goo

Keats, "On Visiting the Tomb of Burns"

ジョン・キーツ
「バーンズの墓を訪れた時に」

町、教会の墓、沈む太陽、
雲、あたりの木、丸い丘、これらすべてが
美しいのに、冷たい--どこかおかしい--まるで夢のなか、
むかしの夢、今はじまったばかりの
短命で青白い夏、
凍えて震える冬から逃げてきて、一時間だけぼんやり光る。
あたたかいサファイアの空、でも星ひとつない。
すべてが冷たく、美しい。痛い、いつだって、
ミノス王のように本当の美の姿を
見る者の心は。死んだ色--
人の病んだ想像力と傲慢で病んだ目が
青白く[投げかける]色--に染まっていない美の姿を! バーンズ!
ぼくはいつもあなたを称えてきたけど、今日だけ
許して、あなたの故郷の空を罵るのを。

*****
John Keats
"On Visiting the Tomb of Burns"

The town, the churchyard, and the setting sun,
The clouds, the trees, the rounded hills, all seem
Though beautiful, cold---strange---as in a dream,
I dreamed long ago, now new begun
The short-lived, paly summer is but won
From winter’s ague, for one hour’s gleam;
Through sapphire-warm, their stars do never beam,
All is cold beauty; pain is never done
For who has mind to relish Minos-wise,
The real of beauty, free from that dead hue
Sickly imagination and sick pride
[Cast] wan upon it! Burns! with honour due
I have oft honoured thee. Great shadow, hide
Thy face, I sin against thy native skies.

Keats, John. “On Visiting the Tomb of Burns.”
Mapping Keats’s Progress: A Critical Chronology, by
G. Kim Blank. Edition 3.10.1 , University of Victoria,
5 July 2021. https://johnkeats.uvic.ca/poem_on_visiting_the_tomb_of_burns.html.

キーツの手紙の写しのリプリントを見ながら、上のテクストを編集。
https://www.jstor.org/stable/30212532(Maxwell)

- [Cast] は研究者たちの推測。
- イタリア式ソネット(8 + 6 の区切りは前にずれている)。

*****
キーツにとってはボツ作品。
ロバート・バーンズの墓を見に行ってがっかりした、
というありきたりな内容を、キーツ的な語彙で妖しく美しく。

dead hue 「死んだ色」 ≒ 人が抱く妄想
sin against ≒ 冒涜する

美 ≒ ものの真の姿
想像力 ≒ 病、または傲慢
(ロマン派的な想像力賛美とは逆)

*****
学生の方など、自分の研究・発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者・タイトル・
URL・閲覧日など必要な事項を必ず記し、
剽窃行為のないようにしてください。

ウェブ上での引用などでしたら、リンクなどのみで
かまいません。

商用・盗用・悪用などはないようお願いします。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

John Keats, ("When I have fears that I may cease to be")

ジョン・キーツ
(「……もう死ぬんじゃないか、ってこわくなるんだ」)

……もう死ぬんじゃないか、ってこわくなるんだ、
頭のなかをペンで落穂拾いする前に、
まるで穀物でいっぱいの納屋みたいに
山積みの本がぼくの書いた字でいっぱいになる前に、ね。
……見えるんだ、星でいっぱいの夜空の顔に、
すばらしい騎士物語が、雲のようにぼやけた字で大きく書かれてるのが。
そして偶然なにかの魔法で、生きてるうちにそれを
なぞって書き写す、なんてことはもうできないのかな、とか思うんだ。
……それから、ね、思い知らされるんだ、一時間だけの恋人の
君のかわいい顔を見つめることももうできなくなる、
何も考えないでただ愛しあう、なんておとぎ話に浸ることも
もうできなくなる、なんて、ね。--そんなとき、頭のなかで、この広い世界の
いちばん端にひとりで立ちつくすんだ。そうすると、いろいろ考えてるうちに、
愛も名声も、みんな無の闇に沈んでいくんだ。

* * *
John Keats
("When I have fears that I may cease to be")

When I have fears that I may cease to be
Before my pen has glean’d my teeming brain,
Before high piled Books in charactery,
Hold like rich garners the full ripen’d grain―
When I behold, upon the night’s starr’d face,
Huge cloudy symbols of a high romance,
And think that I may never live to trace
Their shadows, with the magic hand of chance;
And when I feel, fair creature of an hour,
That I shall never look upon thee more,
Never have relish in the faery power
Of unreflecting Love;―then on the shore
Of the wide world I stand alone, and think
Till Love and Fame to nothingness do sink.

* * *
結核発症のだいぶ前、1818年1月の作品。

「一時間だけ・・・・・・」、というのは、
そのあいだだけお金で買ってて、ということ。
その女性に対して死を恐れる気持ちを語っている、
という設定。

* * *
英語テクストはLetters of John Keats to His Family
and Friends by John Keatsより。

http://www.gutenberg.org/files/35698/35698-h/35698-h.htm

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
してください。

ウェブ上での引用などでしたら、リンクなどのみで
かまいません。

商用、盗用、悪用などはないようお願いします。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Keats, "La Belle Dame sans Merci"

ジョン・キーツ (1795-1821)
「美しく、そして冷たい貴婦人」

鎧の騎士よ、どうしたのか?
ひとり、青ざめた顔で、なぜさまよう?
湖の草は枯れ、
歌う鳥もいないところで?

鎧の騎士よ、どうしたのか?
やつれきって、苦しみに満ちた顔をして?
収穫が終わり、
リスも木の実を蓄えたというのに?

百合のように白い君の額に、
痛みと熱の汗が浮かんでいる。
君の頬の薔薇色が、
あっという間に枯れていく。

牧場で、ある女性に会ったのです。
とても美しく、まるで妖精の子のようでした。
髪は長く、足は軽やかで、
人を惑わせる目をしていました。

ぼくは、花冠をつくってあげました。
腕輪や腰の帯も、です。
その人は、好き、といっているような目でぼくを見て、
かわいいうめき声をあげました。

ぼくは、その人を馬に乗せて歩きました。
他のものは目に入りませんでした。その日ずっとです。
その人は、ぼくのほうにからだを投げ出し、
妖精の歌を聞かせてくれました。

その人は、甘くおいしい根菜を見つけてくれました。
野のはちみつや、天からの恵みであるかのような露も、です。
そして、知らない国の言葉で、でしたが、間違いなくこういいました、
「あなたが好き、本当なの」。

その人は、自分が住むふしぎな洞窟に連れて行ってくれました。
そして涙を流し、ひどくため息をつき、悲しんでいました。
ぼくは、心魅かれるような、人を惑わせるような、その目を閉じてあげました。
四回キスをして、です。

その人は、ぼくをなでて眠らせてくれました。
そしてぼくは、夢を見ました。ああ! あの夢に災いあれ!
それこそ、ぼくが見た最後の夢なのです。
この冷たい丘で。

その夢には、青ざめた王たちが出てきました。王子たちも、です。
青ざめた戦士たちも出てきました。みんな死人のように青かった。
彼らは、こう叫んでいました、「美しくも冷たいあの貴婦人に、
君もとらえられてしまったのだ」、と。

彼らの飢えた唇が、薄あかりのなかに見えました。
恐ろしい警告を発しながら、大きく開いていました。
そうして目を覚ましたとき、ぼくはここにいました。
この冷たい丘に。

だから、ぼくはここにいるのです。
ひとり、青ざめた顔で、さまよっているのです。
湖の草は枯れ、
歌う鳥もいない、こんなところで・・・・・・。

* * *
John Keats
"La Belle Dame Sans Merci"

Oh what can ail thee Knight at arms
Alone and palely loitering?
The sedge has withered from the Lake
And no birds sing.

Oh what can ail thee Knight at arms
So haggard, and so woe begone?
The Squirrel's granary is full
And the harvest's done.

I see a lily on thy brow
With anguish moist and fever dew,
And on thy cheeks a fading rose
Fast withereth too.

I met a Lady in the Meads
Full beautiful, a faery's child,
Her hair was long, her foot was light
And her eyes were wild.

I made a garland for her head,
And bracelets too, and fragrant zone,
She look'd at me as she did love
And made sweet moan.

I set her on my pacing steed,
And nothing else saw all day long,
For sidelong would she bend and sing
A Faery's song.

She found me roots of relish sweet,
And honey wild and manna dew,
And sure in language strange she said
I love thee true.

She took me to her elfin grot,
And there she wept and sigh'd full sore,
And there I shut her wild, wild eyes
With kisses four.

And there she lulled me asleep,
And there I dream'd, Ah! Woe betide!
The latest dream I ever dreamt
On the cold hill side.

I saw pale Kings, and Princes too,
Pale warriors, death pale were they all;
They cried, La belle dame sans merci,
Thee hath in thrall.

I saw their starv'd lips in the gloam
With horrid warning gaped wide,
And I awoke, and found me here
On the cold hill's side.

And this is why I sojourn here
Alone and palely loitering;
Though the sedge is withered from the Lake
And no birds sing. . . .

* * *
「妖精の歌」のところと、「キス四回」のあたりは、
文字どおりの意味以上のことを読むとるべきでは。

* * *
英語テクストは次のURLのもの。
http://www.gutenberg.org/ebooks/23684

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
してください。

ウェブ上での引用などでしたら、リンクなどのみで
かまいません。

商用、盗用、悪用などはないようお願いします。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Keats, "Ode to a Nightingale"

ジョン・キーツ (1795-1821)
「オード--ナイティンゲールに--」

I.
心臓が痛い。ひどく眠くて、感覚すべてが
麻痺してしまっている。まるで毒ニンジンの薬を飲んだかのよう。
それかアヘンを飲みほしたかのよう。さっきから
何も感じない。レートーの川に沈んでいくような気分・・・・・・。
でも、幸せな君への妬みでこうなってるんじゃない。
幸せな君の声を聞いて、ぼくも幸せすぎるんだ。
君、軽やかな羽をもつ森の精の君が
歌っているから、どこか
ブナの緑のなか、数えきれない陰のなかで
歌っているからなんだ。夏の歌を、口を大きく広げて、でも力をふりしぼったりせずに。

II.
ああ、ワインが一口ほしい!
長いあいだ大地の奥深く寝かされていて冷えたワイン、
花々や緑の田園、ダンスやプロヴァンスの歌、
日に焼けた人々のパーティ、そんな味のワインがほしい!
あたたかい南ヨーロッパをカップいっぱいに、
本当に詩神の泉ヒッポクレーネーから噴き出したような、赤らんだ頬の色のワイン、
ふちのところで泡の粒がパチパチまばたきしているような、
飲んだら口が真っ赤に染まるような、そんなワインをカップいっぱいにほしいんだ。
それを飲んで、誰にも見られずにこの世を去って、
そして、消えるように、うす暗い森のなか、君といっしょに行きたいんだ。

III.
そう、遠くに、ゆっくり消えていき、そして完全に忘れてしまいたい。
木の葉のあいだにいる君には思いもつかないようなこと、
この世のけだるさ、興奮、動揺などを。
ここでは、みなうめき声をあげ、すわりこんでいる。
ここでは、からだが痙攣して麻痺していき、わずかに残った髪も悲しく灰色にゆれている。
ここでは、若者たちも色を失い、亡霊のように細くなり、そして死んでいく。
ここでは、何か考えるだけで悲しくなる、
絶望で目が鉛色になる。
ここでは、美しい人の輝く目が永遠につづかない。
そんな人に恋しても、その気持ちは一日ほどしかつづかない。

IV.
消えろ、この世なんて消えてしまえ。ぼくは君のところに飛んでいく。
ワインの力で--バッカスやその豹たちといっしょに--ではなく、
〈想像〉の見えない羽で飛んでいくんだ、
足をひっぱって邪魔をする鈍い思考なんてふりのけて。
ほら、もう君の世界についた! なんて静かな夜、
空の上では、月の女王様が玉座にいて、
たくさんの星の妖精たちにとりかこまれているのかも?
でも、そんな光もここには届かない。
ここにあるのは、そよ風にのって降ってくる明かりだけ。
緑の暗がり、曲がりくねった苔の道を通ってくる光だけ。

V.
足もとにはどんな花があるのかな。
やさしいにおい--どんな花が木々にぶらさがっているのかな。
香りに満ちた闇のなか、ひとつひとつの花をあててみる。
この一番いい季節に
草や、茂みや、野のくだものの木に咲く花を。
白いさんざし、牧場の野ばら、
葉につつまれたままあっという間に色あせるすみれ。
五月半ばに生まれて
これから咲く麝香ばら。その花はワインのようなしずくでいっぱいで、
夏の夕暮れには蜂たちが音をたててやってくるんだ。

VI.
闇のなか、耳をすまして君の声を聞く。そうしていると、幾度となく、
安らかな〈死〉と半分恋に落ちそうな気分になる。
幾度となく、詩のなかでそっと〈死〉の神の名を呼び、
ぼくの息を静かに空に引きとってくれるように頼んだり。
これまでなかったほど、今、死が豊かなものに感じられる。
真夜中に、痛みなくして、生きるのをやめる--
魂を注ぐように歌う君の声を聞きながら--
陶酔して歌う君の声を!
そして、君は歌いつづける。ぼくの耳にはもう何も聞こえない。
君がきれいな鎮魂歌を歌ってくれても、もう土に帰ってしまっているから。

VII.
不死の鳥! 君は生まれて、そして死に向かっていない。
飢えた時の流れも、君を踏みつぶしたりしない。
過ぎ去っていく今夜、ぼくが聞いている声は、かつて
古代の皇帝や農民が聞いたのと同じ。
たぶん、まったく同じ歌なんだ、
悲しむルツの心にしみたのも。故郷を思って、
泣きながら異国の畑に立っていたときに。
まったく同じ歌なんだ、
泡立つ荒海の上、お城の窓際でお姫さまがうっとりしながら聞くのも。
見捨てられて誰もいない妖精の国々で。

VIII.
「見捨てられ・・・・・・」! この言葉が鐘のように
鳴りひびいて、ぼくは君の世界から、ひとり、我に返る。
さよなら! 空想のだまし方はあまり上手じゃなかった。
いわれているほどじゃないね、嘘つきの妖精さん!
じゃあね! さよなら! 君の悲しみの喜びの歌が消えていく、
牧場を通って、静かな川の向こうへ、
丘の上のほうへ。もう、深く埋もれてしまった、
隣の谷の森のなかに。
幻? 白昼夢?
歌は消えた--ぼくは起きてる? これは夢?

* * *
John Keats
"Ode to a Nightingale"

I.
My heart aches, and a drowsy numbness pains
My sense, as though of hemlock I had drunk,
Or emptied some dull opiate to the drains
One minute past, and Lethe-wards had sunk.
'Tis not through envy of thy happy lot,
But being too happy in thine happiness, ―
That thou, light-winged Dryad of the trees,
In some melodious plot
Of beechen green, and shadows numberless,
Singest of summer in full-throated ease.

II.
O, for a draught of vintage! that hath been
Cool'd a long age in the deep-delved earth,
Tasting of Flora and the country green,
Dance, and Provencal song, and sunburnt mirth!
O for a beaker full of the warm south,
Full of the true, the blushful Hippocrene,
With beaded bubbles winking at the brim,
And purple-stained mouth;
That I might drink, and leave the world unseen,
And with thee fade away into the forest dim---

III.
Fade far away, dissolve, and quite forget
What thou among the leaves hast never known,
The weariness, the fever, and the fret
Here, where men sit and hear each other groan;
Where palsy shakes a few, sad, last gray hairs,
Where youth grows pale, and spectre-thin, and dies;
Where but to think is to be full of sorrow
And leaden-eyed despairs,
Where Beauty cannot keep her lustrous eyes,
Or new Love pine at them beyond to-morrow.

IV.
Away! away! for I will fly to thee,
Not charioted by Bacchus and his pards,
But on the viewless wings of Poesy,
Though the dull brain perplexes and retards.
Already with thee! tender is the night,
And haply the Queen-Moon- is on her throne,
Cluster'd around by all her starry Fays;
But here there is no light,
Save what from heaven is with the breezes blown
Through verdurous glooms and winding mossy ways.

V.
I cannot see what flowers are at my feet,
Nor what soft incense hangs upon the boughs,
But, in embalmed darkness, guess each sweet
Wherewith the seasonable month endows
The grass, the thicket, and the fruit-tree wild;
White hawthorn, and the pastoral eglantine;
Fast fading violets cover'd up in leaves;
And mid-May's eldest child,
The coming musk-rose, full of dewy wine,
The murmurous haunt of flies on summer eves.

VI.
Darkling I listen; and, for many a time
I have been half in love with easeful Death,
Call'd him soft names in many a mused rhyme,
To take into the air my quiet breath;
Now more than ever seems it rich to die,
To cease upon the midnight with no pain,
While thou art pouring forth thy soul abroad
In such an ecstasy!
Still wouldst thou sing, and I have ears in vain ―
To thy high requiem become a sod.

VII.
Thou wast not born for death, immortal Bird!
No hungry generations tread thee down;
The voice I hear this passing night was heard
In ancient days by emperor and clown:
Perhaps the self-same song that found a path
She stood in tears amid the alien corn;
The same that oft-times hath
Charm'd magic casements, opening on the foam
Of perilous seas, in faery lands forlorn.

VIII.
Forlorn! the very word is like a bell
To toll me back from thee to my sole self!
Adieu! the fancy cannot cheat so well
As she is fam'd to do, deceiving elf.
Adieu! adieu! thy plaintive anthem fades
Past the near meadows, over the still stream,
Up the hill-side; and now 'tis buried deep
In the next valley-glades:
Was it a vision, or a waking dream?
Fled is that music ― Do I wake or sleep?

* * *
(訳注)

君=ナイティンゲール(夜にきれいな声で鳴く鳥)

I.
冒頭4行は、古代ローマの詩人ホラティウスの
エポードXIVの冒頭4行を模倣・援用したものと思われる。
Horace, Complete Odes and Epodes, tr. David West
(Oxford, 1997) の英語訳にて参照。

III.
Or new Love [cannot] pine at them beyond to-morrow.
前の行の助動詞が略されている。[T]hemは "her lustrous eyes".

IV.
Bacchus
ワインの神。

Though the dull brain perplexes and retards [them].
このthemが指すのは "the viewless wings of Poesy".

Save what from heaven is with the breezes blown
= Save what is blown from heaven with the breezes

VI.
この詩全体のなかで、ここのdie-ecstasy, abroad-sodの
ところだけ脚韻が不完全。たぶん。思考がおかしく
なっていることを暗示?

VII.
最後二行はいろいろ意訳。たぶん、こういうこと。
(シェリーの「ヒバリ」にあるお城のお姫さまの描写と、
雰囲気は近いのでは。)

VIII.
deceiving elf
= Fancy: 嘘の、現実ではない想像(OED 3)。
(想像力に与えられる評価・格のようなものが、
スタンザ4のPoesyから下がっている。)

anthem
称賛や喜びの歌(OED 3)。

Past the near meadows. . . .
ナイティンゲールが飛んでいった道筋のこと。

* * *
英語テクストはThe poems of John Keatsより。
http://www.ota.ox.ac.uk/text/3259.html
ピリオド不足などを修正(IVまで)。足りない行を補足(III)。

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
してください。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

詩人のことば (9) --Keats on Imagination--

詩人の言葉 (9)
ジョン・キーツ (1795-1821)
(想像力について)

ぼくが確信しているのは、心動かす感情がもつ
神のような力と、想像力が真実・現実を生み出す
力だけです。想像力が美しいととらえたものは、
本当に美しいに違いありません--もともと存在
するものであろうと、そうでなかろうと、です。
愛など、ぼくたちを動かすすべての感情についても、
そう思っています。ぼくたちの感情はみな、それが
もっとも高まったとき、本質的に美しいもの、
美の本質ともいえるものを生み出すのです。
・・・・・・想像力は、アダムの夢[ミルトン、
『失楽園』8:452ff.]のようなものかもしれません。
夢を見て、そして目を覚ますと、それが現実に
なっている、というように。想像力が真実や現実を
つくると、ぼくは本当にそう思っています。というのも、
理性でいろいろ考えつづけても、ものごとが真に、
現実に、それら自身であると、本物であると、
確信できたことがありませんから--本物ということに
しておかなくてはならないのでしょうが。

* * *
John Keats
(On Imagination)

I am certain of nothing but of the
holiness of the Heart's affections,
and the truth of Imagination. What
the Imagination seizes as Beauty
must be truth---whether it existed
before or not,---for I have the same
idea of all our passions as of Love:
they are all, in their sublime,
creative of essential Beauty. . . .
The Imagination may be compared to
Adam's dream,---he awoke and found
it truth:---I am more zealous in
this affair, because I have never
yet been able to perceive how
anything can be known for truth by
consecutive reasoning---and yet it
must be.

* * *
ベンジャミン・ベイリーへの手紙より(1817/11/22)。

理性的な思考ではなく想像力によって生み出される
ものこそ真実、という内容。

以下のような他の箇所も参照。

ああ、思考ではなく、感覚的・感情的刺激に
満ちた生き方をしたいのです!
O for a life of Sensations rather than of Thoughts!

(こういうことを考えていいのは、実際にこういう
ことを考えるのは、多かれ少なかれ思考によって
生きることができる人だけ。)

想像力によって何かを生み出すことは、人として
生きることそのものです。想像力が生んだものに
ついて頭の中で思いをめぐらし、それによって
天国のいるかのような幸せが感じられるとしたら、
それは魂のレベルで生をくり返していることに、
つまり二倍以上生きていることになります。
Imagination and its empyreal reflection, is the same
as human life and its spiritual repetition.

(想像力によって生み出されたものにあふれている
今の社会を見たら、キーツはなんというだろう?)

* * *
(訳注)

この文章については、truthという語の訳し方が
ポイント。OEDで関係する定義は以下の通り。

4.
嘘をつかない、ということ。

5a.
事実に沿う、現実と一致する、ということ。

7.
本物・本当・真実・現実である、ということ、
実際に存在する、ということ。

11.
本物・真実・現実であるようなものごと。

12a.
事実。

12b.
それをあらわす概念・記号などにきちんと
対応するものごと。

the truth of Imagination
想像力が生み出すものは本物・真実である、
ということ(5a)。

What the Imagination seizes as Beauty must be truth
想像力が美ととらえるものは、本当に、真に、
事実として美しい(12b)。

whether it existed before or not
想像力によって生み出される以前に存在
するもの--普通の意味で実在するもの--
であれ、そうでないものであれ。

it must be
= it [i.e., anything] must be [known for truth by
consecutive reasoning]. (???)

* * *
「ギリシャの壷」の最後のフレーズ、Beauty is truth,
truth, beautyのtruthも、上記のような線でとらえる
べき--「美こそ真に存在するもの、真の意味で
存在するのは、美しいものだけ」。

* * *
英語テクストは、Letters of John Keats to
His Family and Friends, ed. Sidney
Colvin (1925) より。
http://www.gutenberg.org/ebooks/35698

(詩ではなく散文。改行は任意。)

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
してください。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Keats, "Ode on a Grecian Urn"

ジョン・キーツ (1795-1821)
「ギリシャの壺についてのオード」

1.
君は、いまだ犯されずに残る〈静寂〉の花嫁。
君は、〈沈黙〉とゆっくり流れる〈時間〉の養子。
森の物語を語る者、君は描く、
花いっぱいに飾られた物語を、ぼくたちの詩よりも甘く。
君のまわりで木の葉で縁どられているのは、どんな話?
神々の物語? 人間たちの? それとも両方?
舞台はテンペやアルカディアの谷だよね?
この人たちは誰? どんな神? せまられて嫌がっているこの女の子たちは誰?
誰が誰を狂ったように追ってる? どうして一生懸命逃げている?
笛を吹いているのは、太鼓をたたいているのは、誰? みんな、まさに無我夢中!

2.
音楽は美しい。でも聴こえない音楽は
もっと美しい。だから、笛は静かに鳴りつづけて。
耳に聴こえるようにではなく、もっときれいに、
音のない、心で聴く歌にあわせて鳴りつづけて。
木々の下のすてきな少年、君はずっと
歌いつづけ、この木々もずっと生い茂ったまま。
恋する男、君はけっして、けっして、キスすることができない、
あとほんの少しでできそうだけど--でも悲しまなくていい、
君の恋人は年をとらないから、君の手には入らなくても。
君はずっと愛しつづけ、この子もずっときれいなまま!

3.
ああ、幸せな木々! 葉を散らす
こともなく、春に別れを告げることもけっしてない。
幸せな笛吹き、君は、疲れることなく、
いつまでも新しい曲をいつまでも吹きつづける。
ずっと幸せな愛、この世のものよりずっと幸せな、幸せな愛!
いつでも、いつまでも、あたたかく、心楽しく、
いつでも、いつまでも、息を切らせていて、若々しく--
息をして生きているぼくたち人間の愛より、はるかにいい。
この世の愛は、幸せとともに悲しみももたらす。満たされると嫌になる。
はずかしさで燃えるように顔が赤くなり、舌がカラカラに渇く。

4.
いけにえの儀式に向かうこの人たちは誰?
どんな緑の祭壇に、誰とも知れぬ神の司祭よ、
あなたは導く、空に向かって鳴く牝牛の子を?
絹のようにきれいなその腹を花の輪で飾って?
川や海沿いのどんな小さな町が、
あるいは平和な要塞のある山のどんな町が、
この儀式の朝に空っぽになっているのだろう? この人々が出てきてしまってるのだから。
そんな小さな町よ、君の通りから人の声が聞こえることは、
もう永遠にない。もう誰ひとり帰らない、
君が廃墟のようになった理由を告げる者は。

5.
ああ、古代アテナイの壺! その美しい姿! まわりに
編みこまれているのは、大理石の男たち、女の子たち、
それから森の木々の枝や、足もとで踏まれている雑草。
沈黙したかたちである君、君を見ていると、思考が引き裂かれるよう。
まるで永遠を見ているかのよう。牧場、田園の冷たい歌!
ぼくたちの世代が年をとって滅んでも、
君は残る、ぼくたちと同じように悲しい
別の人たちのあいだに。そして、いうだろう、
美しいものだけが真実、真の意味で存在するのは美しいものだけ--人が
知っているのはこのことだけ、知るべきなのはこのことだけ。

* * *
John Keats
"Ode on a Grecian Urn"

1.
Thou still unravish'd bride of quietness,
Thou foster-child of silence and slow time,
Sylvan historian, who canst thus express
A flowery tale more sweetly than our rhyme:
What leaf-fring'd legend haunts about thy shape
Of deities or mortals, or of both,
In Tempe or the dales of Arcady?
What men or gods are these? What maidens loth?
What mad pursuit? What struggle to escape?
What pipes and timbrels? What wild ecstasy?10

2.
Heard melodies are sweet, but those unheard
Are sweeter; therefore, ye soft pipes, play on;
Not to the sensual ear, but, more endear'd,
Pipe to the spirit ditties of no tone:
Fair youth, beneath the trees, thou canst not leave
Thy song, nor ever can those trees be bare;
Bold Lover, never, never canst thou kiss,
Though winning near the goal―yet, do not grieve;
She cannot fade, though thou hast not thy bliss,
For ever wilt thou love, and she be fair!20

3.
Ah, happy, happy boughs! that cannot shed
Your leaves, nor ever bid the Spring adieu;
And, happy melodist, unwearied,
For ever piping songs for ever new;
More happy love! more happy, happy love!
For ever warm and still to be enjoy'd,
For ever panting, and for ever young;
All breathing human passion far above,
That leaves a heart high-sorrowful and cloy'd,
A burning forehead, and a parching tongue.30

4.
Who are these coming to the sacrifice?
To what green altar, O mysterious priest,
Lead'st thou that heifer lowing at the skies,
And all her silken flanks with garlands drest?
What little town by river or sea shore,
Or mountain-built with peaceful citadel,
Is emptied of this folk, this pious morn?
And, little town, thy streets for evermore
Will silent be; and not a soul to tell
Why thou art desolate, can e'er return.40

5.
O Attic shape! Fair attitude! with brede
Of marble men and maidens overwrought,
With forest branches and the trodden weed;
Thou, silent form, dost tease us out of thought
As doth eternity: Cold Pastoral!
When old age shall this generation waste,
Thou shalt remain, in midst of other woe
Than ours, a friend to man, to whom thou say'st,
Beauty is truth, truth beauty,―that is all
Ye know on earth, and all ye need to know.50

* * *
1
古代ギリシャにつくられた壺(=「君」)がこわれずに残っている
ということ。壺は何もいわない=〈静寂〉と結婚している。
[Q]uietnessは小文字のままだが、おそらくアレゴリー。

1 unravish'd
いろいろな意味が重ねられている。Ravish:
(女性を)強奪する(そして犯す)、死が人を連れ去る(OED 2a)。
地上から天国に連れ去る(OED 3a)。
略奪して奪い去る(OED 4a)。

2
壺が〈沈黙〉と〈時間〉によって育てられた
=何もいわないものとしての壺が2,000年近く保存されてきた。
[S]ilenceとtimeも小文字のままだが、おそらくアレゴリー。

3 historian
物語(story)を語る人(OED 2)。
古代ギリシャの物語だから、歴史historyという意味も
重なっている。

4 flowery
花の装飾がある(OED 5)(壺に)。
表現が華々しい(OED 6)(壺の絵の)。
花々のような(OED 3)(何が、ということなく全体の雰囲気として)。

5-7
主部:
What leaf-fring'd legend Of deities or mortals,
or of both, In Tempe or the dales of Arcady

述部:
haunts about thy shape?

7 Tempe
ギリシャの神々のいるオリュンポス山の近くの谷。

7 Arcady
理想的で楽園的な田園地域。羊・羊飼い・森の神パンがいたところ。

8 What maidens loth
構文は、What maidens [are these who are] loth
[to be seduced, etc.]?

12 soft
(音やメロディが)静かで心地よい(OED 3a)。
ここでは、壺に描かれた笛からは音が聞こえない(、でも聴こえる)
ということ。

14 to
・・・・・・にあわせて(OED, prep, etc., 15b)。

26 warm
(抱きしめあったり、キスしたりすることにより、
こころとからだが)あたたかい(OED 2d)。
愛に満ちてやさしい(OED 12a)。
性欲がある(OED 13)。

27
構文は、
far above All breathing human passion
前置詞がその目的語の後ろにくる構文は、ミルトンの「ラレグロ」
L'Allegro)52などに例がある。

29 high-
いろいろな意味が重ねられていて、あいまいだがニュアンスに富んでいる(と思う)。

形容詞として:
重大な、深刻な(OED 6b)。
豊かな、味わい深い(OED 8a)。
激しい、強い(OED 10a)。
陽気な、気分がもりあがっている(OED 16a)。
酒に酔っていて楽しい(OED 16b)。

副詞として:
とても、強く、高度に(OED 2a)。
豊かに、過度に(OED 2c)。

30 A burning forehead
額は、はずかしさで赤くなるところ(OED 2)。

30 a parching tongue
(おそらく)キスのしすぎで舌が渇いて痛い、ということ。

31-40
このスタンザから、壺の絵のなかに負のイメージの
ものを見るようになる、というところがポイント。

31 sacrifice
いけにえ。死をともなうので負のイメージ。
スタンザ1-3では、壺の絵のなかは死のない、
永遠の世界だった。

34 all her silken flanks with garlands drest
絹とか花とか、いけにえの儀式の前の描写がきれいで
具体的であるほど、その後におこることとが想起され、
両者間の対比が際立つ。

その後におこること:
いけにえの牛のお腹が切られ、内臓がとり出されて焼かれる。
(このときの煙のようすを見て、神がこのいけにえをよろこんで
受けとったかどうかを判断する。)

もちろん、血が流れ、死をともなうので負のイメージ。

いけにえの儀式については、さしあたり大英博物館の
次のページを参照:
http://www.ancientgreece.co.uk/gods/story/sto_set.html

37-40
町が空っぽ、廃墟のよう、というのも当然、負のイメージ。
しかも、永遠に町に人がいない、というのは、壺の絵が
いけにえの儀式の場面で永遠に固定しているからおこること。

つまり、スタンザ1-3の木々や歌や恋愛の描写でたたえられていた
壺の絵の永遠の世界が、ここではマイナス面をもつもの
として表現されている。

41-42
構文は、overwrought with brede Of marble
men and maidens.

41
Attic, attitudeという語の選択は頭韻のためのもの。
([A]ttitude = 絵などに描かれた人の姿勢、という語を、
若干強引に壺全体のかたちにあてている。)

42 marble men and maidens
大理石の男・女の子については、たとえばミロのヴィーナスや
ダビデ像など、古代の白い彫刻を想像すると、雰囲気が
よくわかる。きれいだけど、色がなく、かたく、冷たい感じ。
瞳がなく、生気がない。もちろん、生きていない。
(OED 7bも参照。「白く、かたく、冷たい」。)

43 branches
ポイントは、スタンザ3にある語boughより、branchesのほうが
小さい枝をあらわすこと(OED branch, n1)。スタンザ1-3より、
壺の絵の世界の価値が下がっている。

43 trodden weed
ポイントは、スタンザ1のflowery, leaf-fring'd,
スタンザ3のleavesより、ランクが下がっていること。
美しくない草、雑草。しかも、踏みつけられている。
つまり、スタンザ1-3より、壺の絵の世界の価値が下がっている。

44 tease
・・・・・・の繊維をわける、引き離す(くしなどで)(OED 1a)。
小さな、しかし継続的なかたちで、困らせる、悩ませる(OED 2a)。

キーツの別の詩「J・H・レイノルズに」でも、同様にtease us
out of thoughtといっており、そこでは、「思考や想像力が
みずからの限界を超えつつそのなかにおさまっている、というような、
どっちつかずの、ある種煉獄的な、なんともいえない状態」を
あらわしている。

45 Cold
ポイントは、スタンザ3までは、壺の絵の世界は熱い、
あたたかい、ものだったこと。スタンザ1で狂ったように
女の子を追いかけ、我を忘れて楽器を鳴らし、スタンザ2-3で
永遠に幸せな恋をして、興奮して息を切らしていて、
またスタンザ3でいうように、いつまでも春で。
それが、スタンザ5では冷たく見える、と。

以上、スタンザ4-5において壺のなかの永遠の世界への
憧れが醒めていった後に、もう一度スタンザ1で
描写された絵を見てみる。神か人間かわからない
男たちに、狂ったように追いかけられている女の子たちは、
永遠にそのままでいたいと思うだろうか?
(フェリス生AK, 201301エッセイ)

49-50
いろいろな編者が、引用符で壺の言葉がどこからどこまでかを
示してきているが、オリジナルのもの(Annals of the Fine
Arts 4 [1820])やそれ以前の手稿には引用符がないので、
それを尊重すべきと思う。

Annalsはここに。
http://books.google.co.jp/books?hl=ja&output=text&
id=hV8tAAAAMAAJ

壺の言葉は、最後のknowまでと解釈。Thouとyeの使い分けや、
最後だけこの詩の「ぼく」Iが読者に話しかける、という考えの不自然さ
などから。

加えて、この「美は真理で、真理は美」という壺の言葉を、
この詩全体の内容、つまり、冷たく凍ったかたちで永遠に生きる
ほうがいいか、あるいは遠からずはかなく滅ぶことになっているにしろ、
また幸せがあってもすぐに色あせてしまうにしろ、現実の生を
生きるほうがいいか、という問いに結びつけなくてもいいと思う。

キーツの手紙などから見て、「美は真理で、真理は美」というのは
彼がもともともっていた考えで、ギリシャの壺に関する思考の
論理的帰結として必然的に導かれるものではなさそうだから。
(これらの手紙について、いつか追記。)

「美は真理で、真理は美」という命題と、死と永遠の問題が、
なんとなくつながっているような、でもつながっていないような、
そんなあいまいさがあるから、逆にこの詩は生きている。

死と永遠について思考を刺激して結論を出さず、
さらに、美と真理という、また別の結論の出ない問いを
投げかける・・・・・・。

永遠がいい、とか、現世がいい、という二者択一的で、
道徳的に明白すぎる結末だったら、読者が限定されて
しまったはず。

* * *
考えてみる。実際、壺の絵や大理石のようにかたまって
永遠に生きるほうがいいか、あるいはこの世で(それなりに)
熱く生きて、死んでいくほうがいいか。

キーツのように、23-24歳で、結核にかかっていて、
遠からず死ぬことがわかっていたら? 恋人がいても
一緒になれないことがわかっていたら?

(この詩が書かれたのは1819年。結核の発症は1820年の
はじめだが、1819年を通じてキーツは、体調がおかしい
ことを自覚していた。)

「薄幸の詩人」というようなキーツのイメージは、あまり
正しくない、ともいうが。

* * *
・・・・・・以上のように読んできた上で、ちょっと
冷静に、詩から離れて考えてみる。そもそも壺やそこに
描かれた絵は本当に永遠か?

明らかにちがう。落としたら、ハンマーなどで
たたいたら、かんたんに割れて粉々になり、
ただの陶器のかけらになる。

そのような、人が考えるような「永遠」の虚構性、
嘘、はかなさのようなものなども視野に入れて、
この詩は書かれているのでは?
(フェリス生YY, 201301エッセイ)

* * *
ドラマティックな構成--この詩は、音のない
状態(1-2行のquietness, silence)からはじまり、
壺の絵のなかの歌、音楽が鳴り響き、そして
沈黙(44行目のsilent form)で終わる。

歌、音楽の描写は、壺の絵の世界の魅惑に対応。

「ぼく」がそちらに惹かれているあいだのみ
歌と音楽が聞こえている。意識が醒めてきて
現実に帰ってくると、もう音は聞こえない。

* * *
英文テクストは、Keats, Keats: Poems Published
in 1820, ed. M. Robertson (Oxford, 1909) より。
http://www.gutenberg.org/ebooks/23684
(一部修正)

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を参照する際には、
このサイトの作者、タイトル、URL, 閲覧日など必要な事項を必ず記し、
剽窃行為のないようにしてください。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Keats, "To Autumn" (Comp.)

ジョン・キーツ (1795-1821)
「秋に」

〈秋〉--君は、霧と、甘く熟した果実の季節、
恵みの太陽の心の友。
君は太陽とたくらむ、藁ぶき屋根の軒下をつたう
ブドウの実を、どれくらい重く実らせようか--
小さな家の脇、コケに覆われた木々を、どれくらいリンゴでしならせようか--
果実の芯の芯まで、どれくらい熟れさせようか--
ヒョウタンや、ヘーゼル・ナッツの殻を、どれくらいふくらませようか、
その中の実はおいしくて--そしてどれくらい、さらに咲かせようか、
さらにさらに咲かせようか、ハチたちのために遅咲きの花を--
するとハチたちは、あたたかい日々がずっとつづくと思いこむだろう、
夏が過ぎても、ねっとりした蜜が巣からあふれているから。
(ll. 1-11)

収穫されたもののなかによくいる君を、見たことない人がいるだろうか?
探しに行けば、君は必ず見つかる。
たとえば、納屋の床に何気なくすわって、
もみがらを飛ばす風に、やさしく髪をなびかせていたり。
畑の列の途中で眠りこけていたり。
ケシの香りに酔ってしまい、鎌の次のひと振りで、
作物を、からみつく花ごと刈りとることも忘れて。
またあるときには、落穂拾いをする人のように、
作物をのせた頭を支えつつ小川をわたっていたり。
あるいは、リンゴしぼりのところで、辛抱強く、
何時間も何時間も、最後までリンゴがしぼられるのを見ていたり。
(ll. 12-22)

〈春〉の歌はどこにある?そう、それはどこへ行った?
いや、忘れよう。君には君の音楽がある。
雲を通る夕日の筋が、静かに死にゆく一日に花を添え、
刈り株の広がる畑をバラ色に染める。
そんなとき、小さなブユの悲しげな合唱団が歌い、嘆く、
柳の枝のあいだで。柳は川辺で高く舞い、あるいは沈む、
穏やかな風が生まれ、死ぬのにあわせて。
丸々育った子羊の大きな鳴き声が丘のほうから聞こえ、
垣根の下でコオロギが歌う。今、やさしい高音にのって
コマドリの口笛が庭の畑から聞こえてくる。
空に集うツバメも軽やかに鳴いている。
(ll. 23-33)

* * *

John Keats
"To Autumn"

Season of mists and mellow fruitfulness,
Close bosom-friend of the maturing sun;
Conspiring with him how to load and bless
With fruit the vines that round the thatch-eves run;
To bend with apples the moss'd cottage-trees,
And fill all fruit with ripeness to the core;
To swell the gourd, and plump the hazel shells
With a sweet kernel; to set budding more,
And still more, later flowers for the bees,
Until they think warm days will never cease,
For Summer has o'er-brimm'd their clammy cells.
(ll. 1-11)

Who hath not seen thee oft amid thy store?
Sometimes whoever seeks abroad may find
Thee sitting careless on a granary floor,
Thy hair soft-lifted by the winnowing wind;
Or on a half-reap'd furrow sound asleep,
Drows'd with the fume of poppies, while thy hook
Spares the next swath and all its twined flowers:
And sometimes like a gleaner thou dost keep
Steady thy laden head across a brook;
Or by a cyder-press, with patient look,
Thou watchest the last oozings hours by hours.
(ll. 12-22)

Where are the songs of Spring? Ay, where are they?
Think not of them, thou hast thy music too,―
While barred clouds bloom the soft-dying day,
And touch the stubble-plains with rosy hue;
Then in a wailful choir the small gnats mourn
Among the river sallows, borne aloft
Or sinking as the light wind lives or dies;
And full-grown lambs loud bleat from hilly bourn;
Hedge-crickets sing; and now with treble soft
The red-breast whistles from a garden-croft;
And gathering swallows twitter in the skies.
(ll. 23-33)

* * *

以下、訳注。

タイトル
「(擬人化された)秋に(対して歌う)」ということ。
英語の詩のタイトルによくある "To. . . . " は
みなこのパターンで、「(詩人/わたしが)・・・・・・に(対して歌う)」
という意味。

1-11
1行目の "Season. . . fruitfulness" と
2行目の"Close . . . sun" は、どちらも「秋」を
いいかえた表現。このようにいって(擬人化された)「秋」に
対して呼びかけている。そして、3-11行目でそんな秋のようすを
具体的に描写。

3 bliss
贈りものをしてよろこばせる(OED 7b)

5 cottage
(自営ではない)農民などが住む小さな家(OED 1)。

By Joseph Mischyshyn
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rathbaun_Farm_-_
200_year_old_thatched-roof_cottage_-_geograph.org.uk_-_
1632126.jpg
(200年前、ちょうどキーツの生きていた頃のもの。
アイルランド。屋根は藁ぶき。)

7 hazel

By Fir0002
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hazelnuts.jpg
(ふくらんでる・・・・・・。)

12- thee
第一スタンザに引きつづき、「秋」が擬人化され、
「君」と呼びかけられて、描写されている。
15行目で長い髪が想定されていることから、
「秋」は女性。

英文テクストを使用した1900年版の全集には
巻頭にこんな絵が。

(いろいろ誤解があるような気がする。)

14 granary

By Derek Harper
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Tetcott_granary_-_geograph.org.uk_-_606575.jpg

17 poppies
畑に生えるのはヒナゲシ(英語では、field poppy,
corn poppyなどと呼ばれる)だが、文学作品のなかでは
しばしばアヘン用のケシ(opium poppy)と混同される。
(マイナーな詩人だが、Francis Thompsonの "To Monica"
など参照。)

Field poppy

By Fornax
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Papaver_rhoeas_eF.jpg

Opium poppy

By Zyance
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Mohn_z10.jpg

19-20
ニコラ・プッサン(プーサンとも)の絵「秋」が
この二行の背後にあるといわれる(Ian Jack,
Keats and the Mirror of Art, 1967)。


http://www.nicolaspoussin.org/
Autumn-1660-64-large.html
右のほうで頭に作物をのせてあちらを向き、
その向こうの川の流れを見ている女性が、
この二行の「秋」の描写につながる、とのこと。

21 cider-press

By Man vyi
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Cider_press_in_Jersey.jpg

25-
引きつづき、君=擬人化された〈秋〉への呼びかけから
第三スタンザがはじまる。

25 barred clouds
雲のあいだから差す光が棒状になっていて・・・・・・などという
説明より、画像のほうがわかりやすい。


By Spiralz
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Crepuscular_rays_with_clouds_and_high_contrast_fg_FL.jpg


By Fir0002/Flagstaffotos
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Crepuscular_ray_sunset_from_telstra_tower.jpg
次のライセンスにて。
http://commons.wikimedia.org/wiki/Commons:
GNU_Free_Documentation_License_1.2

ただの秋の夕暮れの風景と見てもいいが、おそらく、
「ヤコブのはしご」的なイメージとして用いられているのかと。
つまり、ここを死者が天に昇っていく・・・・・・というような。
(実際の聖書中の「ヤコブのはしご」を昇り降りするのは天使。)

25 the soft-dying day
今日が「静かに死んでいく」・・・・・・もちろん、夕暮れのこと。
あえてdyingということばを使っているところがポイント。
他の描写も死の暗示として読め、というサイン。

26 stubble-plains
刈り株の広がる平らな土地(畑)

By Andrew Smith
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Farmland,_Lockinge_-_geograph.org.uk_-_938209.jpg

ただの秋の夕暮れの風景と見てもいいが、おそらく聖書における
「刈り株」stubbleの比喩を思い出すべき。

---
神の怒りがエジプト人を刈り株のように焼き尽くした。
(出エジプト記15:7)

悪人が風の前の刈り株のように吹き飛ばされることがあるか。
(ヨブ記21:18)

あなた(神)の敵を、風の前の刈り株のようにしてください。
(詩篇83:13)

地上の王たちは、刈り株のようにつむじ風に巻きこまれて消える。
(イザヤ記41:24)

見よ、占星術師(?)は刈り株のように炎に焼き尽くされる。
(イザヤ記47:14)
---

また、「刈り株」は第二スタンザの「鎌hookで刈りとる」という
イメージにもつながる。つまり、鎌で麦などを刈りとる ≒ 死神が
鎌で人間を刈りとる。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Drick_ur_ditt_glas.jpg
18世紀のものとのこと。

26 rosy
夕陽の色、炎の色(上記、聖書からの引用参照)、血の色・・・・・・。

29 the light wind lives or dies
風が生まれたり死んだり・・・・・・もちろん、風が吹いたりやんだり、
ということ。25行目と同様、あえてdieということばを使っているところが
ポイント。他の描写も死の暗示として読め、というサイン。

30 full-grown lambs
丸々太った子羊は・・・・・・もちろん、殺されて食卓へ。
加えて、子羊 = 神の子羊 = イエス・キリスト = 殺される。

33 swallows
集まったツバメはどこかに行ってしまう(渡り鳥だから)、
というところがポイント。

(また追記します。コオロギ、コマドリにも死のイメージが。)

* * *

以下、全体を要約。

第一スタンザは、「実り」という秋の側面を描く。
やや甘ったるく感じるほど豊かな言葉で。

第二スタンザでは、実りをあらわす表現のなかに、
少しずつ陰のある言葉が散りばめられてくる。
[D]rowse, poppy, hook, swath (flowers), lastなど。

第三スタンザは、表面的に秋の風景や音を描きつつ、
その裏で一貫して、執拗なまでに、暗示的なことばで「死」を描く。
死について、語らずに語る。

そもそも秋とはどんな季節?--恵みの季節、
収穫の季節であると同時に、冬の直前。

その冬とは、花が散り、草木が枯れ、虫たちが死に、動物も眠り、
あたり一面が雪に覆われたりもする、いわば死の季節。

第三スタンザは、そんな冬=死の直前の風景/心象風景を描く。

そして、特に印象的なのは、一貫して象徴的な言葉を
用いているため、死に関する叙情性/感傷性がまったく、
あるいは必要以上に、感じられないこと。

下記のように、死とは、キーツ本人にとってもっとも身近な
ものであったはずなのに、それがまるで他人ごとであるかのように。

* * *

1818年12月
弟トムが結核で死去。彼の看病をしていたキーツには
それ以前に結核がうつっていたと思われる。

1819年
一年を通じてキーツは体調不良を訴える。

1819年9月
「秋に」が書かれる。

1820年2月
結核発症。

1820年 秋以降
療養のためにイタリアにわたるが、医師の誤診なども
あってかなり苦しむ。錯乱状態のなか、「アヘンをよこせ!」
(痛み止めとして)とわめいた、などのエピソードが残っている。
(そういわれた友人は、これを与えなかった。)

1821年2月
キーツ死去。死後の解剖では、「肺がほぼ完全に
破壊されていた」とのこと。

* * *

後日、情報の出典など、少しずつ追記していきます。

* * *

英文テクストは、Keats, Keats: Poems Published
in 1820
, ed. M. Robertson (Oxford, 1909) より。
<http://www.gutenberg.org/files/23684/23684-h/23684-h.htm>

* * *

学生の方など、自分の研究/発表のために上記を参照する際には、
このサイトの作者、タイトル、URL, 閲覧日など必要な事項を必ず記し、
剽窃行為のないようにしてください。

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Keats, ("In drear-nighted December")

ジョン・キーツ (1795-1821)
(「わびしく、夜のように暗い十二月」)

I.
わびしく、夜のように暗い十二月の
幸せな木、幸せすぎる木よ。
おまえの枝はけっして覚えていない、
緑色だったころの幸せを。
それらは枯れて落ちない、
みぞれまじりの北風が音を立てて通りすぎても。
雪どけ水はまた凍り、おまえの枝も固まって、
春に芽を出すことなど思い出さない。

II.
わびしく、夜のように暗い十二月の
幸せな川、幸せすぎる川よ。
おまえに浮かぶ泡はけっして覚えていない。
夏のアポローンのまなざしを。
心地よい忘却のなか、それらは水晶のように凍り、
過去についてなどくよくよしない。
けっして、絶対に、文句をいわない、
凍える季節に対して。

III.
ああ、そうだったらいいのに、
心やさしい女の子や男の子、みんなにとって。
だが、そんな人はいただろうか?
過ぎ去った幸せに、身をよじるほどの痛みを感じない人は?
その痛みを感じないという感じ、
それをいやすものはなく、
鉄のように感覚を麻痺させることもできない、
そんな痛みを感じないという感覚を、歌った人はいない。

* * *
John Keats
("In drear-nighted December")

I.
In drear-nighted December,
Too happy, happy tree,
Thy branches ne'er remember
Their green felicity:
The north cannot undo them,
With a sleety whistle through them;
Nor frozen thawings glue them
From budding at the prime.

II.
In drear-nighted December,
Too happy, happy brook,
Thy bubblings ne'er remember
Apollo's summer look;
But with a sweet forgetting,
They stay their crystal fretting,
Never, never petting
About the frozen time.

III.
Ah! would 'twere so with many
A gentle girl and boy!
But were there ever any
Writh'd not of passed joy?
The feel of not to feel it,
When there is none to heal it,
Nor numbed sense to steel it,
Was never said in rhyme.

* * *
以下、訳注と解釈例。

5 undo
多義的な表現。(下のgentleも参照)。
服を脱がす(OED 3b)、元に戻す(OED 7a, 7b)、
破壊する(OED 8)。

7 Nor
= Or (OED 4)。

8 From
なんらかの状態、状況、行為が奪われること、そこから
切り離されること、解放されることをあらわす(OED 6b)。
"Prevent (人/もの) from -ing" といういい方などのfrom.

8 budding
芽を出すこと。過去のものか、これからのものか、あいまい。

8 prime
春(OED 7)。

12 Apollo's summer look
Apolloはギリシャ神話の太陽神アポローン。太陽のこと。
そのsummer lookとは、夏の太陽の光。

14 stay
止める(OED III)。

15 crystal
川の水が水晶のように透きとおり、また水晶のように
凍っているようすをあらわす。

18 gentle
やわらかい、しなやかな(木の枝; OED 5)--第1スタンザにつながる。
静かに流れる(川; OED 6b)--第2スタンザにつながる。
もともと「高貴な生まれの」という意味の言葉だが、ここでは
この意味は無関係。

24
つまり、そのようなもの(過ぎ去った幸せを思い出して
苦しまない、ということ)はありえない、ということ。

* * *
全体の要約:

I.
枯れてしまった冬の木は、夏、緑色に生い茂っていたときのことを
覚えていない。

II.
凍った冬の川は、夏、太陽に照らされて流れていたときのことを
覚えていない。

III.
しかし、幸せを失った人は、幸せだったときのことを忘れられない。

* * *

By Stanley Howe
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Frozen_river_bank_-_geograph.org.uk_-_1640260.jpg

* * *
この詩のポイントは、第1-2スタンザで、過去の幸せを覚えていない
木や川を「幸せすぎる!」といっているが、本当にそれは幸せか?
という疑問が残ること。

満たされていない状態にあって、満たされていた過去を
思い出すことはつらいことかもしれないが、満たされていない状態のなか、
凍った木の枝や川のように心を凍らせてしまうというのは、どうなのか?

鉄のように心を麻痺させて生きるということは可能か?
可能であったとしても、それは幸せなことか?

("[D]rear-nighted December" というフレーズから、
答えはノーであることが明らか。)

このような、ものごとを両面からみるような思考のスタイルが、
「ギリシャ壺」や「ナイチンゲール」に引きつがれることになる。

「ギリシャ壺」
古代の壺に描かれた永遠と、いずれ老いて滅びる人間の世界、
どっちが幸せ?

「ナイチンゲール」
酒、アヘン、芸術などによる陶酔とシラフの状態、
どっちが幸せ?

* * *
リズムと形式について。



リズムはストレス・ミーター(四拍子)。各行とも、ビート三つに
言葉がのっている。脚韻パターンはababcccdで、aとcのところは
女性韻、またdのところは三スタンザ共通(prime/time/rhyme)。

---
ふつうの脚韻(男性韻):
行末の母音(+子音)が同じ音。この母音にはストレスあり。

女性韻:
行末の母音(+子音)+母音(+子音)が同じ音。
最初の母音にはストレスあり、あとのものにはストレスなし。
Dec-ember/rem-emberとか、und-o them/thr-ough themとか。
---

この詩形/リズムは、Drydenの劇 The Spanish Fryar
挿入された歌("Farewell ungratefull Traytor")から借りたもの。
(このドライデンの詩は、20111210の記事に。)

* * *
英文テクストは、Project Gutenberg Consortia Centerのもの。
http://ebooks.gutenberg.us/Alex_Collection/
keats-stanzas-503.htm

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を参照する際には、
このサイトの作者、タイトル、URL, 閲覧日など必要な事項を必ず記し、
剽窃行為のないようにしてください。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Keats, "To Autumn" (3)

ジョン・キーツ (1795-1821)
「秋に」 (3)

〈春〉の歌はどこにある?そう、それはどこへ行った?
いや、忘れよう。君には君の音楽がある。
雲を通る夕日の筋が、静かに死にゆく一日に花を添え、
刈り株の広がる畑をバラ色に染める。
そんなとき、小さなブユの悲しげな合唱団が、歌い、嘆く--
川辺の柳のあいだで、高く飛び、
あるいは低く沈みつつ--穏やかな風が生まれ、死ぬのにあわせて。
丸々育った子羊の大きな鳴き声が丘のほうから聞こえ、
垣根の下でコオロギが歌う。今、やさしい高音にのって
コマドリの口笛が庭の畑から聞こえてくる。
空に集うツバメも軽やかに鳴いている。
(23-33)

* * *

John Keats
"To Autumn" (3)

Where are the songs of Spring? Ay, where are they?
Think not of them, thou hast thy music too,―
While barred clouds bloom the soft-dying day,
And touch the stubble-plains with rosy hue;
Then in a wailful choir the small gnats mourn
Among the river sallows, borne aloft
Or sinking as the light wind lives or dies;
And full-grown lambs loud bleat from hilly bourn;
Hedge-crickets sing; and now with treble soft
The red-breast whistles from a garden-croft;
And gathering swallows twitter in the skies.
(23-33)

* * *

訳注と解釈例。

25-
引きつづき、君=擬人化された〈秋〉への呼びかけからはじまる。

25 barred clouds
雲のあいだから差す光が棒状になっていて・・・・・・などという
説明より、画像のほうがわかりやすい。


By Spiralz
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Crepuscular_rays_with_clouds_and_high_contrast_fg_FL.jpg


By Fir0002/Flagstaffotos
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Crepuscular_ray_sunset_from_telstra_tower.jpg
次のライセンスにて。
http://commons.wikimedia.org/wiki/Commons:
GNU_Free_Documentation_License_1.2

ただの秋の夕暮れの風景と見てもいいが、おそらく、
「ヤコブのはしご」的なイメージとして用いられているのかと。
つまり、ここを死者が天に昇っていく・・・・・・というような。
(実際の聖書中の「ヤコブのはしご」を昇り降りするのは天使。)

25 the soft-dying day
今日が「静かに死んでいく」・・・・・・もちろん、夕暮れのこと。
あえてdyingということばを使っているところがポイント。
他の描写も死の暗示として読め、というサイン。

26 stubble-plains
刈り株の広がる平らな土地(畑)

By Andrew Smith
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Farmland,_Lockinge_-_geograph.org.uk_-_938209.jpg

ただの秋の夕暮れの風景と見てもいいが、おそらく聖書における
「刈り株」stubbleの比喩を思い出すべき。

---
神の怒りがエジプト人を刈り株のように焼き尽くした。
(出エジプト記15:7)

悪人が風の前の刈り株のように吹き飛ばされることがあるか。
(ヨブ記21:18)

あなた(神)の敵を、風の前の刈り株のようにしてください。
(詩篇83:13)

地上の王たちは、刈り株のようにつむじ風に巻きこまれて消える。
(イザヤ記41:24)

見よ、占星術師(?)は刈り株のように炎に焼き尽くされる。
(イザヤ記47:14)
---

また、「刈り株」は第二スタンザの「鎌hookで刈りとる」という
イメージにもつながる。つまり、鎌で麦などを刈りとる ≒ 死神が
鎌で人間を刈りとる。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Drick_ur_ditt_glas.jpg
18世紀のものとのこと。

26 rosy
夕陽の色、炎の色(上記、聖書からの引用参照)、血の色・・・・・・。

29 the light wind lives or dies
風が生まれたり死んだり・・・・・・もちろん、風が吹いたりやんだり、
ということ。25行目と同様、あえてdieということばを使っているところが
ポイント。他の描写も死の暗示として読め、というサイン。

30 full-grown lambs
丸々太った子羊は・・・・・・もちろん、殺されて食卓へ。
加えて、子羊 = 神の子羊 = イエス・キリスト = 殺される。

33 swallows
集まったツバメはどこかに行ってしまう(渡り鳥だから)、
というところがポイント。

(また追記します。コオロギ、コマドリにも死のイメージが。)

* * *

以上、この最終スタンザは、表面的に秋の風景や音を描きつつ、
その裏で一貫して、執拗なまでに、暗示的なことばで「死」を描く。
死について、語らずに語る。

そもそも秋とはどんな季節?--恵みの季節、
収穫の季節であると同時に、冬の直前。

その冬とは、花が散り、草木が枯れ、虫たちが死に、動物も眠り、
あたり一面が雪に覆われたりもする、いわば死の季節。

この詩は、そんな冬=死の直前の風景/心象風景を描く。

そして、特に印象的なのは、一貫して象徴的な言葉を
用いているため、死に関する叙情性/感傷性がまったく、
あるいは必要以上に、感じられないこと。

下記のように、死とは、キーツ本人にとってもっとも身近な
ものであったはずなのに、それがまるで他人ごとであるかのように。

* * *

1818年12月
弟トムが結核で死去。彼の看病をしていたキーツには
それ以前に結核がうつっていたと思われる。

1819年
一年を通じてキーツは体調不良を訴える。

1819年9月
「秋に」が書かれる。

1820年2月
結核発症。

1820年 秋以降
療養のためにイタリアにわたるが、医師の誤診なども
あってかなり苦しむ。錯乱状態のなか、「アヘンをよこせ!」
(痛み止めとして)とわめいた、などのエピソードが残っている。
(そういわれた友人は、これを与えなかった。)

1821年2月
キーツ死去。死後の解剖では、「肺がほぼ完全に
破壊されていた」とのこと。

* * *

後日、情報の出典など、少しずつ追記していきます。

* * *

英文テクストは、Keats, Keats: Poems Published
in 1820
, ed. M. Robertson (Oxford, 1909) より。
<http://www.gutenberg.org/files/23684/23684-h/23684-h.htm>

* * *

学生の方など、自分の研究/発表のために上記を参照する際には、
このサイトのタイトル、URL, 閲覧日など必要な事項を必ず記し、
剽窃行為のないようにしてください。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Keats, "To Autumn" (2)

ジョン・キーツ (1795-1821)
「秋に」 (2)

収穫されたもののなかによくいる君を、見たことない人がいるだろうか?
探しに行けば、君は必ず見つかる。
たとえば、納屋の床に何気なくすわって、
もみがらを飛ばす風に、やさしく髪をなびかせていたり。
畑の列の途中で眠りこけていたり。
ケシの香りに酔ってしまい、鎌の次のひと振りで、
作物を、からみつく花ごと刈りとることも忘れて。
またあるときには、落穂拾いをする人のように、
作物をのせた頭を支えつつ小川をわたっていたり。
あるいは、リンゴしぼりのところで、辛抱強く、
何時間も何時間も、最後までリンゴがしぼられるのを見ていたり。
(ll. 12-22)

* * *

John Keats
"To Autumn" (2)

Who hath not seen thee oft amid thy store?
Sometimes whoever seeks abroad may find
Thee sitting careless on a granary floor,
Thy hair soft-lifted by the winnowing wind;
Or on a half-reap'd furrow sound asleep,
Drows'd with the fume of poppies, while thy hook
Spares the next swath and all its twined flowers:
And sometimes like a gleaner thou dost keep
Steady thy laden head across a brook;
Or by a cyder-press, with patient look,
Thou watchest the last oozings hours by hours.
(ll. 12-22)

* * *

以下、訳注。

12- thee
第一スタンザに引きつづき、「秋」が擬人化され、
「君」と呼びかけられて、描写されている。
15行目で長い髪が想定されていることから、
「秋」は女性。

英文テクストを使用した1900年版の全集には
巻頭にこんな絵が。

(いろいろ誤解があるような気がする。)

14 granary

By Derek Harper
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Tetcott_granary_-_geograph.org.uk_-_606575.jpg

17 poppies
畑に生えるのはヒナゲシ(英語では、field poppy,
corn poppyなどと呼ばれる)だが、文学作品のなかでは
しばしばアヘン用のケシ(opium poppy)と混同される。
(マイナーな詩人だが、Francis Thompsonの "To Monica"
など参照。)

Field poppy

By Fornax
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Papaver_rhoeas_eF.jpg

Opium poppy

By Zyance
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Mohn_z10.jpg

19-20
ニコラ・プッサン(プーサンとも)の絵「秋」が
この二行の背後にあるといわれる(Ian Jack,
Keats and the Mirror of Art, 1967)。


http://www.nicolaspoussin.org/
Autumn-1660-64-large.html
右のほうで頭に作物をのせてあちらを向き、
その向こうの川の流れを見ている女性が、
この二行の「秋」の描写につながる、とのこと。

21 cider-press

By Man vyi
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Cider_press_in_Jersey.jpg

(また追記します。)

* * *

実りをあらわす表現のなかに、少しずつ
陰のある言葉が散りばめられてきています。
[D]rowse, poppy, hook, swath (flowers), lastなど。

そして第三スタンザへ・・・・・・。

* * *

英文テクストは、Keats, Keats: Poems Published
in 1820
, ed. M. Robertson (Oxford, 1909) より。
<http://www.gutenberg.org/files/23684/23684-h/23684-h.htm>

* * *

学生の方など、自分の研究/発表のために上記を参照する際には、
このサイトのタイトル、URL, 閲覧日など必要な事項を必ず記し、
剽窃行為のないようにしてください。

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Keats, "To Autumn" (1)

ジョン・キーツ (1795-1821)
「秋に」 (1)

秋--君は、霧と、甘く熟した果実の季節、
恵みの太陽の心の友。
君は太陽とたくらむ、藁ぶき屋根の軒下をつたう
ブドウの実を、どれくらい重く実らせようか--
小さな家の脇、コケに覆われた木々を、どれくらいリンゴでしならせようか--
果実の芯の芯まで、どれくらい熟れさせようか--
ヒョウタンや、ヘーゼル・ナッツの殻を、どれくらいふくらませようか、
その中の実はおいしくて--そしてどれくらい、さらに咲かせようか、
さらにさらに咲かせようか、ハチたちのために遅咲きの花を--
するとハチたちは、あたたかい日々がずっとつづくと思いこむだろう、
夏が過ぎても、ねっとりした蜜が巣からあふれているから。
(ll. 1-11)

* * *

John Keats
"To Autumn" (1)

Season of mists and mellow fruitfulness,
Close bosom-friend of the maturing sun;
Conspiring with him how to load and bless
With fruit the vines that round the thatch-eves run;
To bend with apples the moss'd cottage-trees,
And fill all fruit with ripeness to the core;
To swell the gourd, and plump the hazel shells
With a sweet kernel; to set budding more,
And still more, later flowers for the bees,
Until they think warm days will never cease,
For Summer has o'er-brimm'd their clammy cells.
(ll. 1-11)

* * *

以下、訳注。

タイトル
「(擬人化された)秋に(対して歌う)」ということ。
英語の詩のタイトルによくある "To. . . . " は
みなこのパターンで、「(詩人/わたしが)・・・・・・に(対して歌う)」
という意味。

1-11
1行目の "Season. . . fruitfulness" と
2行目の"Close . . . sun" は、どちらも「秋」を
いいかえた表現。このようにいって(擬人化された)「秋」に
対して呼びかけている。そして、3-11行目でそんな秋のようすを
具体的に描写。

3 bliss
贈りものをしてよろこばせる(OED 7b)

5 cottage
(自営ではない)農民などが住む小さな家(OED 1)。

By Joseph Mischyshyn
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rathbaun_Farm_-_
200_year_old_thatched-roof_cottage_-_geograph.org.uk_-_
1632126.jpg
(200年前、ちょうどキーツの生きていた頃のもの。
アイルランド。屋根は藁ぶき。)

7 hazel

By Fir0002
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hazelnuts.jpg
(ふくらんでる・・・・・・。)

* * *

三つのスタンザからなるこの詩の第一スタンザ。
「実り」という秋の側面を描いている。
やや甘ったるく感じるほど豊かな言葉で。

この甘く豊かな感じが、第三スタンザをよりいっそう
悲しいものにする。(また後日。)

* * *

英文テクストは、Keats, Keats: Poems Published
in 1820
, ed. M. Robertson (Oxford, 1909) より。
<http://www.gutenberg.org/files/23684/23684-h/23684-h.htm>

* * *

学生の方など、自分の研究/発表のために上記を参照する際には、
このサイトのタイトル、URL, 閲覧日など必要な事項を必ず記し、
剽窃行為のないようにしてください。


コメント ( 0 ) | Trackback (  )

Keats, "On Melancholy"

ジョン・キーツ (1795-1821)
「オード--憂鬱について--」

行くな、忘却の川レーテーに行ってはいけない。トリカブトの
かたい根をしぼった毒ワインを飲んでもいけない。
君の血の気のない額に、ベラドンナの毒の実--冥界の女王
プロセルピナの、あのルビー色のブドウ--のキスを許してもいけない。
墓場のイチイの実でロザリオを作ってはいけない。
チクタクと死の到来を告げるシバンムシや、死神を背負うスズメガを、
祭壇をもたないプシュケーのように崇めてはいけない。
ふわふわの夜の鳥フクロウに、君の秘密の悲しみを打ちあけてもいけない。
なぜなら、陰は、陰に、あまりにも眠たげにやってくるから、
そして魂の、常に目を覚ましている苦しみを溺れさせてしまうから。

憂鬱が、発作的に、空から突然、
まるで雲から涙のように降ってきて、
力なく頭を垂れる花々すべてを潤わせ、
また緑の丘を四月の死に装束で隠すとき、
そんなとき、君の悲しみに貪り食わせよう、朝に咲くバラを、
塩からい砂の波の上の虹を、
宝物のように大きく丸いシャクヤクの花を。
それから、もし君の恋人が激しく、かつ美しく怒っていたなら、
そのやわらかい手を君の手に閉じ込め、彼女には喚かせよう。
そして、彼女の深い、深い、並ぶものなき瞳を、食べるように味わおう。

憂鬱は、美とともに住んでいる。いずれ必ず滅びる美とともに。
また、それは喜びとともに住んでいる。常に手を唇にあて、
さよなら、といっている喜びと。それから、痛みをともなう快楽もそばにいる。
ハチが蜜を吸うように吸って・・・・・・気がつくと毒になっているような快楽も。
そう、まさに楽しみの神殿のなかに、
ヴェールに覆われた絶対神、女神憂鬱の聖堂がある。
しかし、それを見ることができるのは、強い舌で、柔らかい口のなか、
喜びのブドウをはじけさせることができる人だけ。
そのような人は、憂鬱の、強く大きな悲しみを魂で味わい、
そして彼女の、雲に覆われた戦利品の山のなかに吊るされる。

* * *

John Keats
"Ode on Melancholy"

No, no, go not to Lethe, neither twist
Wolf's-bane, tight-rooted, for its poisonous wine;
Nor suffer thy pale forehead to be kiss'd
By nightshade, ruby grape of Proserpine;
Make not your rosary of yew-berries,
Nor let the beetle, nor the death-moth be
Your mournful Psyche, nor the downy owl
A partner in your sorrow's mysteries;
For shade to shade will come too drowsily,
And drown the wakeful anguish of the soul.

But when the melancholy fit shall fall
Sudden from heaven like a weeping cloud,
That fosters the droop-headed flowers all,
And hides the green hill in an April shroud;
Then glut thy sorrow on a morning rose,
Or on the rainbow of the salt sand-wave,
Or on the wealth of globed peonies;
Or if thy mistress some rich anger shows,
Emprison her soft hand, and let her rave,
And feed deep, deep upon her peerless eyes.

She dwells with Beauty---Beauty that must die;
And Joy, whose hand is ever at his lips
Bidding adieu; and aching Pleasure nigh,
Turning to poison while the bee-mouth sips:
Ay, in the very temple of Delight
Veil'd Melancholy has her sovran shrine,
Though seen of none save him whose strenuous tongue
Can burst Joy's grape against his palate fine;
His soul shall taste the sadness of her might,
And be among her cloudy trophies hung.

* * *

以下、訳注および解釈例。

1 Lethe
ギリシャ/ローマ神話に出てくる川。冥界にあり、
その水を飲むと生前のすべてを忘れる。

2 Wolf's-bane
トリカブト。その根は、神経痛などの薬となり、
また死をもたらす毒物ともなる。

By H. Zell
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Aconitum_napellus_009.JPG?uselang=ja

(以下のURLのページを参照。)
http://chestofbooks.com/health/
materia-medica-drugs/Textbook-Materia-Medica/
Aconite-Root-Radix-Aconiti.html (1920年の医学書)
http://chestofbooks.com/health/reference/
Household-Companion/The-Family-Doctor/
Aconite-as-poison.html (1909年の医学書)

4 Nightshade
ベラドンナ(deadly nightshade)。その見かけに騙されて、
子どもがよく食べて死んでしまうとか(下の1802年の本より)。


By Kurt Stüber
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Atropa_bella-donna0.jpg

(以下のURLのページを参照。)
http://chestofbooks.com/reference/The-Domestic-
Encyclopaedia-Vol3/Deadly-Nightshade.html (1802年の医学書)

種は異なるが、woody nightshadeという植物もある。

By Lairich Rig
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_berries_of_
Bittersweet_-_geograph.org.uk_-_970950.jpg?uselang=ja
ルビー色、ブドウ、という点では、こちらのほうが
イメージにあっているかも。毒性はベラドンナよりは弱いとか。

4 Proserpine
プロセルピナ--冥界の神ディースに思いを寄せられ、
無理やり冥界に連れて行かれた女性(ローマ神話)。

By Steffen Heilfort
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:2002.
Pluto_und_Proserpina(Persephone)-Glocken_Font%C3%A4ne_
Rondell-Sanssouci_Steffen_Heilfort.JPG

5 yew-berries
イチイの実。OEDによれば、イチイは悲しみの
象徴。ケルトでは、死と再生の象徴であると同時に、
その毒性によっても知られてきたとのこと。
(キリスト教文化が入る以前から--http://www.
treesforlife.org.uk/forest/mythfolk/yew.html)

By Brian Robert Marshall
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:More_yew_
berries,_the_Lawn,_Swindon_-_geograph.org.uk_-_592423.jpg

6 beetle
Death watch beetle(シバンムシ=死番虫)。頭を床などに
打ちつけてカチカチ音を出す。家のなかでこの音が聞こえた場合、
それは家族の誰かが死ぬ予兆、という迷信があった--
Encyclopedia of Superstitions 1949, p. 101;
http://books.google.co.jp/books?id=Ht_02x-2JksC&dqで
プレヴュー可)。

OED, "Death-watch" 1にも同様の定義が。
「時計のようなチクタクという音を出すいろいろな虫。
無知で迷信深い人々は、それが死の到来を告げると考えている。
特にシバンムシのこと」。

(画像は控えます。関心のある方はどうぞ。
http://www.britannica.com/EBchecked/media/
5181/Deathwatch-beetle)

ちなみに、普通のカブトムシbeetleは愚かさをあらわす
OED, [n1], 2)。

6 death-moth
スズメガ。正式(?)名称は、death's head moth(死神の頭の蛾)
またはhawk moth。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Acherontia_
atropos,_emerged_DH_060_06_12_27-02_cr.jpg


http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Sphynx_atropos.jpg
ほら、背中に死神の顔が・・・・・・。

7 Psyche
古代ギリシャ/ローマの愛の神エロス=クピドの恋人。

By Sailko
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Antonio_
canova,_amore_e_psiche_louvre_02.JPG
下がプシュケー、上がエロス(クピド)。

もともとプシュケーは人間で、後に神格化された存在なので、
古代ギリシャ/ローマでは神として祀られていなかった。
だから、ぼくが心のなかに彼女のための神殿をつくろう、
という詩が、キーツの「プシュケーに捧げるオード」。

7 mournful
上記の通り、神殿がないから悲しんでいる、という意味と、
憂鬱なときには魂/精神/心(psyche)が悲しんでいる、
という意味が重ねられている(と勝手に解釈しています)。

8 owl
夜行性、悲しげな声で鳴く、というところがポイント。

---
以上、1-8行目を普通の言葉でいいかえると・・・・・・

(憂鬱なときでも)
忘却(や死)を求めてはいけない。

トリカブトの毒による死を求めてはいけない。

ベラドンナによる(強引な、いわばプロセルピナの
ような)死を求めてはいけない。

死に関係するイチイの実でロザリオを作って
(死を求めるようなかたちで)お祈りしてはいけない。

死を告げるシバンムシや、死神を背負ったスズメガを、
勝手に神格化して崇拝してはいけない。(死を美しいもの、
ありがたいもののように考えてはいけない。)

夜にフクロウと悲しみについて語りあってはいけない。

(なぜなら・・・・・・と以下につづきます。)
---

9
陰(死)は陰(憂鬱)に対して、あまりに眠たげに
やってくる--憂鬱というダウンな状態に
さらに死というダウンな状態が重なったら、
二重にダウンな状態になってしまう、というような内容。
(大ざっぱですが。)

10
憂鬱なとき、魂は本当は眠れないくらいに
苦しいが、それを眠りや死で忘れるという解決策は
よくない、というような内容。(大ざっぱですが。)
ここから次のスタンザへ。

13-14
雨と同様、憂鬱にはプラス/マイナスの両面がある、
ということ。雨は枯れかけた花をうるおすと同時に、
緑の景色をまるで死に装束のように白く包む。

15-20
憂鬱なときには美しいものを、むさぼるように
じっと見つめよう、ということ。(なぜなら・・・・・・・
と次のスタンザにつづきます。)

16 salt sand-wave
このsand-waveは、下のような、砂漠や砂浜で
見られるような砂の上の波模様ではなく、
「砂浜に打ち寄せる波」を凝縮した表現では?

By Eirian Evans
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Wave_patterns_in_the_sand_-_geograph.org.uk_-_
1073586.jpg?uselang=ja

17 peonies
シャクヤク

By BobDrzyzgula
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Schwartz_peony.jpg?uselang=ja

21
たとえば、美しいもののはかなさを思い知ったときに
憂鬱になる、ということ。

22-23
喜びのはかなさを思い知ったときに憂鬱になる、ということ。

23-24
快楽のはかなさを思い知ったときに憂鬱になる、ということ。

25-26
21-24行にあるように、楽しいことと憂鬱は隣りあわせ、
ということ。憂鬱が女神であることについては、ミルトンの
"Il Penseroso" などご参照を。

27-28
憂鬱を味わうためには、ある種の精神的な強さが必要、
ということ。(憂鬱を感じる人=ある種の特権階級、
という感じかと。ちょっとしたスノビズムということで。)
このこと + 口のなかで赤いブドウがつぶされて、
プシャーとはじけるイメージ。(甘い、すっぱい、
透明の液体と紫の液体が流れ出て・・・・・・。)

29-30
憂鬱を味わうことは、別に幸せなことではない、
ということ。"[T]rophies" とは、戦争に勝った際に、
敵の武器や略奪したものを飾ったもの。

By Gaius Cornelius
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Booty_from_the_Dacian_wars.JPG


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Aedes_Dianae_%26_Trophy.jpg
(右下がtrophy.) 憂鬱に敗れたものとして、
ここに自分が吊るされる・・・・・・。

29-30行は、ある意味、27-28行とは正反対のことを
いっているわけで、「ギリシャ壺」、「ナイチンゲール」、
それから「聖アグネス」のエンディングなど、
ものごとを多面的にとらえて描くことに固執する
キーツらしいところかと。

* * *

長い行がありますが、一行に収まるかたちで
表示されていますでしょうか?

* * *

この詩(特に第一スタンザ)は、象徴的な意味を
もつものを集め、その裏の意味のみで話の筋を
伝えようとしている、とても野心的な作品です。
上の訳ではだいぶ言葉を補っていますが、
この第一スタンザは、表面的に読むだけでは、
何をいっているのか、さっぱりわからないはずです。

まだリサーチ不足で断言などまったくできませんが、
ヨーロッパで、このように象徴を全面的に用いて書かれたのは、
このキーツの「憂鬱」が最初では? だとしたら、
この詩は、その後のフランスなどの、いわゆる「象徴派」の
先駆的作品では? (「象徴」のとらえ方が、時間とともに
若干異なっていってはいますが。)

そういえば、フランス象徴派の先駆ともいわれたりする
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティらラファエル前派の
画家たちは、キーツの作品をよくよく研究してたとか・・・・・・。

ロセッティの手紙には、こんな言葉もあったりして--
「キーツも、昔のイタリア絵画を見て、ラファエロより
それ以前の画家たちのほうが優れている、といってるぞ!」
Dante Gabriel Rossetti: His Family Letters,
1895, pp. 39-40.)

いずれにせよ、この象徴に依存する詩のつくり方は、
より高く評価されている「秋」の後半でもくり返されています。
この「憂鬱」の詩で手ごたえを感じたのかと。たとえば、
話の展開がより明確な「ギリシャ壺」や「ナイチンゲール」と、
「憂鬱」や「秋」は、まったく別のスタイルで
書かれていますので、よろしければ、読んで比べて
いただければと思います。

(いずれ「秋」も訳して掲載します。)

* * *

また少し追記します。
(たぶん。)

* * *

英文テクストは、Keats, Keats: Poems Published
in 1820
, ed. M. Robertson (Oxford, 1909) より。
<http://www.gutenberg.org/files/23684/23684-h/23684-h.htm>

* * *

学生の方など、自分の研究/発表のために上記を参照する際には、
このサイトのタイトル、URL, 閲覧日など必要な事項を必ず記し、
剽窃行為のないようにしてください。



コメント ( 0 ) | Trackback (  )