。
子守り歌で楽しい夢忘れ。
次に起きたら、ぼんやりした目で
この子守り歌をまた歌おう。
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George Gascoigne
"The Lullaby of a Lover"
Sing lullaby, as women do,
Wherewith they bring their babes to rest,
And lullaby can I sing too
As womanly as can the best.
With lullaby they still the child,
And if I be not much beguiled,
Full many wanton babes have I
Which must be stilled with lullaby.
First lullaby my youthful years;
It is now time to go to bed,
For crooked age and hoary hairs
Have won the haven within my head.
With lullaby, then, youth be still;
With lullaby content thy will;
Since courage quails and comes behind,
Go sleep, and so beguile thy mind.
Next, lullaby my gazing eyes,
Which wonted were to glance apace.
For every glass may now suffice
To show the furrows in my face;
With lullaby then wink awhile,
With lullaby your looks beguile;
Let no fair face nor beauty bright
Entice you eft with vain delight.
And lullaby, my wanton will;
Let reason's rule now reign thy thought,
Since all too late I find by skill
How dear I have thy fancies bought;
With lullaby now take thine ease,
With lullaby thy doubts appease.
For trust to this: if thou be still,
My body shall obey thy will.
Eke lullaby, my loving boy,
My little Robin, take thy rest;
Since age is cold and nothing coy,
Keep close thy coin, for so is best;
With lullaby be thou content,
With lullaby thy lusts relent,
Let others pay which hath mo pence;
Thou art too poor for such expense.
Thus lullaby, my youth, mine eyes,
My will, my ware, and all that was.
I can no mo delays devise,
But welcome pain, let pleasure pass;
With lullaby now take your leave,
With lullaby your dreams deceive;
And when you rise with waking eye,
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Stanley "On His Mistresse's Death"
トマス・スタンリー
「愛しい人の死」
(ペトラルカ『カンツォニエーレ 324』)
これまでの仕事に見あう豊かな実りを、
と愛の神がぼくに微笑んでくれそうだった。
ぼくに与えてくれそうだった、
ずっと願ってきた幸せを。
そんな時に、若く美しく咲き誇るぼくの夢とあの子は、
枯れて死んだ。ぼくのものにならなかった。
意地悪な死は、あつかましくも強引に
かわいいあの子をぼくから引き離した。
裏切り者の生は命の鎖でぼくを縛って、
あの子のところに行かせてくれない。
何に頼ればいい?
生も死も敵だったら?
いえ、愛の神さま、ごめんなさい、強く輝くあなたにとって、
生と死の思惑などお笑い種でしたね……。
あの子は墓と結ばれてなどいない。
ぼくも悲しみと結ばれてなどいない。
愛の神が結んだふたりだから、生も死も引き離せない。
あの子はぼくのなかに生き、ぼくはあの子のなか、死んだ。
*****
Thomas Stanley
"On His Mistresse's Death"
(Petrarch, Canzoniere 324)
Love the Ripe Harvest of my toils
Began to cherish with his Smiles
Preparing me to be indued
With all the Ioyes I long pursued,
When my fresh Hopes fair and full blown
Death blasts ere I could call my own.
Malicious Death why with rude Force
Dost thou my fair from me divorce?
False Life why in this loathed Chain
Me from my fair dost thou detain?
In whom assistance shall I finde?
Alike are Life and Death unkinde.
Pardon me Love thy power outshines,
And laughs at their infirm designes.
She is not wedded to a Tomb,
Nor I to sorrow in her room.
They what thou joyn'st can nere divide:
She lives in me in her I dy'd.
https://quod.lib.umich.edu/e/eebo/A61292.0001.001
*****
ダンテ、ペトラルカ的な、愛しい人の死の主題。
ダンテのベアトリーチェ、ペトラルカのラウラは
人妻だが、ここでは "fresh", "full blown" が
あらわすようにより若い女性が想定されている。
つまり、オウィディウス、アウソニウスらの古典詩、
ポンターノ、セクンドゥスらのネオラテン詩、
ロンサールらのフランス・ルネサンス詩以来の
カルペ・ディエムの主題がダンテ、ペトラルカの
純愛路線に接ぎ木されている。
(すでにロンサールがそのような作品を書いている。)
*****
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「愛しい人の死」
(ペトラルカ『カンツォニエーレ 324』)
これまでの仕事に見あう豊かな実りを、
と愛の神がぼくに微笑んでくれそうだった。
ぼくに与えてくれそうだった、
ずっと願ってきた幸せを。
そんな時に、若く美しく咲き誇るぼくの夢とあの子は、
枯れて死んだ。ぼくのものにならなかった。
意地悪な死は、あつかましくも強引に
かわいいあの子をぼくから引き離した。
裏切り者の生は命の鎖でぼくを縛って、
あの子のところに行かせてくれない。
何に頼ればいい?
生も死も敵だったら?
いえ、愛の神さま、ごめんなさい、強く輝くあなたにとって、
生と死の思惑などお笑い種でしたね……。
あの子は墓と結ばれてなどいない。
ぼくも悲しみと結ばれてなどいない。
愛の神が結んだふたりだから、生も死も引き離せない。
あの子はぼくのなかに生き、ぼくはあの子のなか、死んだ。
*****
Thomas Stanley
"On His Mistresse's Death"
(Petrarch, Canzoniere 324)
Love the Ripe Harvest of my toils
Began to cherish with his Smiles
Preparing me to be indued
With all the Ioyes I long pursued,
When my fresh Hopes fair and full blown
Death blasts ere I could call my own.
Malicious Death why with rude Force
Dost thou my fair from me divorce?
False Life why in this loathed Chain
Me from my fair dost thou detain?
In whom assistance shall I finde?
Alike are Life and Death unkinde.
Pardon me Love thy power outshines,
And laughs at their infirm designes.
She is not wedded to a Tomb,
Nor I to sorrow in her room.
They what thou joyn'st can nere divide:
She lives in me in her I dy'd.
https://quod.lib.umich.edu/e/eebo/A61292.0001.001
*****
ダンテ、ペトラルカ的な、愛しい人の死の主題。
ダンテのベアトリーチェ、ペトラルカのラウラは
人妻だが、ここでは "fresh", "full blown" が
あらわすようにより若い女性が想定されている。
つまり、オウィディウス、アウソニウスらの古典詩、
ポンターノ、セクンドゥスらのネオラテン詩、
ロンサールらのフランス・ルネサンス詩以来の
カルペ・ディエムの主題がダンテ、ペトラルカの
純愛路線に接ぎ木されている。
(すでにロンサールがそのような作品を書いている。)
*****
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From Harington, "A Preface, or Rather a Brief Apologie of Poetrie"
ジョン・ハリントン
「序--というか、この詩とその作者・翻訳者を弁護する短文--」より
(『狂えるオルランドー』)
確かに、キリスト教徒であるわたしたちにとって究極の目標は魂の救済であるから、詩だけでなくすべての学問はある意味でみな無駄で余計なものである。そう、(あの賢者が言っているように)太陽の下にあるものはすべて空虚、最高に虚しく、まったく無意味である。
. . . . . . . . . .
詩に対する主な反論に端的に答えるために、コルネリウス・アグリッパを引こう。彼の知恵と権威を侮ってはならない。アグリッパは詩と詩人をきつく非難して次のように言っていた。つまり、詩とは嘘のはじまりであり、馬鹿な者たちのおもちゃであり、危険な勘違いのもとであり、そして淫らな行為への誘いである、と。(詩に対する有効な批判とはこれらくらいである。)
まず詩は嘘ということであるが、これは創作の自由ということで許される、むしろ詩の特権である、と言いたいと思う。(アリストテレス)が言うように、創作とはすなわち模倣であり、ものごとを好きなようにつくっていい。昔の詩にもこうある。
Iuridicis, Erebo, fisco, fas viuere rapto,
Militibus, medicis, tortori, occidere Ludo est:
Mentiri Astronomis, pictoribus atque Poetis.
意味のない内容だから脚韻なしで英語に訳す。
法律家と地獄と大蔵省の仕事は略奪。
兵士と医者と処刑人の遊びは殺人。
星の学者と絵描きと詩人は公認嘘つき。
ということで、詩人にはある種の特権があって、嘘をつきたければついていい。だが、詩人は誰より本当のことを言っている、詩人はいっさい嘘をつかない、としたらどうか。実際、詩人は嘘つき、というのはたいした誹謗中傷である。本当の嘘つきとは嘘を本当という者だから。他の職の者がこの意味で嘘つきかどうかは、本人たちが考えればいい。詩人は嘘が本当であるとはけっして言わない。つくり話、現実のまねごととして詩をつくっているのだから、いくらそうしたくても詩人には嘘がつけない。
さて、第二の批判は、詩を楽しいと思うのは馬鹿だけ、ということである。すでに書いたが、実際のところ賢い者たちも詩が好きである。だから、馬鹿で無知な者をも楽しませる力がさらに詩にあるというなら、それは批判ではなくむしろ称賛に他ならない。馬鹿な者たちも詩を楽しく注意深く読み、そしてその内容から学ぶのであれば、いずれ彼らも賢くなるだろう。詩とは、楽しみであると同時に教訓である。甘い飴であると同時に苦い大黄である。娯楽である同時に薬である。ホラティウスが言うように、「喜と利あはせたるは皆称へり」。面白くて正しいこと、楽しくて役立つことを語る者は間違いなくよいもの書きなのであり、そのような者こそ詩人である。そんな詩人が語る話が、遊んでいる子供を、火のそばから離れられない老人を、引き寄せるのである。
勘違いのもととなる、という第三の批判については、なぜそんな話になるのか、わたしにはさっぱりわからない。そもそも詩人が自分の創作を事実と信じる必要などないし、彼は読者が文字どおりの事実として作品を読むことも期待していない。勘違いを生むものとは何か、よく考えれば明らかである。それは詩ではなく、論説などの散文である。その著者や、その正しさを支持する者たちが事実の勘違いをもたらすのである。このことは火を見るより明らかなので、これ以上の証明は不要だろう。
最後の批判は、詩が淫らでいやらしい、ということだ。これは重要な批判であり、フィリップ・シドニーも言っているように、欲望の神クピドは英雄物語にも忍びこんでくる。つまり、英雄詩も淫らの誹(そし)りを免れえない。冒頭で約束したように、わたしは詩に対してえこひいきをしない。詩が本当に批判に値する時には、率直に正直にそう言う。だから言うが、詩に対する正当な批判があるとしたら、それはこの卑猥さである。確認するが、あらゆる種類の詩のなかで、もっとも卑猥でないのが英雄詩である。他の種の詩については、擁護するというより言い訳することしかできない。が、まずこう言いたい。問題は、下品で淫らな内容の詩が読者に失礼ということではない。そのような作品においては、むしろ作者が詩に対して失礼なのである。
かんたんにすべての種類の作品について確認しておこう。悲劇はまったく猥褻ではない。悲劇は冷酷な君主の無法行為を描き、憎しみと憐れみをかき立てるのみである。喜劇については、確かに愚かな劇作家が卑猥で人の気分を害する作品を書くとはいえ、正しくつくられたよい喜劇は、猥褻なことを認めるのではなく嘲笑している。諷刺はまったく猥褻ではない。諷刺はあらゆる悪を、然るべく皮肉なかたちでただ非難するのみである。哀歌はいつも悲しいから関係ない。牧歌とソネットとエピグラムはしばしば卑猥であり、いちゃいちゃした恋愛を扱う。時には、掟破りと言われてもしかたがないほど、お下劣になったりする。しかし、そんな最低最悪なほど卑猥な牧歌・ソネット・エピグラムであっても、しばしば作品としてそこそこ上手に書かれていて、素直に白状するが、とてもおもしろかったりするので、マルティアリスが言うように、
皆彼の書を称へり、然し乍ら此の書を読めり
ということになるのである。また、別のところで彼は言う。
吾が書を閉じルクレティア顔赤らめり、
其れブルトゥスの前なれば。ブルトゥス往けり、然れば読まん。
ルクレティア(に代表されるまじめなご婦人たち)は、淫らな本を読んで顔を赤くするだろう。あるいはそもそも恥ずかしくてそんなもの読もうとしないだろう。ん? 待て、本当か? ブルトゥスが、つまり誰か立派な男が、近くにいなければ話は違ってくるだろう。エッチな本を読んでいるのを見られたくないだけなのだ。だからブルトゥスが行ってしまえば、またその本に戻り、そして最後まで読むだろう。
*****
John Harington
From "A Preface, or Rather a Brief Apologie of Poetrie,
and of the Author and Translator of this Poeme"
In Orlando Furioso in English Heroical Verse
I cannot denie but to vs that are Christians, in respect of the high end of all, which is the health of our soules, not onely Poetrie, but all other studies of Philosophie, are in a manner vaine and supersluous: yea (as the wise man saith) whatsoeuer is vnder the sunne is vanitie of vanities, and nothing but vanitie.
. . . . . . . . . .
But briefly to answer to the chiefe obiections,*Cornelius Agrippa, a man of learning and authoritie not to be despised, maketh a bitter inuectiue against Poets and Poesie, and the summe of his reproofe of it is this (which is all that can with any probablitie be said against it:*) That it is a nurse of lies, a pleaser of fooles, a breeder of dangerous errors, and an inticer to wantonnesse.
And first for lying, I might if I list excuse it by the rule of Poetica licentia, and claime a priueledge giuen to Poetrie, whose art is but an imitation (as Aristotle calleth it) and therefore are allowed to faine what they list, according to that old verse,
Iuridicis, Erebo, fisco, fas viuere rapto,
Militibus, medicis, tortori, occidere Ludo est:
Mentiri Astronomis, pictoribus atque Poetis.
Which because I count it without reason, I will English it without rime.
Lawyers, Hell, and the Checquer are allowed to liue on spoile,
Souldiers, Phisitians, and hangmen make a sport of murther,
Astronomers, Painters, and Poets may lye by authoritie.
Thus you see, that Poets may lye if they list Cum priuilegio: but what if they lye least of all other men? what if they lye not at all? then I thinke that great slaunder is verie vniustly raised vpon them. For in my opinion they are said properly to lye, that affirme that to be true that is false: and how other arts can free themselues from this blame let them look that professe them: but Poets neuer affirming any for true, but presenting them to vs as fables and imitations, cannot lye though they would. . . .
Now the second obiection is pleasing of fooles; I haue already showed, how it displeaseth not wise men, * now if it haue this vertue to, to please the fooles, and ignorant, I wold thinke this an article of prayse not of rebuke: wherefore I confesse that it pleaseth fooles and so pleaseth them, that if they marke it and obserue it well, it will in time make them wise, for in verse is both goodnesse and sweetnesse, Rubarb and Sugercandie, the pleasant and the profitable: wherefore as Horace sayth, Omne tulit punctum qui miscuit vtile dulci, he that can mingle the sweete and wholsome, the pleasant and the profitable, he is indeed an absolute good writer, & such be Poets, if any be such, they present vnto vs a prettie tale, able to keepe a childe from play, and an old man from the chimnie corner. . . .
Now for the breeding of errours which is the third Obiection, I see not why it should breed any when none is bound to beleeue that they write, nor they looke not to haue their fictions beleeued in the literall sence, and therefore he that well examine whence errours spring, shall finde the writers of prose & not of verse, the authors and maintainers of them, and this point I count so manifest as it needes no proofe.
The last reproofe is lightnes and wantonnes, this is indeed an Obiection of some importance, sith as Sir Philip Sidney confesseth, Cupido is crept euen into the Heroicall Poemes, & consequently maketh that also, subiect to this reproofe: I promised in the beginning not partially to praise Poesie, but plainly and honestly to confesse that, that might truely be obiected against it, and if any thing may be, sure it is this lasciuiousnesse; yet this I will say, that of all kinde of Poesie, the Heroicall is least infected therewith. The other kindes I will rather excuse then defend, though of all the kindes of Poesie it may be sayd, where any scurrilitie and lewdnesse is found, there Poetrie doth not abuse vs, but writers haue abused Poetrie.
And brieflie to examine all the kindes: First the Tragicall is meerely free from it, as representing onely the cruell and lawlesse proceedings of Princes, mouing nothing but pitie or detestation. The Comicall (whatsoeuer foolish play makers make it offend in this kind) yet being rightly vsed, it represents them so as to make the vice scorned and not embraced. The Satyrike is meerly free from it, as being wholy occupied in mannerly and couertly reprouing of all vices. The Elegie is stil mourning: as for the Pastorall with the Sonnet or Epigramme, though many times they sauour of wantonnesse and loue and toying, and now and then breaking the rules of Poetrie, go into plaine scurrilitie, yet euen the worst of them may be not ill applied, and are, I must confesse, too delightfull, in so much as Martial saith,
Laudant illa, sed ista legunt.
And in another place,
Erubuit posuit{que}, meum Lucrecia librum:
Sed coram Bruto. Brute recede, leget.
Lucrecia (by which he signifies any chast matron) will blush and be ashamed to reade a lasciuious booke: but how? not except Brutus be by, that is, if any graue man should see her reade it; but if Brutus turne his backe, she will to it againe and reade it all.
https://quod.lib.umich.edu/e/eebo/A21106.0001.001
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「序--というか、この詩とその作者・翻訳者を弁護する短文--」より
(『狂えるオルランドー』)
確かに、キリスト教徒であるわたしたちにとって究極の目標は魂の救済であるから、詩だけでなくすべての学問はある意味でみな無駄で余計なものである。そう、(あの賢者が言っているように)太陽の下にあるものはすべて空虚、最高に虚しく、まったく無意味である。
. . . . . . . . . .
詩に対する主な反論に端的に答えるために、コルネリウス・アグリッパを引こう。彼の知恵と権威を侮ってはならない。アグリッパは詩と詩人をきつく非難して次のように言っていた。つまり、詩とは嘘のはじまりであり、馬鹿な者たちのおもちゃであり、危険な勘違いのもとであり、そして淫らな行為への誘いである、と。(詩に対する有効な批判とはこれらくらいである。)
まず詩は嘘ということであるが、これは創作の自由ということで許される、むしろ詩の特権である、と言いたいと思う。(アリストテレス)が言うように、創作とはすなわち模倣であり、ものごとを好きなようにつくっていい。昔の詩にもこうある。
Iuridicis, Erebo, fisco, fas viuere rapto,
Militibus, medicis, tortori, occidere Ludo est:
Mentiri Astronomis, pictoribus atque Poetis.
意味のない内容だから脚韻なしで英語に訳す。
法律家と地獄と大蔵省の仕事は略奪。
兵士と医者と処刑人の遊びは殺人。
星の学者と絵描きと詩人は公認嘘つき。
ということで、詩人にはある種の特権があって、嘘をつきたければついていい。だが、詩人は誰より本当のことを言っている、詩人はいっさい嘘をつかない、としたらどうか。実際、詩人は嘘つき、というのはたいした誹謗中傷である。本当の嘘つきとは嘘を本当という者だから。他の職の者がこの意味で嘘つきかどうかは、本人たちが考えればいい。詩人は嘘が本当であるとはけっして言わない。つくり話、現実のまねごととして詩をつくっているのだから、いくらそうしたくても詩人には嘘がつけない。
さて、第二の批判は、詩を楽しいと思うのは馬鹿だけ、ということである。すでに書いたが、実際のところ賢い者たちも詩が好きである。だから、馬鹿で無知な者をも楽しませる力がさらに詩にあるというなら、それは批判ではなくむしろ称賛に他ならない。馬鹿な者たちも詩を楽しく注意深く読み、そしてその内容から学ぶのであれば、いずれ彼らも賢くなるだろう。詩とは、楽しみであると同時に教訓である。甘い飴であると同時に苦い大黄である。娯楽である同時に薬である。ホラティウスが言うように、「喜と利あはせたるは皆称へり」。面白くて正しいこと、楽しくて役立つことを語る者は間違いなくよいもの書きなのであり、そのような者こそ詩人である。そんな詩人が語る話が、遊んでいる子供を、火のそばから離れられない老人を、引き寄せるのである。
勘違いのもととなる、という第三の批判については、なぜそんな話になるのか、わたしにはさっぱりわからない。そもそも詩人が自分の創作を事実と信じる必要などないし、彼は読者が文字どおりの事実として作品を読むことも期待していない。勘違いを生むものとは何か、よく考えれば明らかである。それは詩ではなく、論説などの散文である。その著者や、その正しさを支持する者たちが事実の勘違いをもたらすのである。このことは火を見るより明らかなので、これ以上の証明は不要だろう。
最後の批判は、詩が淫らでいやらしい、ということだ。これは重要な批判であり、フィリップ・シドニーも言っているように、欲望の神クピドは英雄物語にも忍びこんでくる。つまり、英雄詩も淫らの誹(そし)りを免れえない。冒頭で約束したように、わたしは詩に対してえこひいきをしない。詩が本当に批判に値する時には、率直に正直にそう言う。だから言うが、詩に対する正当な批判があるとしたら、それはこの卑猥さである。確認するが、あらゆる種類の詩のなかで、もっとも卑猥でないのが英雄詩である。他の種の詩については、擁護するというより言い訳することしかできない。が、まずこう言いたい。問題は、下品で淫らな内容の詩が読者に失礼ということではない。そのような作品においては、むしろ作者が詩に対して失礼なのである。
かんたんにすべての種類の作品について確認しておこう。悲劇はまったく猥褻ではない。悲劇は冷酷な君主の無法行為を描き、憎しみと憐れみをかき立てるのみである。喜劇については、確かに愚かな劇作家が卑猥で人の気分を害する作品を書くとはいえ、正しくつくられたよい喜劇は、猥褻なことを認めるのではなく嘲笑している。諷刺はまったく猥褻ではない。諷刺はあらゆる悪を、然るべく皮肉なかたちでただ非難するのみである。哀歌はいつも悲しいから関係ない。牧歌とソネットとエピグラムはしばしば卑猥であり、いちゃいちゃした恋愛を扱う。時には、掟破りと言われてもしかたがないほど、お下劣になったりする。しかし、そんな最低最悪なほど卑猥な牧歌・ソネット・エピグラムであっても、しばしば作品としてそこそこ上手に書かれていて、素直に白状するが、とてもおもしろかったりするので、マルティアリスが言うように、
皆彼の書を称へり、然し乍ら此の書を読めり
ということになるのである。また、別のところで彼は言う。
吾が書を閉じルクレティア顔赤らめり、
其れブルトゥスの前なれば。ブルトゥス往けり、然れば読まん。
ルクレティア(に代表されるまじめなご婦人たち)は、淫らな本を読んで顔を赤くするだろう。あるいはそもそも恥ずかしくてそんなもの読もうとしないだろう。ん? 待て、本当か? ブルトゥスが、つまり誰か立派な男が、近くにいなければ話は違ってくるだろう。エッチな本を読んでいるのを見られたくないだけなのだ。だからブルトゥスが行ってしまえば、またその本に戻り、そして最後まで読むだろう。
*****
John Harington
From "A Preface, or Rather a Brief Apologie of Poetrie,
and of the Author and Translator of this Poeme"
In Orlando Furioso in English Heroical Verse
I cannot denie but to vs that are Christians, in respect of the high end of all, which is the health of our soules, not onely Poetrie, but all other studies of Philosophie, are in a manner vaine and supersluous: yea (as the wise man saith) whatsoeuer is vnder the sunne is vanitie of vanities, and nothing but vanitie.
. . . . . . . . . .
But briefly to answer to the chiefe obiections,*Cornelius Agrippa, a man of learning and authoritie not to be despised, maketh a bitter inuectiue against Poets and Poesie, and the summe of his reproofe of it is this (which is all that can with any probablitie be said against it:*) That it is a nurse of lies, a pleaser of fooles, a breeder of dangerous errors, and an inticer to wantonnesse.
And first for lying, I might if I list excuse it by the rule of Poetica licentia, and claime a priueledge giuen to Poetrie, whose art is but an imitation (as Aristotle calleth it) and therefore are allowed to faine what they list, according to that old verse,
Iuridicis, Erebo, fisco, fas viuere rapto,
Militibus, medicis, tortori, occidere Ludo est:
Mentiri Astronomis, pictoribus atque Poetis.
Which because I count it without reason, I will English it without rime.
Lawyers, Hell, and the Checquer are allowed to liue on spoile,
Souldiers, Phisitians, and hangmen make a sport of murther,
Astronomers, Painters, and Poets may lye by authoritie.
Thus you see, that Poets may lye if they list Cum priuilegio: but what if they lye least of all other men? what if they lye not at all? then I thinke that great slaunder is verie vniustly raised vpon them. For in my opinion they are said properly to lye, that affirme that to be true that is false: and how other arts can free themselues from this blame let them look that professe them: but Poets neuer affirming any for true, but presenting them to vs as fables and imitations, cannot lye though they would. . . .
Now the second obiection is pleasing of fooles; I haue already showed, how it displeaseth not wise men, * now if it haue this vertue to, to please the fooles, and ignorant, I wold thinke this an article of prayse not of rebuke: wherefore I confesse that it pleaseth fooles and so pleaseth them, that if they marke it and obserue it well, it will in time make them wise, for in verse is both goodnesse and sweetnesse, Rubarb and Sugercandie, the pleasant and the profitable: wherefore as Horace sayth, Omne tulit punctum qui miscuit vtile dulci, he that can mingle the sweete and wholsome, the pleasant and the profitable, he is indeed an absolute good writer, & such be Poets, if any be such, they present vnto vs a prettie tale, able to keepe a childe from play, and an old man from the chimnie corner. . . .
Now for the breeding of errours which is the third Obiection, I see not why it should breed any when none is bound to beleeue that they write, nor they looke not to haue their fictions beleeued in the literall sence, and therefore he that well examine whence errours spring, shall finde the writers of prose & not of verse, the authors and maintainers of them, and this point I count so manifest as it needes no proofe.
The last reproofe is lightnes and wantonnes, this is indeed an Obiection of some importance, sith as Sir Philip Sidney confesseth, Cupido is crept euen into the Heroicall Poemes, & consequently maketh that also, subiect to this reproofe: I promised in the beginning not partially to praise Poesie, but plainly and honestly to confesse that, that might truely be obiected against it, and if any thing may be, sure it is this lasciuiousnesse; yet this I will say, that of all kinde of Poesie, the Heroicall is least infected therewith. The other kindes I will rather excuse then defend, though of all the kindes of Poesie it may be sayd, where any scurrilitie and lewdnesse is found, there Poetrie doth not abuse vs, but writers haue abused Poetrie.
And brieflie to examine all the kindes: First the Tragicall is meerely free from it, as representing onely the cruell and lawlesse proceedings of Princes, mouing nothing but pitie or detestation. The Comicall (whatsoeuer foolish play makers make it offend in this kind) yet being rightly vsed, it represents them so as to make the vice scorned and not embraced. The Satyrike is meerly free from it, as being wholy occupied in mannerly and couertly reprouing of all vices. The Elegie is stil mourning: as for the Pastorall with the Sonnet or Epigramme, though many times they sauour of wantonnesse and loue and toying, and now and then breaking the rules of Poetrie, go into plaine scurrilitie, yet euen the worst of them may be not ill applied, and are, I must confesse, too delightfull, in so much as Martial saith,
Laudant illa, sed ista legunt.
And in another place,
Erubuit posuit{que}, meum Lucrecia librum:
Sed coram Bruto. Brute recede, leget.
Lucrecia (by which he signifies any chast matron) will blush and be ashamed to reade a lasciuious booke: but how? not except Brutus be by, that is, if any graue man should see her reade it; but if Brutus turne his backe, she will to it againe and reade it all.
https://quod.lib.umich.edu/e/eebo/A21106.0001.001
*****
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参照する際には、このサイトの作者・タイトル・
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Petrarca, Canzoniere 302
フランチェスコ・ペトラルカ
『カンツォニエーレ』302
(英語訳アントニー・モーティマー)
想いに乗って、あの人のいるところに昇った。
もう地上で会えないあの人は
第三の天球にいた。
あの人は前よりきれいで、そして前より優しかった。
ぼくと手をつないで、こう言った。「希望を信じて。
手に入らなかったものが、ここでは手に入るの。
わたし、あなたに冷たかった。
そして、冷たいまま死んじゃった。
でも、思ってもみなかったくらい、ここでは幸せ。
待ってるね。あなたが以前愛してくれた
体は下の世界においてきちゃったけど。」
え、どうして手を離すの? もう声は聴けないの?
あの人の言葉、真っ白な手……
ぼくはそこに、天国に、ずっといたかったのに。
*****
Francesco Petrarca (Petrarch)
Canzoniere 302
(Tr. Anthony Mortimer)
絶版のペンギン版より。
https://quizlet.com/62328491/3810-poems-flash-cards/
*****
「第三の天」は天国。パウロ曰く、そこに昇った人は
「言葉ではあらわせないこと、人が語ってはならない言葉」
を聞く(2コリント人12.2)。
同時にそれは天動説の第三の天球。
金星、つまり愛と美の女神ウェヌスの星、
のあるところ。
*****
Ramie Targoff, Posthumous Love (2014) を読んでいる。
これはいい本。
*****
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『カンツォニエーレ』302
(英語訳アントニー・モーティマー)
想いに乗って、あの人のいるところに昇った。
もう地上で会えないあの人は
第三の天球にいた。
あの人は前よりきれいで、そして前より優しかった。
ぼくと手をつないで、こう言った。「希望を信じて。
手に入らなかったものが、ここでは手に入るの。
わたし、あなたに冷たかった。
そして、冷たいまま死んじゃった。
でも、思ってもみなかったくらい、ここでは幸せ。
待ってるね。あなたが以前愛してくれた
体は下の世界においてきちゃったけど。」
え、どうして手を離すの? もう声は聴けないの?
あの人の言葉、真っ白な手……
ぼくはそこに、天国に、ずっといたかったのに。
*****
Francesco Petrarca (Petrarch)
Canzoniere 302
(Tr. Anthony Mortimer)
絶版のペンギン版より。
https://quizlet.com/62328491/3810-poems-flash-cards/
*****
「第三の天」は天国。パウロ曰く、そこに昇った人は
「言葉ではあらわせないこと、人が語ってはならない言葉」
を聞く(2コリント人12.2)。
同時にそれは天動説の第三の天球。
金星、つまり愛と美の女神ウェヌスの星、
のあるところ。
*****
Ramie Targoff, Posthumous Love (2014) を読んでいる。
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*****
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Eliot, "New Hampshire"
T・S・エリオット
「ニュー・ハンプシャー」
りんごの園、こどもの声
花と実のあいだの季節
金色の頭、血の赤の頭
木の葉の緑から根までのあいだ
空には黒い、暗い羽の舞
長い年月、春の終わり
悲しい今日、悲しい明日
木漏れ日に包まれる、そんな夢
金色の頭、黒い羽
しがみつき、ぶらさがり
跳ねて、歌って
りんごの木のなかへ
*****
T. S. Eliot
"New Hampshire"
Children's voices in the orchard
Between the blossom- and the fruit-time:
Golden head, crimson head,
Between the green tip and the root.
Black wing, brown wing, hover over;
Twenty years and the spring is over;
To-day grieves, to-morrow grieves,
Cover me over, light-in-leaves;
Golden head, black wing,
Cling, swing,
Spring, sing,
Swing up into the apple-tree.
https://www.poetrynook.com/poem/new-hampshire-1
*****
知っている全世界の詩のなかで
たぶんこれがいちばん好き。
二十歳くらいの時に初めて読んで、
以来頭から離れない。
*****
https://tinyurl.com/yd2ogbn7
https://tinyurl.com/y9q7hotg
同日録音
https://archive.org/details/gt_202001xx_em
- 上のものは、ここの06と14。
- 03, 08も同じ曲、別ヴァージョン。
その他、全録音
https://archive.org/search.php?query=creator%3A%22GT_JP_1971%22&sort=titleSorter
*****
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「ニュー・ハンプシャー」
りんごの園、こどもの声
花と実のあいだの季節
金色の頭、血の赤の頭
木の葉の緑から根までのあいだ
空には黒い、暗い羽の舞
長い年月、春の終わり
悲しい今日、悲しい明日
木漏れ日に包まれる、そんな夢
金色の頭、黒い羽
しがみつき、ぶらさがり
跳ねて、歌って
りんごの木のなかへ
*****
T. S. Eliot
"New Hampshire"
Children's voices in the orchard
Between the blossom- and the fruit-time:
Golden head, crimson head,
Between the green tip and the root.
Black wing, brown wing, hover over;
Twenty years and the spring is over;
To-day grieves, to-morrow grieves,
Cover me over, light-in-leaves;
Golden head, black wing,
Cling, swing,
Spring, sing,
Swing up into the apple-tree.
https://www.poetrynook.com/poem/new-hampshire-1
*****
知っている全世界の詩のなかで
たぶんこれがいちばん好き。
二十歳くらいの時に初めて読んで、
以来頭から離れない。
*****
https://tinyurl.com/yd2ogbn7
https://tinyurl.com/y9q7hotg
同日録音
https://archive.org/details/gt_202001xx_em
- 上のものは、ここの06と14。
- 03, 08も同じ曲、別ヴァージョン。
その他、全録音
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参照する際には、このサイトの作者・タイトル・
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君とぼく、夢の旅
君とぼく、夢の旅
1.
朝、目を覚まして
予定は何もない
鏡のぼくは誰?
呼んでる君は誰?
秘密の茂み抜けて
野原に近道
思い出はいつも晴れ
お出かけは片道
夢のなか遊ぼう
こどもの君とぼく
旅・時間
夢・昔
旅・時間
夢・未来
2.
夜、眠り落ちて
予定は何もない
ぼくの名前は何?
呼んでる君は誰?
秘密の扉開けて
別の世界を覗き見
思い出は晴れで涙
お出かけは片道
夢のなか話そう
しわくちゃの君とぼく
旅・時間
夢・昔
旅・時間
夢・未来
*****
20200704-5
*****
新しい世界で
(新しい音が聞こえる)
と同じ曲。別アレンジ・別の歌詞。
*****
盗用・商用・悪用禁止。
1.
朝、目を覚まして
予定は何もない
鏡のぼくは誰?
呼んでる君は誰?
秘密の茂み抜けて
野原に近道
思い出はいつも晴れ
お出かけは片道
夢のなか遊ぼう
こどもの君とぼく
旅・時間
夢・昔
旅・時間
夢・未来
2.
夜、眠り落ちて
予定は何もない
ぼくの名前は何?
呼んでる君は誰?
秘密の扉開けて
別の世界を覗き見
思い出は晴れで涙
お出かけは片道
夢のなか話そう
しわくちゃの君とぼく
旅・時間
夢・昔
旅・時間
夢・未来
*****
20200704-5
*****
新しい世界で
(新しい音が聞こえる)
と同じ曲。別アレンジ・別の歌詞。
*****
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Marullus, "Ad Neaeram"
ミカエル・マルルス
「ネアエラに」
清純派だもんね、ネアエラ。いやかな? キスしていい?
あ、しまった、君の唇で、ぼくの魂がとろけちゃう。
死にそう。魂が抜けて帰ってこない。
あと一瞬遅れたら本当に死んじゃう。
だから心を送った、魂を探してこいって。そしたら心も
あのきれいな目につかまった。もう帰ってこない。
……でも、キスだけじゃなくって、炎ももらって
吸いこんだのかな、ネアエラから。魂が抜けてもまだ生きてるし?
ほんとはあれがぼくの最後の、そして最高の日だったのかも。
あの時ぼくは、君から唇を奪ったまま死んだのかも。
*****
Michael Marullus (b. after 1453, d.1500)
"Ad Neaeram"
Suaviolum invitae rapio dum casta Neaera,
Imprudens vestris liqui animam in labiis.
Exanimusque diu, cum nec per se ipsa rediret,
Et mora lethalis quantulacunque foret:
Misi cor quaesitum animam. sed cor quoque blandis
Captum oculis nunquam deinde mihi rediit.
Quod nisi suaviolo flammam quoque casta Neaera
Hausissem, quae me sustinet exanimum,
Ille dies misero mihi, crede, supremus amanti
Luxisset, rapui cum tibi suaviolum.
http://magyar-irodalom.elte.hu/gepesk/bbom/krit/fbb20f.htm
*****
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清純派だもんね、ネアエラ。いやかな? キスしていい?
あ、しまった、君の唇で、ぼくの魂がとろけちゃう。
死にそう。魂が抜けて帰ってこない。
あと一瞬遅れたら本当に死んじゃう。
だから心を送った、魂を探してこいって。そしたら心も
あのきれいな目につかまった。もう帰ってこない。
……でも、キスだけじゃなくって、炎ももらって
吸いこんだのかな、ネアエラから。魂が抜けてもまだ生きてるし?
ほんとはあれがぼくの最後の、そして最高の日だったのかも。
あの時ぼくは、君から唇を奪ったまま死んだのかも。
*****
Michael Marullus (b. after 1453, d.1500)
"Ad Neaeram"
Suaviolum invitae rapio dum casta Neaera,
Imprudens vestris liqui animam in labiis.
Exanimusque diu, cum nec per se ipsa rediret,
Et mora lethalis quantulacunque foret:
Misi cor quaesitum animam. sed cor quoque blandis
Captum oculis nunquam deinde mihi rediit.
Quod nisi suaviolo flammam quoque casta Neaera
Hausissem, quae me sustinet exanimum,
Ille dies misero mihi, crede, supremus amanti
Luxisset, rapui cum tibi suaviolum.
http://magyar-irodalom.elte.hu/gepesk/bbom/krit/fbb20f.htm
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