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Sidney, "Faire rocks, goodly rivers. . . . "

フィリップ・シドニー(1554-1586)
(「きれいな岩、美しい川・・・・・・」)
(『ペンブルック伯爵夫人のアルカディア』より)

きれいな岩、美しい川、心地いい森、いつになったら
ぼくの心は安らぐのだろう?
- だまって。

だまって、って、そんなこというのは誰? 誰が近くにいるの?
- あたしよ。

わかった、こだまだね。
- そう、こだまよ。

ようこそ。こっちに来て、君の話もしてよ。
いいわよ。

魂を悲しみに奪われてしまっていて、
そんな状態で何か得られるものはあるのかな?
- 悲しみだけよ。

死んでしまいそうな心の痛みに効く薬って、
何かある?
- 死だけね。

ああ、なんて毒のような薬! それより悪い
ものって、ないんじゃない?
- 死があるわ。

この死に至る病にかかる前、ぼくはどうだった?
- 落ちついていたわ。

どういう性格だから、こんな状態になっちゃったのかな?
- 頭が悪いのよ。

欲望をとがめる強さが理性にはないのかな?
- 試してみれば。

やってみたよ。でも、なにか薬はある? 理性がどこか
行ってしまうんだ。
- ひとつあるわ。

おお! それ何? 何? ぼくの恋の薬になるのは?
- 相手も君が好きだったら、ね。

恋する男が求めるものは何? 何を手に入れたいんだろう?
- よろこびよ。

でも、そのよろこびって何? それを手に入れるために
苦しまなくてはならないなんて。
- その苦しみがよろこびなの。

なら、真剣な愛をいちばん実らせるものは何?
- それを終わらせることよ。

終わらせる? そんなこと絶対できないよ。
愛の神キューピッドが許してくれないよ。
- 恋なんて、もうやめておきなさい。

そういう薬が効かない状態の心って、どうなってるのかな?
- 病んでるのよ。

でも、ぼくがいったような病気のときにはどうすればいいか、
もう一回言ってよ。
- もう言ったでしょ。

こんな病気にかかった不幸な人には、それがいつ直るか
わかるかな?
- いいえ。

でも、自分の病気についてわかっていないんだったら、
誰にしたがって行けばいいの? 自分の目が見えないんだったら。
- 目の見えない人について行けば。

どんな目の見えない案内人が、夢見るような恋に
導いてくれるの?
- 妄想よ。

妄想って盲目なの? 空を歩いてるようにふわふわしてると
転んじゃうの?
- しょっちゅうね。

こんな拷問のようなつらさがぼくにふりかかってきたのは
なんでかな?
- 光にやられたのよ。

そんなちょっとしたことで、こんな死にそうにつらい気持ちに
なるの?
- そうよ。

でもさ、ぼくをこんな死にそうにつらい気持ちにする
ちょっとしたことって、いったい何?
- 目で見ちゃったのよ。

確かに、見たからまいっちゃったんだ。でも、ぼくの目を
つらぬいて入ってきたのは何なの?
- 彼女の視線よ。

目って、傷つけるの? 視線にぶつかって痛いなんて
ことがあるの?それでぼくはどうなったの?
- 堕ちたのよ。

でも、ぼくが堕ちたいちばんの理由は何かな?
- テクニックよ。

テクニック? 君のいうテクニックって、どんなもの?
- ことばよ。

ことばのテクニックがもたらすものって何?
ことばによって何が生まれて大きくなるの?
- 会話よ。

ちがうよ。会話以上のものさ。あの子のことばは、
ぼくをずっとしあわせにしてくれるんだ。
- より不幸にするのよ。

いつになったら、あの子、ぼくのこと気づいてくれるかな?
とにかく気づいてほしいんだけど。
- ずっと先の話ね。

そんなこというなんて、君もずっと悲しんでいればいいんだ。
あの子、ぼくの気持ち、どう思ってるのかな?
- 納めて当然の貢物のように、かしらね。

なら、彼女のところに行ったら、何をもらえるかな?
- 風のように気のない返事、くらいじゃない?

風、あらし、大雨かみなり、だったらどうしよう。
で、結局、ぼくの欲望に対して彼女はどう応えてくれるんだろう?
- 怒るんじゃない?

そんな、ぼく、かわいそう。 でも、しかたないのかな。
他の女性よりも高いところにいる人だから。
- ほーんのすこーし、だけね。

彼女のような、まるで天使みたいな人を、どう呼べば
いいんだろう?
- 悲しみをもたらす人、ね。

でも、その悲しみがよろこびのように感じられるんだ。
ぼくの気分にぴったりあっていて。
- わたしも、昔はそう思ってたわ。

ホントそうなんだよ。この悲しみを通らなくては、
ぼくが願っている幸せにたどり着けないんだ。
- 行きつく先は、幸せじゃないわ。呪いよ。

ぼくを幸せに導くものを呪いだなんて、君こそ
呪われてしまえ。
- 冗談よ。

へりくだって簡単なことをお願いしたら、
きれいな人でも応えてくれるんじゃないかな?
- ムリね。

手に入れることが困難ってことは、浮気を
しないってことだよ。鉄のようにかたい心が
あるってことで、ね。
- ウナギみたいに逃げられるわよ。

そういう人ってどう冷たいの? ねえ?
君はよく知ってるんでしょ?
- 傲慢で高飛車なのよ。

どうして傲慢になんかなるの? まさに美の源泉である
ような人が?
- まさに、キレイだからよ。

これはひどい冒涜だよ。いちばん神聖な人に対して。
- 神聖だなんて、ウソよ。

ウソをいっているのは君だよ。キレイな人の心は、
まさに美徳そのもののように正しいはずだよ。
- まさに、そのはず、なのにね・・・・・・。

神々にのみふさわしい、あのダイヤモンドのような
彼女たちの心を、君はバカにするのかい?
- 神々と女性だなんて、全然つりあってないわ。

つりあっていないなんて、そんなことないさ。だって、
ぼくは天国よりも彼女たちのほうがいいと思うんだから。
- 勘違いしてない?

でも、もう一回教えてよ。キレイだけど冷たい人を、
君はなんて呼ぶ?
- 悪魔、かしら。

悪魔? そんな悪魔がいる地獄なら、ぼくはよろこんでいくよ。
- いってらっしゃい。

* * *

Philip Sidney
"Faire rocks, goodly rivers, sweet woods. . . . "
(From The Countesse of Pembrokes Arcadia)

Faire rocks, goodly rivers, sweet woods,
when shall I see peace?
- Peace.

Peace? who debars me my tongue?
who is it that comes me so nie?
- I.

I doo know what guest I doo meete:
it is Echo.
- T'is Echo.

Well mett Echo; aproch, and tell me
thy will too.
- I will too.

Echo, what doo I get yeelding my sprite
to my grieves?
- Grieves.

What medicine may I finde for a paine
that drawes me to death?
- Death.

O poisonous medicine: what worse to me
can be then it?
- It.

In what state was I then, when I tooke
this deadly disease?
- Ease.

And what maner a minde, which had to
that humor a vaine?
- Vaine.

Hath not reason enough vehemence
the desire to reprove?
- Prove.

Oft prove I: but what salve, when Reason
seeks to be gone?
- One.

O what is it? what is it, that may be
a salve to my love?
- Love.

What doo lovers seeke for, long seeking
for t' enjoye?
- Joy.

What be the joyes, for which t' enjoye
they went to the paines?
- Paines.

Then to an earnest love what doth best
victorie lende?
- Ende.

Ende? but I can never ende: Love will
not give me the leave.
- Leave.

How be the mindes disposde, that cannot
taste the Physicke?
- Sicke.

Yet say againe th'advice for th'ils
that I tolde thee.
- I told thee.

Doth th'infecfed wretch of his ill
th'extremitie know?
- No.

But if he know not his harmes, what
guids hath he whilst he be blind?
- Blinde.

What blinde guides can he have that
leades to a fancie?
- A fancie.

Can fancies wante eyes? or he fall
that steppeth aloft?
- Oft.

What causes first made these torments
on me to light?
- Light.

Can then a cause be so light, that
forceth a man to goe die ?
- I.

Yet tell, what light thing I had in me
to drawe me to die?
- Eye.

Eie-sight made me to yeeld: but what
first pearst to my eyes?
- Eyes.

Eyes hurters? eyes hurte? but what
from them to me falls?
- Falls.

But when I first did fall, what brought
most fall to my harte?
- Arte.

Arte? what can be that arte, which thou
doost meane by thy speach?
- Speach.

What be the fruites of speaking arte,
what growes by the wordes?
- Wordes.

O much more then wordes: those wordes
served more me to blesse.
- Lesse.

O when shall I be knowne, where most
to be known I doo long?
- Longe.

Long be thy woes for such bad newes:
how recks she my thoughts?
- Oughts.

Then, then what doo I gayne, since
unt' her will I doo winde?
- Winde.

Winde, tempests, and stormes: yet in ende
what gives she desire?
- Ire.

Silly rewarde: yet above women
hath she a title.
- A tittle.

What great name may I give to
so heavenly a woman?
- A Wo-man.

Woe, but seems to me joye, that agrees
to my thought so.
- I thought so.

Thinke so: for of my desired blisse
it is onely the course.
- Course.

Curst be thy selfe for cursing that,
which leades me to joyes.
- Toyes.

What be the sweete creatures where
lowly demaundes be not harde?
- Harde.

Harde to be gott, but got constant,
to be helde very steeles.
- Eeles.

How be they helde unkinde? speake,
for th' hast narrowly pry'de.
- Pride.

How can pride come there since
springs of beautie be thence?
- Thence.

Horrible is this blasphemie unto
the most holie.
- O lye.

Thou li'st, false Echo; their mindes,
as vertue, be juste.
- Juste.

Mockst thou those Diamonds, which onely
be matcht by the Godds?
- Odds.

Odds? what an odds is there, since them
to the heav'ns I preferre?
- Erre.

Tell yet againe, how name ye the goodly
made evill?
- A devill.

Devill? in hell where such Devill is,
to that hell I doo goe.
- Goe.

* * *

羊飼いと「こだま」(Echo)の対話形式で書かれた詩。
人の言葉の終わりのところを、こだまがくり返す、
というオウィディウス『変身物語』以来の書き方。
(ウェブスターの『モルフィ公爵夫人』などにも見られる。)

「こだま」については、Jonson, "Echo's Song" についての
記事(20110521)もご参照を。

* * *

以下、訳注。
(行数は、この記事における表示上のもの。)

5 nie
= nigh = near

13 sprite

16-18
16-17世紀の作品には、恋わずらいで死ぬ、
というシナリオ、発想が頻出。

20 then
= than

25-26 what maner a
= What manner of (OED, "manner" n1, 9a).
語順などを修正すると、What kind of mind had
a vein to that humor?

[T]hat humorは、23行目のthis deadly
disease(つまり、恋わずらい)のこと。

26 vaine
= vein = 傾向(OED "vein" n. 13b)

27 vaine
= vain (知恵がない、思慮が足りない--OED,
"vain" a. and n. 3)。一般的にvainは、
中身がない、真の価値がない、というような意味。
「みえっぱり」という意味もここから。つまり、本当の
実力や富などをもっていないのに、そのふりをしている、という。

30 prove
試す、試験する(OED I)。

32 be gone
OED, "go" 48を参照。

44 victory
成就、成功(OED 3)。

44 lend
(一時的に)与える(OED "lend" v.2, 2a)。

47-48 leave
47では「許可」(名詞)。48では「やめる」、「捨てる」など
(動詞、OED, "leave" v.1, II)。

49 disposde
= disposed = なんらかの(身体的、精神的)状態にある
(OED, "disposed" 2a, 3)。

50 Physick
= physic = medicine (薬)。

56 extremitie
= extremity (本当の終わり、終わりの終わり)(OED 1)。

58-60
マタイの福音書15章14節、ルカの福音書6章39節のことば、
「盲目の人が盲目の人の手を引けば、二人ともドブに落ちる」から。
これを描いたブリューゲルの絵が次のURLなどに。
http://museodicapodimonte.campaniabeniculturali.
it/thematic-views/image-gallery/OA900019/?
searchterm=bruegel

62-63 fancy
62: 恋(OED 9b)、楽しいこと/もの(OED 10)。

68-70 light
68: 降りてくる(OED, "light" v1. II)。
69: 光(73行目以下参照)。
70: 軽い、やさしい、強引でない、重要でない、ちょっとした。

72 I
= aye = yes.
(「アイアイサー」の「アイ」はこれ。「サー」はSir.)

76 yeeld
= yield (降伏する)(OED, III)。

79 hurte
= hurt = ぶつかる (OED 6)、傷つける(OED 7)。

83 fall
"Fall" の原因(OED, "fall" n.1, 17)。

91-92
構文は、those wordes served more to bless[e] me.

97
「こだま」とナルキッソスのエピソードを参照。
(上記ジョンソンの記事20110521に。)

99 oughts
支払われて当然のもの(OED, "ought" n.2; "ought" v)。

101-2 winde
101: 行く(OED 2a)。
102: 中身のないもの/ことば(OED 15)。

102では、裏の意味として、おなら(OED 10)も。
出た、イギリス名物、トイレネタ・・・・・・。

103 tempest/storm
どちらも「あらし」(大雨+暴風+雷+稲妻)。
ただ、stormの場合、暴風抜きの場合も(OED 1a)。

106 Silly
あわれみや同情に値する(OED 1)。

107 title
地位、名誉などをあらわす称号(OED 5a)。

111 Wo-man
= Woe-man.

114
Jonson, "Echo's Song" についての記事
(20110521)を参照。かつて「こだま」が、ナルキッソスに
恋していたときの気持ちのことをいっている。

117 Course
= Curse

120 Toyes
= Toys = 冗談(OED 3a)。

124-6
ここは、当初削除された箇所。

133-5
[B]e justeの前にshouldなどの助動詞が省略されている。
羊飼いは、そうであるはず、という意味でshouldを使っている。
これに対して、「こだま」は、そのはずだけど、そうであるべき
(だけど違う)、といっている。

134-5 juste
134: 正しい(道徳的に)(OED, "just" a. 1)。
135: まさにその通り(OED, "just" adv. 3)。

133-5
美しい姿は美しい心のあらわれ、というかたちで、
プラトンのイデア論を応用している例。16-17世紀の
作品によく見られる。

ミルトンの『仮面劇』(コウマス)の主人公(気高い貴族の
少女)曰く、「心が強い人[女性]は、身体的にも強い
[悪い男性よりも]」。
(素直な援用。)

アフラ・ベーンの『放浪貴族』(The Rover)の主人公
(ナンパ野郎)曰く、「立派だろうがなんだろうが、カワイコ
ちゃんはカワイコちゃん」。
(美のイデア論なんてウソ、ということ。)

---
「健全な精神は健全な肉体に宿る」といういい方も同種。
私事ながら、からだの弱かったうちの祖母は、このいい方が
嫌いだったとのこと。)
---

138 Odds
釣り合いがとれていないもの、またはそんな状態
(OED, "odds" n. 1-2)。

* * *

詩形は、古代ギリシャ/ローマの長短短六歩格
Dactylic hexameterの英語版。長音節と短音節の
組みあわせでつくる、いわゆるquantitative verse
(「音量詩」と訳す?)のひとつ。

各行について、次のように音節が並ぶ

ˉ˘˘| ˉ˘˘ | ˉ˘˘ | ˉ˘˘ | ˉ˘˘ | ˉx

(四つ目までの ˉ˘˘ は ˉˉ でも置き換え可)

------
ˉ 長音節:
長母音、二重母音、二つの子音の前の母音
(ただし、この二つの子音が b, c, d, g, p, t + l, r の
組みあわせのときは除く。)

˘ 短音節:
長音節以外のすべての母音

x 長音節でも短音節でも、どちらでもいい
------

これは、古代ギリシャ/ローマの詩のリズムの代表的な
詩形のひとつで、ホメーロスの『イリアス』やウェルギリウスの
『アエネイス』など、特に叙事詩で用いられたもの。
シドニーの時代、16世紀の後半に、これを英語の詩に
導入した作品がかなり多く書かれたが、いろいろ無理が
あって不自然だったので、すぐに廃れた。

叙事詩の詩形で、上の詩のように恋愛小ネタを語ること自体、
この詩形の導入が、あくまで実験的な段階にあったことを
示している。

(ちなみにスペンサーは、この詩形の流行にのらなかった。)

上の詩のスキャンジョン例--


(下のAttridgeの本によれば、この詩のリズムの組み方には
ミスが多いとのこと。)

ラテン語の長/短音節と、英語の強/弱音節が
重なっていないから、たとえば、1行目のrocksを
長く発音すれば不自然となり、またこれをふつうに
短く発音すれば、この詩形の意味がなくなる。

16世紀後半におけるquantitative verseの流行については、
Arrtidge, Well-Weighed Syllables (Cambridge, 1974) を
参照。

* * *

英文テクストは、Philip Sidney, The Countesse
of Pembrokes Arcadia, ed. Albert Feuillerat
(Cambridge, 1912)より。(見やすいように編集。)
http://archive.org/details/countesseof
pembr00sidnuoft

* * *

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Housman, ("Loveliest of trees")

A・E・ハウスマン (1859-1936)
(「一番きれいな木、桜の」)

一番きれいな木、桜の
枝が、今、花で飾られている。
森のなかの道の脇で、
このイースターの季節に白く装われて。

ぼくの七十年の生涯のうち、
二十年はもう二度と来ない。
七十の春から二十を引いたら、
残っているのは、あと五十。

咲いている花を見るのに、
五十回の春とは少なすぎる。
だから、ぼくはいろんな森に行こう、
雪のような花をつけた桜を見に。

* * *

A. E. Housman
("Loveliest of trees, the cherry now")

Loveliest of trees, the cherry now
Is hung with bloom along the bough,
And stands about the woodland ride
Wearing white for Eastertide.

Now, of my threescore years and ten,
Twenty will not come again,
And take from seventy springs a score,
It only leaves me fifty more.

And since to look at things in bloom
Fifty springs are little room,
About the woodlands I will go
To see the cherry hung with snow.

* * *


By Benjamin Gimmel
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Fr%C3%BChlingslandschft_Aaretal_Schweiz.jpg
(きれいすぎて、この詩の雰囲気とは違う。
森ではないし。)


私が撮影したもの。東京のはずれ、高尾の
桜保存林にて。2005年頃。下のものも同じ。


(これらも、やはり日本だから雰囲気が違う。)

* * *

訳注と解釈例。

2 hang
ぶらさがるもので飾る(OED 5)。With以下で
何で、ということを示す。

3 ride
馬に乗って通るための道(OED, n1, 2a)。
乗りものとして自動車が発明されたのは、
長い歴史のなかではごく最近。

4 for
時間をあらわすfor (= during, throughout)
(OED 28)。あるいは目的、事前の準備を
あらわす(……のために)(OED 8)。
さらっと読むと8のほうが自然? どちらも
同じといえば同じ?

4 Eastertide
Easterはキリストの復活を祝う祭日。3月21日以降の
最初の(暦の上の)満月の後の最初の日曜日。
(イギリスなどで生活していないと、ピンとこない。)

Tideはtime. ここでは一定の期間や季節のこと
(OED 4b)。Eastertideは、イースターから
一週間だったり、五十日だったり、土地や宗派や
時代によって長さが異なる(らしい)。

イースターと白と雪(最終行)の関連--
白は死の色(死者を包む布shroudは白)。
白は純潔の色(母マリアを象徴する花は白いユリ)。
白は羊の色(キリスト=いけにえの子羊lamb)。
ふわふわで白い雪は、子羊の毛のよう。
(他にも?)

つまり、4行目と12行目では、つもる雪のように
花を咲かせる桜と、神の子羊キリストが、
白くてふわふわ、というつながりで、微妙に、
ではあるが、視覚的に重ねられている。

(非クリスチャンから見れば、「なるほど」半分、
「そういう話なの?」半分、といったところ?)

10 room
何かをする機会や時間(OED n1, 4)

* * *

時間、死を扱う小作品。

人生七十年、と、あたりまえのように計算している
ところが、19世紀以降的。「いつ何が起こって
死ぬかわからないから、できるうちに、今すぐ、
恋をしよう」、と歌っていた17世紀の感覚とは
かなり違う。

* * *

リズムは、ストレス・ミーター(四拍子)。
それぞれの行につき、四回手をたたいたり
しながら読めるかたちになっている。

もちろん、本当に手をたたきながら、
一定のリズムで読むと、童謡、民謡、
遊びのかけ声などのように聞こえ、
雰囲気がかなり損なわれてしまう。

(どの音節/母音に拍子/ビートをのせるか、
考えてみてください。また後日スキャンジョンを
のせます。)

* * *

英文テクストは、A. E. Housman, A Shropshire
Lad, (1919) より。
http://www.gutenberg.org/ebooks/5720

* * *

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道端アート/素人アート (4)

道端アート/素人アート (4)



イサム・ノグチ
(慶應義塾大学 三田キャンパス)



東京大学駒場キャンパスの建物



同上、夜



身内のアーティストM(2006-)

* * *

画像はみな私が撮影したもの。


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Dryden, ("My Love's a noble Madness")

ジョン・ドライデン (1631-1700)
(「わたしの愛は気高い狂気なの」)
(『すべて愛のために』 2.1 より)

アイラス
しっかりしてくださいよ。理性的になってください。

クレオパトラ
理性なんて、どこかいっちゃったわ。
そもそも、そんなのいらないわ。わたしの愛は気高い狂気なの。
あの人はそれに値する人なの。控えめな悲しみなんて
平均的な人の愛のためのもの。相手も平均的、っていう。
わたしは、そんなのはるかに超えた気持ちで愛してきたから、
理性からは見えないくらい空高く舞いあがって、
そこで迷子になっちゃってるのよ。・・・・・・勘違いしないで。いいのよ。
わたし、それを自慢に思ってるの。

* * *

John Dryden
("My Love's a noble Madness")
(From All for Love, 2.1)

IRAS
Call Reason to assist you.

CLEOPATRA
I have none,
And none would have: My Love's a noble Madness,
Which shows the Cause deserv'd it. Moderate Sorrow
Fits vulgar Love; and for a vulgar Man:
But I have lov'd with such transcendent Passion,
I soar'd, at first, quite out of Reasons view,
And now am lost above it---No, I'm proud
'Tis thus. . . .

* * *

名誉をかけた戦争のために、アントニーが
自分の下から去ってしまう、というときに、
どうしようどうしよう、とうろたえるクレオパトラの
セリフ。

「世界の名作」的なものに、私たちは立派な教訓の
ようなものを求めがちだが(特に日本人は?
より現実的で卑近でしばしばみにくい感情やできごとを
提示するTVなどとの対立で?) 古代ギリシャ以来、
実際に描かれてきたのは、そんな、現実的で卑近で
ときにみにくい感情やできごとだったりする。

そんな、道徳的にはダメな人間模様が
描かれてるはずなのに、なぜか説得力がある、
共感してしまう、という、場面のひとつ。

(日本の文学史では違う? みにくいものや
愚かなものが共感を呼ぶように描かれることはない?
少ない?)

(実際に、自分の娘がこんなクレオパトラのような
ことをいったら、「勘違いしてるのはおまえだ」と
つっこむところ。)

* * *

1
アイラスの "Call Reason to assist you" と
クレオパトラの "I have none" で十音節。
つまりこれで一行扱い。

詩形は弱強五歩格、無韻。いわゆるブランク・ヴァース。
ドライデンといえばカプレット(二行ずつセットで脚韻)、
というイメージがあるが、実際無韻の作品もたくさんある。
(詳しくは、また別のところで。)

2 none would have
[I] would have none [= no reason]
Would は仮定法の帰結節のwould, 意志をあらわす
(OED, "will" 40)。[理性をもつことができるとしても、]
「いらない」ということ。

4 vulgar
ふつうの、一般的な(OED 2)。ふつうの人の(OED 8)。
下品、粗野という意味あいは、王族/貴族の
視点からのもの。

5
構文はの骨組みは、I have lov'd with such
transcendent Passion [that] I soar'd quite
out of Reason[']s view. . . .

Such . . . that. . . の構文。あまりにもtranscendentな
Passionで愛してきたからthat以下のようなことになった、
ということ。

* * *

英文テクストは、The Dramatick Works of
John Dryden, Esq., vol. 4. (1717) より。
http://books.google.co.jp/books?id=xCMJAAAAQAAJ

* * *

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Dryden, ("Think thy self me. . . .")

ジョン・ドライデン (1631-1700)
(「オレになったつもりで頼む・・・・・・」)
(『すべて愛のために』 4.1 より)

オレになったつもりで頼む。
話すときには、(だけど話しはじめる前に、長いことためらってな、)
ナイフのような言葉の刃をとってしまってくれ。
オレたちの別れを、できるだけ静かでやさしい感じにしたいんだ、
まるで、愛がはじまるときのように。

* * *

John Dryden
("Think thy self me. . . .")
(From All for Love)

Think thy self me,
And when thou speak'st (but let it first be long)
Take off the Edge from every sharper Sound,
And let our Parting be as gently made
As other Loves begin. . . .

* * *

シェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』の改作
(というか、同じ題材を扱ったドライデンのオリジナル
というべき)から、アントニーが、友人ドラベラを通じて、
愛人クレオパトラに別れを告げようとする場面。
ドラベラに対して、「オレのかわりに別れを告げてきてくれ」、と。

でも、そのドラベラも、クレオパトラが好きだったりして・・・・・・
という展開。

* * *

『すべて愛のために』は、ドライデン自身の自信作。曰く、
「書きたいことを書いたのはこれだけ」--他の劇作品には、
商業的な、あるいは政治的な思惑があって、ということ。

(実際、この作品中のセリフは、ドライデンの作品のなかでも
詩として別格。)

* * *

英文テクストは、The Dramatick Works of
John Dryden, Esq.
, vol. 4. (1717) より。
http://books.google.co.jp/books?id=xCMJAAAAQAAJ

* * *

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テーマ別作品リスト 2: 「傲慢」

テーマ別作品リスト 2: 「傲慢」

* * *

ソポクレス、『オイディプス王』
マーロウ、『フォースタス博士』
ミルトン、『失楽園』
ミルトン、『サムソン』
Dryden, Don Sebastian
リュック・ベッソン、『ジャンヌ・ダルク』

* * *

傲慢=Hubris/Hybris=Pride:
自分の特性や能力を過大評価する方向での「現実の誤認」

* * *

中世キリスト教のいわゆる「七つの大罪」
(the Seven Deadly/Cardinal Sins)などから
わかるように、かつてのキリスト教社会に
おける(少なくともイングランド社会における)
最大の道徳的問題は、この「傲慢」だった。

神が定めた以上の地位を求めることは傲慢。
神が与えた以上の能力や美を求めることも傲慢。

(だから、たとえば、16-17世紀の説教や
社会批評的な著作では、化粧をする女性の
"pride" が、かなりの頻度でやり玉にあがる。)

多様な文化や社会の存在が意識され、理解されている
現代における最大の問題は、諸文化間における、
世界観、現実のとらえ方(いわゆる「イデオロギー」)の違い。

思考の枠組みは変わったが、現実の認識やその誤り、
という主題の重要性は、今も昔も同じでは。

* * *

キーツの「ナイチンゲール」や「ギリシャ壺」も、
この「傲慢」、「現実認識」のテーマの(やや特殊な)
変奏と思われる。 これらは、誤った現実認識、
幸せに関する誤った理解--ラリっていたい/
ずっと今がつづいたらいいのに--の誘惑と、
それに対する抵抗の話なので。

こうして見れば、これらの詩の不思議な雰囲気
--どうでもいい個人的妄想なのに、なぜか
大きな問題を扱ってるように見える--の理由が、
少しわかるような気がする。

あと、「聖アグネス」のエンディングがアレなのも、
「現実」に関する意識がはたらいているからかと。
(読んでみてください。)

* * *


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Shakespeare, "Ariel's Song"

ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)
「エアリエルの歌」
(「あなたの父は海のなか」)

あなたの父は海のなか、深さ30フィートものところ。
その骨はサンゴになり、
あの真珠は彼の目だった。
彼のからだは少しずつ消え、
すべての部分が海の力で変化する、
きれいで、そして不思議なものに。
海の妖精が、一時間ごとに弔いの鐘を鳴らす。
[妖精たちのコーラス]カラン、カラン
ほら、鐘がカラン、カランと鳴っている。

* * *

William Shakespeare
"Ariel's Song"
("Full fathom five thy Father lies")

Full fathom five thy Father lies,
Of his bones are Coral made:
Those are pearls that were his eyes,
Nothing of him that doth fade,
But doth suffer a Sea-change
Into something rich, and strange:
Sea-Nymphs hourly ring his knell.
[Burthen:] ding dong.
Harke now I heare them, ding-dong bell.

* * *

『あらし』(The Tempest)のサブ・プロットより。

(1)
アロンゾーAlonso(父)とファーディナンド
Ferdinand(子)らが乗っていた船を、孤島に住む
主人公の魔法使いプロスペローProsperoが難破させる。

(2)
アロンゾーと離ればなれになって、ひとりで
プロスペローの島にたどり着いたファーディナンドに対して、
妖精エアリエルArielがこの歌を歌う。
(プロスペローの命令で? )

(3)
本当はアロンゾーも生きていて・・・・・・。

* * *

以下、訳注と解釈例。

1 fathom
水深の単位。両腕を広げたときの、指先から指先までの
長さ。1 fathom = 6 feet = 1.8288m

2
構文は、Coral are made Of his bones
のはず。 Beは、原文で直前のbonesに引っぱられて
areになっているのかと。また、集合体という意識もあって?

サンゴ

http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Coral_fiji_moturiki.jpg

4 fade
しだいに消える(OED 6a)。今では、何かがゆっくり
消えるようすを映像で見せることができるが、もちろん
16-17世紀にそんな技術はなかった。が、OEDの
この箇所の用例を見ると、文学的に、言葉のなかで、
そんなようすが描かれていたことがわかる。(スペンサーの
『妖精の女王』、シェイクスピアの『あらし』からの例文がある。)

5 suffer
(特に変化などの)作用を受ける、過程を経る
(OED 8; この箇所が用例としてあげれらている)。

6 rich
価値のある、高価な(OED 4a)。
きらびやかな(ドレスなど)(OED 5a)。

8 Burden
歌の最後にくり返されるフレーズ、サビ(OED 10)。
ここでは、舞台裏から妖精たちが歌う、という演出。

9 ding-dong
動詞として解釈。コンマをとって、I hear them
[= Sea-Nymphs] ding-dong bell
(海の妖精たち鐘をカラン、カランと鳴らすのが聞こえる)
という構文にして。

Hear + (名詞) + (動詞原形)
(名詞)が(動詞)するのが聞こえる、
という(高校?)受験英語のパターン。

近年の版では、この最後のding-dong bellも、
舞台裏で妖精たちが歌うものとされている。
(手元にあるのは、1999年のArden版。)
こちらで訳せば、次のような感じに。

(エアリエル)
ほら、聞こえるよ。

(舞台裏の妖精たち)
カラン、カラン、と鐘の音。

* * *

以下、リズムについて。



基調はストレス・ミーター(四拍子)。

シェイクスピアの詩の作り方は自由(自然な会話に
近い)といわれるが、この歌も、語のストレス
(ふつうの発音で強く/大きく/長くなるところ)と
ビート(歌のなかで拍子がのるところ)が重ならない
ところが目立つ。

ストレスの位置や各行の音節数から、散文ではなく
歌的、というところまでは明らかに感じられるが、
どんなリズムの歌なのか、というところは明確でなく、
いろいろな解釈でいろいろな曲にすることが可能。

たとえば、2, 4, 6行目の7音節は、四つのビートに
のせることも、三つのビートにのせて一拍休む
(言葉なしにする)こともできる。

(3, 5行目も3+1にしようと思えばできる。
行のはじめのThoseとButのビートを落とせば。)

対照的なのが、バイロンの「オーガスタ」(20110211)。
こちらは、ストレスとビートが基本的に一致していて、
詩がはじめから特定のリズムを要求するタイプ。

(この特定の、タンゴ的なリズムがまずバイロンの頭に
あって、それを詩のなかで、言葉だけで伝えたいので、
ストレスをビートにきちんと重ねた、ということ。)

* * *

このような対照は、日本語でいえば、七五調の詩と
そうでないものの関係に近いのでは。

七五調の文章は、歌(メロディとリズム)なしで
ふつうに読んでも、明確なリズムを感じさせるが、
七五調でない文章は、歌にのせようと思えばのせられるし、
のせなければ、ふつうの散文や会話文。

七五調の歌:
昔々、浦島は、
助けた亀に連れられて、
竜宮城に来てみれば……

七五調でない歌:
何ひとつ確かなものなどないと叫ぶ
足りないものがあるそれが俺の心
満たされないものがあるそれが人の心……

バイロン「オーガスタ」は上のタイプで、
シェイクスピアの「エアリアル」は下。
時代、雰囲気など、もちろん、いろいろ違う
ということは、差し引いて。

(この下の曲、ビートを無視した、かなり散文的な
歌詞ののせ方をしていますが、意外と歌詞自体は
七五調を基調としているようで、少し驚きました。
先入観なしで見てもらえれば、と思いますので、
あえて作者、タイトルは記しません。Oさんです。)

* * *

「エアリエル」の歌のように自由で散文的な
詩は、17世紀末から18世紀にかけての詩論では、
「詩」と認められていませんでした。

(シェイクスピアやミルトンなどの自由なスタイルは、
彼らは天才だから別、とか、いや、あれは実は散文、
などとかたづけられたりして。)

……というようなことが書かれた次の本を、
今(さら)読んで、イギリス詩の歴史を学んでいます。

P. Fussell. Theory of Prosody in Eighteenth-Century England.
(1966).

これはおすすめ、本当に必読です。誰か訳すべき。

(以前から紹介していたものとあわせ、いつになるか
わかりませんが、また後日、おすすめ本/論文のリストを
まとめたいと考えています。)

* * *

英文テクストは、ヴァージニア大学のサイトにある
フォリオ版を、現代英語にしたもの。
http://etext.lib.virginia.edu/etcbin/toccer-new2?
id=ShaTemF.sgm&images=images/modeng&data=/texts/
english/modeng/parsed&tag=public&part=1&division=div1

* * *

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テーマ別作品リスト 1: 「オレ vs. オレ以外みんな」

テーマ別作品リスト 1
「オレ vs. オレ以外みんな」

* * *

バイロン卿、「オーガスタに」
Lord Byron, "To Augusta"
(その他、「バイロニック・ヒーロー」ものすべて)

* * *

エミリー・ディキンソン、540番
Emily Dickinson, 540
(わたしは、世界と戦うために出て行った……。)

* * *

ソニー・カーティス、「オレは法と戦って」
Sonny Curtis, "I Fought the Law"
(". . . and the law won." そして法が勝った。)

1970年代イギリスのパンク・バンド、クラッシュ
The Clashのカバーが有名(何かのCMで使われていた。
10-20年くらい前? )

Lou Reed, "Dirt" にもこの詩から引用が。

* * *

ロッド・スチュアート Rod Stewart:
"I Was Only Joking"
(仕事をしたり、やめたり、自由に走りまわって、/
社会に対して戦いを挑み……。)

泣かせるメロディに載せて、心こめて歌うなんて
バカみたい、とか、もうオレ主役やめたい、などと
悪態をついて、そしてそれをシングルとして売る、
という屈折のしかた、不器用さ、やらせくささが、
とてもイギリス的。

そして、そんなゆがみ加減、不器用さから、なぜか
現実認識の正しさ、洞察の深さが感じられるところが、
さらにイギリス的。

---
私がイギリス的(イギリス以外にはない、
イギリス人以外にはつくれない)と思うのは、
たとえば、映画でいえば、ケン・ローチ監督の『ケス』。
(超おすすめ! 大感動のエンディング!
なんて大ウソを書いてみる。見てもらうために。)

ポップ・ミュージックでいえば、ロニー・レインと
70年代のデイヴィッド・ボウイ。

(あくまで私見。現在の。)

Ken Loach, Kes
Ronnie Lane
David Bowie
---

* * *

歴史的に見れば、この「世界/社会 vs. オレ」の
「オレ」は、マーロウの主人公(タンバレイン大王、
フォースタス博士、バラバス)やシェイクスピアの
リチャード三世、ミルトンのセイタンなど、反社会的な
価値観を体現する主人公、英雄的反英雄が小市民化したもの?

それとも、「ピカレスク」(「主役がワル」的な)
ものの諸バージョン、というまとめ方がいい?

* * *

いろいろな作品や文学史的な流れがあるので、
あまり深く考えずに、とりあえずこのテーマの
派生形と思われる作品などを、以下に羅列。

1
いわゆる成長もの、通過儀礼ものの物語。
サリンジャーの『ライ麦畑』とか。

2
20世紀アメリカの犯罪映画。
『ビリー・ザ・キッド』、『俺たちに明日はない』、
『明日に向かって撃て』など。

Billy the Kid
Bonnie and Clyde
Butch Cassidy and the Sundance Kid

3
アウトローによる勧善懲悪もの。
(2の主人公を社会的に正義の側へ。)
西部劇や『ダーティ・ハリー』シリーズなど。
(このあたり、20世紀半ば以降のアメリカに
とても特徴的であるような気がする。)

4
3の日本版。
『仕事人』シリーズ(見ていません)、『遠山の金さん』、
『ブラック・エンジェルズ』、『あぶない刑事』、
『踊る大捜査線』など、この手のものすべて。

5
(別系統でさかのぼって)外見的アウトローもの。
『フランケンシュタイン』(読んでいません。)
ユーゴー、『ノートルダム』(読んでいません。)
『エレファント・マン』
---
『シザー・ハンズ』
(これはかなり20世紀的/ディズニー的というか。)

6
3+5
正義のアウトローがルックス的にもアウトロー、というタイプ。
『妖怪人間ベム』、『デビルマン』、『仮面ライダー』シリーズ。
この手のものは日本特有?

* * *

また思いついたり、読み直したり、
考えがまとまったりしたら、追記します。

(ワーズワースの『序曲』、シェリーのソネット
「彩られたヴェールを上げないで」など。)

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