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夏目漱石、『抗夫』

夏目漱石、『抗夫』

問題作・「実験的習作」・「中途半端」な小説、とのこと
だが(岩波文庫版「解説」)、イギリス文学との関連で
読めば、めざすところはそれなりに明確に理解できるように
思われる。

枠組みは、『トリストラム・シャンディ』的な自意識的な語り(?)

内容は、ポウプの『批評論』・『人間論』・『道徳論』の
近代版、日本版、そして(疑似)労働者版とでもいうべきもの。
明確な物語の筋ではなく、主人公(「自分」)の観察や所見が中心。

知性とやさしさ・あたたかさを兼ね備えつつも、
「已むを得ない事情から、已むを得ない罪を犯し」て
抗夫となっている安さんは、近代・日本・労働者版の
バイロニック・ヒーロー。

その他、探ればいろいろな素材・題材が散りばめられて
いるはず。

「堕落の修行」、「堕落の稽古」、「一人前に堕落」
などというのは、イギリスのスノビズムの真逆の発想。
(ピカレスクものなどに起源がある? )

ロンドン帰りだから特に感じるのだろうが、
86にある金銭と恥についての議論など、
まさに日本的。

* * *
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夏目漱石、『それから』

夏目漱石、『それから』

以下、雑感--

「現代日本の開化」や「文芸と道徳」にあるような開化前後の
新・旧日本のあいだの感性・価値観・道徳観の対立を、漱石が
多かれ少なかれ一貫して小説の題材として、あるいはその語彙
として、活用してきていることがわかってきた。
(少なくとも『虞美人草』以降。『猫』や『坊ちゃん』は未読。)

作品にもよるが、その扱いかたはいつも微妙。現在と過去、
どちらかの優越を決定的に説くような書きかたはされていない。
そもそも「現代日本の開化」や「文芸と道徳」も、新旧いずれかの
道徳の優越を説いてはいない。また、小説はあくまで小説であって、
論文やプロパガンダではない。

『それから』も、新・旧道徳という対立では割り切れない物語。
旧道徳的な義侠心から三千代を平岡に譲った代助が
旧道徳的・自然的な本心に駆られて彼女をとり戻そうとする。
その結果、家を重んじるという点で旧道徳的な父や兄を
敵にまわす。そもそも旧道徳的に見れば、代助の純愛は
姦通罪(の一歩手前)である。過去の日本では切腹などと
いうこともおこなわれていた……。

* * *
人の妻に対する純愛の物語として、『それから』には
宮廷風恋愛文学の近代版という側面があるように思われる。
代助と三千代が二人で泣いているところなど、シドニーの
『アストロフィルとステラ』の歌8と同じ雰囲気を感じる。
愛する女性の父は彼女と主人公の結婚を望んでいたが、
それが実現する前に死んでしまう、というシナリオも同じ。
(『文学論』にはシドニーへの言及はない。他のどこかに
ある?)

* * *
俗世間から乖離し、それを超越した感のある代助の思考・
道徳を常に支持する語りには、バイロン的なものを強く感じる。
いわば彼は近代日本版バイロニック・ヒーローであるかのよう。

* * *
王政復古期の文学との比較--

個人的に王政復古期の作品については、往々にして物語が
読者の嫌な予想どおり悪い方向へと進む印象をもっている。
見え見えなかたちで悲しい結末に向かう、という。
「ここでこいつが裏切ったら最悪だな……うわ、ほんとに
裏切りやがった……」という。

(具体的にどの作品か思い出せない……オトウェイの
『ヴェニス』やベーンの『オルーノーコー』など?)

また、王政復古期の作品においては、往々にして明確な、
図式的でわかりやすい対立構図にもとづいて物語が進む。

王への忠誠をとるか、愛をとるか
親への忠誠をとるか、愛をとるか、など

(王でもある父親が自分の恋人を奪いにくる、という
ドライデンの『オーレン・ジーブ』はその典型。)

このような作風に慣れているので、『それから』を
読みながら、ついつい嫌な方向に話が進むことを
恐れながらも期待してしまった。

平岡が代助の父と兄の会社の不正について裏情報を
握っている、という13章のエピソードがもっと
嫌なかたちで発展するのではないか、と。
三千代から手を引かないと、おまえの父と兄の会社の
スキャンダルにするぞ、と平岡が言いだすのではないか、
と。

つまり、自分の愛のために一族を破滅させるか、
あるいは一族のために愛、すなわち自分のいちばん
大切なもの、自分にとっていちばん自然なものを
棄てるか、という究極の選択の物語となっていくのでは
ないか、と。

このような方向に話が進まず、むしろ逆に愛を貫くことが
(おそらく)できるという純愛路線、遊民からの脱却(職探し)
という成長路線に熱く泣きながら突っ走るところに、
漱石や『それから』の特色があるように感じる(なんというか、
漱石がいわば「いい人」であるような印象を受ける)。

加えて、三千代の重病を提示してハッピーハッピーな結末を
避けているところも特徴的かと思われる。

ドライデンへの言及がきわめて少ないなど、漱石は
王政復古文学(特に演劇)をあまり読んでいないよう(?)。
東北大の漱石文庫で検索しても、ドライデンの劇作品は
ヒットしない。

また、ホッブズの著作を読んでいたら「自然」についての
理解や描写が多少なり変わっていたのではないか、などとも
想像する。(ホッブズも漱石文庫でヒットしない。)

以上、私見まで。

* * *
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夏目漱石、『行人』

夏目漱石、『行人』

『門』-->『行人』-->『こころ』
「現代日本の開化」や「文芸と道徳」にあるような
開化前後の新・旧日本の対立を登場人物の造形に
援用する度合いがしだいに高まっていく過程が
見られる。(『それから』、『彼岸過迄』は未読。)
この点では、登場人物や主題が限定されている
『こころ』が構成的にもっともタイト。アレゴリー的。

『門』と『こころ』
遺産、金銭という主題を共有。

『行人』と『こころ』
書簡体小説からの影響を共有。

* * *
『三四郎』と『行人』
微妙に惹かれあいつつもそこに何もおこらない男女の関係、
という主題を共有。理想・幻想あるいはドラマティックな
非日常ではなくリアルな日常を描く、というある種の
こだわりが見られるように思われる。

* * *
「一夜」と『草枕』と『行人』
絵になる女に対する関心を共有。

『行人』の絵になる女たち:

1
胃が悪いのに無理に酒を飲まされて入院した「あの女」。
(エリザベス・シダル的な、世紀末的なイメージ。)

2
この女の担当で仕事をさぼりがちな美しい看護婦。

3
結婚生活がうまくいかずに精神を病んだ「娘さん」。
(オフィーリア的なイメージ。)

これらの女性を含む多種多様な登場人物たちの
錯綜した物語を、一郎の話で強引にまとめている
ところが、よくも悪くも『行人』の特色。
胃潰瘍による五ヶ月の休載前後で、作品の性格が
変わったということだろう。

以上、私見まで。

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夏目漱石、『門』

夏目漱石、『門』

個人の意思を超えた運命、および過去が、
現在・未来を支配する、そしてそれが
幸か不幸かはわからない、という話。

登場人物や個々のエピソードが多様かつ明確で
それぞれ存在感や説得力があるので、文明論的な
図式に還元することができない。

以上、私見まで。

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夏目漱石、「二百十日」

夏目漱石、「二百十日」

豆腐屋主義 = ロマン主義(ヨーロッパ的なもの)

阿蘇山があらわすものーー

1
ロマン派的な届かぬ理想(シェリーの「ひばり」、
コールリッジの「快楽の館」、ワーズワースの水仙
--ワーズワースのものはある意味手が届く)

2
革命、現存の社会秩序破壊に向かうロマン派的な力

3
ロマン派的な「崇高」

これらをとぼけた庶民的・豆腐屋的な文体で語る。
革命思想の限界も暗示しつつ。

以上、私見まで。

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夏目漱石、『虞美人草』

夏目漱石、『虞美人草』

(これもまた)「文芸と道徳」にあるような旧道徳・
浪漫主義と新道徳・自然主義の対立を背景とする作品。

「旧」の側の勝利・優越をわかりやすく描いていることが
特徴。そこに以下のものなどが重ねられている。

1
クレオパトラの魅力のような、道徳を超えたカリスマ性。

2
自己愛に溺れたナルキッソスは死んで水仙となった、
というようなオウィディウス『変身物語』風のイメージ。
自己愛と利己主義に溺れて藤尾は死に、(ある意味で)
虞美人草(ヒナゲシ)となる。

3
ラファエル前派が描いたようなケシ--ヒナゲシ ≒
アヘンゲシ、本当は別種だがイメージのうえで混同
される--がもつ、美しき悪、美しき頽廃、などという
イメージ。

つまり、内容的には「旧」サイドの勝利だが、
イメージとして支配的なのは藤尾が体現する「新」サイド。

* * *
文体的には、初期短編のような詩的・漢文的・美文体的
なスタイルと、スターンの『シャンディ』やバイロンの
『ドン・ジュアン』のように時おりナレーターが叙述に
直接介入するスタイルを並行させる、という実験がなされて
いる。

以上、私見まで。

* * *
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夏目漱石、『三四郎』

夏目漱石、『三四郎』

Samuel Richardson, Clarissaと同様、実際に連載された
時期(1908年9-12月)と物語中の時間を並行させた作品。

視点は三四郎。全知ではない。その観察や発言には
性格や気分による揺れがある。

その他の登場人物の発言も、それぞれの性格にあわせて
かたよっている。だから、たとえば美禰子に関する
彼らの言葉--「心が乱暴」、「西洋流」など--
を総合すれば正しい美禰子像が得られる、などと
考えるのは誤り。

* * *
物語の背景のひとつは「文芸と道徳」にある
旧道徳・浪漫主義と新道徳・自然主義の対立。
旧道徳をおよそ体現しているのが実は美禰子
というところが最大のポイント。「行きたい所で
なくっちゃ[嫁に]行きっこない」タイプの
新しい女はよし子のほう(12)。

美禰子はよし子が拒んだ相手と、兄の結婚にあわせて、
結婚する。おそらく多分に意に反して。だから、
この結婚話が進んでいた頃、美禰子は(精神的な)
疲れのために絵のモデルとして機能できていない(10)。

美禰子の気持ちのバロメーターは目・瞼。三四郎は
これをおよそ正確に感知。上の場面で彼は、彼女の目に
「暈が被っている」のを見る。

迷子のエピソード(5)においても同様。迷子の保護に
手を貸そうとしない野々宮、広田、よし子のようすを見て、
二重瞼に「霊の疲れ」、「苦痛に近き訴え」を浮かべ、
そして「責任を逃れたがる人」と「冷やかに」評するのが
美禰子。

この疲れや訴えを感知できるのが三四郎。しかし、
直前の乞食の場面で野々宮、広田、よし子、美禰子を
まとめて「己れに誠である」(自分に正直である)と
新道徳・自然主義の側の者と数えている点で、
彼の判断も不完全。

5-6にかけてくり返される「迷子」(ストレイ・シープ)
とは、新道徳・自然主義の潮流のなかで迷子になっている
美禰子と三四郎のこと。美禰子は三四郎に対してこの種の
共感をもっている。

が、12-13で三四郎がこの言葉を「迷羊」と誤って
思い浮かべているところに、二人のあいだの理解の差、
すれ違いを見ることができる。

もうひとつ、与次郎と広田先生の転居の際に
時間どおりに集まってきちんと掃除をするのが
美禰子と三四郎、ということも思い出すべき(4)。

* * *
上記のような新・旧の対立構図と重なるように
描かれているのが、象徴的・非論理的・断片的で
いわばロマン主義的なかたちでなされている
美禰子から三四郎へのアプローチ。ふたりが
出会った瞬間へのオマージュ。

「これは椎」(2)
「あれは椎」(6)

団扇をかざした姿(2)
その絵(7, 10)

白い花(薔薇)のにおいをかぐ(2)
白いハンカチのにおいをかぐ(12)
(9で三四郎のすすめで買ったヘリオトロープの香水)

「小川」のほとりにおける三四郎と美禰子の
「迷える子」の会話(5)。

美禰子曰く、三四郎は「索引のついている人の心さえ
あててみようとなさらないのん気なかた」(8)

* * *
新・旧の対立構図にさらに重ねられているもの--

1.
田舎・学術・女性の三世界(4)。

2.
美禰子に惹かれると同時に彼女を拒む三四郎の
複雑な心境。(いわゆる「恋愛体質」でない人が
共有・共感する・しうる経験と思われる。)

i.
「私そんなに生意気に見えますか」で霧が晴れて
生身の美禰子が見えた気がして、しかしこの霧が
晴れたことを恨めしく思う。(5)

ii.
「とうとういらしった」がうれしいと同時に、
美禰子のほほえみに甘い苦しみを感じる。(8)

iii.
「野々宮さん、ね、ね」の美術館デート。(8)

3. 死のイメージ
i. 戦争(1)

ii. 轢死の女(3)

iii. 空中飛行機の話(5)

iv. ベーン、『オルノーコー』(4)
イギリス人にだまされて奴隷となったアフリカの
王子が反乱に失敗し、自害を妨げられ、そして
残虐に処刑される、という話。

v.
オフィーリア(12)

その他多数。

4. 病と回復のイメージ
i. 美禰子の親戚(2)
ii. よし子(3)
iii. 広田先生(10)
iv. 三四郎(12)
v. その他

5. 宗教(キリスト教)の問題

* * *
私の印象では、恋愛ベクトルは美禰子<-->三四郎。
次のような描写から。

「じゃ、もう帰りましょう」と[美禰子が]言った。
厭味のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって
自分は興味のないものとあきらめるように静かな
口調であった。(5)
(三四郎視点からはみ出し気味な、漱石側の操作の
意図が見られる表現。)

「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、
横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。
その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が
聞こえた。(10:上記のとおり縁談が進みつつある
なか絵のモデルをつとめ、そしてそれが果たせない、
という場面)

「結婚なさるそうですね」……
「御存じなの」……
女はややしばらく三四郎をながめたのち、
聞きかねるほどのため息をかすかにもらした。(12)

このような美禰子・三四郎二人の個人的な思いと
恋愛・結婚の成就は別問題、というところに
この作品のメッセージのひとつがあるように思われる。
これは個と社会という新旧道徳の問題であると
同時に、いつの時代においてもありがちな人と
人とのすれちがい、意志と結果の不整合でもある。

以上、私見まで。

* * *
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夏目漱石、『こころ』

夏目漱石、『こころ』
(ノート)

大枠において『こころ』は、デフォーの『ロビンソン・
クルーソー』、スウィフトの『ガリヴァ―』のような
「遺された自伝」形式のなかで、講演「現代日本の開化」や
「文芸と道徳」の内容をアレゴリー化して語ったもの。

「K」は開化以前の日本のアレゴリー。おそらく
「K」は「旧幕」あるいは「過去」のK(下41, 43)。
「道」、高すぎる理想を求めて生きている。
(「文芸と道徳」にあるとおり。)

「先生」は開化した明治の日本のアレゴリー。
だから彼のうちで「自然」と「自分以外のある力」が
せめぎあっている(下46, 52, 55)。
「現代日本の開化」にあるとおり。

先生の妻や上7にある初恋の女性は、なんらかの美しい、
しかし手の届かない、そしてよくは理解できない新しい
理想という位置づけ。正しく偉大なはずのKも、
「すべって」しまった姑息な先生も、ともにこれを
(本当の意味で)手にすることができずに自滅。

次世代をあらわす上・中の「私」はこの二種の破滅を
受け継ぎつつ自分の立ち位置を探っていかねばならない。

中「両親と私」に描かれているのは、「開化」したか
どうかわからないような田舎の日本としての「私」の父。
この人物も浣腸されながら死につつある。
(とてもイギリス趣味的なイメージ。)

以上のような社会思想的なアレゴリーを名作、傑作と
呼ばれうる心理小説(?)として肉づけしているところに
漱石の力量が見える。

逆に、性的な内容をきちんと扱いえていないところに、
漱石や当時の日本文学の限界あるいは特徴が見えるよう
に感じられる。(この点では当時のイギリス文学も同様。)

以上、私見まで。
先行研究のリサーチはこれから。

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