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From Whichcote, Moral and Religious Aphorisms (1753)

ベンジャミン・ウィッチカット
『道徳・宗教格言集』より(2)

24
すべてのものには、外的な力により乱されても
元の、そして真の状態に戻ろうとする性質がある。
神の定めた道徳においても、同じように考えるべき
ではないか? 正しく生きることこそ魂の健康であり、
真の姿、自然な姿である。これに対して悪事をなす
者の魂は病んでいるのである。

42
人とは本来邪悪なことを嫌うものである。なぜなら
悪とはもともと人のうちにないものだから、
もともと人のうちにあるのは善だからである。
Cf. Augustine/Pelagius, Calvin/Arminius

48
真の満足が得られるのは、心が神の求めること、
正義の掟に適うことをしている時だけである。

62
心のありかたをきちんと制御すること、これが
いちばん大きな自由である。

71
人としてふさわしいこと、人にしかできないこととは、
頭を使って正しいことをすること、まさにこれだけである。

76
正しいことをしないこととは神に反することである。
正しく判断してしなくてはならないこと、神ご自身が
求めること、この二つはまったく同一のものである。
理性とは人の暮らしを統治する神の使い、むしろ
神の声そのものである。

84
正しいこととは神の掟によって定められているのであり、
それをこの世の掟とすべきである。

87
神を信じる目的は人間らしく生きること、獣や
悪魔にならないようにすることである。わがままに生きて
体の要求に溺れれば人は獣になってしまう。
思いあがったり悪意を抱くと人は悪魔になってしまう。

100
天国も地獄も、その土台はわたしたちの心のうちにある。
天国とはまず純粋な心の状態、心が神の定めることを
している状態、正義の掟に従っている状態のことである。
逆に罪悪感に駆られて良心が痛んでいる状態、正義の掟に
反している状態が心の地獄である。罪悪感が地獄の炎を
燃やすのである。
Cf. Milton, Paradise Lost

114
人が人の心を失ういちばんの原因は、誤ったかたちで
燃えあがらんばかりに熱く神を崇めることである。
キリスト教徒でなくても心優しい人のほうが、
狂ったように熱いキリスト教徒よりも神の意に
適っている。
Cf. "Puritanism"

(つづく)

*****
Benjamin Whichcote
From Moral and Religious Aphorisms
ed. Samuel Salter (1753)


24


42


48


62


71


76


84


87


100


114



*****
詩ではなく散文。ケンブリッジのプラトン派。

カルヴァン派的な熱狂・教条主義・排他性から
日々の道徳の指針としてのキリスト教へ。

*****
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From Clagett, "Of the Humanity and Charity of Christians"

ウィリアム・クラジット (1646-1688)
「キリスト者の人間性と思いやりについて」

I.
まず大事なのは、誰でももっているはずの
他に対する思いやり、そして神を敬う心である。

1. 他に対する思いやり
人は誰でも他に対する思いやりをもっているはずであり、
当然互いに対して優しく親切にしなくてはならない。
苦痛・貧困・飢餓・渇き・恐怖・悲しみなどが
自分に降りかかったらどれだけつらく苦しいか、
わかっていれば、同じ状況にある他の人のつらさ、
苦しさもわかるはずである。これらは人であれば
誰でも経験することであり、同じ人間として
生まれてきた以上、わたしたちは自分以外の人の
つらさも感じることができる。

このように他の人の不幸を感じればつらさが
増すわけであり、つらさが増していいことは
ないように思われるかもしれないが、同時に
わたしたちは生まれながらにしてこのつらさを
解消する方法を知っている。他の人の不幸を
解消すればいいのである。このような優しさを
もつ、だから人間は獣より優れているのである。
生まれながらにして獣は自分のことしか考えられない。
仲間の獣が感じている苦しみを感じない・・・・・・。
神は、この世における生きもののなか、人間にのみ
仲間の悲しみ・喜びを感じる力を与えてくれた。
仲間が感じている不幸を感じる力、互いに手を
差し延べあい助けあう優しさを与えてくれたのである。

このような道徳的な心は、伸ばすも潰すもわたしたち
しだいである。もともとわたしたちは優しさを
もって生まれている。にもかかわらず、悪い考えや
習慣が身についてしまうと、人は本来の優しさを忘れ、
他の人の感じていることを気にかけなくなる。
しかし、不自然な力が外からかからないかぎり、
わたしたちは生まれもった優しさを忘れて冷たく
なったりしない。人として最低限必要なことを
教えられていれば誰でも他に対して哀れみや
共感を抱くはずである。田舎に生まれ学校での
教育を受けていない人、職業上地位の高くない人でも、
人の気持ちを理解することができる。そして
ほとんどの場合、互いに助けあう。そうすることで
自分が損をするような例外的な場合は違うかも
しれないが。

*****
William Clagett
From "Of the Humanity and Charity of Christians"









Wing C4387

*****
キーワード:
感受性 sensitibity
広教派 latitudinarian, "latitude-man"

*****
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Pope, An Essay on Man 4

アレグザンダー・ポウプ
『人間論』
書簡4

幸せ、これこそ我々の目標にして終着点!
善、快楽、安らぎ、満足、何と呼べばいい?
その何かを求めて人は永遠にため息をつく。
その何かのために生に耐え、また死を選ぶ。
手が届きそうなのに届かない。
見えなかったり二重に見えたり、馬鹿にとっても賢い人にも。
天国の種! この世に空から蒔かれたら
どんな人のところで育つ?
輝かしい将来のある宮廷人に花開く?
ダイアモンドとともに大地の奥で炎をあげる?
詩人の花冠に編みこまれている?
作物といっしょに畑で収穫できる?
幸せはどこに育つ? 育たない? 努力が実らない時、
それは人の耕しかたが悪いせい。土の質でなく。
本当の幸せが宿る場所というのはない。
幸せはどこにもなく、でもどこにでもある。
金で買えるほど安くはないのに、いつもただ。
王宮から逃げてあなたの家に住んでいる、なんてね、センジョンさん!

頭のいい人に訊く? ダメ、彼らは盲目だから。
世に尽くせと言う人がいて、隠遁しろと言う人がいる。
人によって幸せとは活動だったり、安逸だったり、
快楽のことだったり、満足のことだったり。
獣のように快楽に耽ってその快楽がつらくなる人がいて、
神々のように偉そうに美徳を無視する人がいる。
何も考えていない極端な人もいて、
ある時にはすべてを信じ、またある時にはすべてを疑う。

結局、幸せの定義を突き詰めれば
たぶんこうなるーー幸せとは幸せのこと。

変な人の意見は無視して自然に従うといい。
地位は関係ないし、知力を問わず誰にでもわかる。
幸せとは普通のことで、何も無茶することはない。
正しく考えればいい。それと善意があればいい。
確かにこの世は不公平、でも
みな等しく常識をもち、みな等しく安らげる。

思い出そう、すべての源である神の法則は
一部でなく全体に適用される。
つまり正しく言えば、幸せは
誰かひとりではなくみなのもの。
個人にとって嬉しいこと、それは
多かれ少なかれ誰にとっても嬉しい。
野蛮な盗賊にしろ、のぼせあがった暴君にしろ、
洞穴で暮らす隠者にしろ、ひとりで幸せな人はいない。
人が嫌い、人が憎い、そんなことを言う人だって、実は
認められたい、友達がひとりはほしい、と思っている。
人がどう感じる? どう思う? という考えを捨ててみる。
すると楽しみはみな病んで死ぬ。喜びもみな闇に沈む。
誰にでも幸せの分け前がある。欲張って人のを横取りする。
すると、自分の幸せがなぜか半減する。

序列が神の最初の法。明らかに
他より高位の人がいる。
他より豊かな人、賢い人もいる。でも、だからといって
他より幸せかといえば、常識的に見てそうじゃない。
むしろ神は不平等、
すべての人が等しく幸せならば。
それぞれみな不満があって幸せもあって、
人間いろいろ、みんないい。
与えられた条件や環境は大事じゃない。
幸せは臣下にとっても王にとっても同じ、
守られる者にとっても守る者にとっても同じ、
友にとっても友を見つける者にとっても同じ。
神はこの世のすべての人に
ひとつの魂、ひとつの幸せを吹きこんでいるのだから。
でも反論、幸運の贈りものをみな等しくもっているなら、
みな平等だったなら、どうして人は争う?
そう、それでもなお、すべての人は幸せになれる。
なぜなら神の与える幸せは目に見えないものだから。

運の女神の贈りものは不平等、
幸せといえる人とそうでない人がいる。
でも神の天秤は正確で、幸せでない人には希望を、
幸せな人には恐れを与えてバランスをとる。
今の幸・不幸、喜び・呪いは、
暗い・明るい未来の展望で相殺される。

土からできた人間は、
山に山を重ねて幸せな天に昇ろうとする。
でも天は、そんな無駄な努力を見て大いに笑い、
山を崩して愚か者たちを瓦礫に埋める。

理解しよう、人にとっての幸せ、
神と自然がちっぽけな人間に用意してくれているもの、
心にうれしく体に楽しいもの、それは
この三つーー健康、穏やかな暮らし、経済的安定。
でも、節度をもって生きなければ健康ではいられないし、
穏やかに暮らすには自分が穏やかでなければ。
運の女神の贈りものはいい人にも悪い人にも届く。
が、悪人に届くものは小さく、喜びも少ない。
考えてみよう、利益や楽しみに向かう
正しい道と悪い道、どちらが安全?
実現する・しないを問わず、悪と善で
馬鹿にされるのはどっち? 共感されるのはどっち?
成功した悪が得るものをひとつひとつ考えてみれば、
それはみな善が嘲り、ほしがらないものばかり。
可能なかぎり悪が幸せになったとしても、
絶対にこれは手に入らない。善として喜ばれることだけは。

真理や下界における神の計画が見えない人は考える、
悪は幸せのもと、善は不幸のもと、と。
偉大な神の意図を理解し、それに従わなければ
そもそも何が幸せがわからないし、当然幸せになれないのに。
善良に生きても幸せになれない、と馬鹿は言う、
誰にでもふりかかる不慮の不幸や事故を見て。
正しく立派に生きたフォークランド伯爵は早死にした。
神と見紛うテュレンヌも塵に臥して横たわる。
シドニーも戦闘に血を流した。
これは美徳のせい? 生は無意味ということ?
そう、この世でいちばん立派だったから、
ディグビーさん、あなたも葬られたのですか?
ならば美徳ゆえに息子が死に、同じように栄誉ある父が
存命だったりするのはどういうこと?
あの立派なマルセイユの主教が清らかに生きていたのはなぜ?
そこでは自然そのものが病み、死を運ぶ風が吹いていたのに?
なぜこれほど長く(人の生が長いと言えるなら)
天は貸し与えてくださった? 貧しい人々およびわたしに母を?

体の病、心の悪はどこから来る?
それは自然の機能不全から、あるいは迷子の意思からであって
神のせいじゃない。よくよく見れば、
小さな悪は大きな善の一部、
あるいは自然の気まぐれ、ちょっとした失敗。まれに、
少しのあいだだけ起こること。人がその気になるなら改善可能。
考えてもしかたがない、罪のないアベルがカインに
殺されるのを神が放っておいたのかのなぜか、とか、
立派な子が痛い目にあうのはなぜか、
淫らな父の病気のために、とか。
永遠の神はどこかの腰抜けの王とは違う。
お気に入りの家来のために法を曲げたりなんてしない。

燃えさかるエトナ山は、賢人が求めたら
噴火を止めてマグマを呼び戻したりする?
空や海が新しい動きかたを覚える?
いくら欠点がないからといって、べセル、君の気を静めるために?
高い山が重力を忘れてぐらぐら揺れる?
むしろ近づく君に引き寄せられて?
崩れ落ちそうな古い教会でも
チャートリスの首をぶら下げるためなら踏みとどまる?

でも確かに、悪人に優しいこの世で
満足するのは難しい。もっといい世界にできないか?
敬虔な人々の王国だったらいいのに。
でも、そんな人々がみな仲よくできる?
善人は神の特別なご加護を受けるべき、
とはいっても誰が善人と誰が決める?
ある人曰く、カルヴァンには神が宿っていた。
別の人曰く、いや彼は地獄の使いだった。
カルヴァンがもらっていたのは神の祝福なのか鞭なのか、
神はいるのかいないのか、結局誰にも決められない。
ある人を支える思想が別の人を砕くこともあり、
宗派がひとつだと天国に行けない人が出てきたりする。
特に優れた人たちでも考えかたはまちまちで、
あなたの美徳が褒められるとき、わたしの美徳は罰を食う。
見方によってはどんなものでも正しくなる。世界は
カエサルのためにあると同時にティトゥスのためにもあった。
どっちが幸せ? 国を鎖で縛った者?
いいことをせずに過ごした日にはため息をついた皇帝?

「でも、善をなしても金にならない、悪のほうが金になる」。
は? 金のためならいいことをする、だと?
悪人でも金はもらえる、仕事の報酬として。
ごろつきでも大地を耕せば金になる。
ごろつきでも海に出れば金になる。
馬鹿でも王のために戦えば、潜って何かとってこれば、金がもらえる。
美徳は戦闘や仕事とは関係ない。
目的が富ではなく心の満足なのだから。
さらに訊こうか、金が手に入ればそれでいい?
「いや、善の報酬に健康なからだと権力もほしい」。
では健康と権力、何ならその他この世のすべてがあればいい?
「無限の権力、政治家や王並みの権力でなければ嫌だ」。
待った、心的なものの報酬が社会的なものとはどういうこと?
なぜ人は神のように生きられない? なぜこの世は天国でない?
なんて考える人は絶対気づかない、
神から十分もらっていることに。もっともってるはず、とか考えて。
無限の神に無限に要求?
どんな人生だったら納得するの?

ふつうの方法では手に入らないし壊れない
心のなかの静かな太陽、心に湧きあがる喜び、
そのようなものが美徳の報酬。これ以上のものがある?
謙遜の人には立派な馬車を与えるべき?
正義の人に他国の支配権を、真理の人に法の要職を、
人のために働く人にいちばんの慰め、つまり王位を与えるべき?
馬鹿な! 神からのご褒美が、
この世の狂った人間の欲しがる屑であるはずがない。
人にはこどもと大人がいる。で、
ボクちゃんはりんごのケーキがほちいでちゅか?
それか、新天地を求めてインドに行って
犬と酒と妻に囲まれて生きたいと思ってる?
そんな夢などくだらない、
ご馳走や帝国が神々しい精神にふさわしいわけがない。
そんな褒美は美徳にとって
嬉しくない、むしろ有害。
六十の人間もそういうもので堕落する、
二十一の時には聖人だったのに!
富ゆえに評価され信頼され、しかも
満足と喜びも得られる、というのは正しく立派な人だけ。
裁判官や議員は金で買収できるが、
評価や愛は金では買えない。
何と馬鹿な! 神は立派な人を愛さない、
人を愛し人に愛される人を愛さない、健康に、
疚しくない良心をもって生きている人を愛さない、とでも?
年収千ポンドの人でなければ?

名誉・不名誉に地位的条件はない。
やるべきことをやる、名誉とはそういうこと。
財産の多少と人柄はたいして比例しない。
襤褸(ぼろ)でも錦でも見せびらかしたい人はそうする。
エプロンをした靴修理だって、ガウンを着た牧師だって、
フードをかぶった修道士だって、冠をのせた王だって……
「王冠とフードって、大違いじゃないか」(と、ここで君)
いやいや、もっと大事なのは賢い人と愚かな人の違い。
修道士のようにふるまう王、
靴修理みたいに酔っぱらう牧師……
やはり徳ある人が偉い人、そうでなければみなごろつき。
他のこと、革とかプルネーラとかの素材の違いはどうでもいい。

称号を山のようにもらって勲章をたくさんぶら下げてみる、
王や王の愛人の側近になれるくらいに。
名家の直系だと自慢してみる、
ルクレティウス家のように代々伝わる血筋だと。
いや、親の価値が人の価値とするなら、
正しくて立派な親だけの話にしよう。
嫌になる、悪い先祖の血が
ノアの洪水以来代々受け継がれてきた、とか。
ごろつきの家は、嘘でもいいからみな新興。
この世の初めからずっと馬鹿とか、ありえない。
とにかく血は無意味で、能なしや腰抜けやおべっか野郎は
変わらない、ハワード家の血を全部注入しても。

偉大さについても考えよう。偉大とはどういうこと?
「英雄や賢人のことに決まっている」。
本当? 英雄はみな大差ない。あのマケドニア王から
あのスウェーデン王までだいたい頭おかしくて、
なしとげたことはこれくらい--全人類の敵を見つけること、
あるいは自分がそうなること。
いっさいふり返らずただ突き進む、
鼻より前は見えていないのに。
思慮ある人、賢い人もみな同じ。
ずるくて腰が重くて、そしてやたらと注意深い。
で、無防備な人が気を抜いていると襲いかかる。
つまり特に賢いわけではなく、他の人たちが弱いだけ。
確かに英雄は征服するし、賢人には騙す知恵がある。
が、そんな悪が偉大とはおかしな話。
賢く邪悪な人、勇敢にねじのはずれた人、
そういう人はむしろ馬鹿、むしろ悪党。
気高い方法で気高いことをなしとげる人、
挫折して追放されても投獄されても微笑んでいられる人、
アウレリウスのように国を治める人、ソクラテスのように
死ねる人、そういう人こそ真に偉大。

名声とは何? それは他人の言葉のなかの第二の生。
実体がないから生前でも自分ではどうにもできない。
噂も現実も秘密も、他人にとってはみな同じ。
これはキケロでも一般人でも同じこと。
当人からすれば、好評・悪評は
数人の敵・味方のなかだけの問題。他人のあいだで
話題になるのは、当人そのものではなくその人の影。
まだ生きているサボイのオイゲンも死んだカエサルも大差ない。
いつのどこの人でも、過去の人でも今の人でも大差ない。
活躍したのがルビコン川岸でもライン川でも同じこと。
文人だったらみな羽ペンの人、将軍なら軍服の人。その程度。
結局、正しく生きるすべての人が神の最高傑作で、
名声が残っているのはだいたい悪党、
正義の女神が墓からたたき起こした者たち。
忘却に埋もれていればいいのに
吊るされて、この世の半分くらいの人に毒を放つ。
真に値するもの以外、名声などみなうわべだけ。
頭でわかっても心には感じない。
自分のことがが好きと思える一時間のほうがはるかに大事、
馬鹿な観客に注目され、大騒ぎされる一生涯よりも。
追放されたマルケルスのほうが本当の意味で幸せだった、
元老院議員をぞろぞろ連れたカエサルよりも。

優れた能力をもっていてどんないいことがある?
賢いとはどういうこと? (賢いセンジョンさん、あなたには
おわかりでしょう。) 賢い人は人間がどれだけ無知か知っている。
他人の欠点を知っていて、自分の欠点も思い知っている。
仕事と学問において酷使され、でも
誰も助けてくれず、また評価もされない。
真理を説き、没落しそうな国を支える、それなのに
人は恐れ、助けない。そもそも理解できていない。
有能な人とはつらいもの! 高尚な生を送るがゆえに
ふつうの楽しみや安らぎが手に入らない。

この世で得られるものの価値をよく考えてみる。
きちんと引き算をして何が残るか考える。
これを手にすればあれが失われ、
あれを手にすればそれが失われる。
これらのためにもっと大事なものを棄てなくてはならない。
命を落としかねないし、平和な暮らしなどあきらめなくては。
もし、幸せの源とされるものがまだほしい気がするなら考えてみる、
実際にそれを手にした過去の人になりたい?
勲章がほしくて愚かなため息が出そうなら、
それを下げた日陰卿やビル卿がどれだけ立派か見るといい。
黄色いゴミ屑に生涯を捧げる?
あの鷲鼻野郎やその妻みたいに?
知性がほしい? 栄えあるベイコンを見ればいい、
もっとも賢く、そしてもっとも腐敗していた彼の生涯を。
甲高く名声響く人に憧れる?
クロムウェルとか? あんな永遠の名声に呪われたい?
どれとはいわず、幸せの素すべてがほしい?
歴史を学べば何もかも嫌になるはず。
富める人、名誉ある人、名声ある人、偉大な人--
幸せそうで幸せでなかったありとあらゆる人がそこにいるから。
王にとりたてられし人、女王の腕に抱かれし人、
まさにこれ幸せなり! 裏切りと破滅の道なり!
そこでどんな哀れな目を見る?
驕るヴェネツィアのように泥と海藻のなか立ちあがり、
罪と栄誉を積み重ねる。
英雄の道を駆けのぼり、人の道から転がり落ちる。
ヨーロッパ中で勝利の冠を手にしても、
それは血みどろ、または汚い金まみれ。
その後仕事に追われて体を壊すか、安逸に溺れて堕落するか、
あるいは略奪しすぎで評価を落とす。
それに富も無意味! 立派なことをして得ても、
輝かしくないこと、恥ずべきことに費やされるだけ。
こうしてどんな幸せな最期が待っている?
金目当ての寵臣、あるいはやかましい妻に
凱旋門と豪華な宮殿を乗っとられ、
壮麗な墓で眠っているのに眠れないほど悩まされる。
そう、真昼の輝きに騙されてはいけない!
昼があれば朝もあって夜もある。
膨れあがらんばかりの名声、それは
たんなる虚構、栄光と恥のおとぎ話。

だからこの真理を覚えておこう。大事なのはこれだけ。
「道徳的に正しい生きかたこそこの世の幸せ」。
正しく生きればいつも幸せ。
正しく生きれば悪・不幸に陥らない。
正しく生きれば然るべき報酬が得られる、つまり
人を幸せにし、自分も幸せになれる。
そんな結果が出れば最高の幸せ。
出なくても嫌な思いはしない。
幸せすぎて困ることなく、
日々つらければつらいほど逆に幸せは大きくなる。
迷惑なほど浮かれて馬鹿騒ぎしている人がいる。でも
そんな人より正しいことをして泣いている人のほうが幸せ。
いつでもどこでも誰に対してでも
正しいことはできる。そしてそれに飽きることはない。
ひとりでもつらい思いの人がいるかぎり有頂天になったりしない。
他人の幸せを見て僻んで拗ねたりしない。
この幸せには不足がない、不満がない。
もっと正しいことをしたい、と思うこと自体が幸せだから。

これこそ神がすべての人に与えた唯一の幸せ。
感受性あれば誰でも感じ、思慮があれば誰にでもわかる。
資産あるがゆえに貧しい人、知識ゆえに盲目な人には
わからない。悪い人にはわからない。
特定の考えに固執しない人、私利私欲を追わない人、
神の定めた人の本質が洞察できる人は
見る、神の壮大な計画のなかこの世のすべてを結ぶ鎖、
天と地、人と神のつながりを。
そして知る--誰も幸せになれないと、
神の世界と人の世界、どちらも理解しないなら--
この二つの世界が出会うところ、人が神に昇り近づくところに、
人の魂がつくられた最初にして究極の目的がある、と--
信仰と法と道徳はすべて
神への愛、人への愛にはじまり、そしてそこに向かう、と。

人は次から次へと新しい希望を抱く。
目の前に開かれた希望に向かって心を開く。
そんな人が求める最後の最大のもの、それが神、信仰、
天国にいるかのように心満たされること。
だから人はこの世の幸せを求め、この世の幸せを
超える幸せを信じる。そう自然が定めている。
(ちなみに自然の恵みは動物などにとっても同じ、
すべてのものがほしいもの、必要なものを手に入れる。)
自然の恵みと定めは賢くて、人のいちばんの善とは
いちばんの幸せのこと。
光り輝く幸せを求める気持ちは、
他の人を助けたいという気持ちと同じ。

つまり自己愛とは他人への愛、神への愛。
隣人の幸せは自分の幸せ。いや、
心の大きさは無限だから、愛と幸せもこんなに小さいはずがない。
そう、敵への愛、敵の幸せも含めよう。
頭で考えること、日々の暮らし、心と体で感じること、
すべての基準を「思いやり」にしよう。
幸せ、それは優しくすること。少し優しければ少し幸せ、
このうえなく優しければこのうえなく幸せ。

神は人を愛し、ゆえにそれから個人を愛す。
逆に人の愛は自分や身近な誰かからすべての人へと向かう。
自分を愛す、すると心は善に目覚める。たとえば
水に小石が落ちて輪ができて、それが湖全体に広がる時のよう。
小石が落ちて輪がひとつ、
すぐにもうひとつ、さらにひとつと広がっていく。
愛もそう。友、親、近所の人へと広がって、
国中の、世界中の、すべての人へと向かっていく。
広く、もっと広く、心はどんどんあふれていき、
神のつくったこの世のすべてを愛するようになる。こうして
いたるところで大地は微笑む、無限の恵みをその手に抱き。
今、大地は天国のよう、天の胸に抱きしめられて。

わたしの友、守護神であるセンジョンさん、
詩人の師、詩の源であるあなた、教えてください。
詩神が歌ってきたように、人は低俗な感情を抱いたり、
輝かしい偉業をなしとげたりしますが、
自然の定める流転のなか、どうしたらあなたのように
挫折して美しく、勝利して控えめでいられるのでしょう?
どうしたら時節に従って
真剣に、楽しく、生き生きと、厳粛に、歌えるのでしょう?
正しく、熱く、豊かに、自然に、
論理的に、慎み深く、明るく、歌えるのでしょう?
時の川の流れにのり、あなたの船は走っていきます。
名声を集めてどんどん大きくなっていきます。
わたしの小舟も勝ち誇るあなたの隣にいていいですか?
追い風のおこぼれをもらってもいいですか?
今あなたの敵である政治家、英雄、王たちはいずれ死に、
やがてその子たちは父の誤りを恥じるでしょう。
そんな未来のいつか、この詩を読む人にはわかると思います。
あなたこそわたしの師であり友でした。
あなたがくれた指針により、わたしは哲学の詩、
空想ではなく心に響く詩を書くことができました。
自然の光を偽る嘘の鏡のような機知を棄て、人の傲慢と勘違いを正すため
語りました。この世にあるものはすべてそのままでいいのです。
正しい理性と道を誤る感情、どちらも神の計画どおりです。
自分を本当に愛することが他の人を愛することにつながります。
この世に幸せをもたらすのは善のみです。
最終的に、わたしたちにとって本当に必要なのは、
わたしたち自身について知ることなのです。

*****
Alexander Pope
An Essay on Man
Epistle 4

Oh, happiness, our being’s end and aim!
Good, pleasure, ease, content! whate’er thy name:
That something still which prompts the eternal sigh,
For which we bear to live, or dare to die,
Which still so near us, yet beyond us lies,
O’erlooked, seen double, by the fool, and wise.
Plant of celestial seed! if dropped below,
Say, in what mortal soil thou deign’st to grow?
Fair opening to some Court’s propitious shine,
Or deep with diamonds in the flaming mine?
Twined with the wreaths Parnassian laurels yield,
Or reaped in iron harvests of the field?
Where grows?—where grows it not? If vain our toil,
We ought to blame the culture, not the soil:
Fixed to no spot is happiness sincere,
'Tis nowhere to be found, or everywhere;
'Tis never to be bought, but always free,
And fled from monarchs, St. John! dwells with thee.

Ask of the learned the way? The learned are blind;
This bids to serve, and that to shun mankind;
Some place the bliss in action, some in ease,
Those call it pleasure, and contentment these;
Some, sunk to beasts, find pleasure end in pain;
Some, swelled to gods, confess even virtue vain;
Or indolent, to each extreme they fall,
To trust in everything, or doubt of all.

Who thus define it, say they more or less
Than this, that happiness is happiness?

Take Nature’s path, and mad opinions leave;
All states can reach it, and all heads conceive;
Obvious her goods, in no extreme they dwell;
There needs but thinking right, and meaning well;
And mourn our various portions as we please,
Equal is common sense, and common ease.

Remember, man, “the Universal Cause
Acts not by partial, but by general laws;”
And makes what happiness we justly call
Subsist not in the good of one, but all.
There’s not a blessing individuals find,
But some way leans and hearkens to the kind:
No bandit fierce, no tyrant mad with pride,
No caverned hermit, rests self-satisfied:
Who most to shun or hate mankind pretend,
Seek an admirer, or would fix a friend:
Abstract what others feel, what others think,
All pleasures sicken, and all glories sink:
Each has his share; and who would more obtain,
Shall find, the pleasure pays not half the pain.

Order is Heaven’s first law; and this confest,
Some are, and must be, greater than the rest,
More rich, more wise; but who infers from hence
That such are happier, shocks all common sense.
Heaven to mankind impartial we confess,
If all are equal in their happiness:
But mutual wants this happiness increase;
All Nature’s difference keeps all Nature’s peace.
Condition, circumstance is not the thing;
Bliss is the same in subject or in king,
In who obtain defence, or who defend,
In him who is, or him who finds a friend:
Heaven breathes through every member of the whole
One common blessing, as one common soul.
But fortune’s gifts if each alike possessed,
And each were equal, must not all contest?
If then to all men happiness was meant,
God in externals could not place content.

Fortune her gifts may variously dispose,
And these be happy called, unhappy those;
But Heaven’s just balance equal will appear,
While those are placed in hope, and these in fear:
Nor present good or ill, the joy or curse,
But future views of better or of worse.

Oh, sons of earth! attempt ye still to rise,
By mountains piled on mountains, to the skies,
Heaven still with laughter the vain toil surveys,
And buries madmen in the heaps they raise.

Know, all the good that individuals find,
Or God and Nature meant to mere mankind,
Reason’s whole pleasure, all the joys of sense,
Lie in three words, health, peace, and competence.
But health consists with temperance alone;
And peace, oh, virtue! peace is all thy own.
The good or bad the gifts of fortune gain;
But these less taste them, as they worse obtain.
Say, in pursuit of profit or delight,
Who risk the most, that take wrong means, or right;
Of vice or virtue, whether blessed or cursed,
Which meets contempt, or which compassion first?
Count all the advantage prosperous vice attains,
’Tis but what virtue flies from and disdains:
And grant the bad what happiness they would,
One they must want, which is, to pass for good.

Oh, blind to truth, and God’s whole scheme below,
Who fancy bliss to vice, to virtue woe!
Who sees and follows that great scheme the best,
Best knows the blessing, and will most be blest.
But fools the good alone unhappy call,
For ills or accidents that chance to all.
See Falkland dies, the virtuous and the just!
See god-like Turenne prostrate on the dust!
See Sidney bleeds amid the martial strife!
Was this their virtue, or contempt of life?
Say, was it virtue, more though Heaven ne’er gave,
Lamented Digby! sunk thee to the grave?
Tell me, if virtue made the son expire,
Why, full of days and honour, lives the sire?
Why drew Marseilles’ good bishop purer breath,
When Nature sickened, and each gale was death?
Or why so long (in life if long can be)
Lent Heaven a parent to the poor and me?

What makes all physical or moral ill?
There deviates Nature, and here wanders will.
God sends not ill; if rightly understood,
Or partial ill is universal good,
Or change admits, or Nature lets it fall;
Short, and but rare, till man improved it all.
We just as wisely might of Heaven complain
That righteous Abel was destroyed by Cain,
As that the virtuous son is ill at ease
When his lewd father gave the dire disease.
Think we, like some weak prince, the Eternal Cause
Prone for His favourites to reverse His laws?

Shall burning Etna, if a sage requires,
Forget to thunder, and recall her fires?
On air or sea new motions be imprest,
Oh, blameless Bethel! to relieve thy breast?
When the loose mountain trembles from on high,
Shall gravitation cease, if you go by?
Or some old temple, nodding to its fall,
For Chartres’ head reserve the hanging wall?

But still this world (so fitted for the knave)
Contents us not. A better shall we have?
A kingdom of the just then let it be:
But first consider how those just agree.
The good must merit God’s peculiar care:
But who, but God, can tell us who they are?
One thinks on Calvin Heaven’s own spirit fell;
Another deems him instrument of hell;
If Calvin feel Heaven’s blessing, or its rod.
This cries there is, and that, there is no God.
What shocks one part will edify the rest,
Nor with one system can they all be blest.
The very best will variously incline,
And what rewards your virtue, punish mine.
Whatever is, is right. This world, ’tis true,
Was made for Cæsar—but for Titus too:
And which more blest? who chained his country, say,
Or he whose virtue sighed to lose a day?

“But sometimes virtue starves, while vice is fed.”
What then? Is the reward of virtue bread?
That, vice may merit, ’tis the price of toil;
The knave deserves it, when he tills the soil,
The knave deserves it, when he tempts the main,
Where folly fights for kings, or dives for gain.
The good man may be weak, be indolent;
Nor is his claim to plenty, but content.
But grant him riches, your demand is o’er?
“No—shall the good want health, the good want power?”
Add health, and power, and every earthly thing,
“Why bounded power? why private? why no king?”
Nay, why external for internal given?
Why is not man a god, and earth a heaven?
Who ask and reason thus, will scarce conceive
God gives enough, while He has more to give:
Immense the power, immense were the demand;
Say, at what part of nature will they stand?

What nothing earthly gives, or can destroy,
The soul’s calm sunshine, and the heartfelt joy,
Is virtue’s prize: A better would you fix?
Then give humility a coach and six,
Justice a conqueror’s sword, or truth a gown,
Or public spirit its great cure, a crown.
Weak, foolish man! will heaven reward us there
With the same trash mad mortals wish for here?
The boy and man an individual makes,
Yet sighest thou now for apples and for cakes?
Go, like the Indian, in another life
Expect thy dog, thy bottle, and thy wife:
As well as dream such trifles are assigned,
As toys and empires, for a God-like mind.
Rewards, that either would to virtue bring
No joy, or be destructive of the thing:
How oft by these at sixty are undone
The virtues of a saint at twenty-one!
To whom can riches give repute or trust,
Content, or pleasure, but the good and just?
Judges and senates have been bought for gold,
Esteem and love were never to be sold.
Oh, fool! to think God hates the worthy mind,
The lover and the love of human kind,
Whose life is healthful, and whose conscience clear,
Because he wants a thousand pounds a year.

Honour and shame from no condition rise;
Act well your part, there all the honour lies.
Fortune in men has some small difference made,
One flaunts in rags, one flutters in brocade;
The cobbler aproned, and the parson gowned,
The friar hooded, and the monarch crowned,
“What differ more (you cry) than crown and cowl?”
I’ll tell you, friend! a wise man and a fool.
You’ll find, if once the monarch acts the monk,
Or, cobbler-like, the parson will be drunk,
Worth makes the man, and want of it, the fellow;
The rest is all but leather or prunella.

Stuck o’er with titles and hung round with strings,
That thou mayest be by kings, or wh***s of kings.
Boast the pure blood of an illustrious race,
In quiet flow from Lucrece to Lucrece;
But by your fathers’ worth if yours you rate,
Count me those only who were good and great.
Go! if your ancient, but ignoble blood
Has crept through scoundrels ever since the flood,
Go! and pretend your family is young;
Nor own, your fathers have been fools so long.
What can ennoble sots, or slaves, or cowards?
Alas! not all the blood of all the Howards.

Look next on greatness; say where greatness lies?
“Where, but among the heroes and the wise?”
Heroes are much the same, the points agreed,
From Macedonia’s madman to the Swede;
The whole strange purpose of their lives, to find
Or make, an enemy of all mankind?
Not one looks backward, onward still he goes,
Yet ne’er looks forward farther than his nose.
No less alike the politic and wise;
All sly slow things, with circumspective eyes;
Men in their loose unguarded hours they take,
Not that themselves are wise, but others weak.
But grant that those can conquer, these can cheat;
’Tis phrase absurd to call a villain great:
Who wickedly is wise, or madly brave,
Is but the more a fool, the more a knave.
Who noble ends by noble means obtains,
Or failing, smiles in exile or in chains,
Like good Aurelius let him reign, or bleed
Like Socrates, that man is great indeed.

What’s fame? a fancied life in others’ breath,
A thing beyond us, even before our death.
Just what you hear, you have, and what’s unknown
The same (my Lord) if Tully’s, or your own.
All that we feel of it begins and ends
In the small circle of our foes or friends;
To all beside as much an empty shade
An Eugene living, as a Cæsar dead;
Alike or when, or where, they shone, or shine,
Or on the Rubicon, or on the Rhine.
A wit’s a feather, and a chief a rod;
An honest man’s the noblest work of God.
Fame but from death a villain’s name can save,
As justice tears his body from the grave;
When what the oblivion better were resigned,
Is hung on high, to poison half mankind.
All fame is foreign, but of true desert;
Plays round the head, but comes not to the heart:
One self-approving hour whole years outweighs
Of stupid starers, and of loud huzzas;
And more true joy Marcellus exiled feels,
Than Cæsar with a senate at his heels.

In parts superior what advantage lies?
Tell (for you can) what is it to be wise?
’Tis but to know how little can be known;
To see all others’ faults, and feel our own;
Condemned in business or in arts to drudge,
Without a second or without a judge;
Truths would you teach or save a sinking land,
All fear, none aid you, and few understand.
Painful pre-eminence! yourself to view
Above life’s weakness, and its comforts too.

Bring, then, these blessings to a strict account;
Make fair deductions; see to what they mount;
How much of other each is sure to cost;
How each for other oft is wholly lost;
How inconsistent greater goods with these;
How sometimes life is risked, and always ease;
Think, and if still the things thy envy call,
Say, would’st thou be the man to whom they fall?
To sigh for ribands if thou art so silly,
Mark how they grace Lord Umbra, or Sir Billy:
Is yellow dirt the passion of thy life?
Look but on Gripus, or on Gripus’ wife;
If parts allure thee, think how Bacon shined,
The wisest, brightest, meanest of mankind:
Or ravished with the whistling of a name,
See Cromwell; damned to everlasting fame!
If all, united, thy ambition call,
From ancient story learn to scorn them all.
There, in the rich, the honoured, famed, and great,
See the false scale of happiness complete!
In hearts of kings, or arms of queens who lay,
How happy! those to ruin, these betray.
Mark by what wretched steps their glory grows,
From dirt and seaweed as proud Venice rose;
In each how guilt and greatness equal ran,
And all that raised the hero, sunk the man:
Now Europe’s laurels on their brows behold,
But stained with blood, or ill exchanged for gold;
Then see them broke with toils or sunk with ease,
Or infamous for plundered provinces.
Oh, wealth ill-fated! which no act of fame
E’er taught to shine, or sanctified from shame;
What greater bliss attends their close of life?
Some greedy minion, or imperious wife.
The trophied arches, storeyed halls invade
And haunt their slumbers in the pompous shade.
Alas! not dazzled with their noontide ray,
Compute the morn and evening to the day;
The whole amount of that enormous fame,
A tale, that blends their glory with their shame;

Know, then, this truth (enough for man to know)
“Virtue alone is happiness below.”
The only point where human bliss stands still,
And tastes the good without the fall to ill;
Where only merit constant pay receives,
Is blest in what it takes, and what it gives;
The joy unequalled, if its end it gain,
And if it lose, attended with no pain;
Without satiety, though e’er so blessed,
And but more relished as the more distressed:
The broadest mirth unfeeling folly wears,
Less pleasing far than virtue’s very tears:
Good, from each object, from each place acquired
For ever exercised, yet never tired;
Never elated, while one man’s oppressed;
Never dejected while another’s blessed;
And where no wants, no wishes can remain,
Since but to wish more virtue, is to gain.

See the sole bliss Heaven could on all bestow!
Which who but feels can taste, but thinks can know:
Yet poor with fortune, and with learning blind,
The bad must miss; the good, untaught, will find;
Slave to no sect, who takes no private road,
But looks through Nature up to Nature’s God;
Pursues that chain which links the immense design,
Joins heaven and earth, and mortal and divine;
Sees, that no being any bliss can know,
But touches some above, and some below;
Learns, from this union of the rising whole,
The first, last purpose of the human soul;
And knows, where faith, law, morals, all began,
All end, in love of God, and love of man.

For Him alone, hope leads from goal to goal,
And opens still, and opens on his soul!
Till lengthened on to faith, and unconfined,
It pours the bliss that fills up all the mind
He sees, why Nature plants in man alone
Hope of known bliss, and faith in bliss unknown:
(Nature, whose dictates to no other kind
Are given in vain, but what they seek they find)
Wise is her present; she connects in this
His greatest virtue with his greatest bliss;
At once his own bright prospect to be blest,
And strongest motive to assist the rest.

Self-love thus pushed to social, to divine,
Gives thee to make thy neighbour’s blessing thine.
Is this too little for the boundless heart?
Extend it, let thy enemies have part:
Grasp the whole worlds of reason, life, and sense,
In one close system of benevolence:
Happier as kinder, in whate’er degree,
And height of bliss but height of charity.

God loves from whole to parts: but human soul
Must rise from individual to the whole.
Self-love but serves the virtuous mind to wake,
As the small pebble stirs the peaceful lake!
The centre moved, a circle straight succeeds,
Another still, and still another spreads;
Friend, parent, neighbour, first it will embrace;
His country next; and next all human race;
Wide and more wide, the o’erflowings of the mind
Take every creature in, of every kind;
Earth smiles around, with boundless bounty blest,
And Heaven beholds its image in his breast.

Come, then, my friend! my genius! come along;
Oh, master of the poet, and the song!
And while the muse now stoops, or now ascends,
To man’s low passions, or their glorious ends,
Teach me, like thee, in various nature wise,
To fall with dignity, with temper rise;
Formed by thy converse, happily to steer
From grave to gay, from lively to severe;
Correct with spirit, eloquent with ease,
Intent to reason, or polite to please.
Oh! while along the stream of time thy name
Expanded flies, and gathers all its fame,
Say, shall my little bark attendant sail,
Pursue the triumph, and partake the gale?
When statesmen, heroes, kings, in dust repose,
Whose sons shall blush their fathers were thy foes,
Shall then this verse to future age pretend
Thou wert my guide, philosopher, and friend?
That urged by thee, I turned the tuneful art
From sounds to things, from fancy to the heart;
From wit’s false mirror held up Nature’s light;
Showed erring pride, whatever is, is right;
That reason, passion, answer one great aim;
That true self-love and social are the same;
That virtue only makes our bliss below;
And all our knowledge is, ourselves to know.

http://www.gutenberg.org/ebooks/2428

*****
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道徳恐怖政治

道徳恐怖政治

1
道徳恐怖政治
狂乱正義乱舞
倫理暴走教義
叫喚清廉私刑

真善美愛可消
幸安楽喜可滅
優慰恵慈可葬

吾律故吾有哉
吾禁故吾有哉
吾罰故吾有哉

2
道徳恐怖政治
狂乱正義乱舞
倫理暴走教義
叫喚清廉私刑

緑遊揺草可踏
虹夢歌空可汚
恋艶悦花可枯

吾責故吾有哉
吾罵故吾有哉
吾潰故吾有哉
吾馘故吾有哉

*****
(別篇)

1
道徳恐怖政治
狂乱正義乱舞
倫理暴走教義
叫喚清廉私刑

真善美可消失
幸安楽可死滅
愛慰優可亡葬

吾律故吾有哉
吾禁故吾有哉
吾罰故吾有哉

2
道徳恐怖政治
狂乱正義乱舞
倫理暴走教義
叫喚清廉私刑

緑遊草可踏倒
虹夢空可汚濁
恋艶花可枯散

吾責故吾有哉
吾罵故吾有哉
吾潰故吾有哉
吾馘故吾有哉

*****
似非漢文犯区
穴開家

*****
20170804-13

*****
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イギリス魔女裁判:ロッシントン、1605年

イギリス魔女裁判:ロッシントン、1605年


ロッシントンのアン・ジャッドの証言
担当ヒュー・チルダーズ
神のご加護によりジェイムズ陛下がイングランド、
フランス、アイルランドの王・教会首長となって2年目、
スコットランド王・教会首長となって38年目の
2月6日に聴取:

上記年月に尋問を受けたこの証人は次のように言っている。ロッシントンに住むレナード・ジャーディの妻ジョーン・ジャーディは、ピーター・マーフィンの妻のお産の手伝いに呼ばれていたのだが、こどもが生まれて三、四日たつまでマーフィンの家にこなかった。また、きても彼女はマーフィンの妻とともに食べたり飲んだりしなかった。それはピーター・マーフィンもきて一緒に飲んでくれなかったからだった。この証人がジョーンを家に送った時にも彼女は、ピーター・マーフィンは一緒にきて飲んでくれなかった、と言い、本当よ、きてくれればよかったのに、って言っておいて、と言った。次の日、用があってこの証人がジョーン・ジャーディの家に行くと、ジャーディの召使いのジェーン・トライアが彼女に 「お姉さんと赤ちゃん、元気?」 [ピーター・マーフィンの妻はこの証人アン・ジャッドの姉] と尋ねた。この証人が 「かなり弱ってる」 と言うと、ジョーン・ジャーディは次のように言った。「気をつけて。まだ峠を越えていないから。まだまだ悪くなる」。

さらに、ピーター・マーフィンの妻、ジャネット・マーフィン[姉]が昨年12月15日(土)の夜にこの証人に言ったことについて問われ、この証人はこう言っている。姉は言った、「アン、寝てた?」--証人「ううん、起きてた」--姉「あたし、魔女にやられてる」。その次の月曜か火曜にロッシントンのウィリアム・ドルフィンの妻キャサリン・ドルフィンがジャネットに会いにピーター・マーフィンの家にきた時、この証人はジャネット・マーフィンが「どう?」と尋ねるドルフィンの妻にこう言ったのを聞いた。「ダメ、弱ってる、こんなにひどくなったのはじめて」。ジャネットはさらに言った、「あの女最悪、あたし殺される、もう治らないかも」。ドルフィンの妻が「誰のせいなの?」と聞くと、ジャネットは言った、「あの女呪ってやる。ジャーディんとこのジョーンがくるまであたし元気だった」。


ロッシントンのウィリアム・ドルフィンの妻
キャサリン・ドルフィンの証言
ドンカスターにて1604年2月6日に聴取
担当ヒュー・チルダーズ町長:

この証人は言う、昨年11月18日(火)にロッシントンの労働者ピーター・マーフィンの家にいた時、そのピーターの妻が出産後体調を崩して寝こんでいたのでこう聞いた、「調子はどう?」。すると彼女は答えた、「こんなにひどくなったのはじめて。ほんときつい。土曜日にジャーディんとこの奥さんがきてからおかしくなって。あの夜に魔女にやられて、それでお粥とかしか食べれなくなっちゃって」。

(さらに、ジャーディの妻は魔法をかけられて病気になった人を治せるという話を聞いたことがあるか訊かれ、この証人は、ある、と答えて次のようにいった。) 六年くらい前にこどもが病気だった時に助言がほしくて彼女のところに連れて行ったら、ミルナーの奥さんがいいと薦められたのでそこへ行って、そしたらその奥さんがジャーディの奥さんのほうがいいと言うのでまたそっちに戻って、ミルナーの奥さんが言ったようにジャーディの奥さんにどうすればいいか訊いたら、彼女は、家に帰って赤ちゃんを揺り籠に寝かしておけばすぐに治る、と言った。さらにこの証人は、ジャーディの奥さんはどんな人でも魔法にかけられた人を治せると思っている、近所の人もみんなそう思っている、と言った。


ロッシントンのピーター・マーフィンの調書
ジェイムズ陛下がイングランド王になって
3年目の10月16日に聴取
担当ヘンリー・ライリー町長、ジョン・ファーン記録官、
ジョン・キャリル参事:

この証人は言う、出産直後であったこの証人の妻のところにジョーン・ジャーディがきて二日以内に赤子が死に、またその直後に妻も病気になって母乳が血に変わった。

(つづく)

*****
From "Alleged Witchcraft at Rossington, near Doncaster, 1605"
The Gentleman's Magazine 202 (May 1857): 593-95
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=mdp.39015030568946

*****
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予定説Q&A: ジュネーヴ聖書1583より

「予定説、神の言葉と秘跡についてのQ&A」
ジュネーヴ聖書(1583)より

Q.
どうして人は宗教の問題についてあれほど意見があわないのでしょうか。
A.
それは誰もが同じ程度の知識をもっているわけではないからです。また、誰もがキリストによる救済の知らせを信じているわけではないからです。

Q.
それはどうしてですか?
A.
天国において永遠に生きられるよう定められた人だけが、救済の知らせおよびキリストの教えを信じることができるからです。

Q.
すべての人が天国に行けるよう定められてはいないのですか?
A.
神の怒りが注がれるべき杯として破滅に定められた人もいます。神の慈悲が注がれる杯として天国の栄光に定められた人とは反対に。

Q.
正義であるはずの神が人を地獄行きに定めていいのですか?
A.
もちろんです。すべての人は罪をもっていますので地獄に落とされて当然です。そんな罪深い人間の一部を救済されるよう定め、真理を知らせてくださっているのですから、まさに神の慈悲には驚くばかりです。

Q.
神の定め・決定どおりになるのなら、人はもう何も考えずに生きればいいということになりませんか? よい人生を送った人でも地獄落ちに定められていれば地獄に行くわけですし、逆に悪い人生を送った人でも天国行きと定められていれば天国に行くわけですから。
A.
それは違います。天国に選ばれた人が常によいことをしようと考えない、などということはありえませんし、逆に地獄行きに定められた人がよいことをしようと考えることもありえません。なぜなら、よい意志をもちよいおこないをすることは神の霊が宿っている証であり、これは天国に選ばれた人のみに与えられるものだからです。この神の霊によって信仰が生まれ、この信仰によって人はキリストと一体となり、そして定められた天国にふさわしい存在として清らかになっていくのです。そのような人は、天国行きに定められているのだから好き放題に生きればいい、と一度でも考えるような愚か者ではありません。むしろ、救い主イエスとしての神が彼に定め用意したよいおこないをして生きることを心がけます。それが天国に選ばれた人の心の安らぎ、支え、自信の源であり、また神の栄光なのです。

Q.
でも、天国で永遠に生きられるよう自分が定められているかどうか、どうしたらわかるのですか?
A.
日々魂が生きていくなかにいろいろなヒントがあります。神に選ばれた人においては肉体だけでなく魂も生きていますから。感覚やさまざまな身体機能によって体が生きていることがわかるように、魂もいろいろ感じ、自分が生きていることや永遠に生きるであろうことを感じるのです。

Q.
魂が感じるヒントとはどんなものですか?
A.
良心の咎め、反省の習慣、罪を憎み正義を愛する心、永遠の生を求めてキリストを信じる気持ち、苦悩のなかにあっても感じられる心の安らぎ、聖霊によって与えられる自信、神の恵みに対する感謝、すべての苦境を成長の機会ととらえる思考、などです。

Q.
それらを時折感じるような人は滅びないのですか?
A.
そのような人が滅びることはありえません。一度定めたことを神が変えることはなく、選んだ人に与えた恵みを神が撤回することもありません。一度天国に受け入れた人を追い出すこともありません。

Q.
では、どうしてダヴィデに倣って神に「顔を隠さないでください、聖霊をわたしたちからとりあげないでください」と祈る必要があるのでしょうか?
A. そのように祈ることによってわたしたちは、神を疑ってしまう心の弱さを告白しているのです。でも同時に、わたしたちがそう祈ることができるのは、神がわたしたちの祈りに応えてくれると確信しているからでもあります。ご自身のお考えのとおりに、またわたしたちに約束してくれているとおりに。

(つづく)

*****
"Certaine Questions and Ansvveres
Touching the Doctrine of Predestination,
the Vse of Gods Worde and Sacraments"
From Geneva Bible 1583





次のページに現代綴り版あり(含ミス)
http://www.truegospel.net/GS/1843/43268.htm

*****
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