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イギリス魔女裁判:自白各種

イギリス魔女裁判:自白各種


1. 使い魔(familiar)

エリザベス・スタイル:
[彼女は]蛙の姿をした悪霊を飼っており、自分の脇腹から血を吸わせてそれを養っていた。(Rosen)

マーガレット・フラワー:
彼女は次のように自白した。彼女は二匹の悪霊に血を吸わせていた。一匹は白、もう一匹は黒のブチであった。白い悪霊は彼女の左胸から、黒のブチは性器の内側から血を吸った。彼女はこれら悪霊に魂を与えることを約束し、それらは彼女が命じることを何でもすることを誓った。(Rosen)

フランシス・ミルズ:
この証人は次のように証言した。ソープの隣人たちに頼まれて魔女と思しきマーガレット・ムーンの体を調べたところ、彼女の性器の内側に三つの長い乳首のようなものが見つかり、そこには最近吸われた跡があった。(Haining)

ジョン・コッタ:
魔女のしるし[悪霊が血を吸う乳首のようなもの]は、大抵の場合性器の内側に見られる。(Sharpe)

マーガレット・ベイツ:
二、三日の見張りの後、ベイツの妻マーガレットは次のように自白した。ある日仕事をしていた時、何かが足を上ってきて性器に入っていき、そこに噛みついたのを感じた。それは魔女のしるしが見つかったところである。また別の日、教会の庭にいた時、再び何かが同じところに噛みついたのを感じた。彼女が言うには、彼女の性器には乳首のようなものが二つあり、これらはたぶん一度噛みつかれた時に同時にできたようである。(Ewen)

エレン・ドライヴァー:
エレン・ドライヴァーを監視していたロバート・ウェイツは次のように証言した。三日の見張りの後、彼女は二匹の悪霊を飼っており、それに血を吸わせていたこと、また人間の姿をした悪魔が彼女の前に現れたことを自白した。 (Ewen)

アースラ・ケンプの証言:
アースラ・ケンプは次のように自白した。十年くらい前、彼女は節々が痛くて困っており、これを直すためにウィーリーに住むコックという男の妻(すでに亡くなっている)に会いに行った。彼女が言うには、アースラは呪いをかけられていた。アースラが懇願したので、このコックの妻は彼女に呪いの解き方を教えた。……尋問官ブライアン・ダーシーが「正直に本当のことを言えば罪を軽くしてやる」と約束するなど甘い言葉をかけてやると、アースラは突然膝から崩れ、そして泣き出し、次のように自白し始めた。四匹の悪霊を飼っていること、そのうち二匹が雄で二匹が雌であること……。(Rosen)

ジョーン・アプニーの証言:
ジョーン・アプニーは次のように自白した。ある日彼女は悪霊である蛙をハロルドの家の敷居のところで放し、それはハロルドの妻に噛みつき、血を吸って殺した。しかしこの蛙はアプニーのもとには二度と帰ってこなかった。また別の日、リチャード・フォースターの妻がやってきた時にアプニーが別の蛙を放すと、それは彼女に噛みつき、そして二度と帰ってこなかった。(Rosen)

エリザベス・フランシスの証言:
彼女は次のように自白した。まず、彼女は魔術を12歳のときに祖母から習った。この祖母とはハットフィールド・ペヴレルのイヴおばさんであり、すでに亡くなっている。……この祖母が彼女に魔術を教えた時、彼女は神とその御言葉を棄て、そして血を(この祖母が呼ぶところの)サタンに与えるよう命じた。このサタンとは、祖母が白ブチの猫の姿でエリザベスに与えたものである。祖母がこれにパンとミルクを与えるよう言ったので、彼女はそうした。祖母はこれをサタンと呼び、バスケットに入れて飼うようにと言った。(Rosen)


--------------------
2. 悪魔

エレン・ドライヴァーの証言:
エレン・ドライヴァーは次のように自白した。彼女は二匹の悪霊を飼っており、血を吸わせていた。また彼女の前に人間の姿をした悪魔が現れ、彼女はある村で彼と結婚した。彼女は彼と三年間一緒に暮らし、二人のこどもをつくった。(Ewen)

エリザベス・ホバートの証言:
エリザベス・ホバートは[次のように証言した]。30年ほど前、黒い少年の姿をした悪魔が彼女の前に現れ、嫌がる彼女の背中から血を吸った。その時に彼女は、肉体と魂を与えるかわりに気に入らない人間を懲らしめてもらい、さらにお金をもらうという契約を彼と交わしたが、彼は一度もこれを実行してくれなかった。(Ewen)


--------------------
3. 悪の誘惑

エリザベス・フランシスの証言:
このイヴおばさんが彼女にサタンをくれた時、エリザベスはこの猫に(「サタンや」と呼びかけながら)お金持ちになれるよう、いろんなものを手に入れられるよう頼んだ。この猫は「よし、何がほしい?」と言った。彼女は答えた、「羊」。(Rosen)

リンダ・テイラーの証言:
リンダ・テイラーは[自白した]。彼女の悪霊たちは彼女に盗みをはたらけと言った。また、自殺してしまえと言った……。(Ewen)

プリシラ・コリットの証言:
プリシラ・コリットは[自白した]。12年前、悪魔が 「おまえの子など殺してしまえ」 と言った。「そうしないとずっと貧乏なままだぞ……」。(Ewen)

スザンナ・スミスの証言:
スザンナ・スミスは自白した。18年前、彼女の前に赤い毛むくじゃらの犬の姿をした悪魔が現れ、自分のこどもたちを殺すよう誘惑した。しかし、彼女は24時間彼と闘い、彼を追い払った。彼女はこどもたちを殺そうとはしなかった。しかし、さらに魔術について話すよう要求されると、彼女の喉に2つの腫れ物ができ、彼女は話せなくなった。(Ewen)


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4. 夢と記憶と取調べの錯綜

マーガレット・モアの証言:
マーガレット・モアは次のように言った。彼女のこどもたちが死んでしまった後、彼女は(夜に)「ママ、ママ」と自分を呼ぶ声を聞いた。それに対して彼女は、「どこ? 何してほしいの?」と訊いた。すると彼らは彼女に「何か飲みたい」と言い、彼女は「ごめんね、ないの」と答えた。すると三番目の子の声が、「おまえの魂をくれなきゃ四番目の子の命をもらう」と言った。四番目の子とは彼女に残された最後の子であった。彼女は「あの子をとられるくらいなら魂をあげる」と言った。すると裸のこどもが現れて彼女の体から血を吸った。(“Witchcraft at Sutton” 277-78)

アビゲイル・ブリッグズの証言:
アビゲイル・ブリッグズは次のように自白した。彼女の夫が死んでからひと月たった時、夫の姿をした悪魔が現れ、彼女の上にのってきた。彼女が「私を殺すの?」と訊くと、彼は夫の声で答えた、「いや、俺はいい夫になっておまえを幸せにしてやる」。(Ewen)

*****
Barbara Rosen, Witchcraft in England, 1558-1618
Peter Haining, The Witchcraft Papers
James Sharpe, Instruments of Darkness
C. L’Estrange Ewen, Witch Hunting and Which Trial
“Witchcraft at Sutton”

*****
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From Napier, A Plaine Discouery of the Reuelation

ジョン・ネイピア
『かんたん! 誰でもわかる聖ヨハネの黙示録』より

ポイント 1
神からの預言のなかに年・月・日の表記がありますが、
この一日とは一年のことです。

ポイント 2
第8-9章の七つのラッパと第16章の七つの杯は、まったく
同じものです。

ポイント 3
第五のラッパによって落ちてくる星およびそこに
あらわれるいなごは、あのおおいなる敵反キリストおよび
彼に仕える聖職者たちではなく、トルコの支配者および
彼の軍勢のことです。彼らの支配はキリスト暦1051年に
はじまりました。

ポイント 4
東の王たち、あるいは四人の御使(みつかい)が第六の
ラッパによって解き放たれますが(第9章、第16章)、
これはユーフラテス川あたりおよびその向こうの
イスラム四国のことです。これらがオスマン帝国と
なりましたが、それはキリスト暦1296年頃のことでした。

ポイント 5
第五のラッパあるいは杯の期間は245年ですが、
他のラッパ・杯の期間もそれぞれ同じくらいです。

ポイント 6
最初のラッパ・杯は特赦・解放の年、キリスト暦71年に
はじまりました。

ポイント 7
第七の封印が解かれたのは、最初のラッパ・杯と
同時であり、それは71年でした。

ポイント 8
最初の封印はキリスト暦29年の終わりに開かれはじめます。

ポイント 9
封印の期間は、みなそれぞれ七年です。

ポイント 10
最後のラッパ・杯はキリスト暦1541年にはじまり、
1786年頃に終わるものと思われます。

ポイント 11
七つの雷の声は封印せよ、書きとめてはならない、
と命じられていますが(第10章第4節)、これは第14章
第6・8・9・14・15・17・18節に記された七人の
御使のことです。

ポイント 12
七つのうちの最初の雷、および第七つまり最後の
ラッパ・杯は、1541年に同時にはじまりました。

ポイント 13
最初の三つの雷を鳴らす天使たちはみなそれぞれ
解放をもたらします。また後半四つの雷がまったく同時に
鳴るときに最後の審判が終了します。

ポイント 14
神による最後の審判は、おそらくキリスト暦1688年から
1700年のあいだにありそうです。

ポイント 15
ダニエル書や黙示録における預言の「42か月」、「1260日」、
偉大な「三日半」、「ひと時」、「ふた時」、「半時」は
みな同じ時間を意味します。

ポイント 16
「42か月」、「1260日」、偉大な「三日半」、「ひと時」、
「ふた時」、「半時」は、人間の世界ではみな1260年を
意味します。

ポイント 17
第4章にある神の王座の説明は、天における神の偉大な
お姿についてのものではなく、選ばれた者にかこまれて
この地上で王座につき支配する神の真の教会のようすを
描いたものです。

ポイント 18
24人の長老とは、旧約聖書の24巻および(比喩的に)
それについて教えることができる真の教授者をさします。

ポイント 19
「四つの生き物」とは、四つの福音書、およびそれについて
真に書き、語ることができる者をさします。

ポイント 20
神の神殿とは天にあるものですが、しかし神に選ばれた、
ほとんど天使のような人々が地上につくる教会のことでも
あります。また、比喩的にこの教会がもつすべてのもの
をも意味します。

ポイント 21
黙示録第11章にある「二人の証人」とは旧約・新約という
二つの聖書のことであり、また(比喩的に)これらについて
正しく教えることができるすべての教授者のことです。

ポイント 22
「太陽を着た女」(第12章)とは神の真の教会のことです。

ポイント 23
黙示録でバビロニアの魂と呼ばれている娼婦とは実在する
バビロニアのことではなく、今もある都市ローマのことです。

ポイント 24
十の角をもつおおいなる獣とは、ローマ帝国全体を指します。
そのなかに反キリストがいます。

ポイント 25
二本の角をもつ獣とは、反キリストと彼の王国のことです。

ポイント 26
教皇こそ預言における反キリストに他なりません。

ポイント 27
獣の像・しるし・名・数とは、みな第一の獣、大ローマ帝国
全体についてのものであり、第二のもの、反キリスト個人に
ついてのものではありません。

ポイント 28
獣の像とは、悪に落ちた君主たちのこと、名目上ローマ皇帝と
呼ばれつつローマ人でも偉大な皇帝でもない者たちのことを
さします。

ポイント 29
666という数であらわされる獣の名は、「ローマ人」としか
読めません。

ポイント 30
ローマの獣のしるしとは、いにしえからの彼の帝国に対する
人々の隷属・従順のことです。それは目に見えないものですが、
教皇によっていろいろ目に見える姿を与えられてきました。

ポイント 31
目に見える獣のしるしとは、χξς[666]という悪の数字、
そしてあらゆる種類の十字のことである。これらは第一の
獣の名からきています。

ポイント 32
ゴグとは教皇のことであり、マゴグとはトルコ人および
イスラム教徒のことです。

ポイント 33
ゴグとマゴグの軍勢(第20章)とは、第6のラッパおよび
第6の杯の軍勢のことです。

ポイント 34
サタンが縛りつけられる千年間(黙示録第20章)は、キリスト暦
300年頃にはじまります。

ポイント 35
悪魔が縛られる千年間(第20章)とは、他でもない、国々の
あいだに全面戦争をひきおこすことができなくなる、という
ことです。

ポイント 36
反キリストがキリスト教徒を全面的に支配する1260年とは、
キリスト暦300年、遅くとも316年にはじまりました。

*****
John Napier
A Plaine Discouery of the Whole Reuelation of Saint Iohn
1593
STC 18354

*****
宗教改革、つまりローマ・カトリックからの分離を
神学的に正当化するための議論。とにかくローマを
敵視するという点では「かんたん」(???)。

このテクストは千年王国を反キリストの支配下のものと
解釈。縛られた悪魔の副官として反キリスト=教皇が
この世を千年間、ローマ帝国のキリスト教化から
エリザベスによる国教会(再)確立まで、支配した。

精読に値するとは思われないが、このような書物が
数版を重ねた、つまり一定数以上の読者を得ていた、
ということを知らなくては、16-17世紀イギリス社会は
正しく理解できない。比べれば、スペンサー、シドニー、
シェイクスピア、ジョンソンらの作品がどれほど知的に
洗練されて見えることか。

イギリス文学史の「キャノン」(正典)を批判する人々は、
「イギリス文学史」を大学における授業科目として
人為的につくられたものととらえている。
そのようなものとしてしか理解できていない。
が、違う、歴史はそこにある。
読者を集めた詩・詩人、
後の著作家に影響を与えた詩・詩人は
まちがいなく存在した。
そこから自然にあらわれてくるものが
本来の「イギリス文学史」である。

(ちなみに poetry のもとの意味は「創作」。だから、
たとえば劇も poem で劇作家は poet だった。)

言語論的転回云々の話はもうやめるべきである。
そんなメタのレベルの話は社会的に、
日常生活のなかで、誰にも求められていない。
文学や文学研究の首を絞めてきただけである。

*****
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From Deios, That the Pope is That Antichrist

ローレンス・ダイオーズ
『教皇が反キリストであることについて:
イングランド国教会を批判する分離派に対する回答』

ヨハネの黙示録19:19
なお見ていると、獣と地の王たちと彼らの軍勢とが
集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して、
戦いをいどんだ。

ここにおける「獣」とは、イエス・キリストのこの世に
おける最大の敵のひとつであり、この世の戦場でキリストに
対峙する王たちやその軍勢を統括指揮する将軍のような
ものです。もちろん悪魔こそわたしたちの救い主に
対する戦争の総大将であるわけですが、黙示録において
彼は「獣」ではなく他の名で呼ばれています。すなわち
「龍」、「いにしえの蛇」、「サタン」などとです。
悪魔は獣ではありません。悪魔が「彼の力を獣に与える」のです。
獣は龍ではありません。獣が「龍のように話す」のです。
獣とは、悪魔によって呼び覚まされ、目に見える姿を
与えられてこの世にあらわれた権力者であり、そして
この世の王たちの上に立つ存在となっています。彼、
この獣が誰のことか理解できれば、もう勝ったも同然です。
なぜなら彼に負かされるのは彼が何者か知らない者だけ
だからです。この獣とは、先にもいったとおりローマ教皇の
ことです。……教皇に従うカトリックたちはこれを
認めようとしません。彼らは教皇が獣であると認めません。
わかっているからです、この獣が反キリストであることが。
反キリストとは何しょう? もちろん、イエス・キリストの
最大の敵に他なりません。教皇が獣であることを認めて
しまったら、カトリックたちは教皇に対する畏敬も従順も
みな放棄せざるを得ないのです。以下、この獣・反キリストに
ついて聖書に書かれていることがまさに教皇の統治に
あてはまること……を示したいと思います。

*****
Lawrence Deios
That the Pope is That Antichrist:
And Answer to the Obiections of Sectaries,
Which Condemne This Church of England
1590
STC 6475

聖書の引用は次のページから。
https://tinyurl.com/yccgvatl(Wikisource)

*****
黙示録から導かれる終末論。教皇を悪魔の手先として
ローマ・カトリックからの分離を神学的に正当化する。

当初これは国教会を支持する議論であったが、やがて
国教会を攻撃するために用いられるようになっていく。

*****
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From Young, Englands Bane

トマス・ヤング
『イングランド破滅のもと』より

一回でも罪を犯せば地獄落ち、と聖パウロはいう。
罪を犯す者は悪魔の一味、と聖ヨハネはいう。
なのにあのどうしようもない人間どもは何なのか。
いや、あれは人間ではない。化け物だ。泥みたいに
酔っぱらって罪に罪を重ねている。プラトンも
いっているが、泥酔というのは頭がたくさんある
怪物みたいなものである。この頭が汚い言葉を吐き、
あれが淫らな行為に耽り、三つめが怒り、四つめが殺し、
五つめが神の名にかけて罵り、六つめが呪う。
醜い怪物の汚らわしい体にこんな頭がいくつも
のっているわけだ。このような者を聖書がお許しかどうか
見てみよう。まず汚い言葉についてはコリント人への
手紙にこう書かれている--「汚い言葉を吐く者、
悪態をつく者が神の王国を受け継ぐことなどありえない」。
エペソ人への手紙第四章でもパウロは命じている--
「腐った言葉を口から吐いてはならない、教え諭す
ような、聞く人に恵みをもたらすようなことを
語らなくてはならない」。そう、わたしたちは
とげとげしいこと、意地悪なことをいうのを
やめなくてはならないのだ。さらにパウロは、
エペテ人への手紙第五章でこういっている--
「汚らしい話や馬鹿話、冗談などもキリスト教徒に
ふさわしくない、たとえほんの少しであってもそうだ」。
だが、どれほどのくだらない汚らしい話、神に対して
失礼な罵倒、清らかならざる不敬な言葉が、
酔っぱらいの口から吐き出されていることか。
神を信じる者の耳にはとてもでないが耐えられない。
まさに心から悲しいかぎり、魂はとまどうばかり、
恐れおののかざるを得ない状態である。

……………………
泥酔の怪物の二つめの頭、すなわち姦淫については、
パウロがコリント人への手紙第六章でこういっている
--「勘違いしないように。姦淫する者、姦通する者、
淫らな者、男同士で交わる者は天の王国に入れない」。
その十五節ではこうである--「知らないのか、
あなたがたの体とは救い主の体であることを。
あなたがたは救い主の体を娼婦の体にしてしまうのか。
姦淫をやめるのだ。他のすべての罪は他に対する罪だが、
姦淫だけは自分の体に対する罪である。知らないのか、
あなたの体とは神から授けられた聖霊の神殿であることを。
そもそもあなたがたはあなたがたのものではない。
救い主が高い代償を払ってあなたがたを取り戻して
くれたのだ。だからあなたがたの体に宿る神、魂に宿る
神を称えなくてはならない。あなたがたの体も魂も
神のものなのだから」。

……………………
聖ペテロもわたしたちにいっている、肉の欲望に耽っては
いけない、それは魂の敵である、と。例の詩人[オウィディウス]
曰く、「ワインは姦淫前の心の準備体操だ」。……
ロムルスは飲酒の悪が性欲につながるのを察知して
法に定めた、女が飲みすぎたら死刑、と。なぜなら、
「飲酒は不倫のはじまり、不特定多数相手の姦淫の
はじまり」だから。聖イエロニムスも同意見である--
「酒飲みが性的に清らかと信じることなど到底できない」。
こう考えたからこそ、ダヴィデ王もウリヤを酒で
酔わせようとしたのである。つまり妻と寝たい気分に
するために。

……………………
さて、泥酔の怪物の三つめの頭は怒りである。これを
プラトンは「瞬間的な狂気沸騰・血の炎上・別人格出現」
と呼んだ。これは復讐に対する欲望、友好の完全放棄であり、
まさに理性的思考の宿敵である。いうことを聞かないこと
荒れ狂う暴君のごとしである。……この悪、つまり
怒りの醜さをはっきり理解したければ、これを抱いた
最初の者、すなわち世界最初の殺人者カインについて
思い出せばいい。……ローマ人に対して聖パウロも
いっている--「神の怒りに任せなさい」(12.19)。
怒りは復讐を求めるものだが、神がおっしゃるとおり、
「復讐はわたしがすることである。わたし自身が報復する」
のであるから。……愛しき救い主も、激怒・憤怒がもたらす
不幸を見てこういわれる--「昔の人々に、殺すな。
殺す者は裁判を受けねばならない、と言われていたことは、
あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしは
あなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を
受けねばならない」(マタイ5.21-22)。思うにこれはみな
飲酒についていわれたことである。なぜなら、正当な理由なく
怒りを抱く者はいないし、思慮ある者は理由なく怒ったり
しないのであるが、酒飲みは思慮を失ってしまって怒り
狂うからである。思慮を保っているうちは誰だって互いに
愛しあい、仲間としてあたたかく接しあうものである。……

(つづく)

*****
Thomas Young
From Englands Bane (1617, 1634)
STC 26116, 26117

(26116のほうが印刷はきれいだが、
上に訳した部分を含むB2r-B3vが欠けている。)

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Nedham, Case of the Commonwealth of England, ch. 3

マーチャモント・ニーダム
『イングランド共和国の主張』
第3章:政府に服従しないなら、政府による保護という
利益が当然奪われる

国家や王国を壊して新しくするのは賢き神であり、
彼が先の支配者を追放してかわりに新しい者を
おいたならば、そのような時に新しい権力者に
服従を拒みつつ保護してもらおうなどと考えるのは
おかしな話である。理由は以下のとおりである。

第一に、保護してもらうからには当然保護する側への
服従や友好的な態度が求められる。そのように
ふるまわない者は敵であり、国々のあいだの法が
支配者にみずからの身を守る権利を与えている以上、
服従しない者は国民の敵、法の保護の対象外とされて
当然である。このような者に保護を与える義務など
なく、むしろ反逆者として何か恥ずかしいかたちで
処刑すればよい。グロティウスも次のように
いっている--勝利によって新しく支配者となった
者は、服従しない者すべての喉をまったく自由に
掻き切っていい、そのような権利がある。

第二に、いつでも人間社会を保つため、混乱を
避けるために何らかの統治が必要であるから、
統治者が気に入らないといって従わない者は、
ある意味たんなる無政府主義者であり、社会を
つくる主たる二つの目的を妨げるといえる。
この目的のひとつは、アリストテレス曰く、人々の
身の安全である。これを守るため、国の人々
ひとりひとりが国全体の安全を考えなくてはならない。
もうひとつは人々のあいだの公平性を保つこと、
正義を実現し、正しいおこないを広め、悪を罰する
ことである。これがなければ平和な暮らし・幸せ
などというものは実現しえない。統治者が気に
入らないから従わない、というような人ばかりの
国では身の安全も正義も手に入らない。政治的
秩序も平穏な暮らしも維持できない。つまりまさに
統治が骨抜きになってしまうのである。社会を
研究してきた人たちがいうように、国の根幹は
「しかるべき命令と従順、支配と服従の関係」
である。だから、彼らに従っていうなら、支配と
服従の関係は神の法・自然の法の両者によって
認められたものであり、それゆえ支配者として
立てられた者に従うことを拒み、あえて国の混乱を
招く者は、「国を略奪した暴君よりもずっと悪い
結果をもたらす」のである。

第三に、個々の私人には権力を握る者がどのように
その権力を握るに至ったかを問う権利がない。
そのような権利が認められたら、あらゆる地位を
めぐって論争がはじまってきりがないからである。
権力を握る者に抵抗することが不可能なら、
服従を拒む者を強制的に服従させることが
彼にできるなら、当然そのような場合、政治に
関して私人はただ服従していればいいのである。
この点についてあの優秀な学者グロティウスも
こういっている--「私人は地位に関する論争に
口をはさむべきではなく、ただ支配力のある者に
従っていればいい」。なぜなら、すべての権力は
神から与えられるものであるからだ。救い主も
ピラトに対して、彼の権力は天から与えられたものと
いっている。もちろん、彼は総督代理であり、
支配の座を簒奪したカエサルから権力を与えられたに
すぎないことは承知のうえで、である、これについては
ボディヌスも同じ意見であり、次のようにいっている
-ー「すべての統治者はまず神に定められたという点で
合法である。他方、二次的な統治の根拠を見るなら、
彼らは武力・暴力で統治の座についたといえる」。
つまり、すべての支配者はその最高の地位を神から
与えられており、また国際的な法によって支配下の
者に対して権力を揮うことを認められているのだから、
それゆえ権力者に対する抵抗を禁じる神の法により、
また国々のあいだの法により、服従を拒む者は
財産および保護という恩恵を奪われて当然である。
これは支配者がどのような方法でその地位についたか
には関係ない。……

*****
Marchamont Nedham
The Case of the Commonwealth of England, Stated
Ch. 3: That Nonsubmission to Government Justly
Deprives Men of the Benefit of Its Protection

IF AT any time it seem good to the wise disposer of states and kingdoms (who puts down one and sets up another) to permit the expulsion of such as were formerly in possession and admit others in their places, it cannot in reason be expected that those which refuse obedience to their authority should receive the benefit of protection; and that for several considerations.

First, because protection implies a return of obedience and friendship from the persons protected to those that protect them. Otherwise they put themselves into the condition of enemies, and by the law of nations, which indulges a liberty unto all that are in power to provide for their own security, they may be handled as public enemies and outlaws. Wherefore in this case so little of protection is due to them that they may be punished as traitors by some shameful execution. And it appears out of Grotius, in case of nonsubmission to new lords after a victory, the throats of every refuser are wholly at their mercy; and all this, de jure.[1]

Secondly, there being a necessity of some government at all times for the maintenance of civil conversation[2] and to avoid confusion, therefore such as will not submit, because they cannot have such a governor as themselves like, are in some sense mere anarchists and destroy the two main ends of all civil communion. The first whereof Aristotle sets down to be public safety, in relation whereunto each member of the commonwealth is concerned to have a care of the whole.[3] The second is public equity, for the administration of justice, encouragement of virtue, and punishment of vice, without which it's impossible to enjoy peace or happiness. Where this humor reigns, there those two can never be secured nor any political eutaxy,[4] good order, or tranquillity maintained, which is the very soul of government. For as much as, say the civilians, the essence of a commonweal consists ratione imperandi & parendi; in imperil & subjectionis recta ordinatione, "in a due course of commanding and obeying, rule and subjection." From whence, say they, we may conclude, regere & subjici, that "rule and subjection" are founded upon the law both of God and nature and they must needs be transgressors against both that upon any pretense whatsoever shall refuse to obey those powers that are set over them and open a gap to confusion, ipsa tyrannide deteriorem, "of far worse consequence than any tyrannical usurpation."[5]

Thirdly, private and particular persons have no right to question how those came by their power that are in authority over them. For if that were once admitted, there would be no end of disputes in the world touching titles. It is ground enough for the submission of particular persons in things of political equity that those which have gotten the power are irresistible and able to force it if they refuse. For, as touching this case, saith the most excellent Grotius, "Private persons ought not to take upon them to meddle with these controversies in point of title, but rather to follow them that are in possession."[6] For all power is from God; and our Saviour told Pilate the power that he had was given him from above, though all the world knows that Pilate was but a deputy governor and, in a civil acceptation,[7] received his power from Caesar, who was an usurper. To this accords that of Bodinus, I, De repub., cap. 6, who saith that "all governments are lawful in respect of the first cause, viz., God; but on the other side, if we regard secondary causes, all governments have had their beginning and foundation upon force and violence."[8] Now since all commanding powers hold their supremacy from God, and that by the law of nations, they have a right to exercise their power over those whom they hold in possession. Therefore by the law of God, which damns resistance against those powers,[9] and by the same law of nations, they which refuse submission to those powers (be they just or unjust by the way of acquisition) may be justly deprived of their possessions and protection.

http://constitution.org/cmt/nedham/com_eng.htm

*****
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
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Perkins, The Golden Chaine, ch. 57

ウィリアム・パーキンズ
『黄金の鎖:神学解説』
第57章より

極めて重要なのは、個々の人に与えられた予定を正しく、
二段階で実践することである。この二段階とは、まず
予定を正確に理解することであり、次にそれをきちんと
生きることである。

自分に与えられた予定は、以下の法則によって見極め、
理解することができる。

I. 選民のみが、天国に選ばれた人すべてが、いずれ
神が定めた時が来た時に、救い主によって永遠の命を
与えられる予定であることを確信でき、そして実際に
確信する。

II. 自分が天国に選ばれていることは、選びの第一の源、
つまり神様のご意志からではなく、これがもたらす結果
からわかる。この結果には二つのものがある。聖霊の
証言による確信、そして選ばれたがゆえに可能な数々の
おこないである。

IV. この聖霊による証言についてかたい確信をもてなくても、
人は天国に選ばれていることを聖霊がもたらす他のことがら
から判断できる。たとえば、炎そのものが見えなくても、
熱ければそこに火があることがわかるのと同じである。

V. 天国に選ばれた人がすることのうち、特に顕著なことは
以下のとおりである。

1. 自分の不完全さを感じ、神様に対して犯してしまった
すべての罪についてつらく悲しく思い、また嘆き悲しむこと。

2. 体の欲望に抵抗すること、つまり、神様の意に適わない
肉体的衝動を憎み、拒み、そしてそれらを重荷として、
面倒なものとして悲しむこと。

3. 神様の恩寵を、また救い主のご厚意により永遠の命を
得ることを、心から強く激しく乞い求めること。

4. 神様の恩寵が得られたときには、それがもっとも価値ある
宝石であると考えること。

5. 神様の言葉を伝える牧師のことを牧師であるがゆえに
愛すること。また、キリスト教徒をキリスト教徒であるが
ゆえに愛すること。またそれゆえに必要な時には彼らの
ために血を流すこと。

6. 心をこめて、涙を流しながら、神様に助けを求めること。

7. 救い主の再臨および最後の審判の日を望み、愛すること。
これにより罪に生きる日々が終わるのだから。

8. 罪を犯す機会をすべて避け、生まれ変わった生きかたが
できるよう真剣に努力すること。

9. 最後の息を引きとる時まで、以上のことを貫くこと。

……………

VI. 今のところ心のなかで以上のようなことを感じて
いなくても、すぐに自分が地獄落ちだと思いこんでは
ならない。むしろ神様の言葉をよく読み、かつ秘蹟に
与ることにより、救い主の力で自分が彼に引き寄せられる
ことを、救い主の苦難と死によって救われるという確信を、
心に感じられるよう努力すべきである。

VII. 誰かが地獄落ちであると勝手に決めつけてはならない。
なぜなら、しばしば神様はもっとも彼に嫌われていると
思われる人を、人から見ればもっとも彼に愛されている
人よりも先にご自分の王国に招き入れるからである。……

*****
William Perkins
From The Golden Chaine: Or,
The Description of Theology
Ch. 57

*****
救済の試験に合格するためのルーブリック。
人の考えることは今も昔もたいして変わっていない。

*****
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イングランド宗教改革:年譜

イングランド宗教改革:年譜


*****1504 *****
ローマ教皇からの特免。ヘンリー8世が兄アーサーの未亡人
キャサリンと結婚できるように。聖書の記述に矛盾があるから。
-----
レビ記18:16
あなたの兄弟の妻を犯してはならない。それはあなたの兄弟を
はずかしめることだからである。

同20:21
人がもし、その兄弟の妻を取るならば、これは汚らわしい
ことである。彼はその兄弟をはずかしめたのであるから、
彼らは子なき者となるであろう。

申命記25:5
兄弟が一緒に住んでいて、そのうちのひとりが死んで子のない時は、
その死んだ者の妻は出て、他人にとついではならない。その夫の
兄弟が彼女の所にはいり、めとって妻とし、夫の兄弟としての
道を彼女につくさなければならない。
-----

*****1509 *****
ヘンリーとキャサリン結婚。

*****1514*****
ローマ教皇、(当事者からの依頼により)ヘンリーの妹メアリーと
後のシャルル5世との婚約を無効化。メアリー(当時18歳)と
ルイ12世(52歳)の結婚を成立させるため。

*****1515*****
ルイが結婚3ヶ月で死去。メアリーはもともと恋人関係にあった
サフォーク公と結婚。サフォークにはすでに数回結婚していた。
-----
1503? アン・ブラウン
婚約して妊娠させるが1506に婚約破棄。

1506 マーガレット・モーティマー(アンのおば)
結婚して土地をもらってそれを売って金をつくり、
その後血縁の近さを理由に結婚無効を教皇に訴えて
離婚の特免を得る。

1508 アン・ブラウン(再び)
アンは二人目の子を1510に生んだ直後に死去。
-----

メアリーと結婚するにあたってサフォークはアンとの
離婚の特免を得る。その理由は、マーガレットとの
離婚特免が無効なものだったから。?????
(Bucholz and Key 394, n5)

*****1516 *****
ヘンリーの長女メアリー誕生。
その前後、1510-18に死産数回、
生まれてすぐに亡くなった子数名。

*****1520年代半ば以降*****
ヘンリー、王位継承(娘しかいないこと)について危惧。
また、これはレビ記の神の命に反した結婚に対する天罰か
と恐れる。

*****1526*****
ヘンリーがアン・ブーリンに接近。最初は愛人に、と誘うが断られる。
もともとヘンリーはアンの姉のメアリーと不倫関係にあった。
*アンはサリー伯ヘンリー・ハワードのいとこ。

*****1527*****
ヘンリーの姉マーガレットが(あまり説得力のない理由で)
アンガス伯アーチボルド・ダグラスと離婚するための特免を
教皇から得て、ヘンリー・スチュアート(後のメスヴェン卿)
と結婚。

ロンドンでヘンリーとキャサリンの結婚の有効性を問う
教会裁判開廷。

ヘンリー、キャサリンに別れを提案。断られる。

*****1528*****
キャサリン、修道院に入るよう迫られるが断る。

*****1529*****
教皇特使ロレンツォ・カンペッジオと枢機卿トマス・ウルジーの下、
特使裁判がロンドンで開廷。決着つかず。ウルジー失脚。
大法官として後を継いだのがトマス・モア。

ヘンリーの指示の下、議会が教会改革諸法制定。
ローマ教皇を頂点とするカトリック教会は腐敗している、
だからこれに従う必要はない、という世論操作。

*****1532*****
ローマへの初年度収入税納税を制限。
Act of Conditional Restraints of Annates

ヘンリー、聖職者を支配下におく。
"Submissin of the Clergy"

アン妊娠。

*****1533*****
ヘンリーとアン、秘密結婚。
(次期カンタベリー大主教トマス・クランマーによる。)

上告禁止法制定。Act in Restraint of Appeals
教会法関係の問題についてローマの判断を求めることを禁止。

クランマー、ヘンリーとキャサリンの結婚無効を宣言。
アン、正式に王妃に。その後女児エリザベスを出産。
ヘンリー落胆。

アン妊娠。

*****1534*****
初年度収入税法。この税をローマに収めることを禁止。
An Act Restraining the Payment of Annates

ローマへのペテロ税納税を禁止。

王位継承法制定。Act of Succession
メアリーの継承権剥奪。

王位継承法に関する誓約法制定。
Act Respecting the Oath to the Succession
上の法への支持の誓約を全国民から要求する法。
この誓約を拒んだモアと主教ジョン・フィッシャーは
投獄される。

アン死産。

国王至上法制定。Act of Supremacy
- 王が国教会の長。
- 聖職者叙任権、教会収入管理権、教義決定権は王に。

反逆法制定。王の至上権を否定することを言ったり、書いたり、
出版したら大逆罪で死刑。

*****1535*****
アン妊娠。

フィッシャー処刑。

アン死産。

モア処刑。かわりに台頭したのがトマス・クロムウェル。

ヘンリー、ジェイン・シーモアに接近。

アン妊娠。

*****1535-6*****
小規模修道院廃止法。Act for the Dissolution of the Lesser Monasteries
廃止+財産没収。

*****1536*****
キャサリン死去。

教皇権否定法制定。
Act Extinguishing the Authority of the Bishop of Rome

アン死産。

アン、姦通・近親相姦・反逆の罪で逮捕・有罪・処刑。

ヘンリー、ジェインと結婚。

10か条制定。
- 聖書と3信条(使徒信条、ニカイア信条、アタナシオス信条)が信仰の基本。
- こどもにも洗礼が必要。
- 告解を含む赦しの秘蹟が救済に必要。
- 聖体拝受のパンとワインは本物のキリストの体と血。
- 救済のためにはキリストによる贖罪に加えてよいおこないも必要。
- 崇拝してはいけないが、偶像も記憶の役に立つ。
- 聖人は模範として理解すべき。
- 神への取り次ぎ役として聖人に祈ってもいい。聖人の日を祝ってもいい。
- 儀礼は比喩的なものとして執りおこなうべき。
- 死者のために祈ってもいいが、教皇の赦しは無効。
http://www.luminarium.org/encyclopedia/tenarticles.htm

クロムウェルによる教会への教示。
- ローマ教皇の権威は無効・王が国教会の首長。
- 偶像崇拝・聖人巡礼など禁止。
- 主の祈り、信仰信条、十戒は英語で教え、くり返し練習させること。
- ラテン語聖書と英語版聖書を閲覧用に常備。
- 聖職者の酒場通い禁止。
- 聖職者給与の1/40を貧民に分配すること。 など
http://www.reformationhenryviii.com/1536-cromwells-injuctions.html

*****1537*****
国教会会議:秘蹟の数でもめる。

主教の書(Bishops' Book)完成。
- クランマーが中心。
- ヘンリーは読んでいない。

ジェイン、エドワードを産む。

ジェイン死去。

*****1538*****
クロムウェルによる教会への第二の教示。
- 王の教示に従うこと。
- ティンダル訳英語版聖書を閲覧用に早急に常備。
- 人々は救済されたかったら聖書を自分で読むこと。
- 主の祈りや信条や十戒は英語で教え、覚えさせること。
- これらを暗記しているかどうか受難節の告解の際に試験。
--> 不合格者は翌年に再試験。
--> 不合格者には聖体を拝受させない、つまり救済から除外 + 王から特別指導。

- 年に4回は救済が福音や聖書に記された慈善・信仰活動のみによることを
説教で指導すること。巡礼や寄付や偶像崇拝やロザリオを使う祈りのような
迷信はすべて無効。

- 偶像は片づけること。あくまで字の読めない人のための聖書がわりとし、
崇拝させないこと。

- これらの教示を徹底すべく、聖職者が在住していない教区には
代理人を配置すること。

- 説教者は王や大主教などの承認を受けること。
- 巡礼や偶像崇拝には聖書中に根拠がないと指導すること。
- ローマ主教(教皇)を支持する者がいたら王の下に連行すること。
- 教区民の名や結婚・洗礼・埋葬の日を記録すること。
- この教示を年に4回は教区民の前で読みあげること。
- 礼拝の後、アヴェ・マリアの祈りの際に鐘を鳴らすことを禁止。 など
http://www.reformationhenryviii.com/1538-second-injunctions.htm

ヘンリーの布告。
- 聖職者の結婚禁止。
- 再洗礼派を批判。
- 教会の儀礼を擁護。

*****1539*****
カヴァーデイルの公式『大聖書』(Great Bible)完成。
土台はティンダルの聖書。

大規模修道院廃止法。

意見相違防止法(「6か条の法」)制定。(クロムウェルは反対したが。)
- 聖体拝受のパンとワインは本物のキリストの体と血。
- 聖職者の結婚禁止。
- 告解を維持・継続。
Act Abolishing Diversity in Opinions, 1539

*****1540*****
ヘンリー、クリーヴズ家のアンと政略結婚。
好みではなかったので夜をともにせず。
6か月後にクランマーが結婚取り消し。

クロムウェル逮捕・処刑。理由は異端信仰と権力濫用。

(同じ日に)ヘンリー、ノーフォーク公トマス・ハワードの
姪のキャサリン・ハワードが好きになって秘密結婚。
* ノーフォーク公はサリー伯の父。カトリック。
* キャサリンはサリー伯のいとこ。キャサリンもカトリック。

クロムウェル処刑の二日後にヘンリー、二人のカトリック
聖職者を反逆罪で処刑、加えて三人のプロテスタント聖職者を
異端として処刑。

ヘンリー、ノーフォークおよびカトリックの主教スティーヴン・
ガーディナーと接近。

*****1541*****
キャサリンの結婚前後の浮気発覚。クランマーが密告し、
キャサリン本人も告白。相手は廷臣フランシス・デレハムと
トマス・カルペパー。特にカルペパーはヘンリーのお気に入り。

浮気相手二人の処刑。カルペパーは斬首、デレハムは、
絞首半殺し + 内蔵取り出し + 斬首・バラバラの刑。

*****1542*****
キャサリン逮捕・処刑。保身のためノーフォークも
キャサリン逮捕・処刑を支持。

*****1543*****
ヘンリー、キャサリン・パーと結婚。

*****1544*****
メアリーとエリザベス、王位継承権を回復。

*****1546*****
プロテスタントの女性アン・アスキューが聖体拝受のパンとワインが
キリストの肉と血であることを否定して拷問・火あぶりの刑に。

ヘンリー、王家の紋章を自分の紋章に使用したノーフォーク伯とその子
サリー伯ヘンリー・ハワードを逮捕。

*****1547*****
サリー処刑。ノーフォーク処刑予定日にヘンリー死去。
ノーフォークは生きのびて、1553年、メアリーの即位にともない放免。

エドワード6世即位。おじのハートフォード伯が護国卿サマセット公に。

6か条法廃止。

礼拝堂解散法。
- 煉獄の教義を否定。
- 煉獄にいる死者のための祈りを否定。
- 礼拝堂・救貧院・学校・病院を解散、財産没収。これらの機能は自治体の責任に。

*****1548*****
クランマーらにより共通祈祷書完成。
- 英語で書かれた。
- 祭壇・告解・死者のための祈りを維持。
- 聖体拝受のパンとワインがキリストの肉と血であることを否定。
(否定していないとも解釈できた。)
-----
And when he delivereth the Sacramente of the body of Christe, he shall say to every one these woordes.

The body of our Lorde Jesus Christe whiche was geven for thee, preserve thy bodye and soule unto everlasting lyfe.

And the Minister delivering the Sacrament of the bloud, and geving every one to drinke once and no more, shall say,

The bloud of our Lorde Jesus Christe which was shed for thee, preserve thy bodye and soule unto everlastyng lyfe.
-----
http://justus.anglican.org/resources/bcp/1549/BCP_1549.htm
(出版は49年。)

*****1549*****
礼拝統一法制定。
- 共通祈祷書使用を強制。

聖職者の結婚を許可。1/10の聖職者が結婚。

ウォリック伯ジョン・ダドリー台頭。サマセットを権力濫用のかどで投獄。

*****1550*****
サマセット釈放。

*****1551*****
サマセット再逮捕。

ウォリック伯、ノーサンバーランド公に。

*****1552*****
サマセット処刑。

クランマーらにより共通祈祷書第第二版完成。
- 聖体拝受のパンとワインがキリストの肉と血であることを否定。
ーーーーー
And when he delyvereth the bread, he shall saye.

Take and eate this, in remembraunce that Christ dyed for thee, and feede on him in thy hearte by faythe, with thankesgeving.

And the Minister that delyvereth the cup, shal saye,

Drinke this in remembraunce that Christ's bloude was shed for thee, and be thankefull.
-----
http://justus.anglican.org/resources/bcp/1552/BCP_1552.htm

第二礼拝統一法制定。
- 祭壇廃止。
- 日曜礼拝欠席で投獄。三回くり返すと終身刑。

*****1553*****
42か条の信条制定。
- 信仰のみによる救済。(善行は無意味。)
- 予定説。
- 聖体拝受のパンとワインがキリストの肉と血であることを否定。
- 告解廃止。
- 秘蹟は洗礼と聖体拝受のみ。

エドワード死去。

ノーサンバーランドの意向により、彼の子の妻で
ヘンリの妹メアリーの孫であったジェイン・グレイが即位。
同時にメアリーも即位を宣言。

それぞれが挙兵。メアリー軍がロンドンを掌握。
枢密院もメアリーを女王と認定。

ノーサンバーランドとジェイン投獄。

共通祈祷書廃止。

礼拝統一法撤廃。

*****1554*****
メアリー、ナポリ王フェリペ(後のスペイン王フェリペ2世)
との結婚を希望。

これに抵抗してトマス・ワイアットが反乱をおこす。
鎮圧されて90名ほど処刑。ジェインも処刑。
* このワイアットは詩人トマス・ワイアットの子。

メアリー、フェリペと結婚。

教皇、かつて修道院だった土地の現所有者に対して
それを返還しなくてよいという特免を出す。

メアリー、想像妊娠。

*****1555*****
異端法制定。ふたたびカトリックが国教に、プロテスタントは異端に。
しかし、礼拝堂・救貧院・学校・病院は再興されず。

メアリー、妻帯者など明らかなプロテスタントの聖職者2000人を罷免。

聖書翻訳者ジョン・ロジャース、主教ヒュー・ラティマーとニコラス・
リドリーを処刑。

*****1556*****
大主教クランマー処刑。以降、男237名、女52名を処刑。

*****1558*****
メアリー、想像妊娠。実際には子宮腫瘍。

メアリー死去。

エリザベス1世即位。

*****1559*****
プロテスタント亡命者の帰国がはじまる。

国王至上法制定。
- 公職者・聖職者は国王に至上権を認めることを宣誓しなくてはならない。
- 宣誓拒否1回:動産没収、2回:終身刑 + 不動産没収、3回:大逆罪で処刑。
- 後に国会議員・大学卒業者にも適用。
https://history.hanover.edu/texts/engref/er79.html

礼拝統一法制定。
- 共通祈祷書撤廃の取り消し。
- 日曜礼拝の義務化。欠席で12ペンスの罰金。
https://history.hanover.edu/texts/engref/er80.html

共通祈祷書再刊。
- 教皇批判削除。
- 聖体拝受のパンとワインがキリストの肉と血であることを
否定していないとも理解できる1549版の文言を加筆。
-----
And when he delivereth the breade, he shall saye.

THE bodie of our lord Jesu Christ, which was geven for the, preserve thy body and soule into everlastinge life: and take and eate this in remembraunce that Christ died for thee, feede on him in thine heart by faith, with thankesgevynge.

And the minister that delivereth the cuppe shall saye.

THE bloude of our lorde Jesu Christ, which was shedd for the, preserve thy body and soule into everlasting life: and drinke this in remembraunce that Christes bloude was shedde for thee, and be thankeful.
-----
http://justus.anglican.org/resources/bcp/1559/BCP_1559.htm

*****1563*****
39か条の信条決定。71年に成文化。
- 信仰のみによる救済。(善行は無意味。)
- 予定説。
- 煉獄などカトリックの教義を否定。
- カトリックの位階制(教皇は除く)は維持。
- カトリック的な聖職服は維持。

コンラッド・ラッセル:
「国教会の思想はプロテスタント、外見はカトリック」。

聖書原理主義的なプロテスタント(ピューリタン)が
この頃からあらわれる。

聖職者会議開催。
- サープリス(聖職者の白い上着)廃止を協議。
- 礼拝におけるオルガン使用、十字を切ることの可否を協議。

*****1565*****
エリザベス、従来どおりの聖職服着用を厳命。
従わなければ聖職資格剥奪。

*****1566*****
教皇、イギリスのカトリック信徒に対して、国教会礼拝参列と
家でのカトリック礼拝の併用を禁止 --> 多くの者が国教会参列を選択。

*****1568*****
カトリックのイギリス人ウィリアム・アレンが、イギリスの
カトリック牧師補充のための学校をドゥエーに設立。

第4代ノーフォーク公トマス・ハワード(上記第3代の孫、
サリー伯の子)がスコットランド元女王のメアリー・
スチュアート(カトリック、ジェイムズ6世の母)との結婚を計画。

*****1569*****
北部カトリック諸侯の反乱。Northern Rebellion
上のノーフォークの計画が発端となり、第7代ノーサンバーランド伯
トマス・パーシー、第6代ウェストモーランド伯爵チャールズ・
ネヴィルらがメアリーをイングランド女王にすることを計画して
挙兵する。が、支持が広がらずすぐに鎮圧される。
ノーサンバーランドは翌年処刑。ウェストモーランドは大陸に亡命。
反乱に加わらなかったノーフォークも投獄された。

*****1570*****
ローマ教皇、エリザベスを破門。
カトリックはエリザベスに忠誠を誓う必要なし。
--> イギリスのカトリックは、教皇と女王、どちらに尽くすか要選択。
--> 多くが女王を選択。

すべての治安判事が女王に忠誠の誓約をすることになる。

ケンブリッジ大の神学教授トマス・カートライトが一連の講義で
国教会を批判して失職。

*****1571*****
リドルフィ陰謀計画。Ridolfi Plot
教皇とスコットランドのメアリーとノーフォークの支持を
受けてフィレンチェの銀行家・カトリック活動家のロベルト・ディ・
リドルフィがスペイン軍とイギリスのカトリックによる反乱を
計画。事前に政府に暴かれて失敗。

反逆関係法復活。
- 女王を異端と呼ぶことは死罪。
- 女王の王権を疑うことも死罪。
- 女王の退位や死を画策することも死罪。

*****1572*****
ノーフォーク処刑。

*****1579*****
イエズス会もイギリスのカトリック牧師補充のための学校を
ローマに設立。

フランスのアランソン/アンジュー公渡英。
以降、彼とエリザベスとの結婚が噂される。

*****1580*****
イエズス会がイギリスに渡来して布教活動をする。

*****1581*****
国教忌避禁止法。
- 教会の礼拝欠席で毎月20ポンドの罰金。
- 国教会からの改宗禁止。

*****1585*****
カトリック聖職者であるだけで反逆罪となる。
以降、カトリック聖職者120名 + カトリックの一般人60名
ほどが処刑される。

*****
詳細未確認箇所多数。


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From Hooker, Of the Laws of Ecclesiastical Polity

リチャード・フッカー
『教会統治について』より

1.2.1
この世のすべてのものに、無理やりあるいは偶然ではない
活動のしかたがある。また、そのような活動がある
ということは、すべてのものにははじめから想定された
目的があるということである。さらに、そのような目的が
達成されるためには、そこに向かうための活動が
適切なものでなくてはならない。目的にあう活動と
そうでない活動が当然あるからである。それぞれのものに
それ特有の性質を与えているもの、それぞれのものの
もつ力を調整しているもの、それぞれのもののかたち・
大きさ・はたらきを決定しているもの、それが「法」
である。何であれ目的が達成されるためには、一定の、
つまり目的に対応して適切な活動が、法・法則・規則に
よって定められている必要がある。これは、神ご自身が
つくったもののなかにまず見られる現象である。

1.2.2
このように、すべてのものは法に従い、それぞれの種に
ふさわしい活動をする。ふつうのものはみな、みずから
よりも上位のものが決める法に従うが、神だけはご自身が
法を定め、活動する。神の存在がご自身の活動に対する
法である。神は完璧であるから、その活動も完璧なのである。
そのような神ご自身による自然かつ必然的な活動、つまり
御子生誕や聖霊派遣については、ここではふれない。
ここでふれるのは、永遠なる神の命令によって然るべき
時に然るべきかたちで自発的はじまり、おこるような
活動のみである。この神の命令は永遠の法といえるもの
である。……

1.2.3
神はご自身に対する法であると同時に、他のすべての
ものに対する法である。すべてのこと、わたしたちの
救い主が「わたしの父は今に至るまで働いておられる。
わたしも働くのである」といって示すすべてのこと
において、神はご自身に対する法である。神は、
なんの原因もなく活動したりしない。神によって
なされることにはそのようになされる目的がある。
また、それがなされる目的こそ神がそれをなすことを
望む理由である。神の意志は女をつくることに
向かわなかったであろう、女がつくられないことは
いいことでない、とお考えにならなかったならば--
「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、
ふさわしい助け手を造ろう」。なされないままでは
よくないことを、そのようなことだけを、神は
なされるのである。

1.2.5
神が何かをしたいと望む時、ただそれがしたいという
こと以外に理由はない、と考える者は間違っている。
そのようなことはまったく理に適っていない。なぜなら、
神はみずからの意志に従って、かつみずからの「目的の
下に」、すべてのことをなされるからである。熟慮と
賢明なる決定の下になされることには、それがなされる
べき理由が必ず存在する。なんらかの理由によって
その理由がわたしたちから隠されていても、それが人の
驚かせ、言葉を失わせるようなことであったも、である。
だからあの幸せな使徒はこういった--「ああ深いかな、
神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、
その道は測りがたい」。……

1.2.6
……神がみずから従う法とは永遠の法であり、一切の
変化とはまったく無縁である。変化する気配とも無縁である。
それゆえ、その法の一部が神の約束のなかに示された時、
(というのも、神の約束とは、神が人の幸せのために
したいと思われることの宣言に他ならないのだから、)
この約束について使徒パウロはこう記している--
神には「自分を偽ること」が、神でなくなることが
できないし、それゆえ自分の約束を破ることもできない。
神のお考えになることについて、同じくパウロは
「不変」であるといっている。神のお考えと神の法は
まったく同じひとつのものなのである。

これにより、神のご意志の自由が妨げられる・
損なわれることはまったくない。なぜなら、
みずからにこの法を課すということは、神が
みずから自由になされたことだからである。

だからこの法をこういい換えよう--「この世が
はじまる前に、神がご自身に、ご自身がすべてのことを
なす際に従うために、与えられた命令である」、と。

1.8.3
何が善であるかを示す記号・目印には、より確かなもの
からそうでないものまで、いろいろある。もっとも
明確に善であるといえるのは、すべての人間が善であると
確信しているものである。だから、誤りがみなに広く
受けいれられてしまったら、これを完全に取り除くことは
困難である。……多くの人がいつも同意することは、
いわば神の言葉のようなものである。なぜなら、すべての
人が知っていることは間違いなく自然が教えたことであり、
また自然とは神が自分の道具としてつくったもので
あるからだ。みなが同意するようなことは、自然を
通じてみな神からわたしたちに届けられているのである。
……使徒の聖パウロは異教徒についてこういっている--
「彼らにとっては自分自身が律法なのである」。これは、
以下のような意味である。理性の光の力で神はこの世の
すべての人を照らしており、それゆえ人は真理と誤りを、
善と悪を、見わけることができ、そして多くのことがらに
関して神の望みが何か理解することができる。神は、
何か特別な方法で自分の意志を人に、異教徒に知らせたり
しない。彼らはただ自然に考えるだけで神の望みを理解する。
だから、実際には神が与えている法、彼らは受けとっている
だけの法が、人の手によるもののように見えるのである。

1.16.5
……何をする際にでも神を称えることが目的でなければ
ならない、という人がいる。そして、神の法に従うもの
でなければ、人の行為は神を称えるものとはいえない、と。
このような考えは確かに正しいが、同時に、神が人の
ために定めた法がすべて聖書に記されている、と思っては
ならない。わたしたちが自然に、あたりまえのように
すること、たとえば息を吸って吐く・眠る・動くなどの
ことによっても、わたしたちは自然に神の栄光を称えている。
あえて神の栄光を称えようとしていなくても、あえて
なんらかの法に従おうと考えていなくても、である。
わたしたちは、(たいていの場合)意識している以上の
ことをしているのである。理性で考えて道徳的な行為を
する場合には、また別の法が関係してくる。理性・道徳の
法に従うことは、すなわち、人以外のものにはできない
かたちで神を称えることである。なぜなら、人以外のもの
には行為の質を判断する力がなく、それゆえその行為ゆえに
褒められたり責められたりすることがないからである。
聖パウロが教えるように、人は自分の行為について、
それが善いか悪いか判断できる。そう、実際、善悪を
定め記した神の法をもたない者でも、その心のなかには
すべての人に共通する法、理性の法が刻みこまれている。
行為の善し悪しを判断できるように、神がすべての人に
この法を与えたのである。

(つづく)

*****
Richard Hooker
From Of the Laws of Ecclesiastical Polity

1.2.1
All things that are, have some operation not violent
or casual. Neither doth any thing ever begin to
exercise the same, without some fore-conceived
end for which it worketh. And the end which it
worketh for is not obtained, unless the work be
also fit to obtain it by. For unto every end every
operation will not serve. That which doth assign
unto each thing the kind, that which doth moderate
the force and power, that which doth appoint
the form and measure, of working, the same
we term a Law. So that no certain end could
ever be attained, unless the actions whereby
it is attained were regular; that is to say, made
suitable, fit and correspondent unto their end,
by some canon, rule or law. Which thing doth
first take place in the works even of God himself.

1.2.2
All things therefore do work after a sort,
according to law: all other things according
to a law, whereof some superior, unto whom
they are subject, is author; only the works
and operations of God have Him both for their
worker, and for the law whereby they are
wrought. The being of God is a kind of law to
his working: for that perfection which God is,
giveth perfection to that he doth. Those natural,
necessary, and internal operations of God, the
Generation of the Son, the Proceeding of the
Spirit, are without the compass of my present
intent: which is to touch only such operations
as have their beginning and being by a voluntary
purpose, wherewith God hath eternally decreed
when and how they should be. Which eternal
decree is that we term an eternal law. . . .

1.2.3
. . . God therefore is a law both to himself, and to
all other things besides. To himself he is a law in
all those things, whereof our Saviour speaketh,
saying, “My Father worketh as yet, so I.” God
worketh nothing without cause. All those things
which are done by him have some end for which
they are done; and the end for which they are
done is a reason of his will to do them. His will had
not inclined to create woman, but that he saw it
could not be well if she were not created. Non est
bonum, “It is not good man should be alone;
therefore let us make a helper for him.” That and
nothing else is done by God, which to leave undone
were not so good. . . .

1.2.5
They err therefore who think that of the will of
God to do this or that there is no reason besides
his will. Many times no reason known to us; but
that there is no reason thereof I judge it most
unreasonable to imagine, inasmuch as he worketh
all things κατὰ τὴν βουλὴν του̑ θελήματος αὐτου̑,
not only according to his own will, but “the
Counsel of his own will.” And whatsoever is done
with counsel or wise resolution hath of necessity
some reason why it should be done, albeit that
reason be to us in some things so secret, that it
forceth the wit of man to stand, as the blessed
Apostle himself doth, amazed thereat: “O the
depth of the riches both of the wisdom and
knowledge of God! how unsearchable are his
judgments,” &c. . . .

1.2.6
The law whereby He worketh is eternal, and
therefore can have no show or colour of mutability:
for which cause, a part of that law being opened
in the promises which God hath made (because his
promises are nothing else but declarations what
God will do for the good of men) touching those
promises the Apostle hath witnessed, that God
may as possibly “deny himself” and not be God,
as fail to perform them. And concerning the counsel
of God, he termeth it likewise a thing “unchangeable;”
the counsel of God, and that law of God whereof
now we speak, being one.

Nor is the freedom of the will of God any whit
abated, let or hindered, by means of this; because
the imposition of this law upon himself is his own
free and voluntary act.

This law therefore we may name eternal, being
“that order which God before all ages hath set
down with himself, for himself to do all things by.”

1.8.3
Signs and tokens to know good by are of sundry
kinds; some more certain and some less. The most
certain token of evident goodness is, if the general
persuasion of all men do so account it. And therefore
a common received error is never utterly overthrown. . . .
The general and perpetual voice of men is as the
sentence of God himself. For that which all men
have at all times learned, Nature herself must
needs have taught; and God being the author
of Nature, her voice is but his instrument. By her
from Him we receive whatsoever in such sort we
learn. . . . The Apostle St. Paul having speech
concerning the heathen saith of them, “They
are a law unto themselves.” His meaning is, that
by force of the light of Reason, wherewith God
illuminateth every one which cometh into the
world, men being enabled to know truth from
falsehood, and good from evil, do thereby learn
in many things what the will of God is; which
will himself not revealing by any extraordinary
means unto them, but they by natural discourse
attaining the knowledge thereof, seem the makers
of those Laws which indeed are his, and they but
only the finders of them out.

1.16.5
. . . For as they rightly maintain that God must be
glorified in all things, and that the actions of men
cannot tend unto his glory unless they be framed
after his law; so it is their error to think that the
only law which God hath appointed unto men in
that behalf is the sacred Scripture. By that which
we work naturally, as when we breathe, sleep,
move, we set forth the glory of God as natural
agents do, albeit we have no express purpose to make
that our end, nor any advised determination therein to
follow a law, but do that we do (for the most part)
not as much as thinking thereon. In reasonable and
moral actions another law taketh place; a law by the
observation whereof we glorify God in such sort,
as no creature else under man is able to do; because
other creatures have not judgment to examine the
quality of that which is done by them, and therefore
in that they do they neither can accuse nor approve
themselves. Men do both, as the Apostle teacheth;
yea, those men which have no written law of God
to shew what is good or evil, carry written in their
hearts the universal law of mankind, the Law of
Reason, whereby they judge as by a rule which
God hath given unto all men for that purpose.

http://oll.libertyfund.org/titles/hooker-the-works-of-richard-hooker-vol-1
(散文)

*****
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聖書原理主義:カートライト

聖書原理主義

トマス・カートライト
『議会への勧告に対するウィットギフト博士の回答に
対する返答』(1573)より

わたしは断言する、神の言葉は、教会をめぐるすべてのことに
ついてどうすべきか指示している、そう、生活のあらゆる
側面において人がどうすべきか定めている、と。……聖パウロは
いっている、わたしたちが何かを食べる時・飲む時、その他
わたしたちが何をする時でも、それは神を称えるためでなくては
ならない、と。神を称えるというのは、神に従うことによってしか
できないことであり、神に従うには神の命令・神の言葉を
知らなくてはならない。つまり、神の言葉が人の行動すべてに
対して指示を与えているということなのだ。

……聖パウロの言葉は、一般的に「どのようにしてもいい」・
「無規定中立」といわれることについてもっとも明白である。
彼の結論はこうだ--信仰につながらないことは罪である。
信仰というのは、もちろん神の言葉に対する信仰である。
つまり、神の言葉に従ってなされないことはすべて罪なのである。

……わたしたちはどういう時に自分は正しいことをしていると
確信できるのか? もちろん、神の言葉が自分の行為を正しさを
保証してくれている時のみである。……それゆえ、公私いずれで
あってもわたしたちはすべてにおいて神の言葉の指示に
従わなくてはならない。同様に、教会やそれに関することに
おいてもわたしたちはすべて神の言葉に従わなければならない。

*****
Thomas Cartwright
From A Replye to an Ansvvere Made of M. Doctor VVhitgifte
Against the Admonition to the Parliament (1573)
STC 4712
26-27

*****
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主の祈り:カトリック時代

主の祈り:カトリック時代

リチャード・ウィットフォード
『家の主など指導者や長たる者の務め』(1530)より

……それゆえ食事の時間には必ず誰かが大きな声で
このようにいうことをお勧めします。

「パテール・ノステール・クウィ・エス・イン・カエリス・
サンクティフィケテュール・ノーメン・テュウム」--
善良な主なる神さま、天にまします神聖な父なる神さま、
あなたのお名前を称えます。これはこういう意味です--
わたしたちにお恵みをください、神聖なるあなたのお名前を
褒め称え崇めることができますように。

「アドウェニアート・レグヌム・テューム」--善良な
主なる神さま、天にまします父なる神さま、あなたの王国が
この世にやってきますように。これはこういう意味です--
この世のすべての人々があなたのお恵みによって洗礼を受け、
あなたの王国・キリスト教王国の忠誠な民となりますように。

「フィアット・ウォルンタス・テュア・シクート・イン・カエロ・
エト・イン・テッラ」--善良な主なる神さま、天にまします
神聖な父なる神さま、あなたのご意志が地に実現しますように。
それが天に実現しているように。これはこういう意味です--
主なる神さま、ここ地上に生きるキリスト教徒がみな、
それぞれの暮らし向き・環境・性格が許す範囲であなたの
ご意志を実現すべく行動し、またあなたの戒めを守りますように。
天に生きる神聖な天使や聖人たちがそれぞれの階級に
従ってそうしているのと同様に。
……
このパテール・ノステールの祈りは本当にすばらしい祈りです。
わたしたちの救い主ご自身がおつくりになり、使徒たちに教えた
ものですから。

*****
Richard Whitford
A Werke for Houshoulders, or for Them That Haue the Gydynge or
Gouernaunce of Ony Cõpany (1530, 1531, 1533, 1537)
(散文)
B2v-B2r

*****
1
Pater noster, qui es in caelis: sanctificetur nomen tuum;

2
adveniat regnum tuum;

3
fiat voluntas tua, sicut in caelo, et in terra.

4
Panem nostrum cotidianum da nobis hodie;

5
et dimitte nobis debita nostra, sicut et nos dimittimus
debitoribus nostris;

6
et ne nos inducas in tentationem;

7
sed libera nos a malo.

https://en.wikipedia.org/wiki/Lord%27s_Prayer

*****
1
天にいますわれらの父よ、 御名があがめられますように。

2
御国がきますように。

3
みこころが天に行われるとおり、 地にも行われますように。

4
わたしたちの日ごとの食物を、 きょうもお与えください。

5
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。

6
わたしたちを試みに会わせないで、

7
悪しき者からお救いください。

https://ja.wikipedia.org/wiki/主の祈り

*****
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朝の祈り:カトリック時代

朝の祈り:カトリック時代

リチャード・ウィットフォード
『家の主など指導者や長たる者の務め』(1530)より

正直で敬虔な魂であるみなさん、みずから正しく生き、
また他のすべての人をも安らかで正しい生きかたに導きたいと
考えるみなさんのために書いています。まずあなた自身から
はじめましょう。

朝目覚めたら……すぐに全能の神さまのことを思い出して考え、
そして(いつもの習慣として)親指で額に十字を切ってください。
このようにいいながらです--「イン・ノイエ・パトリス」。
それから口のところにも十字を切ってください。今度はこう
いいながら--「エット・フィリイ」。さらに胸の前で三つめの
十字を切り、こういってください--「エット・スピリトゥス・
サンクティ、アーメン」。もし神さまへの思いがさらにつのるようで
あれば、頭から足の先まで、また左肩から右肩まで、大きな十字を
切って、先ほどの言葉を全部つなげてこういってください--
「イン・ノイエ・パトリス・エット・フィリイ・エット・
スピリトゥス・サンクティ、アーメン」。これはこういう
意味です--「わたしはわたし自身をキリストさまのしるしで
清めます。父なる神の名において、神の御子の名において、
そして聖霊の名において、つまり三位一体の神、三つの姿を
もつおひとりの神の名において」。

次に、以下の言葉をいってください。または心に思ってください。
「善良な主なる神さま、わたしの創り主であり救い主である神さま、
今、ここ、あなたの前で、わたしは(今、そして今後生きている
あいだずっと)わたし自身を、魂も体も、あなたに委ね、譲り渡し、
そして心の底から喜んで捧げます。永遠にあなたの奴隷として、
わたし自身をあなたの手に委ねます。あの石の洗礼台のところで
洗礼された時に結んでいただいた契約に従います……」。

--2ページ分の祈り--

最後にもう一度「イン・ノイエ・パトリス」と神さまを称え、
そして神さまのお導きに従ってその日の仕事にとりかかりましょう。

*****
Richard Whitford
A Werke for Houshoulders, or for Them That Haue the Gydynge or
Gouernaunce of Ony Cõpany (1530, 1531, 1533, 1537)
(散文)

*****
In noie patris, et filii, et spritus sancti, amen.

*****
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Act Abolishing Diversity in Opinions, 1539

意見相違防止法
(「6か条の法」1539)

……以下の文言であらわされることが最終的に決議され、
認められ、同意された:

第一に、このうえなく神聖な祭壇の秘蹟において、
聖職者によって語られるキリストの偉大なる言葉の
力とはたらきによって、パンとワインという姿のなか、
処女マリアによって身籠られたわたしたちの救い主
イエス・キリストの体そのものが本当にそこにあらわれること。
またこの神聖な秘蹟がなされたらパンとワインの実体は
消え、神であり人間であるキリストの体しかそこに残らないこと。

第二に、パンとワイン両者による聖体拝領は、神の法により、
救済のためすべての人に必要というわけではないこと。つまり、
パンの姿をしたキリストの肉のなかにはキリストの血が本当に
流れている、ワインの姿をしたキリストの血のなかには
キリストの肉がある、それぞれ別のものであっても二つ
揃っているのと同じである、と信じ、これをけっして疑っては
ならないこと。

第三に、聖職を授任された者は、これまでどおり、神の法により、
結婚してはならないこと。

第四に、貞節や再婚忌避をみずから神に誓った者は、
男女とも、神の法により、それを守らなくてはならないこと。
また、この誓いにより、この誓いがなければ享受できる
キリスト教徒としての自由が失われること。

第五に、個別の聖体拝領は現王のイングランドの教会および
信徒にこれまでどおり認められること。これにより善良な
キリスト教国民は、然るべく典礼にのっとり、正しく適切な
慰めや利益(りやく)を得てもよいこと。これが神の法にも
適うことであること。

第六に、口頭による罪の告白は意義あるものであり、
神の教会において継続して保持していく必要があり、
定期的に人々はこれをしなくてはならないこと。

*****
An Act Abolishing Diversity in Opinions
(The Statute of Six Articles, 1539)

. . . . it was and is finally resolved, accorded, and agreed
in manner and form following, that is to say;

First, that in the most blessed Sacrament of the Altar,
by the strength and efficacy of Christ's mighty word,
it being spoken by the priest, is present really, under
the form of bread and wine, the natural body and
blood of Our Saviour Jesu Christ, conceived of the
Virgin Mary, and that after the consecration there
remaineth no substance of bread and wine, nor
any other substance but the substance of Christ,
God and man;

Secondly, that communion in both kinds is not
necessary ad salutem, by the law of God, to all
persons; and that it is to be believed, and not
doubted of, but that in the flesh, under the form

of the bread, is the very blood; and with the blood,
under the form of the wine, is the very flesh; as well
apart, as though they were both together.

Thirdly, that priests after the order of priesthood received,
as afore, may not marry, by the law of God.

Fourthly, that vows of chastity or widowhood, by man or
woman made to God advisedly, ought to be observed by
the law of God; and that it exempts them from other
liberties of Christian people, which without that they
might enjoy.

Fifthly, that it is meet and necessary that private masses
be continued and admitted in this the King's English
Church and Congregation, as whereby good Christian
people, ordering themselves accordingly, do receive
both godly and goodly consolations and benefits; and
it is agreeable also to God's law.

Sixthly, that auricular confession is expedient and necessary
to be retained and continued, used and frequented in the
Church of God. . . .

http://www.tudorplace.com.ar/Documents/act_six_articles.htm

*****
カトリックの典礼、つまり従来どおりの信仰を保持する
ための法。ローマ・カトリック教会から独立しても、
ヘンリー8世は教義面の転換を望んでいなかった。

以上を認め、聖体拝領を受け、告解をしなければ、罰金・
投獄・(再犯がひどければ)死刑・財産没収、とのこと。

が、この法は特に厳格には適用されなかった。
1547年、ヘンリー死去・エドワード6世即位とともに廃止。

*****
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Henry VIII to Anne Boleyn

ヘンリー8世からアン・ブーリンへ
手紙16

愛しいあなた、あなたが行ってしまってからとても
寂しいのでこの手紙を書いています。本当です。
あなたが行ってしまってから、このところ二週間ほど、
時間が前より長くなった気がしています。優しいあなたの
記憶と、あなたを思うわたしの熱い愛のせいです。
そうとしか考えられません。あなたのいないこの短い時間が
耐えられないなんて。でも、またすぐあなたのところに
行けると思うと半分くらい気が楽になります。それから、
今書いている本がだいぶ進んで安心しています。今日は
四時間以上書いていて少し頭が痛いので、あまり長い手紙は
書けません。(夜になると)愛しいあなたがいて抱きしめて
くれたらな、と思います。でも、またすぐに会えて、
あなたのかわいい乳首くんたちにキスできるはずです。

以上、自分で書きました。

これまでも、今も、これからもずっと、
喜んであなたの恋人として尽くす

王ヘンリーより

*****
King Henry VIII to Anne Boleyn
Letter XVI

MYne awne Sweetheart, this shall be to advertise
you of the great Ellingness that I find here fince your
Departing, for I assure you, methinketh' the Tyme
longer since your Departing now last then I was wont
to do a whole Fortnight; I think your Kindness and
my Fervence of Love causeth it, for otherwise I
would not thought it possible, that for so little a
While it should have grieved me, but now that I am
comeing towards you, methinketh my Pains been
half released, and also I am right well comforted,
insomuch that my Book maketh substantially for
my Matter, in writing whereof I have spent above IIII
Hours this Day, which caused me now to write the shorter
Letter to you at this Tyme, because of same Payne
in my Head, wishing myself (specially an Evening) in
my Sweethearts Armes vvhofe pritty Duckys I trust
shortly to kysse. Writne with the Hand of him that was,
is, and shall be yours by his Will,

H.R.

https://archive.org/details/harleianmiscella03oldyiala

*****
アン・ブーリンはヘンリー8世の二人目の妻。エリザベス1世の母。
後に姦通・近親相姦いう濡れ衣を着せられて処刑された。

(誰がどうしてこの手紙を残した?)

*****
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反律法主義(クリスプ、エドワーズ、オーウェン)

反律法主義

トバイアス・クリスプ
『キリストさまだけ称えよう』
Tobias Crisp (1600-43)
Christ Alone Exalted (1643)
(Wing C6955, C6958)

愛しいみなさん、ここに神秘があります。……神さまの民の悪が
キリストさまの背中にのっているのです。……どういうことでしょう?
すみずみまで探してもイスラエルに悪がまったくないなんてことが
ありえるのでしょうか? そう――とエレミアはいいます――
「イスラエルのとがを探しても見当らない」、と。いや、イスラエルは
毎日罪を犯している、と思うかもしれません。でも、エレミア曰く、
主はその罪を見つけられません。なぜならキリストさまにその悪が
移っているからです。もう罪はないのです、ここにも、そこにも。
(2.86)

泥棒の比喩(クリスプから要約):
ある日泥棒が盗んだものをもって家に帰ってきた。が、友人が来て
彼の命を救うためその盗品をどこかにもって行った。その後警察による
徹底的な家宅捜索があるが、当然盗品はどこにも見つからない……。
この盗品こそ人間の罪であり、これを友なるイエスさまがどこかに
もって行ってくれたのである。
(2.86-87)

このような考えかたがもたらす不道徳について(同上):
キリストさまは常軌を逸したふるまいや男女関係に自由を認めたわけではない。
この自由を「肉の働く機会」(ガラテア5.13)としてはならない。
「神さまのお恵みを濫用してみだらなことをしてはいけません。」
「わたしは確信しています。そして、はっきりいいます。キリストさまに
よって自由にしていただいた人はみな、大胆に、貪欲に、罪を犯すことを
目標に生きるようになっています。キリストさまの血が流れたことによって
罪が許されたと思っているのです。」
(1.227-29; cf. 2.154-56)

-----
このような誰でも救済される、死んだら誰でも天国に行けるという
万人救済(universal redemption)の立場は、当然カルヴァン派の
予定説に対する抵抗であり、ピューリタン的な聖書原理主義一般に
対する抵抗でもあった。

バニヤンの描く「罪人のかしら」(the Chief of Sinners)のように
地獄落ちを極度に恐れ、信仰を守るために常に悪魔と戦っていなければ
ならない、という不条理な不安から人々を解放するために、
よりゆるやかな、心にやましいところのあるすべてのふつうの人間に
優しい教義が説かれるようになった。

クリスプはケンブリッジのクライスト・カレッジの卒業生
(在学1621-24)。ウィリアム・パーキンズの後輩で
ミルトンの先輩。しかもミルトンと同じブレッド・ストリートの
生まれ。

しかし……

律法から解放される =
十戒およびそこから派生する諸道徳に従う必要がない
(実際に、あるいは心のなかで)
人を殺してもいい、
姦淫をしてもいい
両親その他権威者をないがしろにしてもいい
(現代の言葉でいえば)
道徳も倫理も刑法も民法もみな無効
政治権力・警察権力も無視していい

当然、以下のような反発・批判が出る。

*****
トマス・エドワーズ
『壊疽:キリスト教諸分派の誤謬・異端思想・冒涜発言・有害活動一覧』
Thomas Edwards (1599-1647)
Gangraena (1645-)

1.
聖書は神の言葉ではない。(1.18)

21.
魂は体とともに死ぬ。(1.20-21)

22.
すべての被造物は神である。(1.21)

27.
イエス・キリストは神ではない。(1.21)

28.
イエス・キリストはわたしたちと同様原罪で汚れている。
……わたしたちより神聖ということはない。(1.21)

52.
聖霊により天国に行けると確信した者が殺人や飲酒をしても、
神はそれを罪とは考えない。(1.24)

59.
誰もアダムの罪を受け継いでいない。(1.24)

66.
道徳律はすべての信者に適用されるわけではない。信者は道徳律に
従わなくてもいい。道徳律に照らして生きかたを省みなくていい。
キリストを信じる者にこの法の強制力は及ばない。(1.25)

76.
信じる者は罪を犯さぬよう注意し気を配る必要がない。神がそう
望むなら神が気を配って罪を犯さないようにしてくれる。(1.26)

79.
神のこどもたちは犯した罪について許しを求めてはいけない。
その必要はないからすべきではない。許しを求めることは
神に対する冒涜である。(1.26)

105.
新生児を洗礼してもいいのなら十戒を破ってもいい。
そう、新生児を洗礼してもいいのなら姦淫をしても
殺人をしてもいい。(1.29)

120.
新約の下、安息日は守らなくていい。(1.30)

128.
説教師は学ばなくていい。本や学問は廃止すべきである。(1.30)

人を殺すこと、姦淫すること、人のものを盗むことは罪ではない。(2.8)
わたしは「有って有る者」である(2.8)
神はわたしの体のなかにいる。(3.10)
キリストは人間だけでなく、牛や馬のためにも死んだ。(3.36)

ーーーーー
上のようなおかしなことをいう人たちがいて
社会的に大問題、ということ。

エドワーズはケンブリッジ大の牧師だったりしたが、
アルミニウス派に傾く国教会から排除された。

*****
『この国に福音を広めるための提案』
Proposals for the Furtherance and Propagation of the
Gospel in This Nation (1652)

以下のキリスト教の原則に反する説教および印刷物出版をすべての
人に禁じていただきたい。聖書がはっきり断言しているように、
これらを信じることなしに救済はありえない。

1.
神について知り、また神の意に適う生きかたをするためには、
聖書に従わなくてはならない。聖書を信じない者、聖書以外の方法で
真理や神の心を知ろうとする者は天国に入ることができない。

3.
神は創造主であり、天国においでになる神聖なるお方であり、
すべての被創造物とは永遠に異なる存在である。

4.
イエス・キリストのみが神と人間の仲裁者である。このお方について
知らない者は天国に入れない。

5.
このイエス・キリストはまさしく神である。

10.
この主イエス・キリストはエルサレムで十字架にかけられて死に、
生き返り、そして天に昇ったお方のことである。

12.
すべての人間は本質的に罪と悪行に塗れて死んだ存在であり、
生まれ変わり、改悛し、そして信じることなしには天国に行くことができない。

14.
どのようなものであれ、またどんな口実や根拠があろうと、
罪とみなされることをする者は地獄に落ちる。

15.
すべての死者は墓から立ちあがり、最後の審判を受ける。これにより、
天国で永遠に生きる者と、地獄で永遠に呪われる者がわけられる。
(5ff.)

-----
共和国樹立後、反律法主義やそれがもたらす社会の混乱を
抑制すべく、ジョン・オーウェン(思想的にはカルヴァン派
にして黙示録的終末論者)らクロムウェルにとり立てられた
聖職者が出版したもの。キリスト教のABCの再確認。
オーウェンは軍の牧師やオックスフォード大の総長などを務めた。

*****
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カルヴァン派:From Gifford, Briefe Discourse

ジョージ・ギフォード
『小論:ふつうのキリスト教徒の信仰、いわば田舎神学の
問題について:田舎神学を対話により完全論破』

アテオス(無神論者、訳すなら「悪男」)の言葉:
(自分の教区の牧師は……)
気のいい連中が飲み屋に集まったら、だいたいおごってくれる。
けんかか何かがおきた時には、みんなをボーリングやトランプや
飲み屋に誘ってくれて、うまく仲直りさせてくれる。……
これまで会ったなかでいちばんやさしい人、とってもいい人。
慈愛を教えてくれる人。
(1v, 2r)

ゼロテス(熱く神を信じる人、「熱男」)の言葉:
君のいう牧師はただの飲み友達にすぎません。……
よくある光景です、酔っぱらいが集まって酒を飲んでいて、
本来それを咎める立場の牧師が実はいちばんの酒飲み
ということです。……
さて問題です、からだを殺す殺人者と魂を殺す殺人者、
どちらが悪い人でしょうか?
(3r, 6r)

アテオス:
そうか、君はさ、あれだ、あの何にでも口をはさんでくる、
やたら細かくて厳格でうるさいタイプなんだ。遊びなんか許さないとか、
そういうね。じゃあどうすればいいの? やることなくなっちゃうじゃん?
ぶっすーって顔してすわって本ばっか読んでろ、って? ……
昔の人たちのほうがよかったよ。今じゃみんな冷たくなって。
昔はみんな仲よかったし、楽しかったのに。もう近所づきあいもなくなって、
みんな自分のことばかり考えてる。っていうか、むしろ他人を
いじめることばかり考えてる。……[アテオスの教区牧師は]
口やかましく人を支配しようとしない。だからみんなに好かれてる。
偉い人からも。……お金もたいしてないのに
家をちゃんとしてるし、貧しい人たちの世話もちゃんとしてる。
(2v, 3r, 5r-v)

ゼロテス:
そういう話から君が肉の欲に耽るタイプということがわかります。……
だんだん臭ってきました、君がどれほど無知なのか……
君の牧師がどれだけ不適格なのか。……
[アテオスの信仰は]確かに十分です。あなたを救済するのに、
ではなくローマ人への手紙1章[20節]で聖パウロがいうように、
問答無用であなたを地獄に落とすのに。
(2r, 31r)

アテオス:
ぼくは善意をもって生きてるし、人を傷つけたりしない。
心のなかで傷つけるようなことを考えたりもしない。何よりも神様を
愛していて信じてる。これで十分じゃない? ……
知識があると人は悪くなる。やれ聖書だ、聖書だっていう人たちが
だいたいいちばん嫌な感じ。……
[ピューリタンの説教は]いつも延々とやってるし、熱すぎるし、
厳しすぎるし、みんなに対して地獄堕ちだとかいうし。
ほんとくだらない、天国行きとか地獄堕ちの予定とか。
(7r, 9v, 24v)

ゼロテス:
聞いたことがありませんか? 聖パウロはエペソ人への手紙1章4節で
こういっています。神はわたしたちを神聖な者として選んでくださっています、
すでこの世がつくられる前に。

アテオス:
なにそのやな話? 神様が自分を選んでくれたってなんでわかるの?
……神様がそういったの?

ゼロテス:
君にとっては嫌な話でしょうね。君は善がすべて嫌いですから。
自然に、何も考えずに生きている君に神聖なことが理解できるはず
ないですからね。……君は異端なのです。そうでなければ聖書のなか
神の御言葉が聞こえてくるはずです。誰が天国に行き、誰が地獄に
向かっているか、わかるはずです。
(60v-61r)

*****
George Gifford
Briefe Discourse
(1581, 82, 83, 98, 1612, 34, 35)

*****
ギフォードもカルヴァン派聖職者で
16世紀末の人気作家。

*****
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