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Keats, "On Melancholy"

ジョン・キーツ (1795-1821)
「オード--憂鬱について--」

行くな、忘却の川レーテーに行ってはいけない。トリカブトの
かたい根をしぼった毒ワインを飲んでもいけない。
君の血の気のない額に、ベラドンナの毒の実--冥界の女王
プロセルピナの、あのルビー色のブドウ--のキスを許してもいけない。
墓場のイチイの実でロザリオを作ってはいけない。
チクタクと死の到来を告げるシバンムシや、死神を背負うスズメガを、
祭壇をもたないプシュケーのように崇めてはいけない。
ふわふわの夜の鳥フクロウに、君の秘密の悲しみを打ちあけてもいけない。
なぜなら、陰は、陰に、あまりにも眠たげにやってくるから、
そして魂の、常に目を覚ましている苦しみを溺れさせてしまうから。

憂鬱が、発作的に、空から突然、
まるで雲から涙のように降ってきて、
力なく頭を垂れる花々すべてを潤わせ、
また緑の丘を四月の死に装束で隠すとき、
そんなとき、君の悲しみに貪り食わせよう、朝に咲くバラを、
塩からい砂の波の上の虹を、
宝物のように大きく丸いシャクヤクの花を。
それから、もし君の恋人が激しく、かつ美しく怒っていたなら、
そのやわらかい手を君の手に閉じ込め、彼女には喚かせよう。
そして、彼女の深い、深い、並ぶものなき瞳を、食べるように味わおう。

憂鬱は、美とともに住んでいる。いずれ必ず滅びる美とともに。
また、それは喜びとともに住んでいる。常に手を唇にあて、
さよなら、といっている喜びと。それから、痛みをともなう快楽もそばにいる。
ハチが蜜を吸うように吸って・・・・・・気がつくと毒になっているような快楽も。
そう、まさに楽しみの神殿のなかに、
ヴェールに覆われた絶対神、女神憂鬱の聖堂がある。
しかし、それを見ることができるのは、強い舌で、柔らかい口のなか、
喜びのブドウをはじけさせることができる人だけ。
そのような人は、憂鬱の、強く大きな悲しみを魂で味わい、
そして彼女の、雲に覆われた戦利品の山のなかに吊るされる。

* * *

John Keats
"Ode on Melancholy"

No, no, go not to Lethe, neither twist
Wolf's-bane, tight-rooted, for its poisonous wine;
Nor suffer thy pale forehead to be kiss'd
By nightshade, ruby grape of Proserpine;
Make not your rosary of yew-berries,
Nor let the beetle, nor the death-moth be
Your mournful Psyche, nor the downy owl
A partner in your sorrow's mysteries;
For shade to shade will come too drowsily,
And drown the wakeful anguish of the soul.

But when the melancholy fit shall fall
Sudden from heaven like a weeping cloud,
That fosters the droop-headed flowers all,
And hides the green hill in an April shroud;
Then glut thy sorrow on a morning rose,
Or on the rainbow of the salt sand-wave,
Or on the wealth of globed peonies;
Or if thy mistress some rich anger shows,
Emprison her soft hand, and let her rave,
And feed deep, deep upon her peerless eyes.

She dwells with Beauty---Beauty that must die;
And Joy, whose hand is ever at his lips
Bidding adieu; and aching Pleasure nigh,
Turning to poison while the bee-mouth sips:
Ay, in the very temple of Delight
Veil'd Melancholy has her sovran shrine,
Though seen of none save him whose strenuous tongue
Can burst Joy's grape against his palate fine;
His soul shall taste the sadness of her might,
And be among her cloudy trophies hung.

* * *

以下、訳注および解釈例。

1 Lethe
ギリシャ/ローマ神話に出てくる川。冥界にあり、
その水を飲むと生前のすべてを忘れる。

2 Wolf's-bane
トリカブト。その根は、神経痛などの薬となり、
また死をもたらす毒物ともなる。

By H. Zell
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Aconitum_napellus_009.JPG?uselang=ja

(以下のURLのページを参照。)
http://chestofbooks.com/health/
materia-medica-drugs/Textbook-Materia-Medica/
Aconite-Root-Radix-Aconiti.html (1920年の医学書)
http://chestofbooks.com/health/reference/
Household-Companion/The-Family-Doctor/
Aconite-as-poison.html (1909年の医学書)

4 Nightshade
ベラドンナ(deadly nightshade)。その見かけに騙されて、
子どもがよく食べて死んでしまうとか(下の1802年の本より)。


By Kurt Stüber
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Atropa_bella-donna0.jpg

(以下のURLのページを参照。)
http://chestofbooks.com/reference/The-Domestic-
Encyclopaedia-Vol3/Deadly-Nightshade.html (1802年の医学書)

種は異なるが、woody nightshadeという植物もある。

By Lairich Rig
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_berries_of_
Bittersweet_-_geograph.org.uk_-_970950.jpg?uselang=ja
ルビー色、ブドウ、という点では、こちらのほうが
イメージにあっているかも。毒性はベラドンナよりは弱いとか。

4 Proserpine
プロセルピナ--冥界の神ディースに思いを寄せられ、
無理やり冥界に連れて行かれた女性(ローマ神話)。

By Steffen Heilfort
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:2002.
Pluto_und_Proserpina(Persephone)-Glocken_Font%C3%A4ne_
Rondell-Sanssouci_Steffen_Heilfort.JPG

5 yew-berries
イチイの実。OEDによれば、イチイは悲しみの
象徴。ケルトでは、死と再生の象徴であると同時に、
その毒性によっても知られてきたとのこと。
(キリスト教文化が入る以前から--http://www.
treesforlife.org.uk/forest/mythfolk/yew.html)

By Brian Robert Marshall
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:More_yew_
berries,_the_Lawn,_Swindon_-_geograph.org.uk_-_592423.jpg

6 beetle
Death watch beetle(シバンムシ=死番虫)。頭を床などに
打ちつけてカチカチ音を出す。家のなかでこの音が聞こえた場合、
それは家族の誰かが死ぬ予兆、という迷信があった--
Encyclopedia of Superstitions 1949, p. 101;
http://books.google.co.jp/books?id=Ht_02x-2JksC&dqで
プレヴュー可)。

OED, "Death-watch" 1にも同様の定義が。
「時計のようなチクタクという音を出すいろいろな虫。
無知で迷信深い人々は、それが死の到来を告げると考えている。
特にシバンムシのこと」。

(画像は控えます。関心のある方はどうぞ。
http://www.britannica.com/EBchecked/media/
5181/Deathwatch-beetle)

ちなみに、普通のカブトムシbeetleは愚かさをあらわす
OED, [n1], 2)。

6 death-moth
スズメガ。正式(?)名称は、death's head moth(死神の頭の蛾)
またはhawk moth。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Acherontia_
atropos,_emerged_DH_060_06_12_27-02_cr.jpg


http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Sphynx_atropos.jpg
ほら、背中に死神の顔が・・・・・・。

7 Psyche
古代ギリシャ/ローマの愛の神エロス=クピドの恋人。

By Sailko
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Antonio_
canova,_amore_e_psiche_louvre_02.JPG
下がプシュケー、上がエロス(クピド)。

もともとプシュケーは人間で、後に神格化された存在なので、
古代ギリシャ/ローマでは神として祀られていなかった。
だから、ぼくが心のなかに彼女のための神殿をつくろう、
という詩が、キーツの「プシュケーに捧げるオード」。

7 mournful
上記の通り、神殿がないから悲しんでいる、という意味と、
憂鬱なときには魂/精神/心(psyche)が悲しんでいる、
という意味が重ねられている(と勝手に解釈しています)。

8 owl
夜行性、悲しげな声で鳴く、というところがポイント。

---
以上、1-8行目を普通の言葉でいいかえると・・・・・・

(憂鬱なときでも)
忘却(や死)を求めてはいけない。

トリカブトの毒による死を求めてはいけない。

ベラドンナによる(強引な、いわばプロセルピナの
ような)死を求めてはいけない。

死に関係するイチイの実でロザリオを作って
(死を求めるようなかたちで)お祈りしてはいけない。

死を告げるシバンムシや、死神を背負ったスズメガを、
勝手に神格化して崇拝してはいけない。(死を美しいもの、
ありがたいもののように考えてはいけない。)

夜にフクロウと悲しみについて語りあってはいけない。

(なぜなら・・・・・・と以下につづきます。)
---

9
陰(死)は陰(憂鬱)に対して、あまりに眠たげに
やってくる--憂鬱というダウンな状態に
さらに死というダウンな状態が重なったら、
二重にダウンな状態になってしまう、というような内容。
(大ざっぱですが。)

10
憂鬱なとき、魂は本当は眠れないくらいに
苦しいが、それを眠りや死で忘れるという解決策は
よくない、というような内容。(大ざっぱですが。)
ここから次のスタンザへ。

13-14
雨と同様、憂鬱にはプラス/マイナスの両面がある、
ということ。雨は枯れかけた花をうるおすと同時に、
緑の景色をまるで死に装束のように白く包む。

15-20
憂鬱なときには美しいものを、むさぼるように
じっと見つめよう、ということ。(なぜなら・・・・・・・
と次のスタンザにつづきます。)

16 salt sand-wave
このsand-waveは、下のような、砂漠や砂浜で
見られるような砂の上の波模様ではなく、
「砂浜に打ち寄せる波」を凝縮した表現では?

By Eirian Evans
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Wave_patterns_in_the_sand_-_geograph.org.uk_-_
1073586.jpg?uselang=ja

17 peonies
シャクヤク

By BobDrzyzgula
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Schwartz_peony.jpg?uselang=ja

21
たとえば、美しいもののはかなさを思い知ったときに
憂鬱になる、ということ。

22-23
喜びのはかなさを思い知ったときに憂鬱になる、ということ。

23-24
快楽のはかなさを思い知ったときに憂鬱になる、ということ。

25-26
21-24行にあるように、楽しいことと憂鬱は隣りあわせ、
ということ。憂鬱が女神であることについては、ミルトンの
"Il Penseroso" などご参照を。

27-28
憂鬱を味わうためには、ある種の精神的な強さが必要、
ということ。(憂鬱を感じる人=ある種の特権階級、
という感じかと。ちょっとしたスノビズムということで。)
このこと + 口のなかで赤いブドウがつぶされて、
プシャーとはじけるイメージ。(甘い、すっぱい、
透明の液体と紫の液体が流れ出て・・・・・・。)

29-30
憂鬱を味わうことは、別に幸せなことではない、
ということ。"[T]rophies" とは、戦争に勝った際に、
敵の武器や略奪したものを飾ったもの。

By Gaius Cornelius
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Booty_from_the_Dacian_wars.JPG


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Aedes_Dianae_%26_Trophy.jpg
(右下がtrophy.) 憂鬱に敗れたものとして、
ここに自分が吊るされる・・・・・・。

29-30行は、ある意味、27-28行とは正反対のことを
いっているわけで、「ギリシャ壺」、「ナイチンゲール」、
それから「聖アグネス」のエンディングなど、
ものごとを多面的にとらえて描くことに固執する
キーツらしいところかと。

* * *

長い行がありますが、一行に収まるかたちで
表示されていますでしょうか?

* * *

この詩(特に第一スタンザ)は、象徴的な意味を
もつものを集め、その裏の意味のみで話の筋を
伝えようとしている、とても野心的な作品です。
上の訳ではだいぶ言葉を補っていますが、
この第一スタンザは、表面的に読むだけでは、
何をいっているのか、さっぱりわからないはずです。

まだリサーチ不足で断言などまったくできませんが、
ヨーロッパで、このように象徴を全面的に用いて書かれたのは、
このキーツの「憂鬱」が最初では? だとしたら、
この詩は、その後のフランスなどの、いわゆる「象徴派」の
先駆的作品では? (「象徴」のとらえ方が、時間とともに
若干異なっていってはいますが。)

そういえば、フランス象徴派の先駆ともいわれたりする
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティらラファエル前派の
画家たちは、キーツの作品をよくよく研究してたとか・・・・・・。

ロセッティの手紙には、こんな言葉もあったりして--
「キーツも、昔のイタリア絵画を見て、ラファエロより
それ以前の画家たちのほうが優れている、といってるぞ!」
Dante Gabriel Rossetti: His Family Letters,
1895, pp. 39-40.)

いずれにせよ、この象徴に依存する詩のつくり方は、
より高く評価されている「秋」の後半でもくり返されています。
この「憂鬱」の詩で手ごたえを感じたのかと。たとえば、
話の展開がより明確な「ギリシャ壺」や「ナイチンゲール」と、
「憂鬱」や「秋」は、まったく別のスタイルで
書かれていますので、よろしければ、読んで比べて
いただければと思います。

(いずれ「秋」も訳して掲載します。)

* * *

また少し追記します。
(たぶん。)

* * *

英文テクストは、Keats, Keats: Poems Published
in 1820
, ed. M. Robertson (Oxford, 1909) より。
<http://www.gutenberg.org/files/23684/23684-h/23684-h.htm>

* * *

学生の方など、自分の研究/発表のために上記を参照する際には、
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Eliot, TS, "La Figlia Che Piange"

T・S・エリオット(1888-1965)
「泣いている娘」

石の階段のいちばん上に立って--
庭の壺にもたれて--
織りこんで、織りあわせて、日の光を君の髪に--
驚き、痛む心で、腕に抱いた花束をぎゅっと引き寄せて--
それを地面に投げつけて、後ろを向いて、
傷つけられた憤りを少し目に浮かべて、
でも、織りこんで、織りあわせて、日の光を君の髪に。

彼は、そのように去ったらよかった、
あの子は、そのように立ちつくして悲しめばよかった、
彼は、そのように立ち去りたかった、
つまり、魂が、殴られ、引き裂かれた肉体から去るように、
心が、それまで使っていた肉体を見捨てるように。
わたしは見つけなくては--
かぎりなく軽やかで上手なやり方を、
わたしたち二人にちゃんとわかるようなやり方を、
ほほえみや握手のように、簡単で、心のこもらないやり方を。

あの子を後ろを向いた。が、その日の秋の空模様とともに
わたしの思考を支配した。何日も、
何日も、そして何時間も。
あの子の髪は腕にかかっていて、腕いっぱいの花を抱いていて・・・・・・。
やはり二人は一緒にいるべきだったのか?
キザなポーズやふるまいなど、やめておくべきだったのだ。
時々、このような考えに、今でもふいに襲われる、
心乱れた真夜中に、真昼、休息しているときに。

* * *

T. S. Eliot
"La Figlia Che Piange"

Stand on the highest pavement of the stair--
Lean on a garden urn--
Weave, weave the sunlight in your hair--
Clasp your flowers to you with a pained surprise--
Fling them to the ground and turn
With a fugitive resentment in your eyes:
But weave, weave the sunlight in your hair.

So I would have had him leave,
So I would have had her stand and grieve,
So he would have left
As the soul leaves the body torn and bruised
As the mind deserts the body it has used.
I should find
Some way incomparably light and deft,
Some way we both should understand,
Simple and faithless as a smile and shake of the hand.

She turned away, but with the autumn weather
Compelled my imagination many days,
Many days and many hours:
Her hair over her arms and her arms full of flowers.
And I wonder how they should have been together!
I should have lost a gesture and a pose.
Sometimes these cogitations still amaze
The troubled midnight and the noon's repose.

* * *

以下、訳注。

タイトル La Figlia Che Piange
英語では、"The Daughter Who Is Weeping" というような意味。
「娘」daughter といっていますが、下記の内容からみて
「若い女の子」ととらえていいと思います。
もともとこの詩は、エリオットが友人に "La Figlia
Che Piange" という彫像を北イタリアの美術館で見るように
すすめられた(が、それはなかった、とか)というできごとを
発端に書かれたものなので、特に親子という意味合いは抜きで
解釈します。(Eliot, The Waste Land and Other Poems,
ed. F. Kermode, [New York, 2003] 85.)

1-7
時制は現在。(下記のように、時制と人称が
複雑に操作されてる詩なので注意。)

4 Clasp your flowers to you
Claspは、両腕で抱きしめる、手でぎゅっと握る
OED 4b, 5)。[T]o youは腕や花束の動きの
方向を示す。片手に花束の花の部分を載せ、
もう片手で茎を束ねたところを握っていて、
そしてからだ全体の緊張によって、花束が胸のところに
引き寄せられる、というようなようす。

8-12
8-10行目のSoは11-12行目のAsに対応している--
Soそのように = As以下のようななかたちで。

8-12
仮定法過去完了。つまり、過去に実際にあったこととは
反対のことをいっている。

魂が肉体から去るときのようにあっさりと
(あたりまえですが、肉体からの反応も特になく)--

彼は去ったらよかった (でも、できなかった)
あの子は、立ちつくして悲しめばよかった (でも実際は違った)
彼は立ち去りたかった (でもできなかった)

なお、「彼は去ったらよかった」といっている「わたし」と
この立ち去る「彼」は、おそらく同一人物。

(「わたし」=「彼」と考えないと、この詩はまったくわけの
わからないものになってしまうかと。「詩は難しい=
わけのわからない言葉やイメージを不思議なかたちで
並べた変なもの」、というような、詩になじみのない人が
詩に対して抱きがちなイメージは、おそらくエリオット以降の
現代詩(特にアメリカ詩)からくるものと思いますが、
少なくともこの詩においては、混乱しているように
見える言葉の背後に、それなりに話の筋を読みとることが
できます。)

(でも個人的に、"Waste Land" などはちょっときついかな、
と感じます。)

13-16
時制は現在。

17-20
時制は過去。つまり、ここに書かれているのは
実際にあったこと。

21-22
仮定法過去完了。つまり、過去に実際にあったこととは
反対のことをいっている。

21 they
意味としてはwe.

22 gesture
立ちふるまいの美しさ(OED 1b--古語ですが)。

22 pose
現実とは異なる特定のキャラクターを演じること
OED "pose" v1, 4cより)。

23-24
時制は現在。

* * *

以下、解釈例。時制と人称の混乱を整理し、ひとつの話の筋を
とりだしてみます。その糸口は、以下のような、過去のできごとを
語る箇所。

---
魂が肉体を去るときのように、あっけなく別れることが
できなかった。
(8-12: 仮定法をひっくり返す)

あの子は後ろを向いた。
(17)

あの子の髪は腕にかかっていて、腕いっぱいの花を抱いていた。
(20)

二人は一緒にいるべきだったのか?キザなふるまいなど、
やめておくべきだった、などという考えに今でも襲われる。
(21-24)
---

以上より、実際にあったことは、およそ次のようなことだと
わかります。

---
i.
わたしは恋人に別れることを告げた。

ii.
そのとき相手の女の子は花束をもっていた。
(何かを祝うため? 少なくとも、彼女にとって
別れることはまったく頭になかった、ということ。)

iii.
別れる、という「わたし」の言葉に対して、彼女は
背を向けた。

iv.
あっさりと、後に尾を引くことのないかたちで、
別れることができなかった。
---

なぜあっさり別れられなかったのかといえば・・・・・・
それは、上のiii(詩のなかでは17行目)の「後ろを向いた」の
ところからわかります。(というか、そこからわからない、
というか。) つまり、「わたし」の切り出した別れの言葉に
対して、彼女は、後ろを向いただけ?

この詩のタイトルを見てみると・・・・・・違いますよね?
彼女は泣き、それで「わたし」は、スパッと別れてあっさり
忘れることができなくなってしまった、というわけです。
(ありきたり、といえば、そうかもしれませんが。)

現在時制で語られる1-7行目は、別れの場面の
フラッシュバックと考えられます。実際にあったこと、
それから、もしかしたら、こうだったらよかったのに、
という希望も入りまじっていて。次のフレーズが
くり返されているのは、そのときの彼女の髪のようすが、
目に焼きついて忘れられない、ということでしょう。

"Weave, weave the sunlight in your hair--"
織りこんで、織りあわせて、日の光を君の髪に--

この髪のようすも、「わたし」が彼女のことを
忘れられない大きな一因となっていると思われます。
(たんなる深読みですが、ありがちなことでは。)

同じく現在時制の13-16行目についても、別れの場面が
あまりに鮮明に頭に残っているために、つい、それがこれから
起こることであるかのように、「こうしなくっちゃ」と考えてしまう、
ということかと思います。

いずれにせよ、このような時制と人称の操作により、
歌、小説、絵、映画、TVドラマ、マンガ、アニメ
(それから現実生活)など、どこにでもありそうな場面の
描写に、他ではありえないような複雑で多層的なニュアンスが
与えられていると思います。

第二スタンザの、"Prufrock" や "Waste Land" を
想起させるような、知的かつダークで、身勝手ながらも
まさに的確なイメジャリーも、この詩のセンチメンタルな
ところをうまく中和しています。

でも、なんといっても、この詩の印象を決定づけているのは、
このフレーズでしょう。

"Weave, weave the sunlight in your hair--"
織りこんで、織りあわせて、日の光を君の髪に--

こういうのを読むと、たとえば、「美しい」ということばが、
少なくとも詩においては、いかに空虚でチープなものか、
思い知らされるような気がします。(だからエリオットは、
"sweet!" を連発するシェリーやキーツのようなロマン派が
嫌いだったのかと。)

* * *

ちなみに庭の壺はこのようなもの。

By David Lally
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Urn_in_
Wallington_Walled_Garden_-_geograph.org.uk_-_
975801.jpg

* * *

以下、リズムの解釈例。

第一スタンザ:


基調はゆるやかなストレス・ミーター(四拍子)。
(各行の音節数はまちまちだが、ストレスの数は3-4で
一定。)

B(拍子beatのB)のところで手拍子をしたり、机をコツコツしながら
声に出して読んでみてください。歌のように、BとBの間隔を
一定にする必要はありません。普通の会話や独り言のように、
あるいは散文を読むように、読んでみてください。
自由詩ということで、一定のリズムにしばられないながらも、
ゆるやかな、それこそ風に流れる髪のような、リズムが
感じられるのではないかと思います。

(1, 3, 4, 7 行には、下記のaccentual five-
syllableに近い雰囲気も。それぞれの行のof, in, youを
ビートにのせることができるので。)

ですが・・・・・・

第二スタンザ:


1-3:
この仮定法のところで、ストレスのない機能語(代名詞、助動詞、
それ自体意味のない副詞soなど)が多用され、第一スタンザの
ゆるやかな四拍子が崩れている。詩になっていない、ただ頭のなかを
駆けめぐる思い、という感じかと。

(各行のwouldをあえてビートにのせると、ストレス・ミーターに
なる。が、個人的には、こうだったらよかったのに、という
楽しくない回想を歌のように読むと、まるで演歌かブルーズか
パンクのようで、この詩の雰囲気にあわないように思う。)

4-5:
4行目は、十音節、弱強五歩格のちょっとした変奏。
5行目は、ストレス・ミーター(音節11、ストレス4)。
詩形の上では異なるが、この二行は構文、内容、
そして脚韻と、すべての点で対をなしており、また、
知的かつグロテスクな比喩という点でもつながっている。
声に出して読んだときの雰囲気も似ているはず。

9
この行は、ストレス・ミーターと弱強五歩格の中間の
リズム(のひとつ)、各行5ストレス + 音節数はいくつでもOK、
というaccentual pentameter (accentual five-stress).

---
(比較)
一行の音節数・・・・・・
ストレス・ミーター: 任意
弱強五歩格: 10(か11--女性形の行末でひとつ弱音節がつく場合)
Accentual Pentameter: 任意

一行のストレス数・・・・・・
ストレス・ミーター: 原則4(四拍子にのるかぎり任意)
弱強五歩格: 原則5(だが、音節10であるかぎり、かなり自由)
Accentual Pentameter: 5
(音節数が変動するので、ストレス5の固定が必須)
---

(Accentual pentameterについては、下記Malof,
"Native Rhythm", p. 589ff.; Fussell, Theory of
Prosody in Eighteenth-Century England
, 1954,
pp. 101ff. など参照のこと。定訳はなさそうだが、
「五強勢格」とでも訳すべきか。)

(ひとり言ですが、このよく意味のわからない
「格」という語は必要? 少なくとも「型」のほうが
わかりやすいはず--弱強型、弱弱強型ではダメ?)

たとえば、次のような行がaccentual pentameter:

Inexplicable splendor of Ionian white and gold.
("Waste Land", l. 266; 音節14、ストレス5)

(また後日、例を追加します。)

第三スタンザ:


1
女性形行末の弱強五歩格。

4
Accentual five-stress. 音節の多さは、こめられた
感情の大きさをあらわす(と勝手に解釈)。
彼女の髪、腕、花束・・・・・・と美しく印象的な
イメージが集められていて、この詩のクライマックスのように
思われる。(これらのイメージは、第一スタンザの
反復としても強調されていて。)

5
第二スタンザ1-3行と同様、仮定法の行で、ストレスの
ない音節ばかり。詩としてのリズムがない。
詩になっていない、ただ頭のなかを駆けめぐる思い、
という感じ。"!" もこの雰囲気を強調。
前行とあわせて、この詩のクライマックス。
(4行目でいろいろ頭に浮かんできて、
5行目で、うわーっ、みたいな。)

6-8
エンディング三行が音節10でそろえられている。

6
弱強五歩格(ストレス・ミーターとしても読める)。
5行目と同様、仮定法だが、リズムがかなり明確。
エンディングに向かって、「わたし」が落ち着いて
きている印象。

7
弱強五歩格の一変奏。

8
弱強五歩格(ストレス・ミーターとしても読める)。
[A]ndで前半と後半が対句として結ばれ、バランスがいい。
やはり、「わたし」が落ち着いてきている印象。
たとえば、別れの場面を思い出したときの心の乱れを、
ある種のあきらめとともに受けいれはじめている、
という感じでは。

* * *

響きあう子音/母音:
Stand-highest-(pavement-)stair
この行で一定間隔でくり返される/t/音(と/d/)には、
階段をのぼる足音を想起させる意図があるはず。
(このようなSpenser的な音の組み方をEliotが
好んだかどうか、要リサーチですが。)

(Lean-garden-urn)
Lean-Weave
Clasp-pained-surprise
flowers-fling

have-had-him
have-had-her
body-bruised
deserts-body
Simple-smile

with-weather
my-imagination-many
full-flowers
flowers-wonder-together

意味的な連関が見られる脚韻:
stair-hair
surprise-eyes
leave-grieve
bruised-used 他

* * *

詩のリズムについては、以下がおすすめです。

ストレス・ミーターについて
Derek Attridge, Poetic Rhythm (Cambridge, 1995)

古典韻律系
Paul Fussell, Poetic Meter and Poetic Form, Rev. ed.
(New York, 1979)

その他
Northrop Frye, Anatomy of Criticism: Four Essays
(Princeton, 1957) 251ff.
(後日ページを追記します。和訳もあります。)

Joseph Malof, "The Native Rhythm of English Meters,"
Texas Studies in Literature and Language 5 (1964):
580-94

(日本語で書かれたイギリス詩の入門書、解説書の多くにも
古典韻律系の解説があります。)

* * *

英文テクストはT. S. Eliot, Prufrock and Other
Observations
<http://www.gutenberg.org/cache/
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Wordsworth, ("My heart leaps up . . . ")

ウィリアム・ワーズワース(1770-1850)
(「心が飛びあがる」)

心が飛びあがる、
空に虹を見ると。
そうだった、人生がはじまったときから。
そうである、大人になった今も。
そうあってほしい、年をとっても。
そうでなければ死んでもいい!
子どもは大人の父である。
わたしの日々が、過去から未来まで、
一日一日、自然を敬う心でつながることを切に願う。

* * *

William Wordsworth
("My heart leaps up. . . ")

My heart leaps up when I behold
A Rainbow in the sky:
So was it when my life began;
So is it now I am a Man;
So be it when I shall grow old,
Or let me die!
The Child is Father of the Man;
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.

* * *


By Takkk
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Rainbow_in_Budapest.jpg

* * *

以下、解釈例。

2 Rainbow
虹は、創世記9章(ノアの方舟のところ)では、神と人間の
和解と契約のシンボル。これが、あえてキリスト教的な
文脈から切り離されているところがポイント。


Joseph Anton Koch (1768–1839)
"Landschaft mit dem Dankopfer Noahs"
<http://en.wikipedia.org/wiki/File:Joseph_Anton_Koch_006.jpg>
The Yorck Project: 10.000 Meisterwerke der Malerei.
DVD-ROM, 2002. ISBN 3936122202.
Distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH.
真ん中で虹を見あげているのがノア。動物たちが
みなオス/メスのペアになっていることに注目。
また、いちばん前で、子羊をいけにえにする準備を
していることに注目。(たぶん、その左の羊の
オスとメスの子。)

7 The Child is Father of the Man
人の生涯において、子どもの時期が大人の時期に
先行するということ。つまり、人は、自分より先に
生きてきた親やその他多くの人々から学ぶと同時に、
子どもの頃の自分の経験や感受性からも、
さまざまなことを学ぶ(べき)、ということ。

8 I could wish
もともとwishということばには、「見苦しいほど、
はしたないほど、強く望む、ほしがる」という
ニュアンスがあり、それを仮定法のcould(・・・・・・と
いっちゃっていいかも、くらいの意味)で弱めている
(OED 1)。

9 natural
下のような意味が混在していることば。
(さらにほかの意味の可能性も。上の訳では、
下のdを前面に出しています。)

a.
自然の状態(教育や宗教によって啓蒙されていないかたち)で
存在する (OED 4)

b.
自然によって形成される(OED 6)

c.
人/ものに本来備わっている(OED 8)

d.
自然に関係する/自然を対象とする(OED 18)
("Natural philosophy" というときなど)

8-9 my days to be / Bound each to each by natural piety
通常神に関して使う「敬虔」ということばを、
ここではあえて自然に対して用いている。

(7行目の "Father of the Man" ということばも、
「父なる神」などを連想させるが、それが神でなく
「子ども」というところも、ちょっとした逆説。)

「自然を敬う心で日々がつながる」、というのは、たとえば、
糸でビーズがつながるようなイメージ。
(キリスト教のロザリオが連想される。)
小さい頃、虹を見た時の感動を、今も、そして年老いてからも、
もちつづけていたい、幼少時から老年まで、心はずっと同じで
ありたい、ということ。


By Ricce
<http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rosari_2.jpg>

ロザリオを使ってのお祈りは、カトリック的なものの
はずだが(正直よく知りません)、プロテスタント国
イギリスの詩にも、よくこれが登場する。たとえば
キーツの「憂鬱についてのオード」など。なぜ?

いずれにせよ、以上のように、この詩は、キリスト教的な
語彙やイメージを用いて、キリスト教的ではない内容を
語る作品であると思われる。

(ここから、下記のような議論がいろいろ出てくると
思いますが、作品そのものの楽しみとは無関係と
思われるので深入りしません。

a.
この詩においてワーズワースは、キリスト教ではなく
自然のほうがよい教え、といっている

b.
いや、実はaのように自然宗教的に見えて、実はキリスト教的
思考から逃れることができていない

c.
aとbの中間、あるいは両方、その他いろいろ)

* * *

以下、リズムの解釈例。



---
/: ストレスのある音節
x: ストレスのない音節
音節: 母音ひとつ + 前後に付随する子音(群)
(長母音、二重母音も基本的に母音ひとつと数える。)

B: ビート、拍
(特にストレス・ミーターの詩において、ここで拍子をとると
四拍子のリズムに言葉がスムーズにのる、というところ。)

(B): 言葉をともなわないビート、拍
言葉(音節)はのっていないが、息継ぎの間のようなかたちで
ビートがあるところ。
---

基調はストレス・ミーター、四拍子にのるリズム。
B(ビート)のところで手をたたいたり、机をコツコツしながら、
声に出して読んでみてください。

この詩では、基調の四拍子に、さらにいくつか工夫が
重ねられています。

1-2
My heart leaps upとwhenからはじまる従属節の
あいだに自然に入る小休止を意識して読むと、次のように、
強音節のleapsにもビートがあるように感じられ、この四語が
本当に飛び跳ねているような雰囲気になるかと。



残されるwhenからskyまでは十音節、いわゆる弱強五歩格。
(厳密に x / x / x / x / x / となってなくても気にしない。
"x/" 5回というルールを厳密に守ってまともな詩を
書くことは無理。たとえば、Popeでも、そのようなことは
していない。)

つまり、My heart leaps upのところは、いわば
タテノリのパンクのようにジャンプするようなリズムで
(大げさですが)、when以降は、普通に語るような雰囲気。

(四拍子にのらない弱強五歩格は、歌と散文の中間のリズム。
この点でまさに「詩」のリズムといえるかも。)

6
人生半ばで死ぬ、という内容にあわせて、行が途中で
プツッと切られている。

8-9
四拍子2行が9行目のBoundで、つまり、まさに
「つなげられて」という意味のことばでつながっている。

加えて、この二行は行またがりによってもつなげられている。
(8行目末にコンマなどのパンクチュエーションが、つまり
音読時の息継ぎがない。)

さらに、この二行はbeとBoundの子音 /b/ に
よってもつなげられている。

つまり、「わたしの日々が、一日一日、自然を敬う心で
つながるように」という内容が、音の連続や行の組み方に
よって多重的に補強されている。

(Be動詞には通常ストレスがないので、beとBoundは、
厳密には頭韻alliterationをなしているとはいえない、
とか、修辞学的/詩作法的に面倒な議論になりますので、
頭韻などの用語は使いません。)

(上のスキャンジョンでは、beにビートを見る場合と
見ない場合を併記しました。前者の場合、この二行は
4ビート + Bound + 4ビート、後者の場合は
4ビート + 4ビート、となります。)

9
Bound以降、リズムが強調的で遅い下降調
(強弱格/強弱弱)に変化している。特に、natural
piety(強弱弱/強弱弱)のエンディングには、ゆっくり、
静かに、ある意味、思いに浸るような雰囲気で
終わるような印象があるかと。

* * *

詩のリズムについては、以下がおすすめです。

ストレス・ミーターについて
Derek Attridge, Poetic Rhythm (Cambridge, 1995)

古典韻律系
Paul Fussell, Poetic Meter and Poetic Form, Rev. ed.
(New York, 1979)

その他
Northrop Frye, Anatomy of Criticism: Four Essays
(Princeton, 1957) 251ff.
(後日ページを追記します。和訳もあります。)

Joseph Malof, "The Native Rhythm of English Meters,"
Texas Studies in Literature and Language 5 (1964):
580-94

The New Princeton Encyclopedia of Poetry and Poetics
(Princeton, 1993)

(日本語で書かれたイギリス詩の入門書、解説書の多くにも
古典韻律系の解説があります。)

* * *

英文テクストは、William Wordsworth, Poems,
in Two Volumes
, vol. 2 (1807) より
<http://www.gutenberg.org/ebooks/8824>

* * *

学生の方など、自分の研究/発表のために上記を参照する際には、
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剽窃行為のないようにしてください。




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Waller, "Go, lovely rose!"

エドマンド・ウォーラー(1606-1687)
「歌:さあ行って、かわいい薔薇!」

さあ行って、かわいい薔薇!
そして言って、若いのにぼくを無視して恋を避けるあの子に。
こんなふうに
薔薇にたとえたくなるくらい
きれいで素敵、って。

あの子に言って。若くて
きれいなのに人に見られたがらないあの子に。
薔薇だって
誰もいない砂漠で咲いたら、
きれいなんて誰にも言われず枯れる、って。

意味がない、
美しくても光が届かないところにあれば。
だからあの子に言って、出てきて、って。
求められるのはいいことだって。
きれいと言われて恥ずかしがらないで、って。

そして枯れて。あの子が
美しいものすべての運命を
学ぶように。
ほんの短い時間しかないから、
どんなにきれいで素敵な人にも、ものにも!

20230419

*****
さあ行け、かわいいバラ!
若さを無駄にし、ぼくの気持ちに応えてくれないあの子にいうんだ--
こうして、
バラである君にたとえたくなるくらい、
あの子はきれいですてき、と。

あの子にいうんだ、若くて
きれいなのに、人に見られることを嫌うあの子に--
バラである君だって、
だれもいない砂漠で咲いてたら、
きれい、なんていわれないまま枯れてしまう、と。

ほとんど意味がない、
美しくても、光の届かないところにあるものには。
だから、あの子にいうんだ--出てきて、と。
求められるのはいいこと、と。
きれいといわれて恥ずかしがってちゃダメ、と。

そして枯れるんだ、あの子が、
美しいものすべてに訪れる運命を
君から学んでくれるように。
ほんの短い時間しかあたえられていないんだ、
本当に、驚くほど、きれいですてきな人にも、ものにも!

20110702

*****
Edmund Waller
"Song (Go, lovely rose!)"

Go, lovely Rose!
Tell her that wastes her time and me,
That now she knows,
When I resemble her to thee,
How sweet and fair she seems to be.

Tell her that's young,
And shuns to have her graces spied,
That hadst thou sprung
In deserts, where no men abide,
Thou must have uncommended died.

Small is the worth
Of beauty from the light retired;
Bid her come forth,
Suffer herself to be desired,
And not blush so to be admired.

Then die! that she
The common fate of all things rare
May read in thee;
How small a part of time they share
That are so wondrous sweet and fair!

*****

By Captain-tucker
<http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Rosa_%27Duet%27_2.JPG>

*****
(概要)

設定:
わたしが、「わたしの好きな人のところに行け、そして
こんな風にいってくれ」と、バラにいっている。

つまり:
わたしは、自分の好きな人にバラを贈ろうとしている。
そして、そのバラを通じて、こんなことが伝えられたら、
と考えている。

誰かに贈りものをするときに書かれてきたタイプの作品。
ウォーラー以前にも次のようなものがある。

Ben Jonson, "To Lucy, Countess of Bedford:
In a Gift-Copy of Cynthia's Revels, 1601:
Author ad Librum"
ベン・ジョンソンが自分の作品(Cynthia's Revels)を
ベドフォード伯爵夫人に贈ったときに添えたもの。
(ここではバラではなく、"Go, little book, go . . . "
「行け、私の本よ、行け」。)

Robert Herrick, "To the Rose: Song"
ウォーラーのものと同じく、バラを贈るという設定で
書かれたもの。はじまりは、"Go, happy rose . . . " で、
ウォーラーの "Go, lovely rose" の下ネタ的な詩。

これらすべての祖先は古代ローマのマルティアリス、
『エピグラム集』、第7巻89番。ここでも、
「行け、幸せなバラ」("Go, happy rose")と
バラが贈られている。Martial, Epigrams, ed. and
tr. W. C. A. Ker (London, 1919) 1: 484-85 など参照。
http://www.archive.org/details/martialepigrams01martiala

現代詩でも、エズラ・パウンド(Ezra Pound)の
"Envoi" (Hugh Selwyn Mauberley) に、この
パターンが用いられている。(「行け、ものいわぬ本」。)
この詩にはウォーラーの名前も出てくる。

このウォーラーの詩に曲をつけてきた作曲家の
リストが次のページにある。17世紀のHenry Lawesから
20世紀のものまで。ご参照まで。
http://www.recmusic.org/lieder/get_text.html?TextId=19488

*****
(訳注)

2 that
関係代名詞の主格。先行詞はher.

3 that
接続詞(……ということ)。

3-5
人称: I=わたし/thou=バラ/she=あの子=わたしの好きな人
バラがわたしの好きな人にいうことを間接話法で表現。
上の日本語訳は、およその意訳。直接話法で訳すと、
次のような感じ。

おわかり?
あなた、あたしにたとえてられてるのよ。
自分がどれくらいきれいですてきか、わかるでしょ?
(あなた=she/あたし=バラ)

4 resemble
たとえる(OED 2)。

13-15
構文は、Bid her come/suffer/not blush (=blush not).
「[C]omeするように、sufferするように、そしてblushしないように、
あの子にいってやって」。

14 suffer A to B (Bは動詞の原型)
AがBすることを許す、認める(OED 14)。

16 that
接続詞(……するように = so that)

*****
この詩は、いわゆるcarpe diem (= seize the day)
という古代ローマ以来のテーマの一変奏。
この言葉の意味は、

「先のことなどわからないから、あれこれ心配せず
今を楽しく生きよう」
(ホラティウス[古代ローマの詩人])

「時間はすぐに過ぎ去ってしまうから、いつ死んでしまうか
わからないから、今すぐ恋愛しよう」
(17世紀のイギリス詩--作品によって、「ぼくと」や、
「からだ的に」、などの詳細が加わる。)

ホラティウスのものは、Odes 第1巻、11番から。
Horace, Horace, ed. and tr. P. Francis
(London, 1831), 19 など参照。
http://www.archive.org/details/horace00phaegoog

17世紀のイギリス詩では、Robert Herrick, "To the Virgins,
to Make Much of Time" や "Corinna"、Andrew Marvell,
"To His Coy Mistress" がこの主題の定番だが、
マルティアリスの「バラよ、行け」のテーマと組みあわせて
うまくまとめてあるウォーラーの詩も、もっととりあげられていい。

*****
イギリス文学史の本でほとんどとりあげられないが、
ウォーラーは「耳に心地よく、おだやかで、そしてなめらかな」
詩を書くとして、17世紀にとても高く評価されていた詩人。

17世紀後半から18世紀にかけてのイギリス詩のスタイルに
決定的な影響を及ぼしたドライデン(John Dryden)などは、
「わかりやすく書くことを芸術に高めた最初の詩人」として
ウォーラーに最大級の賛辞を捧げていた。曰く、「言葉を
上手に並べてその音を美しく響かせることは、ウォーラー氏が
イギリス詩に導入するまで知られていなかった。」

なお、ウォーラーは18歳から国会議員を務めた政治家でも
あった。1640年代、内乱の時期に一度失脚し、国外に
追放されている。(もともと家が裕福だったので、相当な
わいろで処刑だけは免れた。)

1650年代初期、共和国期に赦されてイギリスに戻り、
その後も1670年代までずっと政治に携わった。
ちなみに、クロムウェルと親戚同士だったりもする。

(詳細はDNBを。第一版は以下のURLで。
http://en.wikisource.org/wiki/Waller,_Edmund_(DNB00)

*****
以下、リズムについて。

上記の通り、ウォーラーの詩は、心地よくなめらか、
ということで17世紀後半にとても高く評価されて
いたが、その具体的な要因のひとつとして、彼が、
各詩行の音節数をそろえたことがあげられる。



この「行け、バラ」のような四拍子のストレス・ミーター、
いわば「歌もの」の作品は、ウォーラー以前には、まずは
四拍子にのればいい、というかたちで書かれがちであった。
(ジョンソンの「こだま」、ミルトンの「五月の朝」など参照。)

これに対してウォーラーのストレス・ミーターは、
各行にビートは四つ、音節は八、と固定されている。
(「行け、バラ」の場合、短い行はその半分。)

各行のビート数のルールのみをもつ伝統的なストレス・
ミーターを、各行のビート数と音節数のルールをあわせもつ
シラブル・ストレス・ミーター(syllable-stress meter;
accentual syllabic meter という表現のほうが一般的)の一タイプ、
いわゆる四歩格(tetrameter)へと、ウォーラーらが
移行させた。

四歩格:
弱強( x / )、強弱( / x )、強弱弱( / x x ) など、
ストレスの規則的配置によってつくられることばのリズムの
最小単位、いわゆる音歩(foot)が各行に四つある、という
詩のリズム。

(原則として各行五ストレス十音節固定の弱強五歩格も、
シラブル・ストレス・ミーター。)

このような各行の音節数に対する意識が、ドライデンや
ポープに受けつがれ、17世紀後半から18世紀にかけての
主流となっていく。(あと、「クロムウェルを
称える詩」などに顕著な、格言的にすっきりしていて
読みやすい、対句のカプレットも。)

カプレット:
連続する二行で脚韻を踏むもの

(詩形の歴史においては、このようなスタイルが、
ロマン派、特にシェリーなどによって踏みにじられる。)

*****
詩のリズムについては、以下がおすすめ。

ストレス・ミーターについて
Derek Attridge, Poetic Rhythm (Cambridge, 1995)

古典韻律系
Paul Fussell, Poetic Meter and Poetic Form, Rev. ed.
(New York, 1979)

その他
Northrop Frye, Anatomy of Criticism: Four Essays
(Princeton, 1957) 251ff.
(後日ページを追記します。和訳あり。)

Joseph Malof, "The Native Rhythm of English Meters,"
Texas Studies in Literature and Language 5 (1964):
580-94

(日本語で書かれたイギリス詩の入門書、解説書の多くにも
古典韻律系の解説がある。)

*****
英文テクストは、Edmund Waller and John Denham,
Poetical Works of Edmund Waller and Sir John
Denham
(1857) <http://www.archive.org/stream/
poeticalworksofe12322gut/12322.txt>より。
(1645年版や1690年版を参照し、手を加える予定。)

*****
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を参照する際には、
このサイトのタイトル、URL, 閲覧日など必要な事項を必ず記し、
剽窃行為のないようにしてください。


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