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上野公園 (4) --エル・グレコ--

上野公園 (4)--エル・グレコ展--
Ueno Park
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/toubuk/ueno/index_top.html
20130327

(以下、ただの雑感)

宗教画がほとんど。しかし、描き方の問題で
批判もあった、とのこと。

裸のイエスがセクシー。(いやらしくない程度に、
微妙に。)

作品によっては、3D的に絵が浮かびあがってくる。
聖ラウレンティウスの絵など。

同じ色をよく使う。主役的な人物は、下の絵のように、
光沢のある紫がかった赤い服をよく着ている。
何か意味がある?


(東京都美術館のパンフレットより)

人体がゆがんでいる。十字架のイエス像とか。
何か意味がある? 図録によれば、作品によっては、
下から見あげたときにふつうに見えるように、
あえて構図をゆがめている、とのこと。マリアと
エリザベツの絵など。

手が変。これがいちばん最初に思ったこと。
何か意味がある? 図録によれば、作品によっては、
構図のゆがみは、エル・グレコ本人ではなく、
工房の職人が下手だったせい、とのこと。

人物の目が特徴的。これが次に思ったこと。

1. 大きい
おそらく実際の人の目よりも1.2倍くらい目が大きい。
紙面やインターネット上ではあまり気にならないが、
オリジナルの絵を見ると、おそらく明らか。
マグダラのマリアの左目など、特に。

2. 左右非対称
マグダラのマリア、聖母マリアが正面を向いている
「無原罪のお宿り」、(赤と緑の、ハンサムな)ヨハネ
など。左右の目の大きさが違い、また見ている
方向も違う。ほかの画家の作品もそう?

で、この左右の目のずれゆえに、これらの絵や人物に
惹かれてしまう、という。

* * *
4月7日まで。ぜひ。

* * *
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上野公園 (3) --あちこち--

上野公園 (3)--あちこち--
Ueno Park
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/toubuk/ueno/index_top.html
20130327



女の子(シンデレラ)が上を見ている



鬼瓦





* * *
画像はわたしが。


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上野公園 (2) --法隆寺宝物館--

上野公園 (2)--東京国立博物館(法隆寺宝物館)--
Ueno Park
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/toubuk/ueno/index_top.html
20130327









足利義政筆










* * *
画像はわたしが撮影。


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上野公園 (1) --都美術館前--

上野公園 (1)--東京都美術館前--
Ueno Park
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/toubuk/ueno/index_top.html
20130327













* * *
画像はわたしが撮影。


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道端アート/素人アート (17)

道端アート/素人アート (17)
横浜みなとみらい21近辺












緑の部屋



青の部屋

* * *
画像はわたしが撮影したもの。


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道端アート/素人アート (16)

道端アート/素人アート (16)



鎌倉市役所前のオブジェ



身内のアーティストM



レンガの壁、白い窓



トンネル

* * *
画像はわたしが撮影。


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ノート5--「ほしいもの」の文学史--

ノート5--「ほしいもの」の文学史--

川崎市市民ミュージアムの記事を書きながら
考えたこと--

詩・劇・小説(・TVドラマ・映画)などの作品に
描かれる「ほしいもの」は、歴史的に大きく変わって
きているのでは?

イギリスの場合、求められるものとして
描かれてきたのは、たとえば--

中世のアーサー王伝説では、聖杯。

16世紀の宮廷愛文学では、自分が身も心も
ささげる女性の愛。(基本形は、これが
絶対に手に入らないこと。)

いわゆるルネサンス演劇のうち、マーロウの
作品では、世界の支配(タンバーレイン)、
無限の知識・能力と世界でいちばん美しい女性
(フォースタス)、そして富・金(かね、バラバス)。

ミルトンの『失楽園』では、神以上の支配の地位
(セイタン)。

ドライデンの英雄悲劇では、愛と名誉(義務を
果たすこと、自分が属する社会にとっての善)。
そして、国の敵を愛してしまうなど、これらが
両立しないところにドラマがある。

18世紀は? ポウプやグレイの場合、知性や達観の
ようなものになるか。題材が中世の実話である
ポウプの『アベラードへ、エロイーザより』の場合、
かなえられることのない恋と欲望(アベラードが
・・・・・・されてしまっているから)。
これは、宮廷愛文学の極端な変奏。

ロマン派、ワーズワースでは、人と自然の一体性、
およびそれを感じられる子どもの(あるいは誕生
以前の魂の)感覚・感性、のようなもの。

バイロンの主人公にほしいものはない。この世の
すべてに飽きてしまっている。

シェリーの場合、ほしいのは、自由で平和な理想的な
社会、というある意味具体的なものと、比喩でしか
表現できない漠然とした、しかし理想的なもの。
「存在しない美」、「星に対して蛾が抱くような欲望」
など。

もちろん、これらですべてではないが、以上のように
概観して気づくのは、次のようなこと。

1.
一般的に、ほしいものを手に入れることが困難、
あるいは不可能、というところに作品としての
おもしろさ、ドラマやサスペンスのようなものがある。

2.
時代が下るにつれて主人公の社会的地位が下がり、
思考・志向が一般人的になり、その欲の対象から
支配、栄誉、膨大な富などがはずれてきている。

そして、ロマン派、特にバイロン、シェリーに
いたって、「ほしいもの」を具体的に想定すること、
描くことができなくなっている。

このようなことには社会史・文化史的な意義があるのでは。

たとえば、16-18世紀という時代の流れのなかで、
社会の中心が、王侯貴族から一般の人々、支配や
栄誉などほしいとは思わないようなふつうの人々に
移行してきた、ということ。(これは明らか。)

それから、名誉革命や産業革命を経て、
制度的・科学的に社会がそれなりに成長・
発展し、「ほしい」とされていたものが
それなりに手に入るようになってきていた
にもかかわらずまだ人は満たされていない、
という事実に19世紀初めの人々(の一部)は
直面していたということ。何が手に入ったら
幸せなのかもうわからない、という。

* * *
以下、さらに思いついたこと、考えたこと。

(つづき)
その後、20世紀初めの人々は、社会と科学のさらなる
発展が、高度に発達した武器・兵器による大量殺戮、
つまり第一次世界大戦に結実するのを見て、かつて
なかったほどの衝撃を受けることになる。

社会がよくなってきて、「ほしいもの」を次々と
手にしてきた結果が、実は最悪だった、という・・・・・・。

(このような状況は、たとえば17世紀半ばくらいまで
であれば、「原罪」、人の罪深さをあらわす、として
すべて整理して理解できただろうが、すでにそういう
時代ではなかった。)

---
18世紀に発達した小説は、上記のような「ほしいもの」
の文学とは別の領域に属するのでは。『ロビンソン・
クルーソー』とか『ガリヴァ―』とか『クラリッサ』とか。
19世紀のディケンズも。
(正直、小説については詳しくない。)

『嵐が丘』は上の路線か、とも。

---
シェイクスピアが特別な点は、『お気に召すまま』や
『十二夜』など、いわゆる「ロマンス喜劇」にあるのでは。
つまり、主人公(若い女の子)が「ほしいもの」(好きな人)
を手に入れる、というとてもシンプルで現代的な物語に。

逆に、ほしいけど本当は手に入れてはいけないものを
手に入れる(『マクベス』、しかも実はほしくもなかった?)、
「ほしいもの」が手に入らない(『リア王』)、
「ほしいもの」が失われたと思いこむ(『オセロ―』)、
「ほしいもの」が変、あるいは主人公にも観客にも
よくわからない(『ハムレット』)、というような作品は
悲劇になっている。

---
「ほしいもの」は手に入らない、あるいは手に
入らないものがほしい、という現象を図式的・
理論的に示したのが、20世紀フランスの精神分析家
ジャック・ラカン。人が求めるものは、欲望の
謎の対象a, あるいは(a)。

---
(好みにもよるが)信仰をもたない人にとって
(もつ人にとっても?)キリスト教文学がつまらないのは、
大ざっぱにまとめれば「ほしいもの」がいつも
同じだから。救済だから。

だから、たとえばダンとハーバートとバニヤンの
違いがわからなければ、個々の詩人・作家の
特徴や表現方法の違いを楽しめなければ、
キリスト教文学は単調、ということになってしまう。

(現代のキリスト教文学は、ずっと繊細・微妙になって
いると思うが。)

---
ミルトンの『失楽園』と『復楽園』の違いは、
「ほしいもの」の描かれ方の違い。

『復楽園』における「ほしいもの」は、悪・誘惑に
対する勝利、と主人公イエスを中心にまとめることが
できる。(?)

『失楽園』においては、アダムとイヴ、セイタン、
神と神の子、いい天使たち、悪い天使たちへと
視点が分散しているので、多種多様な「ほしいもの」が
描かれている。

しかも、セイタンにおいては、次のように、複数の
「ほしいもの」が矛盾しつつ混在している。

- 神に対する勝利
- 仲間の堕天使たちのなかでの名声・栄誉
- 神との和解・救済(無理だと承知)
- 人間に対する勝利
- 悪

また、アダムは、何を「ほしいもの」とすべきかを、
物語を通じて学んでいく。(きれいな女性たち、などと、
途中いろいろ誤った方向に向かったりもしながら。)

当然、物語としては『失楽園』のほうが刺激的。

(ついでに)
ミルトンの『サムソン』も、「ほしいもの」の描き方が
特徴的。どう理解していいのか困るほど特徴的。

自分の妻の策略で敵部族に目をくり抜かれ、奴隷として
こき使われている--そんな絶望のどん底にいて、
望みは死だけ、というようなサムソンが、「内なる衝動」
に導かれて(つまり、自分がそうしたいと思った
わけではないのに?)自爆テロ。・・・・・・。

---
ポーの「もっとも詩的なテーマは美しい女性の死」という
発言(『創作の哲理』)も、「届かないものがほしい」、
「手に入るものはほしくない」というロマン派的・
形而上的・超越論的な思考の一変奏として位置づけられる。

つまり、この発言を、「死んだ女性を生き返らせる」という
実現不可能な願いとしてとらえれば、異端的に見える
ポーの発想が、実はごく普通のものであることがわかる。

(と同時に、「死」や「女性」に話題を限定するポーの
特異性もわかる。)

(1809年生まれのポーは、十代のときに、バイロンや
シェリーやキーツを読んだであろう世代。)

* * *
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文献紹介--キリスト教信仰の変容 (Worden 2001)--

文献紹介
17世紀におけるキリスト教信仰の変容

Houston and Pincus, eds., A Nation Transformed (2001)
Ch. 1: Worden, "The Question of Secularization," 20-40.

(1)前半--問題提起--
(世俗化は社会レベルで考えるべき)
ロックやニュートンなどの知的エリート層だけでなく、
社会のレベル、一般民衆のレベルで扱うべき。21

(世俗化は多面的)
思想の世俗化、権力の世俗化(教会と国家の関係)、
行動の世俗化(礼拝のあり方、各派のあり方)、
精神構造の世俗化(世界に対する理解、この世と
あの世の関係についての考え方)など。21

(誰の見解を代表的なものとみなすか)
21

(どのような時間の枠で世俗化をとらえるか)
宗教改革から 22
王政復古期から 24-
- Ludlow, Watch Tower MSS (宗教的) --> Memoirs, ed.
Toland (非宗教的) 24-
- 内戦・共和国期の混乱に対する反省。 27
- 王政復古期の放蕩インテリ・宮廷人のシニカルで冒涜的な言動。 27
- 神学思想の変化(教義重視から日常道徳重視へ)。27-28
(これは衰退か、新しいキリスト教への変容か。 28)

(2) 後半--これまでの研究の概観--
(宗教と政治)
17世紀末や18世紀においても、宗教が政治的問題を
引きおこしている(「教皇主義者の陰謀」事件など)。29

(宗教と印刷文化)
1641年あたりから、新聞などの出版物が増え、
一般の人々の政治的意識が高まった。そして
宗教への意識が減退・・・・・・ということはなく、
聖書、説教などを含む宗教的な出版物も多く出され、
売れた。当時の人曰く、「バラッドと同じくらいに」。
29-30

(内戦・共和国期の宗教論争の影響)
- (国教会の崩壊 --> )諸派乱立 --> 相対主義へ。30
- 真理(truth)から、心からの信仰(sincerity)へ。31
- 目に見える信仰活動から、内的な信仰へ。31
- 熱狂的な信仰に対する批判。ハリファックス侯爵が
娘に曰く、「信仰で苦行をしたり、陶酔的になっている
者の真似をしてはいけない」、「楽しくない信仰は
役に立たない」。31-32
- 信仰がマナーや礼儀(politeness)の領域へ。32
- 信仰 = 社会性。 32
- 信仰 = 余暇の過ごし方のひとつ。
(コーヒーハウスに行くような感じで教会に行く、
新聞を読むように聖書を読む、など。)32

(宗教と理性 1)
理性(reason)とは--
1. 頭で論理的に考えること。
2. 魂のなかに宿る神の光、神の声、これに
したがうことが美徳と信仰につながる。
(17世紀を通じて、2が衰退、1が主流に。)33

(宗教と理性 2)
宗教 x 理性ではない。ロック(Locke)、トーランド
(Toland)らは、キリスト教を論理的に説明できる
ものとしてアピール。信仰を非理性的で根拠のない
盲信から救うため。(これは聖職者批判。それまでの
聖職者たちが、人々を非理性的な信仰に導いてきた、
ということ。)34

(宗教と科学 1)
科学的発見とは、神の創造物のすばらしさを
明らかにするためのもの。34

(宗教と科学 2)
同時に、科学はキリスト教のあり方を変容させる。
- 天動説 x 天国/地球/地獄という宇宙観。35
- 超自然、人間の世界への神の介入の否定。
神の意志(providence)の否定 35。

ハリファックスが娘に曰く、「よくあることだが、
ことあるごとに、神に正しいと認められた、
あるいは神に罰せられた、などと考えるのは
間違いだ。気をつけなさい。」35

(神がやさしい存在になる)
- この世の罪、災難、不幸と神が切り離される
ことにより、神がやさしい存在に。35-36
- 地獄や永劫の罰、などに関する考えが衰退。36
- 悪魔も衰退、魔女裁判もなくなる。36
- 原罪による人間の堕落・腐敗への言及が減る。36

(信仰と利害)
- 17世紀のはじめには、信仰 x 個人の利害。
- 17世紀おわりには、信仰 = 個人の利害 =幸せ。37

(信仰と商業)
信仰の自由が商業の発展をもたらす。37

(神学教義の衰退)
- カルヴァン派(予定説)とアルミニウス派(自由意志)
の対立が鎮静化。アルミニウス派の勝ち。
- ある若者、「宗教論争は時代遅れ」。
- オーウェン(かつてのクロムウェルの右腕)、
「落ち着いたプロテスタントは、だいたいみな
同じような信仰をもっている」。
- 信仰は思想ではなく実践。
- 正しい教義ではなく、よいおこないが救済への道。38-39

(信仰について無関心ではない)
信仰は道徳のようなものとして、やはり重要視
されつづける。ロック、「美徳と信仰が区別され、
信仰だけが重要視されてきたのは、聖職者のせいだ」。39

(全体として)
重要なのは信仰ではなく日々のふるまい、という
方向へ変化。40

* * *
学生の方など、自分の研究/発表のために上記を
参照する際には、このサイトの作者、タイトル、URL,
閲覧日など必要な事項を必ず記し、剽窃行為のないように
してください。

(大学院生以上の方は、Wordenの議論を直接参照
してください。)


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川崎市市民ミュージアム

川崎市市民ミュージアム
Kawasaki City Museum
http://www.kawasaki-museum.jp/
20130312

(アートギャラリー第3期)
中村誠のポスター展
ヨーゼフ・アルバース『フォーミュレーション:アーティキュレーション』展
素描とスケッチの愉しみ

これらは撮影不可なので、外にあるものを。

* * *


(作者・タイトルの表示は、はがれていた)



ベリザール・バホリッツ「恋人たち」



井上麦「シャリグラム」



トーマス転炉(製鋼炉)
『鉄人28号』とか、ロボットもののアニメはこういう
ところからはじまったのか、と。



カッターヘッド
(埋め立て工事に使う船についていたドリル)

まわりの花とのコントラスト、かたちと色、
そして画像では伝わらないが、香りも。

* * *
アルバース展を見るために行ったのだが、
目を奪われたのは中村誠さんのポスター。
なかでも、山口小夜子さんをモデルにしたもの。
さらにそのなかでも、横須賀功光さんの写真集の
ためのもの(?)。目や顔のアップのもの。

久しぶりに、本当に久しぶりに、テレビ、映画、絵、
マンガなどのなかの人に、つまり作品としての
人の外見に、憧れる気持ちがわかる気がした。
具体的にいえば、

1. モデルの山口さん、

2. その山口さんの顔や表情をつくったメイク師の方
(展示には名前もあったが失念)、

3. そのメイク師の方がつくった山口さんの顔や
表情を撮影した横須賀さん、

4. そのメイク師の方がつくった山口さんの顔や
表情を撮影した横須賀さんの写真を切りとって
ポスターに構成した中村さん、

の共同作業による作品としての女性(カッコつきの
「山口さん」)の顔や表情。すごかった。ドキドキした。

少し調べてみたが、インターネット上では
見られないもの、しかもインターネット上で
見られるものよりもさらにいいものが展示されて
いるので、関心のある方はぜひ。関心がなくても、
しばしの時間、楽しめるはず。

(入館は無料。3/31まで。)

* * *
「山口さん」のポスターを見て思い出したのは、
同じような、日本的な美しさ、妖しさ、悲しさ、怖さを
感じさせる以下の作品など。

1. 上村松園 「焔」、「花がたみ」

「焔」(東京国立博物館所蔵)
http://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?
controller=dtl&colid=A11098

「花がたみ」(松伯美術館所蔵)
4月から名古屋市美術館で見られるとのこと。
http://event.chunichi.co.jp/shoen/index.html
(上部に順番に出てくる作品のひとつ)

http://www.aozora.gr.jp/cards/000355/files/47320_30887.html
(作者による解説)

わたしの手元にあるのは、次の二つ。
『上村松園』 アサヒグラフ別冊 美術特集 日本編38
『上村松園』 日経ポケット・ギャラリー

2. 山岸涼子 『日出処の天子』
厩戸皇子(聖徳太子)を、邪眼をもつ妖しくも
美しい、そして悲しい主人公として描いたマンガ。

悲しい、というのは、常人を超える能力をもっていても、
自分が望むものを手に入れられないから。ここでの
「自分が望むもの」とは、自分が愛する人たち(母、
および蘇我毛人--「えみし」と読む--)からの
愛情。

つまり、厩戸皇子は、人より位が高く、人より
能力があり、そして人より美しいのに、人より
幸せでない同性愛者として描かれている。

(聖人としての一般的な聖徳太子像を壊すかの
ように、ときどき自分に都合いいように姑息な
こともする。)

そんな『日出処の天子』について考えること--

(1)バイロニック・ヒーロー
人より美しく優れていて、それゆえ孤独で、しかし
清く正しいわけではない(同性愛者だからではなく、
自己中心的だから)という点で、この厩戸はバイロンの
描いたバイロニック・ヒーローに近いように思われる。

が、同時に厩戸は、バイロンの主人公のように常に
上からの目線で世界を見るのではなく、むしろ、小さい
頃から心が満たされることのなかった者の、いわば
下からの目線で世界を見ているので、バイロンの主人公
とはだいぶ雰囲気が違う。(小柄で華奢だったり、
いわゆる「ツンデレ」的でちょっとかわいい、という
感もあったり。)

(参考)
テーマ別作品リスト 1: 「オレ vs. オレ以外みんな」
Byron, "Stanzas to Augusta"
バイロン卿ジョージ・ゴードン(1788-1824)
「オーガスタに」

(2)かなわぬ願い
この『日出処の天子』には、たんなる少女マンガ
ではない、たんなる恋愛物語やエロ物語ではない、
という雰囲気、気品のようなものが強く感じられる。

また、同性愛そのものに特に関心がなくても、
厩戸皇子に共感できたりする。

その理由のひとつ、おそらく最大の理由は、
「同性愛者が異性愛者を好きになる」という構図が、
「けっしてかなえられることのない願い」という
切ないテーマの一変奏だから。「星に手をのばす」
というシチュエーションのような。また、次の作品の
スタンザ2のような。

Shelley, ("One word is too often . . . ")
パーシー・B・シェリー (1792-1822)
(「神聖なはずの言葉がいつも汚されている」)

同様のテーマを扱う作品として、さらに以下のような
ものもあるので、ご参照まで。

i. グザヴィエ・フォルヌレ「・・・・・・と〈彼の〉竪琴」
(『フランス幻想小説傑作集』所収)
・・・・・・のところは自主規制。これは「かなわぬ願い」
というテーマの扱い方が極端で、身体的・知的なハンディ
キャップを抱えた路上生活者を主人公とし、その彼に、
彼の暮らす道端からは見えない(どこかの建物の上の
階にある)サロンのなかで女性が奏でるハープの「音」を
求めさせている。

主人公の手には3本ずつしか指がない、歯は6本
しかない、というリアリスティックでややグロテスクな
描写と、ハープの音を聞いたこの「乞食の王様」の
血が熱く流れ出し、表情が変わる、という変身の
おとぎ話、そして、届かない理想--「豊かさ、力、
感情、魂、生命、美に近いものを与えてくれる」
音--に向かって虚しくも無限の努力をする、という
(ロマン派的な)シナリオを織りあわせた短編。

(この「変身」の部分については、ボッカチオ
『デカメロン』の第5日第1話にあるチモーネと
エフィジェーニアのエピソードなどから直接来て
いるのかもしれない。また、よくは知らないが
「クロスカッティング」なるテクニックを用いて、
人工的・ルポタージュ的に語る文体が、ロマン派
以降的な甘さ、感傷性を中和している。)

ii. ルー・リード、「コニー・アイランド・ベイビー」
(『コニー・アイランド・ベイビー』所収)
『日出処・・・・・・』と同じく、異性愛者に恋する
同性愛者の歌。いつか、どこかであった投票によれば、
ルー・リードの曲のなかでもっとも人気のあるのが
これだったような。(そもそも、そんなに人気がある
人ではないが。)

* * *
アルパース展も、(よくわからないが)理論的に、
またデザインとして、とてもよかった。

* * *
画像はわたしが撮影したもの。


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神奈川県立近代美術館

神奈川県立近代美術館
The Museum of Modern Art, Kamakura and Hayama
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/index_html.html
20120307 (実験工房展)



イサム・ノグチ 「コケシ」



内藤 礼 「恩寵」
(池の水面で揺れる光が反射している)



(メモし忘れた)



空 充秋 「揺藻」



李 禹煥「項」



(作者・タイトル表記なし)



出口のところの壁

* * *
みな外にあるもの。実験工房展とは無関係。
館内は撮影禁止。画像はわたしが撮影。

* * *
実験工房展は、シンプル・ミニマルで、
昭和的にシュールで、モノトーンで隠微。

そのなかで、きわだっていたのが、
色あざやかな福島秀子さんの絵画作品。

展示作品はそんなに多くないので、鎌倉散歩ついでに、
関心のある人は、よろしければ。

(関心のない人には、やや厳しいかと。)

3/24まで。


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かざりもの

かざりもの

1.
朝--こだまする足音
飛び交う鳥と子供たち
流れる風、雲、人の波
動いてないのは君の時計だけ

鏡の前の
ビー玉の目
何が見える?
どうしたい?

「そうね、キラキラのドレスとか脱いで、
ね、キラキラのメイクも落として、
もうなんにもいらないから、
他の子になりたい……嘘」

2.
夜--こだまする足音
飛び交う闇の生きもの
流れる香り、光、声の波
動いてないのは君の時計だけ

鏡の前の
ビー玉の目
何が見える?
どうしたい?

「そうね、キラキラのドレスとか脱いで、
ね、キラキラのメイクも落として、
もうなんにもいらないから、
わたしに戻りたい……嘘」

*****
1991?
20130225-0301
20130304
20130309
20130331
20160625
20160804
20190410

* * *
「白い部屋」「白い部屋(2)」と同じ曲に
つけるために書いた歌詞。こちらがもとの
アイディアで、それを発展させたもの。

* * *
盗用・商用・悪用禁止。


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