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Shelley, "To a Skylark" (14-21)

パーシー・B・シェリー(1792-1822)
「ひばりに歌う」 (14-21連)

結婚の合唱も、
勝利の歌も、
君の歌に比べれば、みな
中身のないいきがり、ほらのようなもの。
はっきりわからないが、そこには必ず何かが欠けている。
(66-70)

源には何がある?
君の楽しげな歌の源には?
どんな野原、波、山?
どんな姿の空、平野?
仲間に対するどんな愛? 苦痛に対するどんな無知?
(71-75)

君の透明で鋭い歓びは
疲れることを知らない。
不満やいらだちの影すら
けっして君には近づかない。
君は愛する・・・・・・そして愛に満ち飽きる悲しみを知らない。
(76-80)

目覚めていても、夢のなかでも、
君は知っているにちがいない、
死がより真正で、より深いものであると。
ぼくたち人間が夢見るより、はるかに正しく、深いものと。
でなければ、君の歌声はそのように、水晶の川のように、流れ出ないはずだろう?
(81-85)

ぼくたちは過去ふりかえり、未来を望む。
そして、そこにないものを求めて、病み、衰える。
心の底から笑っているときにも、
どこかに痛みを抱えている。
ぼくたちのもっとも美しい歌は、もっとも深い悲しみを歌う。
(86-90)

でも、もしぼくたちに、
憎しみ、傲慢、恐れをあざけることができないなら、
生まれながらにしてぼくたちは
涙を流す運命にあるのなら、
そもそも楽しみ、歓ぶ君の歌は聞こえてこないはずではないか。
(91-95)

どんなメロディやリズム、
どんな心地よい音より、
書物に記された
どんな宝より、
君の歌は詩人に多くを教えてくれる。大地をあざける君!
(96-100)

半分でいいから教えてほしい、
君の頭のなかにあるはずの楽しみ、歓びを。
そうすれば、狂いつつ調和するメロディが
ぼくの口から流れ出て、
すべての人々に聞こえるだろう。そう、今、ぼくが聞いているようなメロディが。
(101-5)

* * *
Chorus Hymeneal,
Or triumphal chant,
Matched with thine would be all
But an empty vaunt,
A thing wherein we feel there is some hidden want.
(66-70)

What objects are the fountains
Of thy happy strain?
What fields, or waves, or mountains?
What shapes of sky or plain?
What love of thine own kind? what ignorance of pain?
(71-75)

With thy clear keen joyance
Languor cannot be:
Shadow of annoyance
Never came near thee:
Thou lovest--but ne'er knew love's sad satiety.
(76-80)

Waking or asleep,
Thou of death must deem
Things more true and deep
Than we mortals dream,
Or how could thy notes flow in such a crystal stream?
(81-85)

We look before and after,
And pine for what is not:
Our sincerest laughter
With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.
(86-90)

Yet if we could scorn
Hate, and pride, and fear;
If we were things born
Not to shed a tear,
I know not how thy joy we ever should come near.
(91-95)

Better than all measures
Of delightful sound,
Better than all treasures
That in books are found,
Thy skill to poet were, thou scorner of the ground!
(96-100)

Teach me half the gladness
That thy brain must know,
Such harmonious madness
From my lips would flow
The world should listen then--as I am listening now.
(101-5)

* * *
以下、訳注。

66-70
なぜ結婚の歌、勝利の歌には欠けるところがある?
これという答えはなく、このスタンザのとらえ方は読者の
想像に委ねられている。個人的には、結婚や勝利を
祝う儀式/儀礼の際に、歌がお約束のように歌われることが
問われているのかと。つまり、本当に本当にうれしく
楽しい時には勝手に、自由に、歌や喜びの声が
ほとばしり出るはずだから、儀式的/儀礼的に
歌われるときの歌は、本当はうれしくも楽しくもないことを
あらわす、ということかと。(考えすぎ?)

以降、100行目まで、ひばりの世界と人間の世界が対比される。

76
超現実的な表現: 透明で鋭い歓び
ひばりの声のこと。

80
(特に男性は)愛に満たされると飽きる、というのが
詩によく見られる考え方。(正しいかどうかはともかく。)
たとえばキーツの「ギリシャの壺」など参照。

91-95
複雑な、一見混乱した構文(上記の訳は意訳)。
分解すると--
---
仮定節1:
私たちが憎しみなどをあざけることができるなら
(実際にはできない)

仮定節2:
私たちは涙を流すべく定められてはいないなら
(実際にはそう定められている)

帰結節:
だがなぜ、私たちにひばりの歓びの歌が聞こえるのか?
(もしかしたら、私たちには憎しみなどをあざけることが
できるのかもしれない、私たちは涙を流すべく定められて
いないのかもしれない・・・・・・。)
---

101-5
結論部: ぼくもひばりのように歌うことができたら!

103 harmonious madness
逆説あるいは撞着語法
(矛盾する言葉の組み合わせ)

* * *
英文テクストは Hutchinson, ed., The Complete Poetical Works
of Percy Bysshe Shelley
, vol. 2 (Oxford, 1914)
<http://www.gutenberg.org/ebooks/4798> より。

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を参照する際には、
このサイトのタイトル、URL, 閲覧日など必要な事項を必ず記し、
剽窃行為のないようにしてください。


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Shelley, "To a Skylark" (7-13)

パーシー・B・シェリー(1792-1822)
「ひばりに歌う」 (7-13連)

君が何なのか、ぼくたちは知らない。
君に似ているものは何?
虹の雲から、
そんなまぶしい雨粒は流れてこない、
君のいるところから降ってくるメロディの雨ほどには。
(31-35)

たとえば、君は詩人のよう? 思考の光のなかに
隠れていて、頼まれもしないのに
賛美歌を歌う。
すると世界中の人々が、
これまで気にとめていなかった希望と恐れで共鳴しはじめる。
(36-40)

それとも貴族の家の少女のよう?
お城の塔のなか、
愛がいっぱいで重い
魂を、こっそり夜に癒す
愛のように甘い音楽で・・・・・・そしてそれは洪水のように部屋からあふれ出す。
(41-45)

それとも金色の蛍?
木々から露のしたたる谷で、
誰のためにでもなく、
空気のように透明な光を
草花のあいだにまき散らす・・・・・・自分はその後ろに隠れつつ。
(46-50)

それともバラ? 緑の葉の
小部屋のなか、それは
あたたかい風に散らされる。
するとその香りで、
盗人たちの気が遠くなり、その羽も重くなる・・・・・・香りがあまりにも甘いから。
(51-55)

春の雨が、
キラキラ光る草に降る音、
雨に目を覚ます花々、
その他すべての
楽しげで、透きとおっていて、新しく、いきいきしたもの。でも君の歌はさらに上をいく。
(56-60)

教えてほしい、妖精または鳥の君、
どんなすてきなことを考えているの?
ぼくは聞いたことがない、
愛やワインを称える歌が、
君の歌ほど神々しい陶酔の洪水を、熱く、大きな音で流すのを。
(61-65)

(つづく)

* * *
What thou art we know not;
What is most like thee?
From rainbow clouds there flow not
Drops so bright to see,
As from thy presence showers a rain of melody.
(31-35)

Like a Poet hidden
In the light of thought,
Singing hymns unbidden,
Till the world is wrought
To sympathy with hopes and fears it heeded not:
(36-40)

Like a high-born maiden
In a palace tower,
Soothing her love-laden
Soul in secret hour
With music sweet as love, which overflows her bower:
(41-45)

Like a glow-worm golden
In a dell of dew,
Scattering unbeholden
Its aereal hue
Among the flowers and grass, which screen it from the view:
(46-50)

Like a rose embowered
In its own green leaves,
By warm winds deflowered,
Till the scent it gives
Makes faint with too much sweet those heavy-winged thieves:
(51-55)

Sound of vernal showers
On the twinkling grass,
Rain-awakened flowers,
All that ever was
Joyous, and clear, and fresh, thy music doth surpass:
(56-60)

Teach us, Sprite or Bird,
What sweet thoughts are thine;
I have never heard
Praise of love or wine
That panted forth a flood of rapture so divine.
(61-65)

* * *
以下、訳注。この箇所では、想像がかなり暴走している。

33-35
超現実的な表現:
虹の雲からまぶしい雨粒/メロディの雨
- 虹の光は雨粒ではない。
- ひばりの声は雨ではない。

虹の光を雨にたとえ、それをさらに
ひばりの声と比較して、ひばりの声のほうが上、といっている。
(が、もう少しシンプルに、ひばりの声が、下の画像のような
虹の光にたとえられている、という理解でもいいかと。)


By jannefoo (Janne V)
http://jannefoo.deviantart.com/art/
BowRain-34239662?fullview=1
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Rainbow_panorama.jpg?uselang=ja
(それぞれ改行を入れています。)

36-40
32行目の「君に似ているのは何?」という疑問に対する答えとして、
まずひばりを詩人にたとえる。ポイントは、「ひばりは見えないが、
その大きな声が聞こえる」ということ。(第3スタンザ以降、この点が
一貫している。)詩人は見えないが、その歌には大きな影響力が。

37
超現実的な表現:
思考の光
- 思考は光ではない。

41-45
今度はひばりを貴族の家の少女にたとえる・・・・・・
よくも悪くもすごい比喩。ひばりの声=
貴族の女の子が恋する思いを託して歌う歌。
(正しい反応は、「はぁ?」くらいかと。想像力への
敬意をこめて。)

再度、ポイントは、ひばり(少女)は見えないが、
その大きな声(少女の歌声)が聞こえること。

45
超現実的な表現:
愛のように甘い音楽/音楽(または愛)が洪水
- 愛は音楽ではない
- 音楽(または愛)は水ではない。

45行目の which の先行詞が love なのか、
love のように甘い music なのか、あいまい。
「愛と同じくらい甘い音楽」と比較されているので、
いわば一体化したものとして両方を先行詞として
とらえるべきかと。


By ceridwen
http://www.geograph.org.uk/photo/752031
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cathedral_
tower_above_Bishop%27s_Palace_-_geograph.org.uk_-_752031.jpg
(画像は、貴族の宮殿ではなく主教の屋敷。また奥の塔も聖堂の
ものとのこと。さらに、重なって見えるが手前の屋敷と奥の聖堂は
別の建物。)

46-50
今度はひばりを蛍にたとえる。超現実的に、
ひばりの声=蛍の光。再度、ポイントは、ひばり(蛍)は見えないが、
その大きな声(光)が聞こえること。

48-50
超現実的な表現:
蛍が空気の色の光をまき散らす
- 空気に色はない。

51-55
今度はバラにたとえる。超現実的に、
ひばりの声=気が遠くなるほど甘いバラの香り。
(ふたたび、正しい反応は「はぁ?」かと。親愛の情と
想像力への敬意をこめて。)再度、ポイントは、ひばりは
見えないが(バラは葉の小部屋に隠れているが)、
その大きな声が聞こえること(香りがあふれてくること)。

55
盗人たちとは風のこと。風が泥棒なのは、バラの花を
散らすから、バラから花びらを奪うから。また、羽が重いのは、
香りで気が遠くなり、神経が麻痺して、ということ。

61-65
このスタンザから次の展開へ。空から降りそそぐひばりの
歌の原動力は何か、ひばりが何を考えているのか、
何について歌っているのか、を人間の世界と対比しつつ
数スタンザにわたって問う。

63-65
ひばりの歌と愛やワインを主題として人が歌う歌を比較し、
ひばりの歌のほうが上、ということ。

65 pant
大きな音を立てて熱い空気や蒸気を出す(OED, 1d)。
(これは自動詞としての定義だが、これを他動詞的に
援用しているものと思われる。通常の「あえぐ」とか、
「息切れ」とか、そのようなマイナスなニュアンスは
文脈にあわない。)

65
超現実的な表現(何重にも):
愛やワインを称える歌は、(ひばりの歌のように)神々しい
陶酔の洪水を、熱く、大きな音で流さない
- 陶酔は洪水ではない
- 陶酔は音ではない
- 歌は洪水を流さない
- ひばりの歌は熱い陶酔の洪水ではない

* * *
英文テクストは Hutchinson, ed., The Complete Poetical Works
of Percy Bysshe Shelley
, vol. 2 (Oxford, 1914)
<http://www.gutenberg.org/ebooks/4798> をベースに
編集したもの(編集中)。参照しているのは以下のもの。

Shelley, The Major Works, ed. Leader and O'Neill
(Oxford, 2003).

---, Shelley's Poetry and Prose, ed. Reiman and Fraistat
(Norton, 2002).

* * *
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Shelley, "To a Skylark" (1-6)

パーシー・B・シェリー(1792-1822)
「ひばりに歌う」 (1-6連)

やあ、陽気な妖精の君!
君は絶対に鳥じゃない。
天から、あるいはそこに近いところから、
君は心そのものをそそぐ。
あふれるほどの即興のメロディというかたちに変えて。

どんどん高く、さらに高く、
大地から君は飛び立つ。
まるで炎の雲のように。
君は青く深い空を横切って飛ぶ。
歌いながら舞いあがり、そして舞いあがりながら歌う。

沈んだ太陽の
金色の稲妻のなかを、
輝く雲の下を、
君は漂い、駆けぬける。
まるで、からだをもたない「歓び」そのものが走りはじめたかのように。

赤くおぼろげな夕暮れが、
君が飛ぶまわりで溶ける。
天の星が
一面に広がる日の光のなかで見えないように、
君も見えない。が、君の鋭い高音の歓びが聞こえる。

君の声はまるで鋭い矢、
あの銀色の星から降る矢だ。
その星のまぶしい光は弱くなっていく、
透き通るような白い夜明けのなかで。
そしてほとんど見えなくなる・・・・・・が、そこに銀の星は確かにあって。

大地そのものが、すべての空気が、
君の声で大きく鳴りひびく。
まるで、裸の夜に、
ひとつだけ浮かぶ雲から
月が光の矢を雨のように降らせ、空が大洪水になるように。

(つづく)

* * *
Percy Bysshe Shelley
"To a Skylark"

Hail to thee, blithe Spirit!
Bird thou never wert,
That from Heaven, or near it,
Pourest thy full heart
In profuse strains of unpremeditated art.

Higher still and higher
From the earth thou springest
Like a cloud of fire;
The blue deep thou wingest,
And singing still dost soar, and soaring ever singest.

In the golden lightning
Of the sunken sun,
O'er which clouds are bright'ning,
Thou dost float and run;
Like an unbodied joy whose race is just begun.

The pale purple even
Melts around thy flight;
Like a star of Heaven,
In the broad daylight
Thou art unseen, but yet I hear thy shrill delight,

Keen as are the arrows
Of that silver sphere,
Whose intense lamp narrows
In the white dawn clear
Until we hardly see--we feel that it is there.

All the earth and air
With thy voice is loud,
As, when night is bare,
From one lonely cloud
The moon rains out her beams, and Heaven is overflowed.

* * *
ひばり

By DAVID ILIFF
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Skylark_1,
_Lake_District,_England_-_June_2009.jpg?uselang=ja
(改行を入れています。以下、URLはすべて同様。)

ひばりの声(RSPBサイト内のページ)
http://www.rspb.org.uk/wildlife/
birdguide/name/s/skylark/index.aspx

ワーズワースに「ひばりに歌う」("To a Sky-Lark")という詩があり、
シェリーの「ひばり」はそれを引き継ぎ、発展させたもの。

(一応、念のため)
「シェリー」というのは姓で、名前はパーシー、男性。

* * *
以下、訳注。

1 spirit
からだをもたない超自然的存在(OED 3a, 3d)

2 wert
Were (初期近代英語における活用形、Shakespeare が
用いたかたち--OED, "Be," A.III.6b).

4-5
この「メロディというかたちで心をそそぐ」など、
シェリーの詩には共感覚的(あるいはそれ以上)に交錯した
超現実的な表現がしばしば見られる。

メロディ: 聴覚の対象
心(感情): 思考の対象(抽象概念)
注ぐ: 視覚/触覚/聴覚の対象

---
(参考)
詳しく調べてはいないが、このような表現への嗜好は
コールリッジなどから引き継いだものと思われる。
("Eolian Harp" など参照。)

コールリッジやシェリーの作品に見られる、
共感覚的/超現実的な表現は、17世紀の一部の詩人に
特徴的な、ある種行きすぎた感のある比喩
(文学史上「奇想」conceit とよばれるもの)の
19世紀版とはいえないか。

実際コールリッジは、この「奇想」によって知られるジョン・
ダン(John Donne)を高く評価していた。曰く--

「ダンの "The Canonization" はお気に入りのひとつ」。

「学生に最高レベルの読み方を教えたいなら、まずダン、
特に "Satyre III" を読ませよう。・・・・・・ダンが
読めるようになったら、次はミルトンに送り込め」。

以上、Coleridge, The Major Works, ed. Jackson,
(Oxford, 2000), p. 570 より。
---

10-15
位置関係は以下の通り。
(下から順に)
- 太陽は沈んでいて見えない。
- 残り日で地平線上が明るい(稲妻が光ったときのように)。
- その上、はるか上空の雲も輝いている。

10 still
常に、継続的に(OED, adv. 3a)

11-12
超現実的な表現: 沈んだ太陽の金色の稲妻(のように見える明るさ)
- 太陽の光は稲妻ではない。

(なお、上記の通り比喩が大仰だったり、この一節のように
色彩的に強い表現が目立つこの詩ですが、実際シェリーは、
あっさり、さっぱり、しかも少しキラキラ、というような
きれいな文体をもっていると個人的に思います。)

15
超現実的な表現: ひばり=歓びそのもの

16-17
超現実的な表現: 赤くおぼろげな夕暮れが溶ける(ように見える)
- 夕暮れは固体ではないから溶けない。

(もちろん、「溶ける」という語は、かなり昔から比喩的に
用いられてきているなど、日常的な表現のうちにも
共感覚的/超現実的な表現はかなりある。
「心が痛い」とか、「冷たい言葉」とか、「おいしい話」とか。
なので、このような表現の突飛さや斬新さは、あくまで
程度の問題。)

16 purple
パープルとはもともと赤色のこと(OED B.1)

20
超現実的な表現: 鋭い高音の歓びが聞こえる(歓びの声が聞こえる)
- 歓びそのものは聞こえない。

22
銀色の星とは明けの明星としての金星、という注が
よくつけられているが、これは本当か? 詩の世界で
通常銀色と表現される星は月。弓や矢をもっているのも
月と狩猟の女神アルテミス=ダイアナ=シンシア。
たとえば、以下などを参照。

Ben Jonson, ("Queen and huntress")
Charlotte Smith, "Sonnet IV: To the Moon"
de la Mere, "Silver"

Jean-Antoine Houdon (1741-1828)
Diana. Bronze, 1790.

Digital photo by Tetraktys (Ricardo André Frantz)
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Houdon-diana.jpg

Augustus Saint-Gaudens (1848-1907)
Diana, 1892-93, 1928 cast.

Digital photo by Postdlf
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Diana_by_Augustus_Saint-Gaudens_01.jpg

「ひばりの声=星から降る光の矢」という比喩が5-6連
(21-30行)に共通することから見ても、やはり22行目の
"that silver sphere" は月と考えるべきかと。

25-26
このスタンザ間に、(そんな星と同様、君の姿も見えないが)
などの言葉を補うと話がつながる。

26―27
「大地と空気が大きく鳴りひびく」という表現は、
超現実的で突飛なのではなく(「音=空気や物の振動」
だから科学的に正しいが)、大地と空気が "loud" という
組み合わせ(collocation)そのものに違和感がある。
通常、何らかの音が "loud" なのであって、もの
(楽器など音を出すもの以外)が "loud" とはいわない。

28
超現実的な表現: 裸の夜(夜空に雲などがない、ということ)
- 夜そのものは服を着ない。

26-30
超現実的な表現:
月が光の矢を雨のように降らせ、空が大洪水
- 月の光は矢ではない。
- 月の光の矢は雨ではない。
- 空は大洪水にはならない。

しかもこれは、大地と空気がひばりの声で鳴りひびいていることの
たとえ。つまり、音を光にたとえ、さらにそれを水にたとえるという
二重あるいは三重の超現実的な表現となっている。

* * *
英文テクストは Hutchinson, ed.,The Complete Poetical Works
of Percy Bysshe Shelley
, vol. 2 (Oxford, 1914)
<http://www.gutenberg.org/ebooks/4798> をベースに
編集したもの(編集中)。現在、参照しているのは以下のもの。

Shelley, The Major Works, ed. Leader and O'Neill (Oxford, 2003).

---, Shelley's Poetry and Prose, ed. Reiman and Fraistat
(Norton, 2002).

* * *
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Blake, "Ah! Sun-Flower"

ウィリアム・ブレイク(1757-1827)
「ひまわりよ!」

ひまわりよ! 待つのに疲れた君、
それでも、君は太陽の足跡を数えて追う。
君が行きたいのは、あの黄金の国、
旅人の一日が終わるところ。

恋焦がれてやつれた若者と
白雪の死に装束に包まれた青白い処女が、
墓から起きて、手の届かないものを求めて立ちのぼる。
それがあるところに、ぼくのひまわりも行きたいんだ。

* * *

William Blake (1757-1827)
"Ah! Sun-Flower"

Ah Sun-flower! weary of time,
Who countest the steps of the Sun:
Seeking after that sweet golden clime,
Where the traveller's journey is done.

Where the Youth pined away with desire,
And the pale Virgin shrouded in snow:
Arise from their graves and aspire,
Where my Sun-flower wishes to go.

* * *

以下、訳注。

3 clime
地域、王国(OED 2, 2b)。

4 journey
一日の旅程/仕事(OED 2 および III)。

5 Where
・・・というようなところ(OED 6)。7行目までが、
この where からはじまる名詞節 = 「[T]he Youth と
the pale Virgin が(Arise して)aspire するところ」。

5 pined away with desire
分詞構文、the Youth を後ろから修飾。この "pine" は
他動詞(OED 4)。

6 shrouded
分詞構文、the pale Virgin を後ろから修飾。
"[S]hroud" も他動詞(OED "shroud" v.1, 7)。

6 snow
雪 = 白(純潔の色)。社会的に純潔を強いられて
(自然な、ある意味生命の証ともいえる性愛を禁じられて)、
死に装束(shroud)をまとうことになる、という文脈。
(私はあまり詳しくありませんが、社会的抑圧を嫌った
ブレイクらしい表現かと。かといって、シェリーのような
自由恋愛主義者でもなかったはずで。)

7 aspire
手の届きそうにないものを強く望む(OED 3)
+ 煙や炎のように立ちのぼる(OED 5)。

8 Where
そこへ(関係副詞、非制限/継続用法--OED 7b)。
「まさにそこに、ぼくのひまわりも行きたがっている」。

* * *

英文テクストは Songs of Innocence and of
Experience
(1789, 1794) のリプリント版
(Trianon, 1767; Oxford, 1970)にある
トランスクリプトより。(ブレイクが刷って色をつけたもの
ではなく、パンクチュエーションに編者の手が入ったもの。
編者は明確ではないが、おそらく序文と注を書いている
Geoffrey Keynes.)

版によってパンクチュエーションが異なります。私にとって
もっともしっくりきたのが上記のテクスト。

* * *

以下、解釈例。

ひまわり: 欲望/希望をもつ人間
太陽: 欲望/希望の対象

この関係で重要なのは、ひまわりが太陽にけっして
追いつかない、届かない、ということ。つまり、
人間の(大それた)欲望/希望はかなえられない、
ということ。

(第2スタンザ、5-6行目は、この欲望/希望を
性愛的なものとして描いているが、特にそのように
限定して読む必要はない。かなえられない欲望/
希望の典型として、若い男女の性愛があげられているだけ。
--Blake, "A Little Girl Lost" 参照。)

「(大それた)欲望/希望はかなえられない」ということを
どのようなニュアンスでとらえるかは、読者次第。
たとえば・・・・・・

Keynes:
日没、黄金の国、旅の終わり、墓などから、
来世への期待を読みとる。
(上記テクストの注、p. 149)

O'Neill and Mahoney:
欲望/希望を抱くことに対する共感と同時に、その不毛さに
対する批判を読みとる。
Romantic Poetry: The Annotated Anthology
[Blackwell], pp. 36-37)

私個人としては、これらはどちらも深読みしすぎの
ように思う。人はかなわないほど大きな欲望/希望を抱く、
ということ、そして、それが太陽を追うひまわりに
たとえられていること--これだけで、この詩の説明は
十分ではないか。

(太陽と、それを追うひまわりの絵を思い浮かべてみる。
私個人としては、はかなさ、むなしさと同時に、
ある種のすがすがしさと美しさを感じます--
上の O'Neill and Mahoney の西洋的/論理的な見解を、
日本的なわびさびの言葉でいいかえただけかもしれません。)


By Roland zh
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Katzensee_(oberer_Katzensee)_IMG_3867.jpg
(改行を入れています。)

* * *

なお、全八行のあいだに三回あらわれる "where" が
この詩の構文をとりにくくしています。この語の
くり返しには、人の欲望/希望の対象がどこに
あるのか実際なかなかわからない、ということを
暗示する意図があるように思われます。
若者と処女が昇っていくのは・・・・・・どこ?
ぼくのひまわりが行きたいのは・・・・・・どこ?
私のほしいものは・・・・・・どこ?
私にとって太陽って・・・・・・何?

* * *

以下、リズムの解釈例。





基調はストレス・ミーター。

特に第1スタンザは、四行からなり、ビート数が行ごとに
4 / 3(+1) / 4 / 3(+1) で、そして2行目と4行目で脚韻を踏むという、
いわゆるバラッド・ミーター。(3行目については、このリズムに
ぴったりのせるには golden の意味と音がやや強いような気が。)

第2スタンザのリズムは別の原理に基づく。ポイントは、
5, 6, 8行目のストレスとビートのパターンがまったく同じということ。
そしてそれぞれ、3-4音節目のストレスの連続(古典韻律でいう
強強格spondee)に、対応する語句 Youth(若者)と Virgin(処女)と
Sun-flower(ひまわり)をあわせていること。これら三者が、
まったく同じリズムで手の届かないものに向かってのぼっていく、
という含意。

全体としては、伝統的なバラッド・ミーターによる第1スタンザより、
内容に即して独自のリズムで歌う第2スタンザのほうが盛りあがる感じ。

(「ひまわりよ!」を含むブレイクの『無垢と経験の歌』
Songs of Innocence and of Experience)は
四拍子の詩における工夫の宝庫です。)

* * *

詩のリズムについては、以下がおすすめです。

ストレス・ミーターについて
Derek Attridge, Poetic Rhythm (Cambridge, 1995)

古典韻律系
Paul Fussell, Poetic Meter and Poetic Form, Rev. ed.
(New York, 1979)

その他
Northrop Frye, Anatomy of Criticism: Four Essays
(Princeton, 1957) 251ff.
(後日ページを追記します。和訳もあります。)

Joseph Malof, "The Native Rhythm of English Meters,"
Texas Studies in Literature and Language 5 (1964):
580-94

(日本語で書かれたイギリス詩の入門書、解説書の多くにも
古典韻律系の解説があります。)

* * *

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