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Rossetti, CG, "Confluents"

クリスティーナ・ロセッティ(1830-1894)
「合流」

川は海を求めて進む、
自分よりずっと深い海を。
そのようにわたしの心は君を求めて進む、
遠くまで。
流れる川は悲しい声をあげる、
ひとりで流れながら。
そのようにわたしも悲しい声をあげる、
ひとり残されて。

か弱く美しいバラは、
やさしく強い太陽に、
みずからを開く、
横に、縦に。
そのようにわたしの心も、君に向かって開く、
何ひとつ隠さず。
君に対して、
何も隠さず。

朝露は蒸発する、
太陽に向かって、汚れなく、何にも邪魔されず。
そのようにわたしの心も消える、
君を追って。
朝露は跡を残さない、
緑の大地の顔の上に。
わたしも跡を残さない、
あなたの顔に。

どこに行けばいいか、川は知っている。
朝露も道を知っている。
太陽の光はバラをあたため、なぐさめる、
彼女が咲いているとき。
わたしは? ひとりで悲しいときが過ぎたら、
最後には君を見つけられる?
悲しみを通り過ぎたら、
君を見つけられる?

* * *

Christina G. Rossetti
"Confluents"

As rivers seek the sea,
Much more deep than they,
So my soul seeks thee
Far away:
As running rivers moan
On their course alone
So I moan
Left alone.

As the delicate rose
To the sun's sweet strength
Doth herself unclose,
Breadth and length:
So spreads my heart to thee
Unveiled utterly,
I to thee
Utterly.

As morning dew exhales
Sunwards pure and free,
So my spirit fails
After thee:
As dew leaves not a trace
On the green earth's face;
I, no trace
On thy face.

Its goal the river knows,
Dewdrops find a way,
Sunlight cheers the rose
In her day:
Shall I, lone sorrow past,
Find thee at the last?
Sorrow past,
Thee at last?

* * *

ポイントは、川も、バラも、朝露も、実際には
相手(海、太陽)にたどりつけない、ということでは。

川は、海に向かって永遠に流れつづける。
バラは枯れる(最終スタンザ4行目)。
朝露は、太陽にたどり着く前に消える。

* * *

英文テクストは、Poems by Christina G. Rossetti
(1906) より。
http://www.gutenberg.org/ebooks/19188

* * *

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Rossetti, CG, ("She sat and sang alway")

クリスティーナ・ロセッティ(1830-1894)
(「あの子はすわっていつも歌っていた」)

あの子はすわっていつも歌っていた、
川のほとりの草の上で。
魚が飛び跳ねるのを見ながら、
楽しげな日の光を浴びて。

わたしはすわっていつも泣いていた、
月のかすかな光の下で。
五月の花たちが、
涙のように花びらを川に散らすのを見ながら。

わたしは過去を思って泣いた。
あの子は輝くように明るい希望を思って歌った。
わたしの涙は海に飲みこまれた。
あの子の歌は空で死んだ。

* * *

Christina G. Rossetti
Song ("She sat and sang alway")

She sat and sang alway
By the green margin of a stream,
Watching the fishes leap and play
Beneath the glad sunbeam.

I sat and wept alway
Beneath the moon's most shadowy beam,
Watching the blossoms of the May
Weep leaves into the stream.

I wept for memory;
She sang for hope that is so fair:
My tears were swallowed by the sea;
Her songs died on the air.

* * *

リズムについて。





ストレス・ミーター。四拍子。

拍子ではないところに来ているストレスのある語
(スムーズな四拍子を崩す語)に内容的な重みがある。

* * *

英文テクストは、Poems by Christina G. Rossetti
(1906) より。
http://www.gutenberg.org/ebooks/19188

* * *

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Rossetti, CG, ("Two doves upon the selfsame branch")

クリスティーナ・ロセッティ(1830-1894)
(「二羽の鳩が同じ枝に」)

二羽の鳩が同じ枝に、
二輪の百合がひとつの茎に、
二羽の蝶がひとつの花に--
これらを見つめる人たちは幸せ。

手をつないでこれらを見つめて、
バラ色の夏の日ざしに赤く染まって。
手をつないでこれらを見つめて、
夜のことなどまったく考えずに。

* * *

Christina G. Rossetti
"Song" ("Two doves upon the selfsame branch")

Two doves upon the selfsame branch,
Two lilies on a single stem,
Two butterflies upon one flower:--
O happy they who look on them.

Who look upon them hand in hand
Flushed in the rosy summer light;
Who look upon them hand in hand
And never give a thought to night.

* * *

英文テクストは、Poems by Christina G. Rossetti
(1906) より。
http://www.gutenberg.org/ebooks/19188

* * *

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Rossetti, CG, ("When I am dead, my dearest")

クリスティーナ・ロセッティ(1830-1894)
(「わたしが死んだら、ね」)

わたしが死んだら、ね、
悲しい歌は歌わないで。
お墓の頭のところにバラは植えないで。
影をつくるイトスギもダメ。
お墓のところの緑の草を
雨や露で濡らしておいて。
そして、思い出してくれてもいいし、
忘れてくれてもいい。

わたしにはもう影が見えないだろうし、
雨も感じない。
ナイチンゲールの歌も聞こえない、
痛々しく歌っていても。
そして、昇りも沈みもしない
薄あかりのなかで夢を見ながら、
わたしも思い出すかもしれないし、
忘れるかもしれない。

* * *

Christina G. Rossetti
"Song" ("When I am dead, my dearest")

When I am dead, my dearest,
Sing no sad songs for me;
Plant thou no roses at my head,
Nor shady cypress-tree:
Be the green grass above me
With showers and dewdrops wet;
And if thou wilt, remember,
And if thou wilt, forget.

I shall not see the shadows,
I shall not feel the rain;
I shall not hear the nightingale
Sing on, as if in pain:
And dreaming through the twilight
That doth not rise nor set,
Haply I may remember,
And haply may forget.

* * *

以下、訳注と解釈例。

日本語にするのは簡単な、とてもシンプルな作品だが、
バラ、イトスギをはじめ、とりあげられているものの
もつ象徴的意味やニュアンスまで考えないと、
実際何をいっているのかよくわからないという、
なかなか練られた詩。

3 roses
特に書かれていなければ、バラといえば赤いバラ。
愛と美の女神アプロディテ/ウェヌス(英語読みでヴィーナス)の花。
(ド=フリース、『イメージ・シンボル事典』など参照。
ウェブ上では、たとえば、次のものなども。Symonds, JA,
"The Pathos of the Rose in Poetry," Time, new ser. 3
[1886]: 396-411,<http://books.google.co.jp/books?id=
C6IdsKh2HX4C&d>.)

恋人アドニスを失ったウェヌスの涙がバラになったとか、
あるいはアドニスの血がバラになったとか。
(オウィディウス、『変身物語』10巻では、アドニスの血は
アネモネになる。)

今でも同じだが、恋人には赤いバラを、というのが
詩のなかでも定番。(20110702の記事のWallerの
詩でもそう。)

つまり、お墓にバラを植えないで、というのは、
もう死んでるんだから、バラはいらない
=キレイとか、好きとか、いってくれなくてもいい、
ということ。生きているときのように接して
くれなくていい、という。

3 at my head
お墓のなかのわたしの頭の上の地面のところ。

4 cypress
イトスギ。死の悲しみ、喪の象徴(OED 1a, 1c)。
オウィディウス、『変身物語』10巻に、大好きだった鹿が
死んでしまったときに、一生嘆いていたい、といって
イトスギに変身させてもらう少年キュパリッソスの話がある。

イトスギを植えないで、というのは、たとえば、
死んだからといって嘆き悲しまないで、ということ。
完全に死んだ、みたいに扱わないで、という。

つまり、3-4行目は(上のような意味で)矛盾している。
死んだわたしに対して、死んだ者として接してほしいのか、
生きてるように接してほしいのか、よくわからない。
(「わたし」自身、わかっていない。)

墓地のイトスギ(影をつくっている)

By Oliver Dixon
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Auchteraw_
Burial_Ground_-_geograph.org.uk_-_1497138.jpg

5-6
緑の草=生き生きしているイメージ。

雨=草に命を与えるものであり、涙のようなもの、
悲しみをあらわすものでもある。(プラス、ふつうに
うっとうしい、というのも?)

露=キレイ+涙のような、悲しみをあらわすもの。

つまり、5-6行目も矛盾している。わたしの墓を、
生命力=再生などを感じさせる場所、いわば
生き生きとしたところにしてほしいのか、それとも
悲しむための場所にしてほしいのか、よくわからない。
(「わたし」自身、わかっていない。)

7-8
覚えていてもいいし、わすれてもいい、ということは、
つまり、自分としては、どうしてほしいかわからない、
ということ。

3-6行目の矛盾、あいまいさは、みなここにつながる。
永遠の愛、悲しみ、再生など、死と関連することがらを
思い浮かべることはできるが、実際、「わたし」自身にとって
それらが何を意味するか、わたし自身が死後何を感じ、
恋人から何を望むか、などということがわかっていないようすを
あらわしている。

9
死んでしまっているから、4行目のイトスギの
影が見えない、ということ。

同時に、死んでしまっているから、世界や人生の闇の
部分がもう見えない、ということ。

世界や人生の闇をもう見ない、というのは、ある意味で
幸せなことであると同時に、不幸なことでもある(完全な無、
虚無をあらわすから)。

つまり、ここで死後の世界は、幸せなものととらえている?
それとも不幸なもの? それがよくわからない表現になっている。

10
雨とは6行目の雨。雨を感じないというのは、
悲しみを感じない、うっとうしくない、という点でいいこと。
同時に、命を与えるものを感じない、という点で悪いこと。
で、結局どっち?

11-12
ナイチンゲールという鳥の鳴き声はとてもきれいで、
歌の上手な人、詩人の比喩として用いられる(OED 1, 2)。
この意味で、ナイチンゲールの歌が聞こえないというのは
マイナスなこと。

同時に、ナイチンゲールとは、オウィディウス、『変身物語』
6巻において、ピロメラが変身したもの。

---
(プロクネとピロメラとテレウスの話)

1
テレウス(トラキアの王)とプロクネは夫婦。
ピロメラはプロクネの妹。

2
テレウスがピロメラをレイプ。(頭おかしい。)

3
ピロメラがこれを暴露しないように、テレウスは、
彼女の舌を切る。(完全に頭おかしい。)

4
ピロメラは、自分がされたことを描く布を織り、
それをプロクネに伝える。

5
怒り狂ったプロクネは、自分とテレウスの子を殺し、
料理に入れてテレウスに食べさせる。(プロクネも
途中から完全に頭おかしい。)

6
それを食べているテレウスに、プロクネは、
「その肉はあなたの子なの!」と教える。

7
怒り狂ったテレウスは、プロクネとピロメラを殺そうと
追いかける。

8
もうつかまる、というときに、二人は鳥に変身して
逃げる。プロクネはツバメに、ピロメラはナイチンゲールに。

(絵画のテーマになっているエピソードですが、
グロなので、画像は自粛。関心のある方のために、
一応URLのみ。)

http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Bauer_-_Tereus_Philomela_Procne.jpg

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Antonio_Tempesta_-_Tereus_Philomela_Procne.jpg

http://www.wikipaintings.org/en/peter-paul-
rubens/tereus-confronted-with-the-head-of-
his-son-itylus-1638
---

つまり、痛々しく歌うナイチンゲールの声が聞こえない、
というのは、ある意味幸せなこと。

で、結局どっち? ナイチンゲールの歌が聞こえないのは
いいこと? 悪いこと?

13 twilight
夜明け前、太陽がまだ地平線の下にあるが、地平線上が
明るくなってきている状態。あるいは、日没直後、太陽が
地平線上に見えないのに、まだぼんやり明るい状態(OED 1)。

つまり、明るいのか、暗いのか、どっち? というあいまいさを
あらわしている。

13-14
そんな薄あかりが昇りもせず、沈みもせず、つづく状態が
死後の世界、と想像している。(rise昇る、set沈む、というのは
ふつう太陽に対して用いられる語。)

昇るのか、沈むのか、どっち? というあいまいさ。

15-16
思い出すかも、忘れるかも、というあいまいさ。
(生きていたときのことを、あなたのことを。)
死後、自分がどう感じるか、「わたし」自身にも
よくわかっていないようすをあらわす。

* * *

結局、この詩でわたしがいっていることは、
「わたしが死んだら、ね・・・・・・あなたにどうしてほしいか、
よくわからないわ・・・・・・自分がどうなるかも
わからないわ・・・・・・」ということ。

当然ながら、読者にも、この「わたし」が何をいいたいのか、
わからない。「わたし」であれ、読者であれ、生きている
人間には死後の世界を具体的に想像することができないから、
これらはあたりまえ。

で、ポイントは、このような内容のよくわからない詩から、
「わたしが死んだら・・・・・・」ということが話題になるような、
「わたし」と恋人(my dearest)のなんともいえない関係が、
微妙なかたちで想像されるということ。

それから、「わたしが死んだら・・・・・・」ということを
考えてしまう(考えざるを得ない?)「わたし」の性格/
感受性/身体的状況なども、微妙なかたちで想像される、
ということ。

* * *

英文テクストは、Poems by Christina G.
Rossetti
(1906) より。
http://www.gutenberg.org/ebooks/19188

* * *

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Rossetti, CG, "In an Artist's Studio"

クリスティーナ・G・ロセッティ (1830-1894)
「画家のアトリエにて」

ひとりの顔が、彼のすべての絵からこちらを見ている。
まったく同じひとりの女性が、座ったり、歩いたり、もたれたり。
彼女は、アトリエのスクリーンのすぐ向こうに隠れていて、
あの鏡にうつる彼女は、本当にきれいだった。
オパールやルビーの色のドレスを着た女王様、
あざやかな初夏の緑のなかの名もない少女、
聖人、天使――すべての絵の
意味はどれもまったく同じ、それ以上でも以下でもなく。
彼は、昼も夜も彼女の顔を糧に生きる。
彼女も、本当にやさしい目で彼を見つめ返す、
月のように美しく、光のように楽しげに、
待たされて生気を失っておらず、悲しみの影もなく。
それは今の彼女ではなく、希望が明るく輝いていた頃の彼女。
本当の彼女ではなく、彼の夢の中にいる彼女。

* * *

Christina G. Rossetti
"In an Artist's Studio"

One face looks out from all his canvasses,
One selfsame figure sits or walks or leans:
We found her hidden just behind those screens,
That mirror gave back all her loveliness.
A queen in opal or in ruby dress,
A nameless girl in freshest summer-greens,
A saint, an angel---every canvass means
The same one meaning, neither more nor less.
He feeds upon her face by day and night,
And she with true kind eyes looks back on him,
Fair as the moon and joyful as the light:
Not wan with waiting, not with sorrow dim;
Not as she is, but was when hope shone bright;
Not as she is, but as she fills his dream.

* * *

クリスティーナ・ロセッティが、兄ダンテ・ゲイブリエル・
ロセッティのモデルであり妻であったエリザベス・シダルに
ついて書いた作品。絵のなかでは幸せそうなのに、
実生活では不幸せ、と二人の関係を意地悪に描くからか、
クリスティーナの生前には未発表。

(義理の姉妹クリステイーナとシダルは、あまりいい関係では
なかったらしい。)

* * *

まず資料を。
(著作権関係の確認をとっていないものはリンクのみ。)

C・G・ロセッティ(兄のモデルもしていた)

D. G. Rossetti, "Ecce Ancilla Domini!"
Tate, London所蔵
処女受胎を天使に告げられて驚くマリアのモデルとして

D・G・ロセッティ
(ちなみに本名はGabriel Charles Dante Rossetti)
http://www.rossettiarchive.org/docs/s434.rap.html
http://www.rossettiarchive.org/docs/op11.rap.html

エリザベス・シダル

D. G. Rossetti, "Beata Beatrix"
Tate, London所蔵
死の瞬間のベアトリーチェとして。
ベアトリーチェはイタリアの詩人ダンテの愛した女性。

---
(唐突で、しかも悪趣味なようで少し迷いましたが、
"Beata" のもつ、ロセッティの他の作品にはない説得力の
ようなものが伝われば、と思って少し記します。)

シダルは、アヘンチンキの過剰摂取によって1862年に
死去。"Beata" はその死の瞬間を美化したもの。
野に咲く朱色のケシの花の色をした鳥が
アヘン用の白いケシの花を胸に運んできて、
その瞬間に天から強い光が頭の上に注がれて・・・・・・。

野に咲くケシ (field poppy)

By MichaelMaggs
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Field_poppy_(Papaver_rhoeas)_in_meadow.jpg

アヘン用のケシ(opium poppy)

By de:User:Horli [?]
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Papver_field_france.jpg
(アヘン用のケシの花には赤いものもあるよう。)

"Beata" に描かれた死の瞬間に対し、実際にロセッティが
目にした最期のシダルは、アヘンで完全に意識を
失っていて、また、胃を洗浄するために口から流しこまれ、
そして強いアヘン臭とともに吐き出された大量の水に
まみれたまま、ぐったり横たわっていた。
William Rossetti, Dante Gabriel Rossetti:
His Family-Letters
, 2 vols. (London, 1895)
1: 221-4.
http://www.archive.org/details/
dantegabrielros04rossgoog

つまり、"Beata" は、シダルの無残な最期を、
彼女のために、また自分のために、美しく脚色した作品と
いえるかと。

自分のために、というのは、ロセッティはシダルと
(非公式に)婚約してから結婚までずいぶん彼女を
待たせていたり、またその間や結婚後に他の女性たちと
関係をもっていたりして、シダルの死に際して
大きな自責の念にとらわれたから。(彼女の亡霊を
見るようにもなったり。)

---
なお、シダルの死については、ロセッティの不貞や
流産などのため絶望して自殺、という説が有力なようだが、
次の事実を照らしあわせると、事故死の可能性も
捨てられないと思われる。

1
シダルは、ロセッティと(スウィンバーンと)飲んで
帰ってきて、その後ロセッティがさらに外出している間に
アヘンチンキを飲みすぎて昏睡に陥り、そのまま死亡。

2
アヘンは飲みすぎに効く、という俗説が19世紀にあった。

(関心のある方には、以下の資料など。)
"Case of Delirium Tremens," Lancet (1827-8)
2: 827 (27 Sep. 1828).
http://www.archive.org/details/lancetmed1828wakl

George Combe, The Constitution of Man
(New York, 1835) 81
http://www.archive.org/details/
constitutionofma00combuoft

Thomas Inman, Foundation for a New Theory and
Practice of Medicine
, 2nd ed. (London, 1861) 429.
http://www.archive.org/details/
foundationforan00inmagoog

Virginia Berridge and Griffith Edwards,
Opium and the People (New Haven, 1987),
33-34, 80.
---

* * *

(だいぶ脱線しました。)

「画家のアトリエにて」に関係する資料を。

5 opal
たとえば、次の絵で、シダルはオパール色の服を着ている。
http://www.rossettiarchive.org/docs/s50.r-1.rap.html
("Queen" としてではなく、タイトル通り、ベアトリーチェとして。)

オパール

By Hannes Grobe
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Opal_nz_hg.jpg

他にも、次のものなど。

D. G. Rossetti, "The Damsel of Sanct Grael"
Tate, London所蔵


D. G. Rossetti, "St George and Princess Sabra"
Tate, London所蔵

5 ruby
たとえば、こんな絵?

D. G. Rossetti, "The Tune of the Seven Towers"
Tate, London所蔵
(Deliaは女王ではなく、夫の不在中に詩人Tibullusや
他の男性を愛人にしたような古代ローマの一般の女性。)

これも。
http://www.rossettiarchive.org/docs/s62.rap.html

6 A nameless girl in freshest summer-greens
このような設定でシダルを描いた絵はなさそうだが、
確かにシダルを描く絵には(freshではない)緑色が
目立つ(オパール色?)。上の "Beata" や次のものなど。
http://www.rossettiarchive.org/docs/s458.rap.html
http://www.rossettiarchive.org/docs/s471.rap.html
http://www.rossettiarchive.org/docs/s118.r-1.rap.html

シダル自身による自画像でも。
http://www.rossettiarchive.org/docs/op55.rap.html

7 A saint, an angel
聖母マリアとしてシダルを描いたものがあてはまる。

D. G. Rossetti, "Mary Nazarene"
Tate, London所蔵

これも。
http://www.rossettiarchive.org/docs/s69.rap.html

上のベアトリーチェものも?

他には、シダルとの共作のこれなど:
http://www.rossettiarchive.org/docs/sa116.rap.html

ヤコブの妻として、という次の絵は?

D. G. Rossetti, "Dante's Vision of Rachel and Leah"
Tate, London所蔵
(顔を見ると、紫の服の女性のモデルがシダル。
どちらがRachelでどちらがLeahかは、後日聖書やダンテなど
きちんと読んで、わかったら追記します。)

10-11
上の絵からもわかるように、ロセッティの描くシダルは、
「本当にやさしい目で彼を見つめ返」しておらず、
また「光のように楽しげ」でもなさそう。幸せそうな
絵のなかのシダルと、不幸な現実のシダル、という対立は、
いわばフィクション?

しかし、シダルを描いたロセッティのデッサンについて
次のような証言も。

Madox Brown (1854/10/06):
[Rossetti has been] Drawing wonderful and lovely
Guggums [Siddal] one after another, each one
a fresh charm, each one stamped with immortality.

Ruskin (1860/09/04):
I looked over all the book of sketches
at Chatham Place yesterday. I think Ida
[Siddal] should be very happy to see how
much more beautifully, perfectly, and tenderly
you draw when you are drawing her than when
you draw anybody else. She cures you of all
your worst faults when you only look at
her.

以上、William Michael Rossetti, Dante Rossetti
and Elizabeth Siddal
(1903) 292 より。
http://www.rossettiarchive.org/docs/
n1.b95.v1.n3.rad.html

そんなデッサンの例。

D. G. Rossetti, "Elizabeth Siddall in a Chair"
Tate, London所蔵


D. G. Rossetti, "Elizabeth Siddall Plaiting her Hair"
Tate, London所蔵

これらのデッサンは次のアドレスでまとめて見られる:
http://www.rossettiarchive.org/racs/
pictures.chrono.rac.html

(Freshでhappyに見えますか? ラスキンのいうように、
beautifully, tenderlyに描かれているとは
思いますが、「さわやかで幸せそう」、というよりも
もの憂げ、はかなげ、切なげな気がします。)

いろいろ総合して考えると、クリスティーナは、
兄ダンテが山のように作成していたシダルのデッサンと、
それからいくつかの水彩を見て、「画家のアトリエにて」を、
ノンフィクションに基づくフィクションとして書いた、
と考えるのが妥当かと。

* * *

ついでに、ですが、ロセッティの絵に描かれたシダルを見て、
どう思われますか? 個人的には、「美しい」というより
「特徴的」な人として描かれているように思うのですが。
上の二枚目のデッサンのような絵は、むしろ例外的で。

そんな絵のなかの彼女と、ロセッティの周辺の人たちが
彼女のルックスを大絶賛している言葉を総合すると、
おそらくシダルには、写真には写らない類の美しさ、
外見的な魅力や存在感があったように思われます。
(実際、写真においても、いわゆる「美人」には
見えません。)

そのような彼女の特徴をとらえるために、ロセッティは
彼女のデッサンを大量につくったのかな、と勝手に
想像して、納得しています。(もともとロセッティは、
画家としてそれほど上手なほうではなかったりもして。)

(アルコールやアヘンに対する依存があるなど、
シダルは性格的にも特徴的な人だったようです。
個人的には、あまりピンときませんが、いわゆる
femme fataleタイプということなのでしょうか。)

* * *

以下、形式、音について。

形式はイタリア式ソネット(abba/abba/cdc/dcd)。
構成、脚韻ともにほぼ完璧だが、最後の三行連の脚韻dのみ
微妙に不完全かつ余剰。

微妙に不完全、というのは語尾の母音+子音が
/im/と/i:m/ で、若干ずれているから。

余剰というのは、dimとdreamの最初と最後の
子音がパラライム的に同じだから(d---m)。





---
/: ストレスのある音節
- 一音節の内容語の音節
- 二音節以上の内容語の第一ストレスのある音節
- 上記以外で、意味的に強調されていると考えられる音節

x: ストレスのない音節
- 機能語内の音節
- 二音節以上の内容語の第一ストレスのない音節
---

この詩の音声的な特徴は、強調箇所が明確なこと。

ストレスのある音節が並んでいるところを集めてみる。

1 One face looks out
2 One selfsame figure sits
8 The same one meaning
10 true kind eyes looks back
12 hope shone bright

キーワードは "one"--この詩の「彼」が描くのは
彼女「ひとり」だけ。大切なのは彼女「ひとり」だけ。
彼女のほうも、絵のなかから「本当にやさしい目で
見つめ返す」。絵のなかの彼女は、「希望に明るく
輝いていた」。

この幸せそうな様子の要約であるかのように
その描写の最後に置かれた11行目(Fair as the moon
and joyful as the light)は、前半と後半が
対句になっていて(A as B / C as D)、この詩のなかで
唯一四拍子、ストレス・ミーターとなっている。
(上のスキャンジョンのBのところで、手拍子など
リズムをとってみてください。)歌うように、
「とってもキレイで、とっても楽しげ!」

このように幸せで楽しげなようすを強調しておいて、
最後の三行で完全にひっくり返す。

12 Not wan with waiting
12 not with sorrow dim
13 Not as she is
14 Not as she is

キーワードは、三行連続で行頭におかれて
いやでも目につく "not". (リズム的にも、弱強格が
倒置されて強弱となっていて目立つ。)
縦読みすれば、「違う、違うの、今は違うのよ・・・・・・」。

この結論部により、1-11行目で強調されている幸せで
楽しげなようすの意味が、180度転回する。

今、彼にとって大切なのは彼女「ひとり」だけ、ではない。

彼女が、「本当にやさしい目で見つめ返す」のは、
絵のなかだけの話、もう過去のこと。

今、彼女は、「希望に明るく輝いて」いない。

今の彼女は、「とってもキレイで、とっても楽しげ!」ではない。

以上のような、過去(11行目まで)と現在(12-14行)の対立は、
前半の"one" /wʌn/ と12行目の "wan" /wɑn/ の言葉遊びにも
反映されている。(音声記号はきちんと表示されているでしょうか?)

かつての彼女はone(ひとりだけ)
今の彼女はwan(やつれて青白い)

一度全体を読み通し、もう一度この詩を最初から
読み返してみる・・・・・・冒頭の "One face" の背後に
"Wan face" が重なって聞こえて、見えて、きませんか?

* * *

英文テクストは、Poems of Christina Rossetti,
ed. William M. Rossetti (London, 1904) より。
http://www.archive.org/details/
poemsofchristina00rossからダウンロード可。

* * *

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